迷子の迷子の十九歳
「え? 攻殻機兵鎧がない?」
ユイは額に浮ぶ、冷たい汗を拭う。
無事にランティスに到着したユイたちは、駐屯地とされている区画までやってきた。
そして、リーダーのユイはみんなと別行動し、この駐屯地を仕切る将官に挨拶しに来たのだ。
殺風景な部屋だった。打ちっぱなしのコンクリートで囲まれた壁には、無造作に地図が貼られているだけで、飾りの一つもない。部屋を照らす灯りは、天井にぶら下がる裸電球のみ。窓の外では、砂嵐が縦横無尽に暴れている。
将官という偉い人がどんなものかと、ユイは少し怯えていたのだが、眉とひげがもっさりとしたオッサンだった。もっさりとしすぎて、目が隠れているくらいだ。
そんな将官に、ユイは訊き返す。
「冗談ですよね?」
「経費の問題もある。まぁ、相手はただの民間人にすぎん。頑張ってくれたまえ」
嘲笑うようなその表情に、ユイは笑顔を返すことは出来なかった。眉間にしわが寄る。
「では、これが資料だ」
ユイは手渡された書類をひったくるように受け取った。
攻殻機兵鎧とは、体内に微量の電気を通すことにより、筋肉運動、強度の増強を促す装備である。
体力や運動能力の向上により、戦闘能力が各段に上がるのはもちろんの事、大型の武器等も、攻殻機兵鎧さえあれば、人の力で運ぶことが容易となる。大幅なスペースや動力が必要な乗り物を利用せずとも、様々なものが運搬できるため、その利用価値は高い。
また、見た目も骨董品の甲冑をイメージして設計されており、胸部や脛など、急所となる部分は合成鉄で覆われている。これさえ身に着けていれば、銃を持った相手を二十人は相手出来るとさえ言われている代物である。
そうと考えれば、長距離列車でルキノが褒め称えていたダナン教官など、実は大したことはないのだ。
この攻殻機兵鎧、一般には安全性や管理などの関係で出回っていないものの、軍部ならばあって然しかるべき装備品であった。確かに費用は高いし、扱いを間違えれば人体被害も出る。出力を間違えれば感電死もありうるし、筋肉が強化されすぎれば破裂してしまう可能性もあるのである。
しかし、これを扱えない者は軍部では何の役にも立たないのも事実。その扱いも、軍事クラスの者ならば学園で十分に学んでいた。むしろ、これを扱うことこそ、最高学年へ進級するための試験でもあった。
それが、学生は使用不可だという。
ユイは、渡された資料をバッとめくった。
生徒らの大半は、食糧庫の警備や、物資の運搬といった裏方仕事が多いものの、一部の生徒は最前線へと回されるらしい。裏方の力仕事でも攻殻機兵鎧は必須であるというのに、最前線の危険区域でも、生身で戦えというのだ。
――ふざけてるわね……。
ユイは冷徹な視線で一瞥すると、
「これは、嫌がらせってやつですよね?」
「試練、と言ってほしいね」
――ナナシでもあるまいし、即答するんじゃないわよ。
「……わかりました。それでは、失礼いたします」
会釈をし、踵を返した。黒い髪を大きく翻し、背を向けた瞬間、ユイは指を鳴らした。
パリンと電球が弾ける音は、乱暴に閉められた扉の音に消え、ユイの耳には届かない。
そのまま寂れた通路を歩いていると、向かいから見慣れた女性が歩いてくる。引率のモナ先生だ。スーツにヒールといった格好で、重そうな書類を抱える足取りが危なっかしい。そんな教師にユイが声をかけるかどうか悩んでいると、向こうから優しく声を掛けられた。
「あら、ユイさん。無事に挨拶は終わりましたか?」
「……とりあえずは」
彼女は藪から棒に答えるユイをクスッと笑うと、
「大丈夫ですよ。頑張る人には必ず、誰かが救いの手を差し伸べてくれるものですから」
