脱走インポッシブル
◇ ◇ ◇
そして、ルキノが目を開いた瞬間。大きな赤い目をパチクリさせている少女が、両手で彼の寝ているベッドに頬杖をついている。
その現実に、ルキノはため息を吐いた。
「……なんだ、君か」
「なんだとはなんですかぁ。せっかく彼女がお見舞いに来てあげたのにぃ」
「お見舞いだって?」
ルキノが身体を起こそうとすると、メグがすぐさまルキノの肩を押す。
「起きちゃダメだよぉ。一週間も目を覚まさなかった人は、とりあえず医者の診断を受けなくちゃならないのです!」
押された力が思いのほか強くて、ルキノの上半身がベッドに弾む。
そして、彼女がベッドに繋がれたブザーを押し、医師を呼ぶよう話している。
その間に、ルキノは現状を確認していた。
無機質な白い天井。
少し硬いベッドに寝かされている自分には、点滴の針が刺されていた。
白いレースのカーテンが、窓の隙間からの風に揺らいでいる。今日の天候設定も晴れ。明度の高いこの青さは、いつものエクバタの朝。
カーテン越しの窓に映る自分の姿は、まさしく病人そのものだった。頭には包帯がしっかりと巻かれており、利き腕はギブスでがっちりと固定されている。胸の下も同じように固定されており、頭から足の先まで治療を受けていない箇所はないようだ。
「個室なんて、随分な待遇だな……」
「んー、感謝してよねー。無理言って個室にしてもらったんだからー」
通信を終えたメグが、こちらを見やる。それに、ルキノは苦笑を返した。
「それは、自分が大部屋に見舞い来たくなかったからか?」
「そうそうー。他のクラスメイトとかもいたらさー、冷やかされたりとか面倒だしねぇ」
何の悪気もなくそう言って、メグは花瓶の花を指先で突っつく。
黄色い小さな花びらがたくさんついた大輪の花だった。見るからに元気が出そうで、見るからにお見舞いの花にしては高そうな代物である。
記憶を辿れば、ランティスで深夜ユイと話した後自室に戻り、死ぬ気であの戦場のレポートを書き上げた。そこでルキノの記憶は途切れており、それを提出した覚えも、エクバタに帰ってきた覚えもない。
「僕のレポート、どうなったか知ってるかい?」
「ちゃんと教官に提出されたみたいだよぉ。ルキノ君に対しても、お咎めとか処罰はなし。部屋で死んだように倒れていたルキノ君を医務室に運んだのもタカバ君だし、レポート読んで、ゴチャゴチャ言ってきた教官に抗議したのもタカバ君だから。あとでお礼言っといた方がいいよぉ?」
「クラスのみんなはどうなった? 大半が入院してたりするのか?」
「んー、三分の一くらいかなぁ? どのチームも、相当な苦戦を強いられたみたいだしねぇ。うちらの班だと、あとはタカバ君ともう一人くらいかな。タカバ君は今朝退院してたけど、しばらくは自宅休養みたい。授業は来週まで休講だってさ」
「やたらタカバの名前を強調してくるね」
そう返すと、メグは花を弄る手を止めた。
「気のせいだよぉ。まぁ、それだけタカバ君がルキノ君のために頑張ってたよってこと」
「あいつが教師にまともな抗議が出来たのか? 問答無用で殴ったとかでなく?」
「殴ろうとした所をナナシ先生が止めて、結局先生がルキノ君のレポートを基に教官とかを黙らせてた」
「やっぱりそんなとこか」
その光景がすぐに目に浮かんで、ルキノは苦笑するも、
「痛……」
少し腹筋が動くだけで痛みが走り、すぐさま顔をしかめる。
「大丈夫?」
首を傾げるメグに対して「あぁ」と短く返し、ルキノは一言、ずっと気になっていたことを口にした。
「ユイは?」
それを尋ねると、メグがクスクスと笑い出す。
「そのうち来るよぉ」
――不自然な聞き方だったか?
