彼女の眼下で虫は轟く
まだやったことはないものの、魔法でナナシみたいに転移することが出来れば、逃げることも可能であろう。難易度の高い魔法のようだが、この激戦の中、そんなに速くもない足で逃げるより、よっぽど成功率はあるように思える。
だけど、彼らはそういうわけにはいかない。彼らは、普通の人間なのだから。エクアで普通に生まれて生きてきた、異端とされて人としての道を踏み外そうとしている自分とは違うのだから。
――本当にヤバくなったら、こいつらなんか見捨ててやればいいか。
そんなユイに対して、ルキノは言った。
「じゃあ、こうしよう」
彼は、ユイたちが話している最中も懸命に射撃をしていたクラスメイト四人に指示を出す。
「君たちはもう少し後ろに下がって援護射撃。僕ら三人が突っ込んで乱戦に持ち込むから――くれぐれも僕らには当てないようにね」
――まぁ、この流れだとそれが妥当か。
クラスメイトの返事は短く端的。ルキノの人脈がしっかり行き届いているのを、ユイは手近にあった爆弾を投げながら実感する。だけど、その爆弾が火花を散らした時に気が付いた。
「……三人?」
「そう、三人」
首を傾げるユイに、ルキノは微笑を浮かべながら肯定する。だけど、ユイは聞き返した。
「四人ではなくて?」
「うん、三人。もちろん、リーダーはちゃんと持ち場に戻ってね?」
ユイは回れ右とばかりにルキノに回転させられ、そっと背中を押される。
「え? ちょっと、なんで今の話の流れでそうなるの⁉ ただでさえ危ないっていうのに――」
「大丈夫だよ。ユイのことは、必ず僕が守るから」
「いやいやいや、そんな冗談言っている場合じゃ……」
ルキノの拘束から無理やり離れ、ユイは元の方向へと向き直る。そして見てしまったものに、ユイは何も言えなくなってしまった。
「どうせ劣等種なんて、役立たずだしなァ」
「えへへー。ごめんねぇ。もちろん悪気はないんだけど、あたしも今回はタカバ君の意見に同意なんだぁ。ユイ、弱いんだもん」
バカにするように吐き捨てるタカバと、イタズラに成功した子供のように笑うメグ。それに「そういうこと」と付け足すルキノのユイを見つめる碧い瞳は、まるで慈愛に満ちているかのように優しかった。
「なんでよ……」
自分は今、いざとなれば彼らを見捨てれば――とすら、考えていたのに。
それなのに、彼らはまるで自分を守ろうとするかのように、前線へ立とうとする。本当に自分が弱いとしても、盾でも何でも利用価値はあるはずなのに、自分を守らんとばかりに危険へ足を踏み入れようとしている。
「バカじゃないの?」
いつも、イジメてくるくせに。
人の好きな人を、奪ったくせに。
告白をあっさり断ったくせに。
そのくせに、こんな時ばかり勝手に優しい顔で心配してくるのだ。
「やだ」
ユイは唇を噛み締めながら、腹いせにまた爆弾を投げる。赤い火花が、明々しく花弁を広げる。
顔の知らない人たちの命が散るように、彼らも死ぬかもしれない。
――そんなの、絶対嫌だ。
戦場から目を背けるユイの肩に、ルキノは再びそっと手を乗せた。
「ユイ、僕らことは大丈夫だから。伊達にほら、実技ならクラスでトップの三人だよ? ちゃんと無事に帰るからさ」
「……あんたたちに守られるくらいなら、ここで死んだほうがマシよ。侮辱するにもほどがあるわ」
「そんなつもりじゃ――」
その時、懸命に銃を撃っていたクラスメイト一人が、低いうめき声を発した。下手な鉄砲数撃ちゃ当たる。たとえ素人ががむしゃらに撃っているだけだとしても、その流れ弾に被弾して、血を吐きながら膝を折っていた。
「もう時間ないね」
表情を引き締めたメグが、後方を任せるクラスメイトに攻殻機兵鎧を急いで渡していた。コードと機械から解放された身体で、ピョンピョンと飛び跳ねる。
「これで、か弱くなったかなぁ?」
「試してみようか?」
ユイの目には見えないルキノが本気で打つこぶしを軽く払い、メグは口角を上げる。
「ルキノ君かよわぁーい」
「ほっといてくれ」
――体術じゃ、敵うわけがない。
魔法がなければ、彼らと張り合うことはできない。
だけど、魔法を公にすることもできない。
――それでも、こいつらに借りを作りたくはない。
そんなことを考えて、ユイは苦笑した。
自分が先陣を切るだなんて格好つけたのは、世界を破滅させる作戦のため。
いつか、みんなを殺すための作戦。いつか、自分が殺す。いつか、世界を滅ぼす――そのための作戦。
――それだけの、ためなのに……。
ユイは歯痕の付いた唇を開く。
「じゃあ……道を切り開いて。その間を抜けて、私が敵のマナの供給源を叩いてくる」
「ユイ、それも危ない――」
「危なくなったら逃げる。無理はしない。約束する。それに情報探索なら私がクラスで一番得意だし……私だって、これでも軍事クラスの一員で、リーダーよ」
