仲間は必ず深夜に来訪する
その日の夜。
カーテンを閉めていない窓から見える暗闇には、ぼんやりと黄色い三日月が浮かび上がっている。これこが絵空事だということを、ユイは嫌というくらいに知っていた。エクアにおいて、幻想的な光景など全て造られた虚像でしかないのだ。
ユイは、自室のベッドに寝転がりながら待っていた。
時刻は日付が替わる間際。そろそろであるということは、この一月でだいたい掴めている。
目を閉じて、音を待つ。
ぴしゃり。ぴしゃり。
「来たわね」
ユイはよっと、身を起こす。
夜であろうが着ているものは制服。本当は寝間着に着替えたいのだが、男がやって来ると分かっているのに無防備な姿を晒すわけにはいかない。
――まぁ、女に興味があるようにはとても見えないけれど。
そして、男は目の前に現れた。黒い外套のフードの下から、星のような瞳が輝く。全身ずぶ濡れで、足元はサンダル。安定のいつもの姿だった。
「さて、今日も魔法の訓練だ。エクアージュよ!」
「ナナシ……その前に、訊きたいことがあるんだけど?」
ユイは、相変わらずのナナシを半眼で見上げる。
「なんだ? なぜいつも風呂場からの登場なのか、という質問には飽きたが?」
「それはあれでしょ。体組成成分の大半が水分だから、身体を目的の場所で再構築するのに、水が多い場所だとラクなんでしょ?」
ナナシがびしょ濡れで登場する理由――それは、空間転移の魔法の原理上、その方が、負担が少ないためだという。そもそも、空間転移はそのまま時空移動をしているわけではなく、一度身体を構成している分子を分解してから、任意の場所で再構成しているらしい。そのため、身体の組成成分が多くある場所で再構成した方が、労力が少なく済むという理屈で、噴水からだったり、お風呂場からだったり登場しているらしいのだ。
「けど、毎晩の掃除するこっちの身になってほしいわね。せめて、お風呂場できっちり身体を拭いてから部屋に来てくれないかしら?」
「ならば、私専用のタオルでも用意しておくことだな」
「そうね、善処しておくわ」
とりあえず、ユイは投げやりに肯定しておく。どうせ、今日の掃除も免れないのだ。それに、そろそろ自家製の雑巾がけロボットが完成しそうだった。
――思いがけず、楽しい時間を提供されてしまったわね。
その苦労も、あと少し。だから、ユイは気兼ねなく本題を切り出した。
「どうして、私がリーダーなわけ?」
「実地訓練のことか」
「それ以外、何があるというのよ」
「貴様がエクアージュだからと、言っただろう」
ナナシはさも当然とばかりに切り返す。冷徹な視線は、まっすぐにユイを捉えていた。
しかし、ユイは怯まない。
「だいたい……そのエクアージュってのが、そもそも何なのよ? 魔女のことを、そう呼ぶ文化でもあるわけ?」
「そんなわけないだろう。エクアージュは私が名付けた、貴様に対する固有名詞だ」
「……ようは、あんたのセンスで適当に名付けましたってこと?」
「適当とは失敬な! 世界の名前を入れた、これ以上ない高貴な名前ではないかああああああ!」
防音装置を設置していなければ確実に外に漏れ出る大声に、ユイは耳を塞ぐ。
エクアの世界のエクアージュ。なんともわかり易いといえばわかり易い、単純なネーミングセンス。
「じゃあ『ジュ』て何よ。古語だと『呪い』とか『樹木』って意味があったっけ?」
「ふむ。博識だな、エクアージュよ」
「父さんがね、そういう古い文化に詳しい人なのよ。良くも悪くもその影響ね。うちの父さんも、あんたみたいによくわからないネーミングセンスしてたわね。走るヒヨコのおもちゃにポチョムキンって名前を付けた時には、反応に困ったわ」
「そうか……」
ナナシが一言答えると、珍しく視線を伏せた。まつ毛で陰る瞳にユイは顔をしかめながら、ベッドに座る足を組み替える。
――あれ? ネーミングセンスを馬鹿にされたとでも思われたかしら?
