パン屋の息子の自慢のパン
「あーもう、疲れたぁ……」
ベンチに座って項垂れるユイの前では、噴水の女神様が掲げた水瓶から無限に水を民に分け与えていた。ザァザァとした水しぶきが、少しだけユイの所にも届いて気持ちがいい。向こうに悠々とそびえ立つエクティアタワーもまた、水を浴びて気持ちよさそうに見えた。
ユイはベンチの上に、金髪のカツラとサングラスを乱暴に投げ捨てる。蒸れた髪を掻きむしりながら、ユイは深いため息を吐いた。
歌が終わると、爆笑とアンコールが巻き起こり、似たような歌をあと二曲歌う羽目になったのだ。湧いてくる客を無理矢理解散させ、ようやく一息入れるまでに一時間以上。気が付いた時には、ルキノたちの姿はなかった。
――ひどい目に遭うわ、ルキノたちは見失うわ……散々だったわね。
いつの間にか、空のスクリーンの光源は頂点に達していた。お昼時である。タカバは「腹が減った!」と喚いて、エアボードに乗って行ってしまった。一応、すぐに戻って来るということなので、ユイはぼんやりと待っているのである。
その時だ。
「見てー黒髪だぁー」
「黒髪はやっつけろー」
――え?
無邪気な声に顔を上げるやいなや、ユイはバシャっと水を掛けられた。とっさに閉じた目を開くと、五歳くらいの少年少女が空のバケツを持っている。
「お……お兄ちゃん、黒髪がこっちを見たよ……」
「目を背けるんだ! 石にされちゃうぞ‼」
――寓話の蛇女じゃあるまいし。
そう反論したくても、疲れて怒る気にもなれず。ずぶ濡れになったユイが怯える彼らを睨み付けると、
「オメェ、なにガキ苛めてんの?」
紙袋を持って帰って来たタカバが、エアボードから降りながら半眼を向けてきた。
何やら、美味しそうな匂いがする。
ユイは垂れる黒髪の隙間から、黒光りする目をジロリとタカバへ向けた。
「イジメてないわよ。こっちがイジメられてんの」
「どうせテメェのことだから、この後仕返しとばかりに何かやらかすんじゃねェーの? この前オレが水ぶっかけたら、トイレからホース繋げて来て、教室中ビシャビシャにしたじゃねェーか」
――確か立体映像投影機がショートしちゃって、ルキノが慌てて先生に言い訳する羽目になるわ、巻き添えくらったメグが風邪引いちゃうわで、あとで二人に怒られたっけ……?
そんなことを思い出しながら、ユイは小さく笑った。
「忘れたわ……そんな昔の事」
そう話している間も、子供たちは怯えるようにユイを見ている。その様子に気が付いたタカバが、ユイに紙袋を押し付けた。
「タオルくれェ、自分で持ってるんだろ?」
「一応ね」
ユイが答えると、すぐにタカバは子供たちと向き合った。
「いいかオメェら! この黒髪の悪魔倒したかったら、先に子分のオレ様を倒してからにするんだなァ!」
大袈裟さにそう言うと、タカバは子供二人を片手ずつ抱き上げる。そして噴水まで駆けていくと、子供たちをその中に放り投げた。
バシャーンと小さな水しぶきが上がると、その直後に「どーんっ!」と、自分で言いながら噴水に突入するタカバ。さらに大きな水しぶきが上がる。
子供たちがキャッキャと笑っていた。そんな子供にタカバはさらに水をかける。すると、子供たちも負けじと水をかけ返していた。
「馬鹿ねぇ……」
ユイはそんな光景を見ながら、ゴソゴソとカバンを漁った。幸い、背中に置いていたカバンはあまり濡れておらず、中味は無事。タオルで髪を拭いていると、チラリと目が合う女性がいた。雰囲気と距離感からして、あの子供たちの母親なのだろう。ユイが小さく会釈すると、気まずそうに視線を逸らされる。
――ま、黒髪の女なんかとは関わりたくないわよね。
ユイも視線を背けると、横に置かれた紙袋が目に入った。そのあたたかな匂いに、ユイのお腹が小さな悲鳴をあげる。中身を覗くと、中には大量のパンが入っているようだった。
「一個くらい食べても――あとでお金を払えばいいわよね?」
そう呟きながら噴水を見やると、水遊びは佳境に入っているようだ。女神様が注ぐ水よりも大量の水しぶきで、タカバたちの姿が見えない。噴水の大きな桶を空にしたいのだろうか。
「よし、いただきます」
ユイはきちんと挨拶してから、サンドイッチを取り出した。三角の白いパンに、卵を潰したものが挟まっているようだ。ラップを外して、食べてみる。
野菜も何も挟まっていない、二色のパン。家の余りもので作ったかのようなサンドイッチを、ユイは何も期待せずに口へ運んだ。
「ん、美味しい……」
一口食べて、思わず呟いていた。
見た目通りのシンプルに優しい味付けだった。パンの自然な甘みと、卵と混ぜられたドレッシングの酸味と塩分が、ちょうどよく口の中で溶けあう。卵の適度な半熟具合が、パンのふわふわ感を引き立てていた。
一口、また一口と食べ進めていると、なにやら嫌な視線を感じて、ユイは顔を上げる。
「旨いだろォ、そのパン」
上半身裸のタカバが、いやらしく笑っていた。全身びしょ濡れで、厚い胸板が水滴を弾いている。手の怪我やあちこちのアザが見るに堪えないものの、タカバはそんなことを一切気にせず、片手には絞ったシャツを持っていた。
――痛くないのかしら?
