やらねばやられる世界
◆ ◆ ◆
轟音が地面を揺るがす。
バチっと鈍く弾ける音と同時に、ユイの視界は背を向けているにも関わらず明滅した。それに構わず、ユイは手を動かし続ける。二つの小型通信機を巧みに操作し、計算と情報探索を同時に行うのだ。
「A管とB管のコードを入れ替えて! Bタンクのスイッチを七〇に上げて、早く!」
同じように派遣されたクラスメイト二人に指図する。二人が動き出すところまでしか、確認する暇はなかった。ユイは操作卓を叩きながら、唇を噛む。
連続する弾撃音。こすれる足音が、幾度となく続く。
背後でその音を感じながら、ユイはひたすらに画面と操作卓を睨み続けていた。
状況は最悪だった。
暴動。
一般市民が数を武器に雪崩れこんで来ると予測していた。たとえ市民が武器を持っていたとしても、拳銃や手榴弾程度の小型武器のはずなので、攻殻機兵鎧による、レーザー砲の脅しで逃げていくだろうという作戦だった。なので、補給部隊の仕事といえば、ケーブル伝いの攻殻機兵鎧のエネルギーが切らさないための供給管理と、いざという時の迅速な修理くらいだと思っていたのである。
だが実際は。
数で雪崩れ込んできた──それは当たったのだが、敵からもレーザー砲が飛んでこようとは、誰が予測しただろうか。しかも、発動間隔がやたらと早い。
今は、前線で攻殻機兵鎧を装着したメグが、天性の勘を最大限に使って、虹色に輝く巨大防護壁で皆を守っている。そのため、他の兵員はその背後に隠れながら隙を見て攻撃していた。
ユイのいる位置からでは、たまにキラッと乱反射する一部しか見えない。兵員が豆粒のようだった。
だがこの巨大防護壁、人が十人横に並んでも守れるくらいの範囲はあるものの、その分エネルギー消費量が多い。配給されたマナタンクを全力でこちらに回しても、あと何回防げるかどうか。その計算と敵のエネルギー配給先を探ろうと、ユイは悪戦苦闘していた。
「ジャミング源が集まるところが怪しいわよね……どの辺よ、どこなのよ、誰でもいいからさっさと教えなさいよ……」
愚痴りながらも、ユイはクラスメイトの動作の遅さに舌打ちし、自らコードを差し替える。
振り返ると、戦場の様子は荒んでいた。
この場所は市街地ではない。そこから少し離れた砂を固めた材質の崖が、左右にそびえる一本道。そこを抜けた開けた場所を、補給地点として構えていた。その一本道さえ死守すれば、物資は守られるというわけだ。
その道を防ぐ形で暴徒たちの進行を食い止めているのだが、道の広さはちょうど巨大防護壁と同じくらいの細い幅。なので辛うじて守れている、というのが現状である。
本体は、市街地に展開されていた。税率などに対する暴動であるがゆえ、市街地の軍の宿舎や役所が狙われるはず、という算段だったのだが。
──どうみても、こっちが主戦力な気がするんですけど!
胸中でユイは不満を散らかす。しかし、増援要求を伝えに行った正規軍人は戻ってこない。
その中で、節々が鋼鉄に包まれたメグの後ろから、ルキノたちクラスメイトが問答無用で銃火器の火花を散らしていた。
暴徒が何人負傷したのか──ユイは考えない。考えたところで、自分にはどうにも出来ないのだ。そもそも、暴動を起こした時点で、相手もその覚悟はできているはずである。レーザー砲だなんて物騒なモノを持ち出した時点で、こちらとしても容赦する謂れはない。
──むしろ、世界の破滅なんて目論む相手と敵対して、その程度で済むわけがないけどね。
ユイは今一度、操作卓を叩き、端末の画面を睨む。巨大防護壁に回せるエネルギーは、確実に減っている。また轟音とともに視界が明滅した。今度は同時に爆音まで聞こえる。
ユイは生唾を飲み込んだ。
──ここにいても、拉致があかない!
