乙女の生足撫でるべからず
――あぁ、めんどくさい。
そんな胸中を隠しながらも、ユイは愛想笑いを続けていた。
あれから三日後。
西部のランティスへ赴くため、ユイたちのクラス一向は長距離列車に乗っていた。
窓から流れる風景は、エクバタの煌びやかな市街地を抜け、緑の生い茂る小規模な食産区画に突入していた。エクアの食産業のほとんどは東部のトリドール地区で行われているのだが、距離のある西部のランティスにはなかなか食料品が供給しづらい。もとより、貧民層が集まるランティス地方では、そのため動植物を自給自足していた。小規模とはいえ、果樹栽培の深い緑や、稲作物の淡い緑、数々の緑は、街中にいてはなかなか見られるものではない。
そんな目にも優しいと言われる自然な色は、あっという間に過ぎ去ってしまうだろう。ユイとしては、そんなひと時の癒しを楽しんでいたいのだが、
「お嬢ちゃん。西部については、どの程度ご存知かな?」
隣に座る中年に話を振られ、太ももをずっと撫でられ続けていた。
赤いラインが映える白い軍服に身を包んだ中年は、今回の実地訓練の教官である。休暇明けとのことで、ちょうど列車が同じだったらしい。
リーダーという立場柄、ユイは嫌々ながらも上級座席に挨拶に伺ったところ、隣の席を勧められてしまったのだ。ユイが窓際、通路側が教官の二人席。大柄な教官で、横から見れば、ユイの身体の大半が隠れて見えることだろう。
ユイは睨み付けそうになる衝動を必死に堪えながら、返答する。
「首都のエクバタから離れた西部ランティスは、マナの汲み上げ、貯蔵を主な産業としています。住民はその業務に就く者、及びその家族。過酷な生活をしている人たちが主です」
「過酷……そう呼ばれる所以は?」
――だって、政府からの給金すごく安いらしいじゃない。
第一次産業および政府指定の職務であるため、その賃金を支払うのもエクア政府。そのため、職にあぶれるといったことはないらしいが、一部を除いて、一般労働者の給金はとても少ないらしい。そのため、資本主義の波に乗れなかった者たちが流れ着く先の一つ、というわけだ。首都の路地裏とどちらがいいのか、ユイにはわからない。
――けど、そんな露骨なのを答えるのは、心象に良くないんだろうな。
試験のような問いかけの合間にも、教官のでっぷりとした手はユイの太ももをサワサワ撫で続ける。ユイは大きく深呼吸してから、それに返答した。
「……マナの漏れ出た微量の余波により、この地区の金属製品は腐食しやすく、合成製品の維持もしにくいがために、人々の生活は困難を強いられていると言われております。また、身体への影響もあり、平均寿命は、エクバタに比べ、マイナス二十年の四十歳。そうした状況から『スラム』と呼ばれる状況下での、貧困な暮らしを、過酷と称してみました」
淡々というユイに対して、教官はヘラっと笑う。テカっと光る低い鼻に、その横の深いほうれい線に、ユイは吐き気がした。
「君はなかなか優秀のようだね。いやぁ、女の子がリーダーと聞いて、今年はどんなハズレ年なのかと思ってたんいだけど、無用な心配だったようだね」
ユイたちは、いつも通りの制服を着用していた。現地につけば、各仕事に応じた作業服が支給されるが、それ以外の時間は、学生の正装たる制服が義務付けられている。
ユイの今回の仕事は、学生を率いるリーダーである。その職務柄、こうした教官や上官に挨拶する機会も多いため、必然的に制服を着用する時間も多いだろう。
流行りに漏れず、ユイの白いひだスカートは、座ると太ももの三分の二は晒されてしまう。そして残念ながら、ユイはひざ下までのソックス派だった。
――こんなことなら、せめてタイツを履いてくれば良かった……。
後悔しても、後の祭りである。
今、ここで手を振り払ってやるのは簡単だが、教官の機嫌を損ねるのは得策ではない。
まだ、実習は始まってもいないのだ。
将来をかけた必死な実習である。教官の機嫌を損ねれば、生徒皆に対する実習での待遇が、悲惨なことになる可能性も高い。
――変に目を付けられて、動きにくくなるのも困るしな……。
ユイにとっても、少しでも教官に気に入られておけば、作戦を実行しやすくなるかもしれない。
そんな損得を考えながら、ユイは唇を噛みしめ、かろうじて言葉を返す。
「まぁ……安心してくださったようで、何よりです」
なんとか苦笑を返すユイに、教官が身を寄せてくる。
「じゃあ、スラムの現状を、俺が直々に教えてあげようじゃないか」
酸っぱい体臭に身を引くユイを意ともせず、笑みを強めて教官はユイの頭に触れた。
「いいかい? 暴動はスラムの奴らが起こしたんだ。彼らの要求は、国からの給付金の増額と、免税。これ以上この生活に耐え切れないといった理由だね。こんな生活を強いられているにも関わらず、何もメリットがないと嘆いている、ということだが……笑えると思わないか? お前らの能力がないから、こんな仕事しか出来ないだろうっていうのにさ」
「そう……ですね……」
身を引きながらも、その手を見る。ゴツゴツとした短い指だ。
「だろう? 学もない、力もない! そんな奴らが、やれ平等だ、人権だなんて騒いだところで、何になるっていうんだ? 虫以下のゴミくず共が、だ。その点、君は賢いね。こんな髪を持って生まれたにも関わらず、将来を見据えてきちんと勉学に励み、そして、こんなに可愛い」
