策略好青年の日常
視点変更の箇所に◆◆◆を入れてあります。
◆ ◆ ◆
かつて、初対面の少女に命を救われたことがある。
本当は、弟に自分の強さを見せつけるために、男に囲まれていた彼女を助けようとしただけだった。
幼い自分の、ちょっとした見栄。
弱い自分の、ちょっとした虚栄心。
その頃の彼女もまた、今よりはとても弱かったと思う。幼かったと思う。
それでも、彼女は身を呈して、見知らぬ愚かな少年を助けたのだ。
たとえ、彼女がその時の怪我のショックで記憶をなくしていたとしても。
そんな十五年前の自分しか覚えていない記憶を胸に秘めながら、ルキノは拗ねたユイの後ろ姿を見送って、
――可愛いなぁ。
微笑を崩さぬまま、そう思う。
好きだった相手にフラれた翌日、さっそくそれをネタにされてしまった彼女。それなのに、涙一つ見せることなく何とか乗り切った黒髪の揺れる背中は、とても凛々しい。
――まぁ、元を正せば僕が振ったせいだけど。
ルキノはユイが好きだ。
たとえその想いを今受け取ることが出来なくても、その想いは変わらない。むしろ、その想いは昨日より一層深まったくらいだった。
『あなたのことが好きです!』
顔を夕焼けよりも真っ赤にしてそう告げた彼女が、とても綺麗だった。
彼女はもちろん知っている――過去に、黒髪を持つ人種と起きた大きな戦争に負け、逃げ延びた人々が作ったのがこのエクアだ。そのため、エクアでは代々、黒髪を持つものを異端とし、迫害している。そんな世界の中で、この学園に入学し、イジメに遭っているとはいえ、あんな堂々と過ごせることすら、奇跡に近い幸運なことなのだ。
それなのになお、彼女は上を目指した。
学園で人気者の金髪碧眼の秀才――一見すれば、異端としていじめられている彼女とは相いれない存在――相手に、正々堂々と『付き合ってください』と告白をしたのだ。
どんなに勇気がいったことだろう。
どんなに怖かったことだろう。
たとえ世界に受け入れられない存在だとしても、ルキノはその気丈さを尊敬しないわけにはいかなかった。その昔から変わらぬ美しさを、愛おしいと思わざるえなかった。
だから、ますます悲しくなった。
この世界の不条理さが。
この世界の不平等さが。
この世界の理不尽さが。
ますます、ルキノは悔しくなった。
彼女の想いを受け入れた先に、幸せな未来が見えなかったから。
二人で、世界の片隅に隠れて慎ましく暮らすのか?
二人で、他者の冷たい視線に晒されながら生きていくのか?
――どうせなら、幸せになりたいじゃないか。
堂々と世界の真ん中に立って、愛し合いたい。
あたたかい人達に囲まれて、愛を育んでいきたい。
そう願うからこそ、ルキノは応えた。
『今、黒髪の君と付き合ったら――』
そう――それは『今』の話だ。
いつか、自分の想いを堂々と告げるためには、世界を変える必要がある。
黒髪でも黒目でも、堂々と生きていけるような世界に変える必要がある。
いつか、彼女が本気で笑えるような世界に変える必要がある。
――そのために、俺はなんだってしてやるんだ。
無事にエクア最高峰であるエクラディアを主席で卒業し、政府軍あたりに就職して出世コースに乗る。そして、早急に成果をあげ、若くして官僚にまでのし上がり、世界の常識を変える。
そうすれば、二人で幸せになれるから。
最高の形で、彼女を迎えることができるから。
だから、たとえ今だけは、彼女を悲しませることになっても。
――まぁ、そんな僕の意図は全然通じなくて、全力のビンタを食らったんだけどね。
叩かれた部分が今でも熱いような気がして、ルキノは頬を押さえる。これでも一晩中冷やして、ようやく腫れが引いたのだ。
ユイが出ていった教室のドアを見つめる者が、もう一人いた。
彼女の唯一の友達のメグだ。
メグはルキノやユイよりも年下である。素直に十年で卒業するだけでも難しいエクラディアで、三学年飛び級した優等生。それだけに止まらず、あのユイと仲が良いため、なおさら彼女もクラスで浮いた存在となっている。ただ、その優しく愛らしい見た目と人柄で、直接叩かれたことはないはず――と、ルキノは認識していた。おまけに、とある事情からどこぞの令嬢なのではないかという噂まである。その後ろ盾を恐れて、公に虐められないのだろうとルキノは予測していた。
何か彼女に声を掛けた方がいいか、と思案していると、
