そして伝説の唄は語り継がれる
予鈴が鳴る前から、ユイは教室の席に座っていた。何をするわけでもない。ただ座って、頬杖をつく。眺めるのは、女子たちがルキノを取り囲んでいる光景。
「ルキノ君、昨日は大丈夫だったの? レストランの爆破事件、巻き込まれたんでしょ⁉」
それにルキノはいつも通り、爽やかに返答していた。
「大したことはないよ。ちょっと怪我しちゃったけどね」
苦笑して、頬のかすり傷に触れる。女子たちが黄色い声で騒いでいた。
おまけ扱いとはいえ、クラスのヒーローが公のニュースに取り上げられたのだ。彼の株はますます上がったことだろう。
そんな中、一際大きな音を立てて扉が開くと、欠伸をしているタカバが登校した。彼はユイの席の隣まで来ては「おう」と一言、挨拶なのかもわからない声を掛けてくる。
顔には細かい傷や痣がたくさんあった。鼻に貼られた肌色の絆創膏が、やけに似合っている。服の下は定かではないが、袖を捲った腕だけでも、絆創膏の数は知れず。松葉杖はついていないものの、どこか動きに不自然さだ。
「顔にカッコイイのが付いてるわよ」
「ほっとけ」
ユイは表情を変えないまま軽口を叩くと、タカバも淡々と応じて席に座る。ユイは顎でクイッとタカバの机を指すと、タカバは一瞬不思議そうな顔をしてから、さりげなく机の中に手を忍ばせた。そして、小さく折られた紙を見つける。
その中に書かれた文字を見たタカバは、
「別に、ンなこと言わねェーよ」
吐き捨てるように言い捨て、その紙で鼻を噛んだ。ユイはその様子を見て、思いっきり顔をしかめる。
「うわ、汚いわね」
「うっせェ」
その紙をグシャグシャと丸めたタカバは、それをポイッと教室の隅に投げ捨てた。放課後にでもなれば、きっと虫が消化するであろう。
ユイはあの紙に、一言こう書いていたのだ。
『きぐるみのことは言わないで!』
ユイはボンヤリと、女の子に囲まれるルキノを眺めながら尋ねる。
「……あのコに、何か訊かれた?」
「テメェがどうして火事現場にいたのか聞かれた。だから助けに行ったと答えた。『勇ましく行ったくせにぶっ倒れただけだなんて、さすが劣等種!』って、笑っといてやったぜ!」
「そりゃどーも」
親指を立てたタカバは、ゴソゴソと鞄から何かを取り出していた。パンである。昨日のとは違い、学食で売っている派手な包装されているパンだった。タカバはその包装を、バンッと叩き潰すように開けた。
「オレさ、今朝の新聞読んだんだけどよォ」
「うん」
「テメェは、何もしてねェーんだよな?」
ユイは小さく笑った。
「あんたのエアボード、途中で落としちゃったわ。あんな恰好でエアボードに乗るなんて、そもそも間違ってたみたい」
すると、タカバも笑う。
「そりゃそーだろ。テメェも馬鹿だなぁ!」
「あんたに言われたくないわよ」
タカバが豪快にパンを一口食べた。そして咀嚼しながら、顔をしかめている。そんなタカバに、ユイは頬杖を付きながら言った。
「また、あんたの実家のパン買ってきてよ」
「自分で買いに来い」
そう言うタカバは、はにかんで。
予鈴が鳴る。
生徒たちが慌てて席に戻ると同時に、いつも通り無愛想な教師がペタペタと足音を立てて入って来た。
タイミングよく、ルキノが号令をかける。
「起立! 礼!」
こんな挨拶も、ナナシが担任になってから強制的に始まったことである。だが一週間も行えば、この程度のことはすぐに慣れるものなのだ。
「着席!」
教壇に立つナナシが、咳払いをした。
「授業を始める前に……大変遺憾なのだが、先週の『魔女っ子なりきり口上テスト』の補講をサボる者がいた。今後このようなことが続けば、クラス全体の評価にも関わる。ゆえに、罰として――」
