そのタッチペンはゴミと罵られても
タカバが入学してから、月日が経つのはあっという間だった。
まず、友達が増えた。そして、勉強する時間が増えた。
遊びと勉強の両立は難しく、何度も進級が危ぶまれたが、それでもタカバは勉強が嫌いなわけではなかった。テストで点数を取れれば、やっぱり嬉しいのだ。だけど、その快感がいくらあっても、やっぱり勉強は難しい。それは、学年が進めば進むほどだった。
それでも何とか食らいついていく最中、タカバには他にも悩みのタネがあった。
それが、あの入学試験の時のタッチペンだ。
幸か不幸か、あの黒髪の少女とは毎年同じクラスだった。
話しかけるキッカケは何度もあった。返せるチャンスも何度もあった。
だけど、
『あの、これ入学試験の時の――』
『なに、その汚いタッチペン。ゴミなら早く捨ててくれない?』
タカバは床にタッチペンを叩きつけると、テープで修繕しただけのタッチペンはまた折れてしまった。
だから、タカバは幾度となく新しいタッチペンをなけなしの小遣いから購入し、渡そうとした。
『アレ折れちまったから、新しいのを――』
『はぁ? 私のじゃないけど。万引きの押し付けだったら勘弁してよね』
衝動のままに叩きつけ、さらに踏みつければ、細いペンが折れるのは当然のことだった。
――あの女、まじで性格わりィー‼
いつも最後まで話を聞かず、一言ケチを付けて去っていく女。
その感謝はいつしか苛立ちへと代わり、その八つ当たりをぶつければやり返される。
それを何年も繰り返すうちに、あっという間に五年以上が経っていた。
――だけど、今日こそ!
そんな因縁を今日こそ晴らそうと、タカバが意を決して廊下ですれ違ったユイに話しかけた時だった。
『待て、劣等種!』
『……なによ?』
今日も彼女は面倒臭そうな目でタカバのことを見てくる。
――負けるものかっ!
その威勢のままに、いつもポケットに入れてあるタッチペンを取り出そうとした――が、あるべきはずの物がその中にはなく、「あれ?」とポケットをひっくり返してみても、お菓子のゴミしか出てこない。
そんなタカバを見て、彼女はため息を吐く。
『ポケットのゴミを見せたいだなんて、新しい性癖? あんたがどんな趣味を持とうが勝手だけど、私を巻き込まないでくれる?』
『ハァ⁉ そんなせいへ……てか、そんな単語、女がシレっと使ってんじゃねェーよ!』
『やだ、なに想像してんの? 耳まで真っ赤にして、あんたの方がやらしいわよ』
心底汚いものを見て後悔したような目でタカバを一瞥し、『気持ちわる』と言い捨てて去っていく彼女。『あーくそッ!』とタカバが床を踏みつけた時だった。
ツンツンとジャケットの裾を引かれたので振り向くと、胸よりも小さい赤毛の少女が『はい、これ』とボロボロのタッチペンを差し出してくる。それに、タカバは口を丸く開けた。
『あー! これだよ、これ‼ どこにあったんだ⁉』
『あっちの曲がり角に落ちてたよぉ。良かったぁ、やっぱりタカバ君のだったんだねぇ』
そう舌っ足らずに笑う少女は、今年から同じ学年になった年下のクラスメイトだった。進級スレスレのタカバとは違って、三年も飛び級してきた優等生。だけど、彼女はそのことを鼻にかけるわけでもなく、にこやかに対応してくる。
『いつもそれ持ってるよね。大事なモノは落としちゃダメだよぉ?』
『お、おぅ……でも、よくオレのだってわかったな?』
『いつも見てるからぁ』
――いつもオレのこと見てる⁉
あどけない女の子にそう言われ、思わずたじろぐタカバ。メグはそれを見てクスクス笑いながら、出来る限りの背伸びをしてタカバに耳打ちした。
『タカバ君の律儀な所、素敵だと思う。これからもユイと仲良くしてあげてね』
『ハァ⁉ 誰があんな性悪と仲良くなんか――』
『あははー。あたしはタカバ君のこと、すごくいい人だって思ってるから』
楽しそうに笑って言う彼女はスカートを翻して『ユイ待ってー』と黒髪の後を追っていく。
その小さな背中を見つめながら、タカバはポリポリと頭を掻いた。
『いい人ねェ……』
――借りたモン一つ返せねェーような男に言われてもなァ……。
それでも、そう言われたらますます返さないわけにもいかない。
たとえどんなにボロボロになっても、このタッチペンのおかげでタカバは今、この場所にいられるのだから。
