美少年にお腹を撫でられた時の対処法
◆ ◆ ◆
うざったいと目を伏せたくなるくらい眩しかった。
それでも腹部を撫でられているような違和感に、ユイはうっすら目を開ける。
ラクダ色の髪の美少年が、まじまじとお腹を撫でまわしていた。ユイのタンクトップは、胸が見えるギリギリまで捲られている。
「……君は何をしているのかな?」
「あ、お姉ちゃんおはよう! 大丈夫? 痛い所ない?」
「あちこち痛い」
満面の笑みで訊いてくる少年に、ユイは正直に答える。
全身あちこちが痛かった。打ち身か、打撲か。鈍い痛みが主に手足から発せられている。その挙句、ヒンヤリと冷たい床に寝かされているため、底冷えの寒さにユイは鼻を啜った。
「しかも風邪を引いたみたいよ。どう責任を取ってくれるのかしら?」
「あー、お姉ちゃん薄着だもんねぇ。女の子は身体冷やしちゃダメっていうのにさー」
「そんなこと言いながら人の服を捲っているのは、どこの変態小僧?」
ジト目で睨むと、少年は笑ったまま眉を寄せる。
「ごめんねー。とりあえず気絶させてみて気付いたんだけど、僕の体格でお姉ちゃん運ぶのは、色々きつかったみたいでさ。お姉ちゃんのエアボードで運ぼうとしたはいいけど、手足があちこちぶつかるし。お姉ちゃんスタイルいいね!」
「……まったく褒められてる気がしないんだけど?」
「あははー。気のせい気のせい」
笑って誤魔化そうとする少年に嘆息して、ユイは上半身を起こし、髪を掻き上げた。
「んで、人さらいの美少年が一体何をしているのかしら? まさか、女性のおへそが見たかったなんてオチは勘弁してよね」
「いやぁ、おへそは関係ないんだけどさ……そのお腹の傷、どうしたの?」
「傷?」
疑問符を返しながら、ユイは周囲を見渡した。
狭い一室だった。部屋自体に灯りはない。だが、部屋の四隅には鮮やかな水色をした液体が流れる太いパイプが通っており、目の前の壁には数々の画面が升目状に並んで、様々が映像を映している。それらが眩しさの原因のようだ。その下の横に長いデスクには、所狭しに操作卓が並べられていた。
――さしずめ管理室ってところね。
その映像は、ランティスの各地が移されているようだ。路地裏でひもじそうにうずくまっている人々。軍隊に撃たれている人々。倉庫のような場所で、鞭を打たれて働かされている人々。どれもこれも、いかにも貧しいといった人々が、苦渋の顔をしている場面だった。
その中で、ユイの目を引く画面があった。
武器を持った市民を相手に、ほとんど素手で格闘している知り合いの姿があったのだ。
彼らは、傷だらけだった。いつも綺麗だとか、可愛いと言われている彼らの顔は泥だらけ。服も所々破けていて、そこから血が滲んでいる。大柄な男が一人、格闘というより、喧嘩をしているような雰囲気だが、それでも疲れが目に見えていた。
――あいつら!
「この映像、リアルタイム?」
「そうだけど……お姉ちゃん、僕の話聞いてないでしょ?」
ユイは両手で顔を覆う。大嫌いなクラスメイトたちが、とても辛そうだった。
だけど、まだ生きていた。
「良かった……」
思わず漏れた自分の言葉を、ユイは鼻で笑う。
――良かった……?
安堵する自分が馬鹿らしい。彼らは、散々自分をいたぶってきた奴らなのだ。
そんな彼らの安否を気にする自分が馬鹿らしい。
世界が破滅すれば、みんな死ぬのに。
彼らなんか、真っ先に苦しんで欲しいはずなのに。
気が付くと、目の前に銃口が突き付けられた。質問に答えないユイに業を煮やしたのだろう。少年の顔から、笑みが消えている。
「自分の立場、わかっているの?」
それに、ユイは口角を上げた。
「人質目的なら、生憎私は役立たないわよ。基本的に嫌われ者の黒髪異端者ですから」
「それは、この傷次第だけどね」
少年は手に持った銃で、ユイの腹を突く。
ユイは答えたのは軽い気持ちだった。
「その銃痕は、十年以上前からあるわよ。チンピラの小競り合いに巻き込まれた時に、撃たれちゃったらしくってね。治療が遅れて、傷だけがどうにも治らなかったみたい。あまり覚えてないんだけど」
「その時、誰かを庇った?」
「だから、よく覚えてないんだってば」
「ふーん」
少年はニヤリと笑うと、立ち上がって、操作卓に向かう。
「じゃあ、お兄ちゃんに訊いてみようか」
「お兄ちゃん?」
ユイが顔をしかめると、少年が操作卓を叩き始める。
――さて、どうしようかしら?
