甘苦い高級ランチ
「どうかな? メグの口に合えばいいけれど」
「うん、すっごく美味しいよぉ」
「それは良かった」
最上級のレストラン。最上級の料理。最上級の笑顔。
それに相応しいように、ルキノはメグに向かって微笑んだ。
ルキノも目の前の彩り豊かな前菜を食べてみる。繊細で複雑な、だけど確実に舌を満足させる味付け。。これなら大丈夫だろうと、ルキノは内心安堵した。
エクバタ随一の観光名所エクティアタワーで、まだ開店して三ヶ月にも関わらず今大人気のレストラン。
およそ十数席の小さめ店舗ながら、その高い料理の質と比較的リーズナブルな値段が売りの店である。厨房が見えるの大きな窓の上には、エクティアタワーに太陽が昇るマークが付いていた。
この太陽を模しているマークは、誰もが知る大企業『ブライアン社』のロゴマーク。その会社はエクア発祥以来、食糧生産に力を入れたことにより、今ではエクア中の食糧を過半数を担うほどの大企業となった。そして現在、食糧生産の派生としてレストラン業でも有名な会社であったが、ブライアン社が経営するレストランは庶民向けの低コストのチェーン店か、高級志向の店の二極化していた。だが新しい試みとして、庶民でも上級階級の気分が味わえるようにと、若手社員たちを筆頭に計画し誕生したのが、このルキノたちが今いるレストランとのこと。
今も店内の席を埋めている客は、老若男女問わず。セレブなご年配奥様から、オシャレしてきた楽しそうな家族、ルキノ達と同じようなカップルまで、幅広い年代が皆楽しそうに料理に舌鼓していた。
「ねぇ、ルキノ君……」
「なんだい?」
金ピカのシャンデリアが料理や客を美しく照らす中、目の前のメグは不思議そうな声を発する。
「よくこんな人気の店、一週間前に予約が取れたねぇ?」
――何かに使えるだろうと、開店当初から予約を取っていたからね。
別に、そんな前からメグとどうにかなるという予定はなかったのだが。
通常の手段であれば、今や半年待ちは当たり前。裏ルートを使えば一週間前でも予約は取れるのだろうが、十倍以上の値段は掛かってしまうだろう。優等生とはいえしがない学生のルキノに、残念ながらそんな貯金はない。開店当初の評判を耳にし、即急に予約を入れておいただけだ。
――目ぼしい女がいなかったら、ユイを連れてくれば良かっただけだしね。
もし彼女を誘っていたら、どうなっていたのだろう――ルキノは少しだけ想像してみる。
目の前にいるのが、不機嫌そうな黒髪の彼女なら。
貸し切りのレストランで、場違いと居づらそうにモジモジしているのだろうか。料理を食べて、その美味しさにビックリして、嬉しそうに笑うのだろうか。そしてそのあと、恥ずかしそうに頬を赤く染めて、顔を背けているのだろうか。
――そんな彼女をからかったら、とても楽しかったろうにね。
だけど、今はそれはしない。まだ、それを楽しむための準備が整っていない。
その不甲斐なさに赤い高級そうな絨毯を踏みしめながらルキノは、
「たまたまだよ」
と、そつなく答えて、また前菜を一口食べる。
「美味しいね」
「そうだねぇ」
つられて食べるメグの顔がほころぶ。そんな彼女を眺めて、ルキノはフォークを置き、微笑を浮かべながら頬杖をついた。
「ルキノ君、食べないの?」
「もちろん食べるけど……それよりも、美味しそうに食べる可愛いメグを見ていたい気分でね」
ルキノは真剣に、甘い台詞を口にする。
想像を楽しんでいるわけにはいかない。今回はそんな簡単な女ではないのだ。
自分よりも優秀な女。
そんな女と付き合うのは初めてだった。世の中の九割九分は、自分以下の人間だとルキノは自負している。その残りの一分を、自分に陥落させようとしているのだから、それなりの覚悟と計算はしてあった。
ユイ以外の女は、ただの道具。自分が成り上がるための、ただの飾り。
