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いじめられっこの些細なざまぁ体験





 ユイは長い指で黒い色の髪を掻きあげながら、堂々とした態度で歩く。


 学園内の教室に向かう廊下は、今日も陽当たり良好。ガラス貼りの真っ白な通路は光で溢れていた。窓から見下ろす中庭では、早く登校した生徒たちが、楽しげにボールを蹴っている。緑の木々たちは、彼らを暖かく見守っていた。少し離れた所に見えるのは、やたら背の高い木目調の旧校舎。背の低めなガラス張りの他の校舎との外観にそぐわないからと、建て壊しが決まっていたはずである。


 ――まぁ、確かにアレがなくなればスッキリするわよね。


 そんなことを優雅に考えるのどかな朝。

 すれ違う生徒たちのほとんどが、ユイをチラリと見ては怪訝そうに顔をしかめる。だけど、そんな視線を感じたとしても、ユイはいまさら気にしない。こんなもの、生まれてきてから当たり前のことだ。


 当たり前の毎日。当たり前の日常。

 多彩な学部のあるその中で、ユイは当たり前に軍事クラスの教室のドアを開いた。一般常識や法律はもちろん、格闘技術や銃器の扱い、戦術や戦法を学び、将来は政府が組織する政府警察(エクアポリス)、さらには官僚を目指すエリート教室だ。


 白い部屋の真ん中に集まった輝かしいクラスメイトは皆、肌が白くて、髪色や目の色が鮮やかだった。白の制服が他のクラスの誰よりも似合っている、将来有望な生徒たちだ。


 黒い髪や黒いリボンを誇示するような自分とは違う、エクアの特徴たる若者たちが、


「ルキノ! ユイ……ユイね、ルキノのことが大好きなのぉ!」

「はっ。君の好意は有り難迷惑だね。僕はそのおぞましい黒髪は嫌いなんだ!」

「でもぉ……ユイはぁ……」

「僕に不釣り合いなのが分からないのかい? 君なんて、この世界で僕と同じ空気を吸っているだけで、幸福なことだろう? そのことが――」


 教室の真ん中にある立体機動装置(ホログラフィ)の前で、そんな寸劇をしていた。

 そこに浮かび上がっている光景に、ユイは顔をしかめる。


 ――またあいつか。


 それは、昨日の光景だった。昨日の夕方、ユイがクラスメイトでもあるルキノ相手に玉砕したシーン。幸か不幸か、音声のない動きに合わせて、長短二人の男子がニヤニヤとセリフを合わせているのである。

 彼らはよく、ユイを虐めて楽しんでいる奴らだ。特に図体の大きな方は、ほぼ毎日何かしら仕掛けてくる。机の上に葬式の時の花が飾ってあったり、廊下に落書き済みのユイの写真が貼られていたり――大抵はろくでもないことが多いとはいえ、何かと毎日些細な喧嘩が絶えない。


 そして、今日も。


 ――誰が録画したのよ。


 人目はもちろん、盗撮にも最新の注意は払っていたつもりだった。

 このエクラディア学園は、完全実力主義。身分や地位が一切考慮されず、最低限の規則はあるとはいえ、自己防衛も己次第。たとえ虐められたとしても、それを教師に訴えようなら、よほど人命に影響が出ない限り、鼻で笑われておしまいである。


 ――慣れないことはするもんじゃないわね。


 ユイが嘆息した時だった。クラスの輪の一番後ろで、赤毛を二つに括った少女が振り向く。


「ユイ、もう来ちゃったの?」

「登校時間だもの。そりゃ、来るわよ」

「だよねぇ……おはよぉ、ユイ」

「えぇ。おはよう、メグ」


 ユイは教室に足を踏み入れ、彼女の肩を叩いた。

 律儀に挨拶してきた彼女は、ユイの唯一の友達だった。誰よりも小柄な彼女は、実際にクラスの誰よりも若い十六歳。飛び級で進学している優等生であることは誰しも知っており、どこぞの令嬢かという噂もあるが、その真実は毎日ランチを共にしているユイも知らない。