「ここ、任せるわよっ!」
叫ぶと同時に、ユイは駆け出す。皆と同様の防護服を着ているが、ユイはこの重い服が嫌いだが、防御が大事な今は脱ぐわけにいかない。
ユイは、物陰に隠してあったタカバのエアボードを取り、それに乗って地を蹴った。おもちゃと判断しナナシが没収していたのを、拝借してあったのである。薄汚れているのは、以前ユイが借りた際の傷のせいだろう。ブツブツ言いながら、タカバなりに一生懸命整備したらしい。
――今度は、ちゃんと私が整備してあげようかしらね。
ユイは指を鳴らして、加速する。
向かうのは、大嫌いな奴らが守る前線だ。
「いかがな感じ?」
「君の相手をする間もないくらい、余裕な感じかな?」
半ば嫌味な声のかけ方をしたユイに同様な返しをするのは、弾を入れ替えるルキノだった。そして、即座にまた銃を構える。
ユイはヒョイッとエアボードから降りて、攻殻機兵鎧に覆われたメグの後ろに付いた。巨大防護壁の調子が悪いのか、コードの這う指先で必死にスイッチを動かしている。
「ちょっと貸して」
ユイは彼女の脇から滑り込むように身を出して、本来ならば銀色の羽根を広げたような冷たい機械を触ると、茶色っぽい錆がハラリと落ちた。
「やっぱり錆落としが足りなかったわね。直すにしても無理があったかな」
「もうダメそう?」
こんな所で、私情を挟むほど落ちこぼれてはいない。
メグの弱音を、ユイはあっさり肯定する。
「レーザー砲を受け止めるのは、あと数回って所じゃない? ねぇ聞いて。私があの大きなレーザー砲をぶっ壊してから、あいつらのマナの配給を止めてこようかと思うんだけど、異論ある人いないわよね?」
「ハァ⁉」
聞き慣れたタカバの非難の声が上がると同時に、メグが人の頭のサイズはある黒い球を投げた。
それは、攻め損ねている暴徒たちの後方に控える、銀色長方形型の円筒装置手前に落下。
爆発。
大勢を巻き込み、残酷な赤い花が咲く。
――今ので、何人が死んだのかしら?
ユイはそれを思わず考えて、首を振る。ふと、タカバが唇を噛みしめている顔が目に入った。
「タカバ、何考えてんの?」
「別に……テメェがまたオレのエアボード無断で使って、ムカついてるだけだ」
「じゃあ、安心して私にムカついてなさい──これからもっと悲惨な光景になるわよ」
そう言うと、タカバが顔をしかめながら唾を吐き出す。
「ケッ。テメェこそ、大人しく後ろに下がってたら良かったのによォ。劣等種のユイちゃんには刺激が強すぎて、泣いちゃうかもしれないでちゅよ?」
「タカバじゃあるまいし」
ユイが鼻で笑い飛ばすと、タカバが唇を尖らせた。そして、銃を構えて発砲する。すると、また一つ新しい悲鳴が上がった。
「心配してやってんのに」
「お互い様ね」
そのやり取りに苦笑しながら、容赦のない攻撃を繰り広げるメグが振り返る。
「ユイ、策があるの?」
メグは人々の絶叫が耳に届いていないかのように、平然とした顔をしていた。そんな彼女の行為を非難する者は誰もいない。
ここは、戦場なのだ。
やらねば、やられる──ただそれだけの世界。
──だけど、いい気分ではないわね。
金属プレートによるバリケードの向こうの敵の様子を目視すると、ユイと似たような髪の者たちがたくさんいた。黒とは言わないまでも、くすんた褐色が多いようだ。
見た目で揶揄され、このような場所にしか住めなかったのだろうか。
それを薙ぎ払うくらいの努力を、してこなかったのだろうか。
──情けないやつら。
そんな彼らの隊形は、前衛に鈍器と銃器を持った市民が入り乱れ、後方に大きなレーザー砲という、多少の犠牲はお構いなしの配置。あえて寂れた服のままなのは、心理をついた作戦か。それとも、それを準備する資金がないためか。
ユイはそう推測して、ほくそ笑む。
――命張れば何でも意見が通るほど、生ぬるい世界じゃないわよ。
「私が突っ込んでレーザー砲を破壊しつつ、市街地に偵察に行って支給源を破壊――どう、完璧でしょ?」