「ルキノ様ぁん。今日もカッコよかったですぅ」
舌っ足らずに媚びる声音と共に、腕に弾力があるふっくらしたモノが押し付けられる。男子生徒の羨ましそうな視線が集まるものの、ルキノはただの脂肪の塊に興味がなかった。
――その無駄なエネルギー、頭に回せよ。
だけど、それを表に出すわけにもいかず、ルキノは少し恥ずかしそうな笑みをあえて作る。
「ありがとう。でも、恥ずかしいから離れてくれないかな?」
「はぁーい」
ルキノは彼女を見る。桃色の髪が際立つ、香水臭いグラマラスな女生徒だ。もちろん彼女の名前も知っているが、その固有名詞に特別な意味はない。
ただ、彼女において大事なことは、兵器斡旋商社の娘であるということ。
そして、自分の熱狂的なファンとして、その華やかな見た目を駆使して自分を飾り立てているということ。
だから、ルキノは今日も餌を与える。
それは、バカな安いアクセサリーに与える、甘いご褒美だ。
「今日も綺麗だね。けど、いつも僕のそばにいていいの? 他の男たちに泣かれているんじゃない?」
眩しい笑顔に、彼女たちを讃える台詞。
案の定、彼女は身をくねらせ、
「そんなのはどーでもいいんですぅ。私はルキノ様と一緒にいたいんですぅ」
「はは、それは光栄だな」
ルキノは、曇りなき笑顔を作った。
そして、胸中で毒を吐く。
――耳障りだな……そろそろ、新しいアクセサリーに変えようか。
もちろん、その様子は微塵も見せない。
例え安い女であっても、今は大事な飾り。利用価値が少しでもあるものを、そんな些細なことで手離しはしない。もしかしたら、思わぬ所で利用価値があるかもしれないからだ。
――僕もたいがい、貧乏性だな。
こうして自分の価値を上げていく。こうしてエクアを駆け上がっていく。こうして彼女を幸せにするという夢を叶えるために、他人を利用していく。
――その為に、いまするべきことは……?
ルキノはそう模索して、一人の男に目を向けた。謎の現象として突如髪が燃えた友達が無事だったことに安堵し、その友達に抱きついている大男。
――こいつも、なんであんなにユイに構うかね。
タカバは言動が粗暴だが、それなりに友達は多い男である。座学の成績は奮わないものの、授業態度もそんなに悪くない。だけど、毎日なぜだかユイにつっかかり、いつも揉め事を起こしている。
――まぁ、これもいい引き立て役だと思えばいいのだけど。
「けどヒイロよォ、本当にあの劣等種になにかされたワケじゃねェーんだな?」
「おぅ、怖ぇ顔で睨まれたなぁとは思ったけど、これとして何も……今日会ったのだって、あの時が始めてだしな。今日新作のワックス始めて使ったから、そのせいかね?」
「自然発火とかってやつか? やべーじゃん、その商品。クレーム入れた方がいいんじゃね?」
「いいホールド力だったんだけどなぁ……ところで俺、髪おかしくねぇーか?」
かなりの惨事だったはずだが、思いの外のんびり話している彼らに、ルキノは声をかけた。
「前よりスッキリして、似合っていると思うよ。そりゃ、焦げてる所は美容院行ってきた方がいいと思うけど」
「俺さぁ、いつも自分で髪切ってるんよ。今度ルキノんも切ってやろうか?」
頭上に逆立てた髪が自然になったヒイロが、ニカッと笑って提案してくる。
それにルキノは、愛想笑いを返した。
「いや、遠慮しておくよ。カットモデルの契約しているからね。勝手にいじれないんだ」
「なんだよォ。モテ男も大変だなァ、オイ」
不服を申し立ててくるのは、ヒイロではなくタカバだった。舌打ちして嫌味を飛ばしてくる彼に、ルキノは口角を上げる。
「なに? タカバもメグからモテたいって?」
「ちょっ……いきなりバカなこと言ってんじゃねェーっ!!」
顔を真赤にしたタカバが、ルキノにこぶしを振り上げてきた。
――短気だねぇ。
それを鼻で笑いつつ、
「まぁ、僕相手ならいいんだけどさ」
傍にいた姉妹に下がるように促し、ルキノは向かい来るこぶしを手の甲で受け流す。そして、その腕を即座に引き、
「仮にも女の子を殴るなんて、男の風上にも置けないだろうが」
彼の顔が近づいたところで呟いた。手を離し、タカバの鳩尾にこぶしを当てようとした時である。突如、床が大きく揺れて、わずかに体勢を崩したルキノの手が思った以上に深くタカバにめり込む。
「うっ」
タカバはよろめき、数歩下がる。その眼光は、鋭くルキノを見据えていた。
――なんだ、今の揺れは?