畳み掛けるようにユイが告げると、奥で準備を終えたタカバがニヤニヤ笑っている。
「劣等種なんだから、無理すんじゃねーよ」
「ほっといて」
腰に手を当てるユイに対して、ルキノは髪を掻きむしってから口を開く。
「もう時間もないし――わかったよ。ただし、本当に無茶はするな。あくまで君の意見を尊重するだけなんだから。供給源を発見次第、とりあえず連絡入れること。守れるね?」
「気が向いたらね」
そう答えるユイに、ルキノは嘆息して「じゃあせめて」と長銃を渡してきた。ユイが銃弾を確認すると、装甲弾用。敵を見つけたら遠くから容赦なく狙い撃てということなのだろう。
――過保護な親か。
胸中で毒づいたユイが顔を逸らした時だった。視界に入るのは、大きな機械部品が宙を舞っている光景。攻殻機兵鎧を受け取ったクラスメイトが、エネルギー残量が尽きた巨大防護壁を投げたようだ。それがおびただしい音を立てて落下すると、摂理であるかの如くその周りだけ自然と人がはけた。
「よっしゃァァァア!」
一番に駆け出したのは、タカバだった。牽制で機関銃を連射していたものの、すぐに弾薬が尽きたのか、あっという間にマシンガンで、ど突き合いを始めたようである。
「じゃあ、ユイ。くれぐれも気をつけてね」
「無茶だけはしないように。あと、昨日僕が迎えに行った建物に行ってみてくれ。手がかりがあるかもしれない」
そう言い残したメグとルキノも、すぐに飛び出して行った。二人はタカバの二の舞にならないためか、銃弾は節約しつつ、敵に囲まれないように立ち振る舞っているようである。
――なんでルキノがそんなことを?
彼の残したアドバイスに眉をしかめるものの、これ以上ゆっくりしているわけにもいかない。
今まさに、彼らは命がけで戦っているのだから。
「流されるな、私」
ユイは自分自身にそう言い聞かせてから、髪を掻き上げた。そしてメグがタカバを殴ったっきり放置していたエアボードに乗り、指を鳴らす。身を屈めると一直線にエアボードは加速した。
投げ飛ばされて大壊した巨大防護壁を飛び越えると、目の前に爆撃が開花した。後ろから誰かが投げたのだろう。ユイはその援護に口角をあげながら、硝煙に構わず突っ込む。
白と砂の中で、また指を鳴らすのを忘れない。そして真上に跳ぶ。
高く、高く。真上に硝煙を抜けてもあるのは冴えない空だけ。
眼下には、戸惑う人々とさっきから邪魔をしてくるレーザー砲。
それを見て、ユイは腰に据えた長銃のトリガーを引いた。と同時に、もう片手で指を弾く。
――ただのサービスなんだからね。
構造は理解していた。どの部品パーツを壊せば機能を停止するかも知っているユイにとって、ちょっと狙いを飛距離を魔法で誤魔化してあげれば、訓練した魔法で破壊することは容易だった。さっきまでは直接目視出来なかったのと、魔法がバレるわけにいかないから、どうにも出来なかっただけだ。
白い煙を上げる敵の兵器を確認して、ユイは宙でエアボードを強く蹴飛ばし、崖の上に着地する。
「おっと」
もう一度指を鳴らして、エアボードを弾かせた。これがなければ移動に手間取ってしまう。飛んできたボードを両手で受け止めて、ユイはゆっくりと眼下の光景を見た。
指で作った輪ほど小さい仲間たちの頭が、暴徒の群れに呑まれていた。それはまるで、虫の群れ。汚色な虫の大群が、綺麗な虫を餌にしようと襲っている。
蠢く虫に、ユイは吐き気すら感じた。圧倒的な数の暴力で、薄汚いものが綺麗なものを呑み込もうとしているのだ。
――私がやろうとしてるのも、こんなのよね。
しかし、今の自分は綺麗な虫の仲間。黒い髪をなびかせている自分でも、輝かしい若人たちの仲間と認識されているのだ。
あの烏合の衆の中で、一際輝いて見えるのは、最後まで心配し続けた彼なのだろうか。
「……滑稽だわ」
そして、ユイは視線を逸らした。彼らの無事を祈るために、この高台に立っているわけではない。
市街地では赤い火花がパチパチ光っていた。市街地は市街地で、激しい戦いが繰り広げられているようだ。そこを抜けた先のマナ貯蔵タンクの横には、大きな青白い塔がそびえ立っている。その上空は、灰色の霧が妖しく蠢いていた。
――あの大気の揺れは、エネルギーの余波なのか、戦によるものか。どっちなのかしらね。
「さて」
ユイは大きく息を吸った。喉にまとわりつく異感に顔をしかめ、大きく髪を払う。
――こんな空気の美味しくない場所、さっさとオサラバしないとね。
ユイは前を見据えて、投げ置いたエアボードを強く踏みつける。
今、この場でこんなキザなことするのは自分だけなのだろう――そんな無意味な自信から、溢れ滴るこめかみの汗を拭い、ユイは再び指を鳴らした。