一縷の同情を胸に、ユイは嘆息しながら、言葉を探して切り出す。
「……なんかさ、『エクアージュ』って派手よね。響きが」
「貴様もそう思うか。彼女にもそう言われ、反対されたのだ」
「彼女? なに、仲間でもいるわけ?」
「それは……」
ユイの質問に、ナナシが口ごもる。
今までに、ナナシの口から仲間や同士の話は聞いたことがない。いる気配すらも感じなかった。そもそも、即座に応えないナナシなど、見るのが始めてである。
ユイは、かげろう瞳を見上げる。
「それは?」
ユイが先を促すと、即座にナナシはそっぽを向いた。
「世界を破滅させようというのには、時には人を欺くすべも身に付けなければならないだろう。統率力というのは、いわば逆のこと。統率出来ぬ者に、人を惑わすことも不可能だ!」
「饒舌で誤魔化したつもりかもしれないけど、まったく誤魔化せてないわよ?」
生活に必要な最小限のものと、設計中の機械の数々が定位置に収まっている部屋の中。場を和ますぬいぐるみもなければ、目を潤すポスターもない。
顔を背けたナナシは、何もない壁をただじっと見つめていた。
――話すつもりはないってことね。
不動のナナシから、無理矢理何かを聞き出す話術を、ユイは持ち合わせていない。それでも、一つだけ確認しなければならないことがある。
「私の仲間は、あなただけ――その事実に、変わりはないのね?」
「若干語弊があると思うが……私は何があろうと、貴様の味方だ。未来永劫、それだけは不変の事実」
顔を戻したナナシが、ユイをまっすぐに見下ろした。相変わらず、厚顔無恥の不愛想な顔である。だけど、その瞳は揺らぐこともなく、ユイの全ての包み込むように見つめていた。
「……まぁ、いいでしょ」
ユイはそれに耐え切れず、嘆息しながら目を逸らす。
「リーダーの件も、さっきの戯言を信じればいいのかしら?」
「いや、貴様をリーダーに推薦したのは、モナ教師だ」
「え?」
思いがけない返答に、ユイはナナシの顔を見直して、眉をしかめた。
「なんで、ただの歴史教師が?」
「かねてより、貴様に目をかけていたようでな。教師陣からすれば、貴様の評判は悪くないのだぞ? 誰から見ても不利なコンプレックスを持っているにも関わらず、ここまで成績を伸ばしていると、な。やはり、エクアージュが褒められるのは嬉しいものだからな! つい私も了承してしまったというわけだ!」
「はぁ……?」
ユイは首を傾げながら、髪を掻き上げる。
漆黒の髪が、しっかりとユイの指を抜けていく。真のある髪の指通りは、したたかだった。
「初めてよ。こんな髪で、褒められるのなんて」
「そんなことはなかろう」
ユイの漏れ出た言葉を即座に否定するナナシ。
――あんたに、私の何がわかるってのよ。
そう思うものの、ユイはすぐにその考えを改める。そもそも、そんな期待をナナシに抱いていないのだ。
彼は、ただの協力者。
この世界を滅ぼすために、手を組む存在。
彼が、どうして世界を滅ぼしたいのかも知らない。
興味がないといえば、嘘になる。だけど、それを知ったからといって、利点も特にない。
むしろ、下手に同情を抱くようなことがあれば、それが原因で失敗することもありうるのだ。情がないからこそ、信用できるのだ。
――メグの時みたいな思い、もうしたくないからね。
「……まぁいいわ。それじゃあ、今日はどんな訓練するの?」
ユイの指を鳴らす行為一つで、窓に掛かるカーテンは、外の光と中の闇を遮った。
リーダーだろうが、教師から信頼されようが、もう自分には関係ない。
これからは、自分だけのために、自分の勝手で世界を滅ぼすのだ。
それは全て自己責任なただの自己愛。
――私にだけ優しくない世界なんて、ぶっ壊してやるんだから。