教師はそう言って、思ったよりもしっかりとした手を差し出して来る。
ユイが顔をしかめると、彼女はすぐにその手を下げては、重そうな書類を持ち直していた。
「私はまだここで仕事があるのですが……一人でみんなの所に行けますか?」
「ご心配なく」
ユイがそう答えると、彼女は青い髪を耳にかけて、再び微笑む。
「では――くれぐれも、気を付けてくださいね」
慈愛の満ちたその言葉に、ユイは荒んだ気持ちで頷いた。
茶色い建物が数多く並ぶ町並みだった。その高さが不揃いで、建物間の間隔も狭いために現在地が掴みにくい。さらには、たまに吹き荒れる砂嵐で視界も遮られてしまう。
そのため、ランティス地方の中でも、特に砂嵐の多いこのラントという町は、俗に『砂の大森林』と呼ばれているらしい。長距離列車の中で、新聞を握りしめたタカバが友達に偉そうに話していたのが、ユイの耳に強制的に聴こえていた。
そんな場所で、一人投げ出された少女が迷子になるのは容易かった。
――いやいやいや、私もうすぐ成人だっての。
あと一年もせずに、二十歳になる。
そんな大人まで一歩手前のユイは、駐屯地のビルを出て、すぐに迷子になっていた。みんながナナシの引率で行ったという倉庫街とやらに、一人で行かねばならないのだ。
ユイは、突如吹く風にスカートを押さえる。黒い髪が、風に従い大きくたなびいた。
そもそも、電波が悪いのがいけないのだ。
この砂嵐の影響か、小型通信機の電波が飛ばないのである。そのため、地図も見ることができなければ、通信して迎えに来てもらうわけにもいかない。
――だから、無意味なのかもしれないけど。
そう思いながらも、ユイはポケットから小さいチップを取り出し、路地の隅に投げる。そんなことしているから余計に迷うのかもしれないが、本来ならそこまで集中して歩かなくても、目的地には簡単に着くはずだったのだ。
この町には、目印になるような巨塔が一つだけある。
マナ汲み上げ施設である塔は、青白い光を帯びた円柱型。町のやや西方向にそびえたっているはずなのである。その隣には、丸くて白い貯蔵タンクもあるはず。
駐屯施設は、それとは逆方向。
つまりは、巨塔を背に進めばいいはずなのだが、肝心の塔すら砂に覆われて見えやしない。
「どうせなら、ピンクにでも光ってろっての!」
自棄で叫べば、口に砂が入って気持ち悪い。あげくに目に砂が入って涙も出てくる。
そんな時、ユイはスカートの裾を何者かに引っ張られた。振り返れば、地面に這いずる浮浪者が、何かを喚めいているようである。
「げっ」
ユイは反射的に、それを蹴り飛ばした。すると、どこからともなく人影が集まって来る。
「おれらを馬鹿にしやがって! 金目のもの置いてけええええ!」
彼らが持っているのは、ひしゃげた鉄パイプや農具のようだった。舞い散る砂にも負けずに、果敢に挑んで来る彼らに、ユイはとっさにポケットの中の小型爆弾を握って――――やめた。
――いいよね、やっちゃっても。
どうせ、誰も迎えになんて、来てくれないのだから。
どうせ、神様なんて、助けてくれないのだから。
だから、手を出して指を構えた時である。
「お姉ちゃん! こっち!」
小さな手に掴まれて、ユイは振り返る。
微かに開いた目で見えるのは、ユイの胸くらいまでの身長しかない少年だった。ラクダ色でザンバラな頭の貧しい恰好をした少年が、ユイの手を引いている。
「ごめんねー! このお姉ちゃん、おれの知り合いだから手を出さないでー」
小さな手に強く引っ張られるがまま、ユイは近くの建物へと入っていく。
浮浪者たちは、どこか残念な様子で足を止めていた。