ナナシの鋭い瞳が、ユイたちを捉える。
その時、ルキノがスクッと挙手した。それを見て、ナナシが舌打ちする。
「なんだ、小僧。今は私が話しているのだが?」
「確かに、彼らは可愛い魔女っ子にはなれないようですが……僕たちにもっと素敵な魔法をかけることが出来ますよ」
一番後ろのユイの席から、ルキノの顔は見えない。見えないからこそ、ルキノの声音が楽しそうなことがわかった。それに背筋が冷たく震える。
「ほう、それとは?」
ナナシの疑問符に、ルキノは息を吸って、
「いーとーまきまき、いーとーまきまき♪」
ワンフレーズ、歌う。
彼の甘い美声が、どこかノスタルジックに、どこかセンチメンタルに教室に響いた。
黄色い声援が飛ぶ。
歌が歌でなければ、ユイもときめいていたかもしれない、そんな美声。
だけど、ユイは頭を抱えることしかできなかった。
「人には、向き不向きがあります。『魔女っ子』という特異性のあるものを、全員に求めるのは、あまりに酷というものではないでしょうか。このテストの本質は、羞恥心を鍛えることにあるはず。ならば、それは『魔女っ子』にこだわる必要性もないはずです」
ルキノの極めて真面目な論理に、ナナシがニヤリと口角を上げた。
「つまり小僧は、彼らにチャンスを与えてほしいと――そう懇願するのだな?」
「懇願といえば大袈裟ですが……クラスメイトが減ってしまう事態になっては、僕も悲しいので」
「ふむ」
ナナシは逡巡したのち、教壇をバンッと両手で叩いた。
「よし。では今回に限り、小僧の案を呑むことにしよう! 後ろの両名よ。今から前に出て、なんでもいいから一芸を披露してみるがいい! 生徒全員が満足できたなら、今回の課題は満点をやろうではないか!」
――いやいやいやいや。
ユイはブンブンと首を横に振った。
無理だ。絶対に無理である。
だって、ルキノはあの伝説のライブを、ここで再現しろと言っているのだ。
ユイが立ち上がって抗議するよりも早く、タカバが無言で立ち上がる。その瞳が、まっすぐにユイを見下ろしていた。そして何も言わず、クイッと顔を前へ向ける。
――いやいや、マジですか……?
「ギターはあんのかよ?」
「もちろん、準備してあげたよ」
身体の痛みを意ともせず、ズンズンと前へ歩いて行ったタカバは、ルキノから白い電子ギターを受け取っていた。昨日とはまた少し趣向を変えたようで、ご丁寧にもルキノは淡々と配線やらの準備を始めた。
だけど、ユイは気が付いた。
しゃがんでコードを差し込んでいるルキノが、必死に笑いを堪えていることに。
「おい、劣等種! オレ、楽器なんか弾けねェーんだけど⁉」
タカバに叫ばれ、ユイは大きく嘆息する。
もう嫌だと抗議している暇があったら、やってしまった方が早いだろう。そんな諦めの境地に至って、
「あーもう、わかったわよっ!」
ユイも机を叩いて立ち上がり、教室の前まで走って、タカバからギターを奪い取った。
「ルキノ、ピックは?」
「もちろん、専用のを用意しておいたよ」
木製ギターならば素手で弦を弾けるものの、電子ギターの弦は硬いので、そうはいかない。それ専用の三角型のピックというものは、通常カラフルで派手な物が主流の中、このご時世で、黒いピックを渡して来るのは、ルキノくらいのものだろう。
受け取る間際、ルキノの顔がユイの耳元に近づく。
「僕を尾行して、あの程度で済むと思ったの?」
囁き混じりの吐息に、こそばゆいユイが視線を逸らすと、ニコニコと笑うメグと目が合った。彼女は一瞬気まずそうな顔を見せては、苦笑してくる。
ユイは舌打ちして、即座に顔を背けた。
「じゃあ――行くわよ!」
「おう!」
すべてをかき消したいとばかりに、ユイは全力で糸を巻く。