まわりのクラスメイトもキョロキョロと見渡していた。地震なんてよほど環境システムに問題が出ないと起こらない現象である。だが、科学クラスか何かの実験が失敗し、爆発が起きることはそんなに珍しくない。一瞬の揺れは大きいものの、その後大きなトラブルになったことはない。
実際廊下を見ても、誰かが飛び出してくる様子もなければ、騒ぎにもなっていないようだ。
だからルキノはさほど気にせず、不運だったタカバに苦笑をする。
――ま、今の攻撃が偶然なんて思わせるつもりはないけどね。
「やりすぎたかな? まぁ、女の子に手を挙げた罰ってことで、勘弁してね」
「な……あの劣等種なんか、どうでも――」
「いつも謎なんだよね。君はよく彼女のことを『劣等種』とバカにするけれど、総合成績は君より格段に上だったよね。進級スレスレのタカバ君?」
タカバの言葉を遮り、ルキノは事実だけを述べ続ける。
「それに君も知っているだろう? ユイは反政府組織メサイアの実験体として生まれたのではないかと疑われて、色々検査した結果、思考能力、身体能力ともにデータは正常。反政府組織との関係性も一切なかったって……有名は話だろ?」
「だからと言って、あいつが性格悪いのは事実じゃねェーか!」
――それは確かに否定できないけど。
ごもっともな意見にルキノも吹き出すものの、即座にルキノも言葉を返す。
「そうだね。エクアでありとあらゆる変わったものが揃うという、知る人ぞ知る通信販売商社のご令嬢みたいだからね。今にも潰れそうなパン屋の三男坊に比べたら、苦労知らずな分、多少性格悪くても仕方ないかもしれないね」
――このくらい懲らしめてやれば、ユイの溜飲も多少は下がるかな。
このやり取りをメグが見ているのは、しっかりと横目で確認済み。
きっと後で、彼女に報告してくれるだろう――そんな計算をしている時だった。
「へっ。ずいぶんと庇うじゃねぇか」
額からじっとりとした汗を垂らしながら、タカバは嘲笑う。
ルキノは、この後に彼が言おうとしていることを察して、先に口を開いた。
「僕は、生徒みなの味方であるべき生徒会長だからね。たとえ黒髪だろうが、机を蹴り飛ばす乱暴な女の子だろうが、僕は生徒一人一人の味方だよ。もちろん、パン屋の息子にもね」
「……昨日こっぴどくアイツをフッといてか?」
――乗ってこないか……。
タカバの逆上を狙って嫌味を重ねたものの、彼の話題は逸れなかった。
しかし、それならそれで仕方ないと、ルキノは視線を落としながら、用意していた答えを披露することにする。
「ユイは……強がるからね。中途半端な優しさは、彼女を余計に傷付けてしまうと思ったんだ――この世界じゃ、どう転んでも、僕はユイの気持ちに応えてはあげられない。僕にはああすることしか、出来なかったんだ」
そして、ひどく悲しげな表情を作る。
すると、
「ルキノくん可哀想!」
「ルキノ君は悪くないよ!」
「きっぱり振ってあげるのも優しさだよ!」
教室中から、主に女生徒の賛同の声があがる。
それでいいと、ルキノは内心ほくそ笑んだその時、思いがけない声が響いた。
「どうしてユイの気持ちに応えてあげられないの? ユイが黒髪だから?」
それは、珍しい声だった。
よほどの時でないと彼女より前に出てこない可愛らしい少女が、誰よりも毅然を声をあげた。