 

 ユイが彼女のことで知っていることは、お互いクラスから浮いている存在であるということだ。


 心配そうに見上げて来る彼女に対して、ユイは尋ねる。


「それで、いつからこんなことしてるわけ?」

「リピート五回目、くらいかなぁ?」

「あ、そう――ちょっと離れててね」


 ユイはメグを少し引き離し、髪を掻き分けた。

 他のクラスメイトは、バカバカしい寸劇に夢中で、ユイが登校したことに一切気がついた様子はない。


 ――あえて、無視してるだけかもしれないけど。


 けど、そんなクラスメイトの動向なんて、どうでもよかった。

 無視を続けるなら、嫌でもこちらを向かせるだけだ。


「おはようございまあすっ!」


 ユイは立体映像投影機(ホログラフィ)を中心として円形に並べられている机の一つを、思いっきり蹴飛ばした。


 豪快な音が、皆の注目を一気に引き寄せる。

 ユイは冷笑を浮かべながら、わざとらしく声を張り上げた。


「今日もみんな楽しそうにしているけど、私も仲間に入れてくれないかな?」


 冷たい空気。ざわめく声。

 それらを一手に集めても、ユイは笑みを崩さない。


 そして、寸劇をやっていた一人が、輪から出てくる。緑の短髪が無造作な、このクラスの中で一番体格が良い男だ。せっかくの制服も乱暴に着崩しているものの、服務規律に違反となるような装飾品は身につけていない。


 そんな中途半端に悪ぶっている男に、ユイは笑みを向けた。


「おはよう、タカバ。今日も無駄にやんちゃで何よりだわ」


 一瞬、タカバの歯ぎしりが聴こえた。だけど、彼もニヤリと笑い返す。


「おやおや、ユイちゃーん、今日もご機嫌斜めでちゅねー? 昨日のことが原因でちゅかー?」


 彼の敢えての幼稚言葉に、ユイはこめかみが引きつるのを感じつつ、歯を噛み締めた。そんなユイの様子に、タカバはますます笑みを強める。


「そうでちゅかー、ユイちゃん可哀想でちゅねー。でも、仕方ないんでちゅよー。不気味なユイちゃんに、恋とか愛なんてものは、無縁なんでちゅー」


 ずいっと、タカバの顔が寄せられて、


「ざまぁみろ」


 勝ち誇ったような顔が、ユイの眼前を覆う。


 その後ろでは、寸劇をしていたもう一人の男が、やんややんや囃し立てていた。ユイよりも背が低そうなのに、無駄に髪を逆立てている青い鶏冠(とさか)男。よくタカバとつるんでいるような気がするが、いつも直接なにか言ってきたりはしないので、正直ユイは名前すら覚えていない。


