美青年が格好つけたい相手
ルキノは左手で、しなだる右手を殴る。
利き手が使えないからなんだ。血がどんどん抜けていくからなんだ。
そして、髪をわしゃわしゃと掻きむしって、ルキノは声を張り上げた。
「メグ、タカバ! 手を止めてくれっ!」
「ハァ⁉ なに抜けたこと言ってんだ、よっ!」
また一人誰かを殴り飛ばしたのだろう。ルキノからは見えないが、息を切らしながらも叫ぶタカバの声が、即座に返って来る。
――抜けたこと、か……。
だが、それでも。
ルキノは一歩前に出て、
「スラムのみなさん、僕のことを覚えていませんか⁉ ルイスの兄の、ルキノです!」
声が割れる。喉に痛みが走るほど、思いっきり叫ぶ。
すると、ざわめきの連鎖が広がった。
「ルキノ……?」
「ルキノってあの子の兄貴か?」
「親が死んで以来ろくに帰ってこないあの……?」
徐々に、徐々にその戸惑いは広がっていく。
そして、暴徒の攻撃の手は完全に緩くなった。止まるのも時間の問題であると、ルキノは判断する。
だけど、ルキノは冷笑を浮かべない。
影を落とした表情のまま、前線の仲間たちの元へ歩んでいく。
たまに銃弾が飛んでくるが、どこから撃たれるのかさえわかれば躱せないことはない。
たまにナイフが振り下ろされるが、致命傷さえさければ死にはしない。
そして、誰よりも前線へ。
もう一度彼女に会いたい一心で、ルキノはなりふり構わず、敵前で頭を下げた。
謝罪するのは、兄としての責任を放棄し、故郷を離れたこと。
そして、そこまでしたのに、未だ命じられるがままに敵対することしか出来ない未熟さ。
「たった一人の弟を皆さんに任せ――そしてこんな騒ぎになってもなお、何も皆さんの力になれず申し訳ございません」
ルキノの後ろで、メグとタカバが顔を見合わせて戸惑う。
それでもなお、頭を下げ続けるルキノに一つの石が投げられた。こめかみに掠った鈍痛にルキノは歯を食いしばるものの、それでも頭を上げない。
そんなルキノを見て、群衆の動きもまた止まった。どこか懐かしい覚えのする男の声が「本当にルキノなのか?」と疑問符を上げる。
そこでようやく顔を上げたルキノは、だいぶ老けた叔父に向かって「はい」と答えた。
「叔父さん……ご無沙汰しております。このような再会になってしまい、申し訳ございません」
「いや……ルキノ君……本当にルキノ君なのかい? ずいぶんと垢抜けたね……」
「あ、髪を染めてまして」
呆然とする叔父に対してルキノが愛想笑いを浮かべていると、服の背中をツンツンと誰かが引っ張る。振り返ると、やっぱりメグが顔をしかめて見上げていた。
「ルキノ君、頭大丈夫?」
――それは怪我のことかな、中味のことかな?
どっちとも取れる言い方に苦笑を返し、ルキノも小声で尋ねた。
「メグは大丈夫? 怪我はないかい?」
「あ、うん。あたしは平気」
「オレも大丈夫だぜ!」
戸惑いながらも首を縦に振る彼女の後ろでは、ガッツポーズを掲げる怪我だらけのタカバの姿。傷がない場所がないくらいに血まみれだが、動きや声音に違和感はなく、どうやら致命傷はないらしい。
――あいつより俺の方が重症とは情けないな。
ヤレヤレと肩を落としつつも安心したルキノは、再びスラムの住民たちへと向き直った。
この間も、彼らはルキノの正体をボソボソと囁き合っていた。直接叔父も訊かれて「どうやら本物のようだ」と答えている始末。その光景に少しだけ気恥ずかしさを感じながらも、ルキノは意を決して声を張り上げた。
「もう一度言います――僕は十年前までここで暮らしていたルキノ=イドヴィスです。親不孝者と言われながらも、弟のルイスを置いて首都エクバタのエクラディア学園に進学した、あのルキノです。髪を染めているから、違和感のある人も多いとは思いますが……」
スラムの人たちは、決して穏やかな顔ではなかった。眉間にシワを寄せて、戸惑いつつもその憎悪を隠せてはいない。叔父ですら、複雑そうな顔で口を真一文字に引き締めている。
息が詰まりそうだった。それでも、ルキノは口を開く。
「このような惨状になってしまったこと、大変心苦しく思っています。だけど、あれから十年も経ちましたが、僕は未だ学生。このような争いになる前に止める力もなければ、要望を上に伝える力もなく――」
その時「この裏切り者!」と、また石が投げられた。軌道がハッキリと見えていたものの、それもルキノは大人しく受ける。脳が揺れる衝撃を受けたのち、視界が赤く染まった。表面が切れた額から、滴り落ちた血が目に入る。片目がうっすらとしか開かない。
――痛いな。
「てめぇら、いい加減に――」
「大丈夫だから」
ルキノを押しのけて前に出ようとするタカバを、ルキノは動く左手で制した。そして、自らスラムの暴徒たちに囲まれに行く。ゆっくりと、隠し持っていた武器を地面に置いていった。銃器はもちろん、爆弾、ナイフ、鉄線。絶対にバレないような襟の裏や服の下の装備までも全部置いて、彼らに示すのは誠意。
「ですが、今回あなた方がこのような暴挙に出た理由……僕なら十分に計ることができる。マナタンクから流出するガスのせいで、実際に亡くなる者は後を絶たないですよね」
肩から流れる血は止まらない。だけど、ルキノは手で無理やり押さえつけながら、口を動かし続ける。
「それなのに政府は、救済の手を何も差し伸べようとしないばかりか、見苦しくもその事実を隠ぺいしようとしている――市民によるエネルギーの排出の反対論が出てこないように。この不安を万延させないように。僕らのことは蓋をして!」
攻める箇所は、同郷意識。
田舎特有の仲間意識を利用して、いつの間にか自分もスラムの一員であるかのように錯覚させる。自分を味方であるかのように納得させる――そうした話術は、学園で懸命にのし上がろうとした際に、徐々に身につけていった処世術だ。
「だけど僕は思うんだ。ただ闇雲に政府に立ち向かうだけが、僕らの取るべき手段なのか⁉ 真っ向から歯向かうだけが、僕らが幸せになるための方法なのか⁉」
そして、首を振る。
この十年、学園で学んだことは知識や武器の扱い方だけではない。それよりも、ルキノが重視していたことが、如何に自分をよく見せることが出来るかというアピール法だ。
「……違うだろ。僕らの場所を守るために政府が邪魔ならば、その政府を変えてやればいい。僕らにも優しい政府にしてやればいい。分け隔てない世界を創造する政府にしてやればいい」
自分の言うことは全て正しい――そんな自信を、一度も持ったことはなかった。
もっと上手い方法があるのではないのか? もっと効率の良い手段があるのではないのか?