我ながらヒドイ考えだとは思うものの、それ以上の価値を示してくれた女がいなかったのだから、仕方ない。色目を使ってきたり媚を売ってくるような相手と、対等な友達になれるわけがないのだ。
――カッコ良すぎる弊害だな。誰にも言えないけど。
だけど、今回は違う。
初めて、飾り以上の価値を自分に提示してきた女がいた。
『もしもあたしを選んでくれたら、ルキノ君の欲しいもの、何でもあげられるよ?』
そのあと耳打ちしてきた言葉があまりにも魅力的で、ルキノは彼女の申し出を受け入れることにした。
それはルキノにとって、あまりにも甘い提案。喉から手が出るほど欲しいもの。
その信憑性がなかったとはいえ――そして、今後の立ち振舞の苦労が目に見えていたとはいえ――手放してしまうには、あまりに惜しい申し出。
そんな魅惑的なお菓子を持っているにも関わらず、彼女はただの少女のように頬を赤らめ、
「そんなこと言われても、恥ずかしいだけで嬉しくないよぉ」
苦笑しながら唇を尖らせている。それに、ルキノはますます目を細めた。
「こんなことでそんなに喜んでくれるなら、これからいくらでも言ってあげるよ」
「またまたぁ」
茶化すように言ってから、ルキノはふと外の風景を眺めた。
窓の外に広がる明るい街並みに、広場の色鮮やかな植物。噴水の真ん中で、愛おしげに水瓶を掲げる女神のオブジェクト。
「できれば夜に来たかったね。真っ暗な世界の中でメグを独り占め――こないだの夜を思い出すよ」
「もう……ルキノ君ってばぁ!」
すると、彼女の顔がますます赤く染まる。まるで、髪の色と同化してしまいそうなまでに赤い彼女は、本当に可愛らしい。
そんな彼女が、突然言い出す。
「ルキノ君が思い出しているのは、ユイのことじゃないの?」
「え?」
いきなり出てきた名前にルキノが目を見開くと、メグは食事を進めながらニコニコと笑う。
「さっきのユイとタカバ君おかしかったねぇ。本当にやるとは思わなかったよぉ」
「あぁ……そうだね。ちょっとお灸を据えるだけのつもりだったけど、まさかやりきるとは」
ただ話を変えたかったのだろうと判断し、ルキノはなるべく平然と話題に乗った。
そろそろメグが前菜を完食しそうだったので、ウエイターに会釈する。彼が厨房に向かうのを確認してからメグを見やると、最後の一口を食べ終えた彼女は、少し俯いて笑っていた。
「しかも……ユイのあの歌はないよねぇ」
そのクスクスと話を続ける彼女を見ていると、ルキノもあの光景を思い出さずにはいられず、震えだす腹筋を堪えることが難しかった。
「はは……そう……だね……」
極力、思い出さないようにしていたのに。
今は、カッコつけるべき場面だ。自分がいかにいい男なのか。余裕のある大人なのか。それを彼女にアピールする場面なのだ。だから、決して大笑いをしてはならない。クールでいなければならないのだが。
なのに、思い出してしまうのは。
孤高という言葉が似合う彼女が、人前で大声で歌う姿。
木製ギターをジャカジャカ掻き鳴らして、子供が好きそうな単純な歌を堂々と披露していた。女性ならば、少し戸惑ってしまうかもしれない単語の混じる歌詞も、ノリノリで歌い切ったのだ。
そして隣には、奇妙な中腰で踊る大男付き。彼の動きに合わせて、彼女も足を踏み鳴らしたり、ギターを大きく揺らしたりもしていた。
「もう……古代の歌なんて適当なこと言ったのは、確かに僕だけど……よりによって、あんな歌を選ばなくても……」
シュールすぎた。
クラス内の一瞬の芝居すら出来ない彼女らのライブは、とてもシュールすぎたのだ。
それを思い出すと、ルキノの口は止まらない。
「しかもさ、あのユイの恰好はなんだい……? 黒髪隠そうと必死なのは、わかるけど……もうちょっと、まともなカツラを探してもさ……服もやたらケバイし……逆に浮くっての……センスなさすぎ……」