 だけど今日に限って、やたらそいつが目に入った。

 こいつが、ユイの役をしていたのだ。無駄に身体をクネクネさせて、気弱でバカそうなセリフを楽しそうに吐いていたのだ。


 ――私はあんなじゃないっての。


 タカバの言う通り、恋とか愛とかという話とは、無縁なのかもしれない。

 周りから白い目で見られる黒髪の自分にとっては、生涯縁のないものなのかもしれない。


 それでも、自分はあんなに情けない女になったつもりはない。


 ――あんたこそ、無駄に鶏冠で身長を誤魔化してるんじゃないわよ。


「みみっちい!」


 胸中から零れ出た言葉とともに、そいつを睨みつけた時だった。突如、その鶏冠に炎が灯り、あっという間に鶏冠を赤く染め上げた。


「あ、あ……あちぃ!」

「ハァ⁉ おい、いきなりどーしたんだよ?」


 叫ぶ鶏冠男に、振り向いたタカバが駆け寄る。タカバが手でいくら払おうと思っても、炎はどんどん勢いを増すばかり。


「早く、トイレへ!」


 誰かから、毅然とした指示が飛ぶ。それに鶏冠男は「お、おう!」と涙を零しながら慌てて教室を駆け出して行った。


 それは、一瞬の出来事。原因不明の恐怖の出来事。

 だけど、ユイにとっては胸がスカッとした出来事。


 ――ざまぁみろ。


 その小さく哀れな背中を見送る顔が、思わずニヤけていた時だった。


「おい、なにテメェ笑ってんだよっ!」


 怒声に振り返ると、目の前にはタカバの振り上げた拳があった。


 ――あ、顔が潰れる。


 ユイは格闘技の成績があまり良くない。学力や機械の取扱で成績を保っているようなタイプである。

 だから、見た目どおりいかにも体力と腕力が秀でたタカバと、ガチの喧嘩で勝てるわけがなかった。そうでなくても、男女差というものはいつの時代もなしには出来ないもの。それを補うために護身用の道具は持ち歩いているものの、さすがにそれを使うのは(はばか)れた。教室で爆弾を使うのは良くない。


 避けるには、気付くのが遅すぎた。

 そもそも、彼の友達の不幸を嘲笑う自分が迂闊すぎた。


 ――昨日から何をやってるのよ、私は!


 反省しても、時すでに遅し。ユイが諦めて目を瞑った時だった。


「さすがに本気で手を出しちゃダメだろ」


 ――あれ?


 衝撃が来ない。代わりに後ろから手を引かれ、抱きしめられている。あたたかくて、少しだけ甘い香りにユイが目を開けると、文句の付けようのない美青年が、優しい碧眼を落としていた。


「まぁ、人の不幸を笑うユイも、性格が悪いとは思うけどね」


 甘い整った顔。煌めく金髪。長身痩躯。誰よりも白い制服が似合って、誰よりも輝いている。エクアの美しい所を寄せ集めたような彼は、紛れもなく、昨日ユイの告白を拒絶した男。

 まわりからは、「どうしていつもルキノ君が⁉」と女子からの批判の声が上がっていた。だけど、彼はそれを気にすることなく、顔を真っ赤に染めたユイに笑みを向け続ける。


「ルキ……ノ?」

「あぁ。ユイ、おはよう。一応確認しておくけど、ヒイロに何かしたりしてないよね? すごく睨みつけていたようだけど」

「癪に触る鶏冠だなぁ、て見てただけよ」

「確かに、趣味の良い髪型だとは僕も思わないけど。でもそれなら、とりあえず彼女にお礼言ったら?」


 苦笑しながらそっとユイを離したルキノが、前を指差す。


 促されるまま見ると、少し前屈みで拳を掲げたタカバの前で、小柄なメグが両手を広げていた。それに、当のタカバが狼狽えている。


「メグちゃん! いきなり飛び出して来たら危ねェーだろ⁉ 当たったらどーするんだ⁉」

「タカバ君、めっ!」


 そう怒りながら、メグは震えるつま先で背伸びして、タカバの眉間に人先指をピタッと付けた。


「仲良く喧嘩するのはいいけど、本気はダメ! 擦り傷以上の怪我は厳禁ですぅ!」

「メグ?」


 ユイが声を掛けると、彼女はすぐに振り返って、ユイの胸の飛び込んできた。


「ユイ! 大丈夫? 怖かったでしょう? 怖かったねぇ!」

「いや、あの、えーと……」


 戸惑いながら見渡すと、女子に詰め寄られたルキノが、色々と弁明をしていた。「だって、ユイもクラスの一員だからね」と、ユイを助けた理由を華麗に説明しているようだ。その反対では、タカバが顔を真っ赤にして、他の友達に縋りついていた。ハッキリとは聞こえないが「ヤベェ、可愛すぎる……」と言っているようである。