だけど、そんな弱みを見せたら、誰もついてきてくれないから。誰も信用してくれないから。
だから、いつも考えて、努力を続けてきた。虚勢でもなんでも、自分を良く見せることが出来るのなら、自分のことすらいくらでも騙してきた。
――こんな情けない自分を、いつか彼女は受け入れてくれるのだろうか?
その不安を、ルキノは握りつぶす。
「だから、僕はエクラディアに行ったんだ。確かに、弟には苦労をかけている。だが、実際に僕は誰よりも素晴らしい成績を叩き出して、着実にコネクションも作り出している。もう少しなんだ――あとは学園を卒業しさえすれば、僕は確実に世界に通用する力を身につけることが出来る!」
誰かの息を呑む音が響いた。いつの間にか、誰もがルキノの話を聞き入っていた。
言葉で訴えることのコツは、非の打ちどころのない正論を並べることだ。その中で、たまに甘いスパイスを混ぜ、耳障りをよくしてやればいい。
「僕を信じてくれないか? 今はまだ学生でしかないから、権力が足りない。だけど絶対、近いうちに僕は力を手に入れる。だから、もう少し待っていてくれないか? 僕が必ず政府を――このエクアという世界を変えてみせるから――今は両者の被害を広げないために、ここは引いてくれないだろうか?」
ルキノは深々と頭を下げた。必死に偽ってきた金糸がハラリと落ちる。
これ以上、ルキノに言えることはなかった。
敵に頭を下げたと学園にバレたらどうなるのだろう? 政府や軍の上層部にまで噂が広がったらどうなるのだろう?
それが少しだけ怖い。今まで積み上げてきたものが、壊れてしまうことが怖い。
それでも、ルキノは頭を下げ続ける。
あとのことは、あとがなければ起こらないのだから。
今は生き抜かなければならない。仲間をこれ以上傷付けるわけにもいかない。
でなければ、
――こんな所で死んだら、彼女に格好がつかないからね。
その時、背後から可愛らしい声がルキノを呼ぶ。
ルキノは頭を上げ振り返ると、メグが後方の生徒と合流して、ピョンピョンと飛び跳ねていた。
「ルキノ君、特殊回線でルイスって男のコから連絡! なんかひたすらユイの名前を連呼してる!」
「すまない。通してもらえるか?」
画面の映像はザーザーと不鮮明だった。
だけど画面の中に映っているのは、紛れもなく混乱していて泣いている弟の姿。
『兄ちゃんっ! なんなの、あのユイっていう女は⁉』
「ユイ?」
彼女の名前に、ルキノは思わず笑ってしまう。いつも通り短気を我慢できない彼女の姿を想像してしまうと「またか」と自然に頬が緩んでしまう。
それに、スピーカー越しの声は不服の色を顕にした。
『笑い事じゃないって! なんなの、あの化け物は⁉』
「彼女が何したか知らないけど、さすがに化け物呼ばわりはないんじゃないのか?」
ルキノが怪訝に眉をしかめた時、画面の中の弟が誰かに襟首を掴まれていた。
『わわ! いきなり何すんのさ! おれは最後兄ちゃんに……』
『挨拶も和解もあとで直接言えばいいでしょ! 私は君を連れて帰るって、約束してんのよ!』
通信機を落としたのだろう。画面のノイズが一層激しくなり、ガタガタと転がる音がする。
そして白黒画面で見えたものは、漆黒の髪が広がる姿。奥の方では、あちこちから水が噴き出しているようである。
「え……ユイ! ルイス! 大丈夫なのか⁉」
どこにいるのかは知らないが、どこかの部屋の中なら、そのまま水没してしまいそうな勢いで水が噴き出している。ルキノが慌てて声を掛けると、画面にはある男の顔がドアップで映った。
超絶美形の人形のような顔が言う。
『無論だ』
そして、映像がプツリと途絶えた。