『しゃーねェーか』
タカバは再びボロボロのタッチペンをポケットにしまう。補強のテープがまた寄れてしまったので、直さないとますます受け取ってもらえないだろう。
遠くから、タカバを呼ぶ友達の声がした。それに『おう!』と応じるタカバの脳裏から離れないのは、こんな自分を褒めてくれた年下の少女の笑顔だった。
その日から、タカバはメグから目を離せなくなった。
誰に対してもいつもニコニコと微笑み、あの性格と口の悪いユイといる時でさえ、楽しそうに過ごしている。その中で時々発せられる鋭い指摘に、ますますタカバの興味は増すばかりだった。
そんなメグが、ルキノと付き合ってしまった。
男として、彼女の幸せを望まないわけではない。自分はただ『律儀で素敵ないい人』だと褒められただけなのだ。それが恋愛対象でなかった――ただそれだけのこと。
ちょっとした期待を、勘違いしていただけのこと。
ルキノのことも、いけ好かない野郎だと思いつつも、タカバはそんなに嫌いではない。学業や生徒会活動の両立は誰が見ても頑張っていると思う。きちんと努力できる奴に悪いやつはいないと思うのだ。
それでも、タカバはどこか認められなかった。
本当にルキノと付き合って、メグは幸せになれるのか。
自分よりも、ルキノはいい男なのか。
「オレの完封負けだよなァ……」
ルキノの紳士的なエスコートの元、メグはとても楽しそうだった。
それに対して、自分は呆気なく尾行を見破られ、醜態を晒す羽目になってしまった。
タカバは少し離れた所に落ちている、ピンクの可愛らしい絆創膏を見つける。だけどそれは、何の気なしに吹かれた風に飛ばされ、青い空のどこかへと消えていった。
タカバはそんな自分に苦笑して、顔を拭う。そして、ポケットのテープでグルグル巻きにされているタッチペンを取り出して、隣に座る仏頂面の教師に問う。
「これをよォ、劣等種に返してェーんだけど……このカバンの中に忍ばせておいたら、どーなるかな?」
「ゴミだと勘違いされて捨てられてしまうのではないか?」
「だよなァ……まぁ、こんなボロっちぃの返されても、捨てるしかねェーとは思うんだけどよォ」
容赦ないナナシの物言いに嘆息するも、彼は続けてこう言った。
「だが、安心しろ。貴様はきちんと、それをエクアージュに返すことが出来るぞ」
「はん、何を根拠に?」
吐き捨てながら顔を上げるタカバに、ナナシは真面目な顔で告げる。
「私が言うのだから、間違いがあるわけなかろう」
「だからその根拠は⁉」
声量をあげてタカバが問い詰めるものの、ナナシは「時間だな」と小さく呟き、本を閉じて立ち上がった。白髪の教師が、ごく自然にエクアにそびえるエクティアタワーを見上げた時だった。ゴォンとした爆音とともに、巨大な塔がジワジワと炎上しだす。
「な、な、火事⁉ 火事だぜ、せんせー⁉」
「やかましい、見ればわかる」
「だが、メグちゃんは⁉ ルキノは⁉ 劣等種は⁉」
狼狽え縋り付くタカバをナナシは押しのけ、ユイの持っていたカバンをヒョイと持ち上げた。
「無論、私が今から助けに行くから問題ない」
「……その根拠は?」
オズオズとタカバが訊くと、ナナシがくわぁっと言い放った。
「私だからだ‼」
そして目にも止まらぬ速さで、ナナシはあっという間にタカバの前から走り去っていってしまった。ドンドン小さくなっていく背中は、無駄にフォームがいい。
「なんだよ、あのせんせーは……」
一人置いていかれて途方に暮れるタカバ。彼の手に残るのは、ボロボロのタッチペンのみ。
タカバはそれを見下ろして、小さく笑った。
「しゃーねェーか」
そして、タカバも炎上を続ける塔に向かって走っていく。
全身のあちこちが痛い。そんな自分に何が出来るかわからない。
それでも、律儀な男というのは、しっかりと義理を返すものなのだ。
◆ ◆ ◆
紅蓮の炎に囲まれた中で、ナナシは倒れるユイを抱き上げる。
彼女のそばには、全身焦げて倒れる男が一人。かろうじて生きているかもしれないが、ナナシには興味がなかった。生きていたとしても、これだけの火傷を負えば、余命は長くないだろう。
彼の興味は、ただ一つ。
目を閉じる彼女の煤汚れた頬に残る、涙の通る跡。
それを、そっと指でなぞり、
「ユイ、すまないな……」
彼は、ユイを強く抱きしめた。