 ――まぁ、でしょうね。


 実際、自分を心配して抱き着いてくる彼女は可愛い。ユイより頭かなり背が低い少女が、身体を張って大男とも言えるタカバの前に立ちふさがったのだ。彼女が実は格闘技の授業でタカバを背負投げしたことは有名は話だが、それでもこんな小さな身体で守ってくれようとするメグが、可愛くないわけがない。


 だから、ユイはお礼を口にしかけた時、教室のドアが開く。


「ふぅ、なんとか助かったぜ!」

「ヒイロォ! 無事だったか⁉」


 鶏冠男が、()鶏冠男となって戻ってきた。目障りだった鶏冠部分が黒くチリチリになっているものの、切れば身長が縮む以外に何も問題はないだろう。顔に火傷している様子もないが、慌てて水をかぶったのか、制服が濡れているくらいである。

 そんな彼に駆け寄ったタカバが、全力で抱擁する。「痛いっつの」と笑いながら彼の背中を叩くヒイロというらしい鶏冠男に、ルキノも声をかけていた。


「あ、ヒイロ無事だったんだね」

「よぉ、ルキノ。すぐ指示してくれてありがとな! 助かったぜ」

「いやいや、クラスメイトとして当たり前のことをしただけだよ。だけど、いきなりどうしたの?」


 ルキノの質問に、ヒイロというらしい鶏冠男は腕を組んで首を傾げる。


「それがサッパリわかんねーんだよなぁ。ほんと、いきなり髪が燃えだしてさ。黒髪の呪い――なんて、かけてねーよな?」


 ヒイロが、ユイに向かって半眼を向けた。それに、ユイは再び睨み返す。


「絵本の魔女や魔法じゃあるまいし、そんなん出来るわけないでしょ。それともなに? いっそ爆薬でも投げられたかった?」

「ユイ、一言多いよ。そもそも、ユイがいつも喧嘩腰なのもいけないだろ? たまには、女の子らしく泣いてみたりとかさ。可愛げのある行動の一つも取ってみたらどうだい?」

「なによ。そもそもこんな人の傷を抉るようなことする奴のほうが悪いんじゃないの? あんただって、いつも勘違いさせるような真似ばかりしてくれちゃって――ありがた迷惑なんだけど」


 指摘してくるルキノをに、ユイは一瞥しながら言葉を返す。その時、授業開始を告げるチャイムが鳴った。いつもはこの合図より早く教師が教室に到着しており、チャイムと共に授業が開始するのだが、


「……先生、こないね」


 時計を見て時刻を確認したルキノが、そう呟く。そして、小さく嘆息してから、ルキノはユイに向かって微笑を浮かべた。


「休講かな? ユイ、机を交換してくるついでに、訊いてきてくれるかい? 君の蹴飛ばした机、修理が必要だろう?」


 ――こっちの話終わってないんですけど。


 ユイは怪訝に顔をしかめながら、彼が指差す先を見る。横に倒れた白い机が、不規則に赤や緑に光っていた。耳を澄ませば、エラー音が鳴り続けている。


 ユイがルキノを睨み付けても、彼は表情を崩さない。


「ね?」


 授業中の課題や参考資料メモ等、全てこの机に内蔵されているコンピューターで行う。そんな精密機械をユイは蹴飛ばしたのだ。個人データは学園の中央機関部(マザーコンピューター)が保存しているとはいえ、備品を故意に壊したには違いない。


 ユイは嘆息する。


「分かった、行ってくるわよ!」


 やぶから棒に言い捨てて、ユイは机を運ぼうと動きだす。そんなユイの後を、メグは着いて歩いた。


「ユイ、一緒に行こうか?」

「結構よ。あんたもどうせなら、あんな劇が始まる前に止めてくれれば良かったのに」


 吐き捨てたユイの言葉に、ルキノから「ユイ!」と叱責が飛ぶ。ユイは机を持ち上げながら、皮肉げに笑った。


「可愛げのない女で悪かったわね。どうせ、ただの八つ当たりよ」


 そして、ユイはメグを置いて、教室を後にする。





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