ルキノの顔が赤く染まる。机に肘を置き、額に手を当てた。息が絶え絶えになり、目から零れそうになる涙を拭う。
その姿を、メグはニコニコと見つめていた。その瞳がとても静かに燃えている。
「ルキノ君、ユイのことになると、本当に楽しそうだねぇ」
「え……?」
それにルキノはハッとして、慌てて否定する。
「何を言っているんだい? 僕は、君といるから楽しいのであって――」
「別に、今だけのこと言っているつもりもないんだけどなぁ。それに、あたしもユイのこと大好きだから、その点に関しては同志だね!」
すべてを見透かしたように笑ったメグは、スープを持ってやってきたウエイターに慣れた様子で会釈する。
橙色のポタージュからは、芳醇な香りが漂っていた。金粉が少し散らされており、見るだけで、豪華な一品と分かる代物だ。彼女はそのスープを優雅に口にし、満足そうに微笑むと、ウエイターはホッと胸を撫で下ろしたような表情で下がっていく。
そうした自然な一連の流れが、あまりに必然のもののようでルキノが唖然としていると、メグは言う。
「ちゃんと約束は守るから、安心していいよ?」
「約束……?」
戸惑うルキノを意ともせず、メグはただ微笑んでいた。
「政府官僚へのコネはあるから、ちゃんとルキノ君を推薦してあげる。たとえもしダメだったとしても、大手企業の幹部候補なら絶対に大丈夫だから、就職活動については安心していいよ」
最高学年の最重要なことは、就職活動。
ルキノの夢を叶えるため。ユイと幸せな生活を過ごせるように、そんな世界を作るために、一番大事なことは社会地位を確立させることだ。政府官僚はもちろん、大手企業の幹部だって、並大抵になれるものではない。
それが、少し女の子と付き合うだけで手に入れることが出来るのならば、こんな美味しい話はないだろう。
そして、飛び級している優等生とはいえ、同じ学生であるのにそんなコネを有する彼女は、並大抵の存在ではない。
「メグ、君は――」
「あ、大手企業ってザックリ言われても信用できないか! ルキノ君は具体的にどんなことに興味があるの? 金融だったらオスカーでいいだろうし、具体的にコレってのがないなら、とりあえずブライアンはどうかなぁ? 何か深くやりたいことが出てきたら、もちろん高待遇で他社へ出向の手続きも取れるからオススメだよぉ」
メグがどこぞの令嬢かも――そんな噂は前からあった。そして、今の会話と、このレストランでの振る舞い、それから想像するに、彼女は――――。
「君は、ブライアン社のご息女なのかい?」
声を潜めて尋ねるルキノに、メグは笑顔の一つ曇らせることなく、平然と答えた。
「えへへー。まぁ、そういうことだから就職は大船に乗ったつもりで任せてください! その代わり、長期休暇までは約束通り、あたしの彼氏でいてね」
「約束は守るつもりだけど……でも、どうして僕だったんだい? 彼氏が欲しいなら、それこそ僕でなくても、アンドレとかタカバだって……」
彼女がエクア最大大手のブライアン社の令嬢ならば、オスカー財閥の御曹司であるアンドレ=オスカーなんて打って付けの相手だろうし、学生らしい恋愛がしたいのならば、一目でメグのことが好きなタカバなど、相手に困ることはないだろう。
それでも、メグは首を横に振る。
「タカバ君はダメ。面倒な世界には極力巻き込みたくない。アンドレは――とにかく絶対に、ダメ」
「……僕なら、面倒なことになってもいいと?」
そう聞き返すと、メグはクスッと鼻で笑う。
「あたしね、親が持ってきた縁談を断るために、お付き合いしている相手が欲しいの。ルキノ君から、見た目も、学年トップの人気者生徒会長っていう点でも、文句の付けようがないくらい将来有望な相手でしょ? 可愛いメグちゃんが惚れても仕方のない相手じゃん?」
「それで、友達と気まずくなってもか?」
ルキノのその質問に、メグの顔が始めて曇りを見せた。