逃げるのは簡単だ。特に縛られているわけではないし、痛いといっても動けないわけではない。
この部屋にいるのも、あの少年だけ。武器はさすがに取られたものの、油断さえしなければ、たとえ魔法を使わなくても子供一人から逃げることくらいは出来るだろう。
だが、その後はどうする。
この少年が本当に反政府組織の一員なのだとしたら、ここはそのアジトである可能性が高い。敵が何人いるのか。どんな武装をしているのか。場所的にここがどこなのか。情報がなさすぎて、作戦が何も取れない。
――それこそ、試しにこの少年を人質に取ってみるのも手かしらね。
そんな逡巡をしていると、少年が画面に向かって軽々しく挨拶をした。
「あ、兄ちゃん? 久しぶりー、僕ルイスだよー」
仲の良い兄弟が、数日ぶりに顔を合わせたような気安さで挨拶する先には、少年に似て美しい男が映っていた。しかし、彼は少年よりも美しさに磨きがかかっている。金の髪が、砂まみれになっても煌いていて、傷だらけの肌も元は透き通そうなほどきめ細やか。薄い唇は切れているのか血色がよく見えて、ボロボロの姿にとても映えて見える。
そんないかなる時であっても美しいその男が、困惑した顔で、画面越しに見つめてきた。
『ルイス……ルイスなのか……?』
「そうだよー、ルキノ兄ちゃん。忙しいところ悪いんだけど、ちょっと確認したいことがあって連絡しちゃったー」
『連絡したって……お前、今俺が何しているか分かって――』
「この人って、昔、兄ちゃんを助けた人だよね?」
ルイスと呼ばれたこの少年が少し横にずれる。すると、画面越しにユイと目が合ったルキノが、目を大きく見開いた。
『ユイ……ユイなのか! ルイス! お前いったい何をしているんだ⁉』
ルイスがユイの方を振り返り、目を細める。その碧眼がキラリと光った。
「僕はねー、今から兄ちゃんの命の恩人を殺そうとしているんだよ?」
彼は再び、ユイに銃口を向けた。
「昔さ、最初で最後の家族旅行で、父ちゃんがスリに遭っちゃったよね。それで――」
『黙れ!』
ルキノが凄む。
ユイが見たことのないような険しい顔に、ルイスという少年は乾いた笑いを浮かべた。
「はは……何? これ以上喋ったら父ちゃんと母ちゃんだけでなく、おれのことも殺すの?」
『言うな……』
「そうだよね。兄ちゃんはこのお姉ちゃんが――」
『それ以上喋るな‼』
二人の会話が白熱している一方、話の流れについて行けないユイは、泣き出しそうなくらいに怒るルキノ表情をキョトンとした顔で見上げるしかなかった。
――私が一体、何なのかしら……?
どうにも自分が関係しているようなのだが、心当たりなんて昨日迷子になった時しかない。
ただでさえルキノに兄弟がいたっていう事実に驚愕なのに、自分を差し置いて勝手に盛り上がっている二人を呆然と見ながら、ユイは何となく、それっぽく両手を上げてみた。そして首を傾げてみる。
すると、画面越しのルキノが吹き出した。
『彼女……まるで人質の自覚がないようなんだけど』
「くそっ!」
ルイスがユイの額に銃口を当てる。そのヒンヤリとした感触に、ユイは口角を上げた。
「撃つの?」
「そうだよ! お姉ちゃんを殺すのさ!」
「殺したら、交渉の道具を失うことになると思うけど?」
「それでも、兄ちゃんに復讐することは出来る!」
――私を殺したところで、ルキノには何も響かないと思うけどな。
この少年が何を勘違いしているのか定かではないが、銃なんて何も怖くはなかった。
だって、もっと親しかった人に銃口を向けられたことがあるのだから。
あの時の絶望に比べたら、ぽっと出の少年に殺されたところで、何の感傷もない。
そして、ユイがいよいよ笑いを堪えきれなく事案が起きた。
少年の奥。部屋の隅の青白いパイプの中に、うっすらと現れる影。下から上へと上がる気泡の奥に、ゆらりと揺れる白髪の中、色白の肌の中に光る切れ長の瞳が憮然とこちらを見つめている。造り物のように整った顔が、幻想的に現れる様は美しかった。だけど、あまりに幻想的すぎて不気味すぎる。
そんなものが見えてしまえば、さらに銃口どころではなく。
