悪魔の正体に少年は苦笑する
◆ ◆ ◆
「何やってんの……?」
憤りも呆れも通り越して、ルイスは目の前の光景にその言葉しか出なかった。
仲間であっただろうナナシという男が、ユイを問答無用で蹴り落としたのだ。
「お、お姉ちゃん⁉」
ビチャビチャと溜まっていくマナの水流を掻き分けて、ルイスは落とされた彼女が開けた大穴の縁まで這いずった。
高い。スラムの町がオモチャに見えるくらいに高い。争っている人々が塵のように霞んで見えるくらいに高い。
その時、町外れで大きな爆発が起こった。
ルイスが光の明滅に目をしかめた次の瞬間には、土煙の下からポッカリと黒く開いたクレーターが誕生していた。確認するまでもなく、その場にいた人々は大勢死んだに違いない。
「おれ、聞いてない……」
そんな大規模な兵器が投入されることなんて、ルイスの耳には入っていなかった。
ルイスがモナから指示されたことは、スラムの人たちを囃し立て、暴動を起こすこと。武器を融通して、エクア軍そして政府に一泡吹かせてやること。
だけど、ルイスが手配し、確認した武器の中に、あれほどまでの爆発を起こせる代物はなかったはずだ。だって、あんな大火力の武器を使い始めたら、ラントの町自体が二、三発で壊滅してしまうだろう。自ら住んでいる町を破壊するなんて愚かにもほどがある。
スラムの住人は元より、ルイス自身も生まれてずっと暮らしている町だ。どんなに荒んでいようとも、貧しかろうとも、それなりの愛着はある。苦しい中で手と手を取り合って生活していたからこそ、その同郷愛があるからこその賃上げや免税要求なのだ。他の場所へ逃げるのではなく、この場所で幸せになりたいからこその暴動を促したのだ。
だからこそ集まった暴徒の数。
そして、ルイス自身もだからこそ、自分を置いて首都へ行ってしまった兄への復讐だったのに。
「モナ様……おれ、聞いてないよ……」
同郷の人たちが死んでしまった。
あの場所では、兄に捨てられてから自分の面倒を看てくれた叔父や叔母もいたはずだった。
そして、ギャフンと言わせたかった兄も――――
「兄ちゃん……」
足の怪我のことも忘れ、唇を噛み締めながら踵を返す。傷口にマナが沁みることも、歯に力を入れすぎて血が出ることもどうでも良かった。ただ操作卓の元まで辿り着くと、一心不乱にまだ使用できる回線を探す。
血走った目で画面を凝視するルイス。その小さくとも懸命な背中を見つめ、ナナシは言った。
「哀れだな、少年」
「ハッ、何⁉ 見てて楽しい?」
振り返ることも、手を止めることもしないが、その愚弄にルイスは半笑いを浮かべて苛立ちを口にする。
「そりゃ滑稽だろーよ。反政府組織なんていう怪しげな組織の幹部に利用されるだけ利用されてさ、ポイ捨てされて、本当に家も家族も健康な身体も命すらも、全部失った哀れな少年の末路がこれだよ? 笑いたかったら笑えばいいさ! おれだって、笑いたいぐらいなんだから」
だけどナナシは笑うこともせず、一切表情は動かさない。
「何を言う。まだ命はあるだろう。今から適切な治療を受ければ、今後の人生をそれなりに過ごすことは出来ると思うが?」
「命? 残り数分の命に何の価値があるっていうのさ⁉」
「ならば、貴様は今、何をしているんだ?」
淡々と紡がれたナナシの質問に、ルイスの手が一瞬止まる。
「おれは――」
――何が出来るのだろう……。
モナに切り捨てられた以上、反政府組織にはもう頼れない。
ただ、今自分が知りたかったのは、兄の安否だ。スラムみんなの無事だ。
だけど、それを知ったところで、どうなるというのだろう。
あんな兵器の運用を知らなかったとはいえ、この状況へと導いたのは自分だ。兄を、叔父を、叔母を――みんなを殺したのは、自分だ。
マナに帯びた水はどんどんと溜まっている。いつの間にか、すでにルイスの腰の位置までの水位になっていた。足も負傷している以上、泳ぐことも出来ないし、それこそユイほどではないとはいえ、マナ中毒でいつ平衡感覚を失うかもわからない。如何なる理由であろうとも、あと数分でもうすぐ溺死する未来は見えている。
「おれは……どうすれば良かったのかな……」
ルイスは振り返った。流れる涙を隠す虚勢も、もう持つことは出来なかった。
そんなクシャクシャな顔のルイスをナナシは無表情で、だけど真っ直ぐに見下ろして、
「そんなもの、今からじっくりと考えれば良かろう」
実年齢よりも小柄な少年を、ナナシはヒョイと肩に乗せる。