その手は、髪を下って来る。ユイは窓に背中をぴったりと付けるものの、これ以上の逃げ場はなかった。
手が首に触れ、
「黒髪なんて、初めてみたよ。不気味だと思っていたけど、それは見当違いだったようだ」
「はぁ……」
襟に触れ、
「君さえその気になれば、俺がいい部署に配属されるよう配慮してあげられるけど――どうする?」
指がさらに下に触れようとしている。
――あ、無理。
蹴り飛ばそうと、足を上げかけた時だ。
「これはこれは! かの有名なダナン様ではございませんか!」
教官の手をバッと掴み上げる手は、とてもスマートだった。
指が長く、色が白い。白魚のような指だと、古代の人は表現するだろう。そんな彼の色っぽい手が、ユイは好きだった。
「まさか、今回の教官が、三年前の北部大戦において、一人で三十人もの暴徒を鎮圧した英雄だとは……このルキノ、幸福の極きわみにございます!」
彼はいつもの甘い顔をより一層ほころばせ、両手で教官の手を掴んではブンブンと振っていた。ルキノがあまりに大きく振るので、渋々教官も立ち上がる。
「いやぁ……今回も、スラム貧民層全体が手を組んでいる大規模暴動に関わらず、我ら学生の面倒も看てくださるとは! しかも、向こうは攻殻機兵鎧すらないものの、武装もしている――それなのに、被害を極力小さいものに抑えようとするその人格! こんなにも尊敬した人物は、今までいたでしょうか! そんな人に師事出来るなんて、僕たちはなんて恵まれていることでしょう‼」
だけど、教官もルキノの賛辞に満更ではないようで。その顔が緩んでいた。
ユイは唖然とルキノの胡散臭い笑顔を見つめていると、彼がチラリとこっちを見てくる。
そして、
「ユイ、ナナシ先生が呼んでいたよ。早急に来るようお達しだ」
口早にそう言っては、教官の手を離して、今度は素早くユイの手を引いた。半ば無理矢理引っ張り出され、教官が立ったことによる隙間から通路へ出る。
「では、名残惜しくはございますが……教官、また後程、当時の話を聞かせてください!」
爽やかに挨拶して、ルキノは踵を返した。
ユイの手を掴んだまま、ズンズンと進むルキノ。ユイは辛うじて、会釈するのが精一杯だった。
上級客席の扉を抜けて、一般車両。生徒たちが集まる下等客席は、さらにもう二つ先だった。
一般車両の通路を、手を繋いだまま進む。
ルキノの手は、見た目の割にしっかりしていた。ユイの手より二回りは大きいのか、すっぽり包まれている感じがする。そして、しっとりとあたたかかった。
一般車両の間で、ルキノが足を止め、振り返ってくる。
「なんで、顔を赤くしているの?」
鼻で笑われ、ユイは慌ててその手を振りほどく。そのユイの姿に、ルキノは声を上げて笑った。
「はは、これくらいのことで照れちゃうなんて、珍しく可愛いじゃないか」
「うるさいわね! ちょっと暑いだけよ‼」
ユイは腕を組んで、ぷいっと顔を背ける。
ルキノは小さく微笑んで、ユイのまっすぐな黒髪を持ち上げた。
「そんなウブなくせに、気安くあんなオッサンの隣になんか座らないでくれよ。僕が助けに行かなかったら、どうするつもりだったんだい?」
「ふん、あんたなんか来なくたって、蹴り飛ばす寸前だったんだけど?」
ルキノの手を払うユイに、彼は吹き出した。
「やっぱり、君は可愛いげないね。けど、仮にも生徒全員率いるリーダーなんだから、僕らの成績に関わる様なことはしないでくれよ」
「……善処はするわ」
唇を尖らせながら、ユイは髪を掻き上げる。そんなユイに、ルキノは手を差し出した。
「ほら、じゃあ、みんなの所へ戻ろうか」
「先生のところじゃないの?」
「あんなの、嘘に決まっているじゃないか」
その手と、ルキノの顔を、ユイは交互に見比べる。
――おちょくりやがって……。
どうやら、ルキノは本当に自分を助けるためだけに来てくれたらしい。
そのことで胸がむずかゆくなるものの、ルキノはさらにユイをからかおうと、手を差し出している。
「この手は?」
「もっと、僕と手を繋ぎたいかと思って」
「馬鹿っ‼」
ユイはルキノを押しのけて、先へと歩く。後ろから、くつくつと笑いながら、ルキノが着いて来ているようだ。
そして、下等客席の扉を開けると、
「あ……ユイ、お帰りなさい。大丈夫だった?」
ずっと、そこに立っていたのだろうか。メグが両手を握りながら、ユイを見上げていた。
赤髪を二つに結わく幼さで。その小さい身体で、どこにも触れず、揺れる列車の中をしっかりと立っている。その身体能力を持ち合わせながらも、見下ろす彼女の姿は、とても小さく見えた。
――白々しい。
ユイは冷たく見下ろし、彼女の横を素通りした。メグがシュンと視線を下げる。
「メグ、ただいま」
「うん……お帰りなさい、ルキノ君」
そんな彼女に、ルキノが優しく声を掛ける。そして、彼らは並んで空いている席に座った。元から、彼らの指定席は横並びだった。きっと、ルキノが仕組んだことなのだろう。
そんな恋人たちを尻目に、ユイは自分の席へと戻ろうとする。
窓際の自分の席に遮る者は、大口を開けてグースカと寝込んでいた。クラス一番の大男のタカバが、腕を組んで、足をドンッと広げているのである。しかも、ユイが座るはずの席には、エアボードが立てかけられていて、座ることが難しい。
ユイは何も言わず、タカバの脛を思いっきり蹴り飛ばした。
窓の外の風景が、砂色に染まっていく。