――むしろ部外者として鑑賞したいくらいだわ。
だけど、腹を抱えて見ているわけにはいかない。
目の前の少年は、腹を抱えだすユイを睨んで、安全装置を外す。カチッとした機械的な音が狭い部屋に響いたからだ。
「どうして……どうしてそんなに笑っていられるんだ! 死ぬんだよ‼ 今から殺されるんだよ⁉」
「死んだら死んだで、それはそれでラクじゃない?」
ユイは笑いながら、黒い髪を掻き上げる。
「もう苛められないで済むし、誰かに裏切られないでも済む。フラれることもないし、悲しい思いをすることもない。それはそれで、けっこう魅力的かもしれないわね」
滑らかな髪が指の間をすんなりと通る。世の中はこんなにスムーズにはいかない。どこで引っかかるかわからないし、どこで途切れるかもしれない。
ユイは、少年の向こうに見えるルキノを見上げる。
「まぁ、こんなところで死ぬつもりもないんだけどね」
――その前にやってみたいこともあるし。
彼はどこか心配そうな顔をしていた。
単独行動させたリーダーが死んだりしたら、成績に響くだとか思っているのだろうか。
それとも、クラスメイトが死ねば、少しは悲しむのだろうか。
彼がその時どうするか、少し気になりながらユイは指を弾いた。
パリンと甲高い音が飛び散りと同時に出てくる男はビショビショだった。いつもの便所サンダルをぺちょぺちょさせて、彼は即座にルイスの手を捻りあげる。学園にいる時と同じ長い白衣がいつも以上に重たそうなのは、自業自得である。
その間に、ユイもお尻を叩いて立ち上がると、ルキノの映る画面に近寄る。
「そういうわけで、ナナシ先生と一緒だから。私の心配はしなくて大丈夫よ」
『あぁ……ただでさえ疲れている所を、余計に疲れさせてくれて感謝するよ』
そう苦笑する彼が、咳払いする。
『一つだけお願いがあるんだけど』
「何かしら?」
『出来たらでいいんだ。弟も連れて帰ってきてくれないか?』
ユイはチラリと振り返る。
ルキノの弟――ルイスは片手でナナシに持ち上げられていた。足をバタバタさせて暴れているが、ナナシは相変わらずの無表情のまま、ユイの様子を伺っている。
ユイはルキノに向き直り、片目を瞑ってみせた。
「気が向いたらね」
『本当に、君の無事が確保できて余裕があればでいいから』
「私どれだけ舐められてるんだか……まぁいいわ。善処する」
ユイが通信を切ろうとすると、
『無事に、帰って来てくれよな』
笑みを落として、そう言ってくる彼に、
「……そっちもね」
ユイは視線を逸らして、通信を落とす。そして、そのまま操作卓を叩き出した。引き出せる情報を探す。近隣のマップ。現在地。エネルギー配線の見取り図。その集約情報。
「よし」
ユイは口角を上げて振り返った。
「ツイてる。ここはマナ施設。ゲリラたちもここから直接エネルギーを繋いでるわ。だから、ここを破壊すれば、一石二鳥で解決よ!」
「私がここにいるのだから、当たり前だろう。私にマナ施設を探るよう指示したのは、エクアージュではないか」
淡々と正論を述べるナナシに、ユイは半眼を返す。
「私のテンション、盛り下げないでくれる?」
「無理に上げる必要もないだろう。冷静に、淡々とやるべきことをやればいいのだ。揺れる己の心情を誤魔化すために空騒ぎしても、見ているこっちも虚しいだけだぞ」
「……ほっといてちょうだい」
ユイがプイっと顔を背けるものの、ナナシは表情一つ変えることはない。
「それで、これからどうするつもりだ?」
――わかってるくせに、訊いてくるんじゃないわよ。
ユイは嘆息交じりに漆黒の髪を掻き上げて、
「こうする」
パチンと指を鳴らす。部屋中の機械が、一斉にバチバチと悲鳴を上げだした。火花が飛び散り、画面が次々に割れていく。
「なな……なんなんだよ⁉」
ナナシに掴まれたままのルイスは狂乱し、
「何が起きてんだ? お前ら……化け物か⁉」
悲鳴にも似た問いかけに、ユイが嘲笑うかのような顔で「そうだ」と返答するよりも早くナナシが言う。
「違う――彼女は魔女、エクアージュだ」