彼女の笑い方に、ルキノは少し不安になる。
それは一番バレてはいけないものだから。世界中の誰にも、彼女自身に対しても、まだバレてはいけない感情だから。
まだ何も、出来ていないのだ。
実習で、こんなにもボロボロになってしまうくらい情けない自分であるうちは、まだバレてはいけないのだ。それは、何よりもカッコ悪いことだから。
「あ、そうそう。ルキノ君の弟の――ルイス君だっけ? あのコもここに入院しているよ。けど、色々な精密検査を受けているみたいで、特別管理区画にいるみたい。家族といえど、面会はまだ先になりそうだね」
「それは、パパからの情報かい?」
それに、メグはクスリと笑う。
「そうだよ。反政府組織の捕虜にされてたマナ中毒の少年。人体実験受けてたかもしれないしねー。マナ中毒の解毒治療と称しながら、何をされていることやら?」
「……君、性格悪いとか、よく言われないか?」
「相手は選んでいるから。ナナシ先生くらいしか言われたことはないけど?」
彼女が満面の笑みを浮かべた時、扉が開く。
白衣を着た医師と看護師が慌てて来たのか、少し息を荒立てていた。
「じゃあ、あたしはお花の水を替えてくるね」
メグがルキノに微笑んだ後、医師らにも会釈をして、花瓶を抱えて出ていく。
あまりに完璧な淑女の姿に、ルキノは感服するしかなかった。
「全治一カ月⁉」
「いえ、絶対安静が一カ月です!」
医師に歯向かうのは、初めてだった。そもそも、病院に受診すること自体が初めてだったりする。
スラムでは医者なんて闇医者しかいなかったし、入学してからもお金がなくて、風邪くらいは気合で治していた。
「いやいや、一カ月も入院してたら、授業に遅れてしまうじゃないですか!」
「死にたいんですか?」
粘るルキノに、医師の一言が突き刺さる。
「右腕骨折、全身に裂傷と火傷。頭も強打し、脳に支障はなかったものの、頭蓋骨にヒビが入ってます。何かでこれ以上衝撃を受けたら、どうなるかわかりませんよ。生きていたのでさえ奇跡みたいだというのに、君は何を優先させたいと?」
そう問われて、ルキノは答えることができない。
ここで答えれば、きっとこの医師は相談に乗ってくれるのかもしれない。
だけど、ルキノはこの一言を告げる勇気が持てなかった。
――先生。俺、金がないんです……。
エクア随一の教育機関エクラディア。いい教育を受ける機会が、タダで手に入るほど世の中甘くはない。
入学試験から進級試験まであの手この手で首位を得ているのは、その評価が欲しいというのもあるが、奨学金を得るためという実情もあった。
しかし、それで学費を賄っているとはいえ、寮費など生活費まで賄えるわけではない。
そうしたものを、すべて休日や夜間のアルバイトで稼いでいるような生活の中で、どうやったら一カ月以上の入院費を払えるだろうか。
――挙げ句にあの女、ご丁寧に個室にしてくれやがって。
個室料金は、一体いくらなのだろうか。
金がないことを病院に説明すれば、否応がなく少しでも安い大部屋に変更になるだろう。
――だけど、それがバレた時の周りの目はどうなる?
重症から回復したから、部屋が移ったことにすればいいだろうか。だけど、もしも金がなくて部屋が移ったことがバレたら、それこそ貧乏人と指を差されることになるかもしれない。
あの、いつも輝いている自分のポディションが崩れてしまうやもしれないのだ。
メグがどう周りに触れ回っているかも確認できない今、そう易々と判断していい問題ではない。
――そもそも、大部屋になろうが一カ月以上の入院医療費を払えるのか? 貯金もデート費用で底が見え始めていたはずだぞ!
今まではなるべく金持ちそうな女を選び、女に金を出させたり、庶民の楽しみを教えるという名目で比較的リーズナブルな交際をして、デート費用を抑えていた。
しかし、メグと付き合ってからは、やたらとお金がかかる。
初めてのデートは初期費用としてかなり奮発したものの、そのあとも彼女のリクエストは収まるところを知らなかった。地道にコツコツ貯めていた預金額の桁が減ってしまった時のショックは、今でも涙が出そうになる。
「ははは、疫病神なのか……あの女に手を出したことが、全ての元凶だったのか……」
「いや……僕もそこまで君を責めたいわけではなくね? ただ、君に元気になってほしくて……」
頭を抱えて苦悶を続けるルキノに、医師のフォローの声は届かない。
「いいね! とにかく後で様子を見にくるから、大人しくしているんだよ⁉ トイレに行きたくなったら看護要求装置を押すようにね!」
看護師が点滴を替えて、二人が部屋から出ていく。
しっかりとその背中を見届けて、ルキノは大地に根付くような深いため息を吐いた。
「稼がねば……」
頭には、それしかなかった。
ただでさえ、実習と意識がなかった間の一週間以上、バイトを休んでしまっているのだ。
壁にかけられた無機質な時計が、一時間後からバイトの時間だと教えてくれている。
ルキノは躊躇うことなく、点滴の針を引き抜いた。針の先から零れる薬剤の金額も請求されることを思うと、勿体なさ過ぎてがぶ飲みしたくなるが、歯を食いしばって堪える。
利き腕は完全固定のギブスが嵌められ、片足は鉛のように重い。立ち上がるだけで、クラクラ眩暈がする。だけど、そんなことで足を止められるほど、ルキノの決意も脆くない。
その時、ふとルキノは入口に立てかけられた松葉杖を見つける。
医師が出て行ったときには、なかったはず。トイレすら一人で行くなと言われた病人の部屋に置かれるには不自然な代物だが――今のルキノにとっては、まさに天の恵み。
このチャンスを、逃すわけにはいかない。
金がなければ、生きていけないのだ。
金がなければ、健康も買えないのだ。
金がなければ、夢も叶わない。
――そんな命に何の価値がある?
「やるぞ、俺は」
表情を引き締めて、ルキノは松葉杖を手にする。
窓を開けば、ここは二階。
思わず、ルキノは口角を浮かべた。降りるのは容易い――これでも、ルキノはエクア最高峰の教育機関絵クラディア学園軍事クラス主席。つまり、世界最上位学生なのだ。
「俺様を誰だと思ってるんだ⁉」
あちこちの痛みと貧血により、自分がおかしなテンションになっているのも気付かず、ルキノは揚々と窓から飛び降りる。
今日もエクアの燦々とした陽光を浴びて、彼の自慢の金髪は誰よりも輝く――――