足が床から離れ、視線が上がったルイスは兄と同じく長いまつ毛を何度もパチパチさせた。
「え、ちょっと……これからどうするつもり?」
「貴様が何を勘違いしているかはわからんが、無論貴様は私が助けてやるぞ? ここで貴様を見殺しにしたら、エクアージュに嫌われるのが明らかだからな」
「いや、でもお姉ちゃんはもう……」
ナナシの肩の上で戸惑うルイスを、ナナシは半眼で睨んだ。
「エクアージュがあの程度で死ぬわけなかろう。私がそんな生ぬるい教育をしていると思っているのか?」
「いや、そもそもあんた誰――」
疑問符を投げかけようとした口が、ハッと止まる。
思い出せなかった断片が繋がろうとしていた。
無愛想で慇懃無礼な態度。絶対の自信を持って常に想定外の行動をする男。そして、一人のある女に対してのみ、異常で異質な愛情を注ぐ男。
「おまえ、まさか――」
「気付くのがずいぶんと遅かったな。あの時の薬を貴様はロクに飲んでいないと思っていたが……可愛いところもあるじゃないか」
「う、うるさい! ねぇ、だったら何でお姉ちゃんはあんたのことを――」
喋ろうとするルイスの口を、ナナシは空いている手で摘む。
「貴様には関係ないことだな。一応助言しておいてやるが、エクアージュは私のことがわかってはおらん。事実を貴様の口から告げてみろ。貴様の命はもちろん、小僧の命もないものと思え」
ナナシの手を払い除けたルイスは目を細める。
「小僧って、もちろん兄ちゃんのことだよね?」
「無論だ。過去から現在も、そして未来永劫、私が世界で一番嫌いなのはヤツしかおらん!」
その断言に、場違いを自覚しながらもルイスは苦笑する。
「それはもうご勝手にって感じだけどさ……兄ちゃんは生きてるってことでいいんだよね?」
「あぁ。あの小僧は生きている――ずいぶんと滑稽なまでにボロボロだがな。全く、あの程度の騒動で死にかけるなんぞ、相変わらず弱すぎて反吐が出る。心配すぎて、おちおち私も死んではおれんぞ」
「はは……オジサンも相変わらずだね」
ひとしきり笑って、ルイスはゆっくりと息を吐く。
兄は生きていた。
一人の女のために自分を捨てていった兄は、見た目だけ格好良くなって、中味は相変わらずのままで生きていた。
あんなに悲しかったけれど。
あんなに憎かったけれど。
十年も経ったのに、未だこの男にこうもけちょんけちょんに言われている兄を思うと「ざまあみろ」と皮肉る自分がここにいた。
――まぁ、それでもおれを置いていったことを簡単には許してやらないけどさ。
「でもさ、あのお姉ちゃんの力、納得がいったよ」
「魔法のことか?」
状況はまるで刻々と悪化していくものの、表情の和らいだルイスにナナシは片眉を上げる。
ナナシの背中は、相変わらず火傷で爛れていた。普通ならば十歳程度の少年だとはいえ、こうも易々一人の人間を担げる状態ではないだろう。それでもナナシは平然な顔で、ルイスを担いだままバチャバチャと水の中を便所サンダルで歩く。
だけど、この男ならば問題ないだろうという確信がルイスにはあった。
「うん。そりゃあオジサンが教えたんなら……てか、オジサンの力も魔法だったんだね」
「嫉妬でもするか? 散々実験台にされても、貴様は得ることが出来なかったのだろう?」
「うーん、どうだろう? あったら便利かなーとは思うけど、ないならないで、別にいいかなって」
「ほう、その心は?」
ナナシが足を止めたのは、ユイが開けた大穴の縁だった。ダバダバとマナが流れ落ちていっているものの、その勢いは留まることを知らない。
ダバダバと流れる水の音にも負けず、ルイスは声を張り上げた。
「だって、兄ちゃんもどうせ一生使えないじゃん?」
その返答に、ナナシは小さく肩を竦めて笑う。
「そのたくましさ、小僧にも分けてやったらどうだ?」
「ヤダよ。勿体無い――てかオジサン、どうやって脱出するの? まさか――」
目の前には、灰色の空が広がっていた。たとえ雲が描かれていようとも、それに乗ることが出来ない事実を、青ざめたルイスが知らないわけがない。
眼下では、赤い爆発が華々しく咲いていた。
景気の良い音と明かりに、ナナシの口角がニヤリと上がる。
「聞くまでもなかろう?」
そして、超人的な男と共に虹の一部になった少年の絶叫をまともに聞く者は誰もいなかった。
もちろん、その超人がそんな些細なことを気にするわけがないのだから。