「さすが劣等種! オレでもわかる甘っちょい馬鹿みてェーな作戦だな!」
弱い出力の巨大防護壁に隠れ、銃を撃ち続けるタカバの嫌味にユイが言い返すよりも早く、ルキノが低い声を発した。
「僕は反対だ」
撃つのを止め、ユイと向き合ってくる。それに、ユイは苦言を呈した。
「ちょっと、手を休める暇はないと思うけど?」
「……たまには泣いてお願いとかしてもらいたいものだけどね」
「はぁ? こんな時に何を言ってるの?」
ルキノの顔は、いつになく真剣だった。
野暮ったい軍服に、砂まみれの髪。いつもの輝きがないからこその真面目な表情に、ユイの胸が詰まりそうになる。
「タカバの言う通り、そんなことが出来るわけがないだろう。リーダーだから、そんな無理しようとしているのか? そんなことをさせるために、僕はリーダーを譲ったつもりは――」
刹那、独特な高音が響く。それは、コイルの急速回転する音。レーザー砲が、発射されようとしている前兆だった。
ユイは覚悟して、歯をくいしばる。
メグが支える大きな機械が、その羽根を広げた。光を乱反射するかの如く煌めいて――強烈な光線が、一直線に向かって来た。鼓膜を揺るがす轟音に、ユイはしゃがんで地面の砂を掴む。その一瞬、全てが真白に包まれて、吹き飛びそうになる衝撃に襲われた。
だけど、何かの影がユイを光から遮った。
光線が巨大な羽根に弾かれ、無散する。
その時、ユイはようやく自分が息を止めていたことに気が付いた。大きく呼吸すると、額から冷たい汗が滴る。
そして、自分を守ろうと抱きしめるルキノに気が付いた。服装のせいかゴワゴワしており、体温なんかまるでわからない。だけど、彼の荒い息遣いがあたたかかった。
「……なにしてるのよ?」
「なにって……か弱い女子を守ろうとしただけだけど?」
それどころではないのは重々承知だが、顔を真赤にしたユイは、ルキノを押し返そうとする。
「あんたには……そこに彼女がいるじゃない?」
それに、ルキノは小さく笑った。
「あのコ、か弱くないから」
「ルキノ君、聞こえてるよぉ?」
そう笑うメグは、今も平然と巨大防護壁を支えていた。動力を無駄にしないよう、細かく設定を直しながらの安定の防御は、さすがとしか言えない。
その小さくともたくましい背中を見つめながら、ルキノは言う。
「例えば――メグが先陣を切って突っ込んでいくというのなら、僕は止めない」
ルキノは押しのけるユイを容易に抑え込んで、ユイの両肩に手を置いていた。
「確かにユイの言う通り、この状況を打破するためには、誰かが特攻を仕掛ける必要があるだろう。このままでいれば、僕らが全滅する可能性もある」
「だったら――」
「でも君じゃない!」
ユイの言葉を遮って、ルキノはマシンガンを持ち直した。
「タカバ、もう一丁貸してくれるかい?」
「嫌だね」
手を出すルキノに、タカバは舌を出す。そして、ルキノのマシンガンを無理矢理奪い取り、それらを片手ずつ装備する。
「オレが行く」
そう言い切ってメグの盾から飛び出そうとしたところで、タカバの頭はゴツッと白い板で殴られた。「あ、事後報告だけど借りちゃったぁ」とペロッと舌を出すのは、盾をとうとう片手で持ち出したメグだ。もう一方の手には、今タカバの頭を叩いたばかりのエアボード。
「めめめメグちゃん⁉」
「タカバ君が行くくらいなら、あたしが先陣行くよぉ? どのみち、エネルギーも底付きそうだし」
「オレが行くくらいならって……」
目をパチクリさせるタカバにメグはクスッと笑ってから、のほほんと唇を尖らせてユイを見やる。
「あのぉ、なんだっけ? いい人は早死する、みたいな古語なかった?」
「……逆よ。『憎まれっ子世にはばかる』」
「あ、それそれ! でも、ようはあたしが言った意味もあるってことだよね?」
そう言われて気恥ずかしそうに押し黙るタカバの代わりに、嘆息したのはユイだった。
「でも……どうするのよ、この状況。逃げるとしても、タダでは済まないわよ?」
――私以外はね。
ユイは、その言葉を呑み込んだ。