けれど、ユイ自身さらに気になるのはタカバの表情。食事の手を止めて、彼を睨む。
「なによ、ニヤニヤ気持ち悪いわね……」
「まぁまぁ。もう一個食えよ」
へらっと笑ったタカバが、嬉しそうに紙袋からパンを取り出した。
今度はクロワッサンのようだ。あいだに生クリームと果物が挟まっているらしい。
「お兄ちゃーん! また遊ぼうねぇー!」
噴水から上がった子供たちが、タカバに向かって笑顔で手を振っている。隣の母親も会釈をしていた。
タカバも「おぅ!」と手を振り返しているうちに、ユイは食べかけのサンドイッチを口の中に押し込み、タカバの持つクロワッサンを奪う。そしてすぐさま、一口かじった。
「ん、身体に沁み渡るわね……」
ほどよい甘みに、癒される。パンのサクサク感を、適度にクリームが包み込む。優しい甘さを引き立てるのは、果物の酸味。これもシンプルながらも、美味である。
「奪わねェーでも、やるって言っているだろォーが」
そう笑いながらタカバが隣に座り、缶のお茶を差し出して来た。ユイは「どーも」と会釈しながらそれを受け取り、一口飲む。珍しい香りのお茶だった。風味が強いものの、苦いわけではなく甘くもない。口の中がスッキリする。
青空の下。ちょっとしたピクニック気分で食べるには、食べやすく、美味しい。
朝早くから準備していたユイにとっては、至福の瞬間。
だけど、ユイは横目でタカバを見る。
ニタニタと笑いながら、ユイが使ったあとのタオルを無断で使用しているタカバさえいなければ、大満足なランチタイムなのだ。
――あのタオルも、捨てて帰ろ。
そういえばさっきもハンカチ一枚無駄にしたなぁ、と愛用していたハンカチのことを思い出しながら、
「さっきから……なんなの、あんたは?」
訝しげに尋ねるユイに、タカバは満面の笑みのまま答えた。
「嬉しいんだよ」
「そりゃ、見ればわかるわ」
「オレんちのパンを旨いって食べてもらうの、オレ好きなんだ」
「あ、あんたの家のなの、これ?」
ユイはそれを聞いて、辺りを見渡す。
「どこのパン屋さん? この辺にチェーン店以外のパン屋なんか、あったっけ?」
「一応、そこの通りを入ってすぐに曲がったとこなんだけど……やっぱ知らねェーよなぁ」
タカバも紙袋から麺の挟まったロールパンを取り出して、嘆息しながら一口食べた。
「路地裏とは言わねェーが、住宅地の細い道にある地味ィな店でよォ。客もみんな綺麗なチェーン店に取られちまって。こんなに旨いのにさ。なかなか誰も買ってくれねェーんだ」
――まぁ、パンの見た目も地味だしねぇ。
確かに、タカバのパンは美味しい。でも、店の外装はチェーン店の方が派手。パンの見た目もチェーン店の方が色鮮やかで一見美味しそう。客がどちらに流れるかは明白である。
「改装しようにも借金が膨れるだけだし……世の中、なかなかうまく行かねェーよなァ……」
タカバは遠くを見るような目で、噴水の女神像を見つめていた。
「あんたは何で軍事クラスにしたの? パン屋手伝うなら、調理クラスか……経営を勉強するって手もあると思うんだけど」
「どーせ、オレは頭悪いしさ。パン作りは兄ちゃんらがやってるし。オレは身体張って、現金稼いで、借金返そうと思ったワケよ」
女神様が平等に水を与えているつもりでも、民衆に同じように行き渡るわけではない。
水瓶から出た水は、強き者が奪い、弱き者は涙を流すのだ。
ユイはお茶の缶を見る。『パン屋のヤマガタ』と微笑ましいロゴが入っていた。きっと、パンに合うように独自の開発したお茶なのだろう。涙ぐましい努力である。
ユイは、クロワッサンの最後の一口を頬張った。
「ん、ほひひい」
「そりゃ、良かった」
ユイがそう言うと、タカバは嬉しそうに笑う。とりあえず、ユイが出来ることはそれくらい。
「さて、おかげさまでお腹も膨れたし、やることやりますかね」
大きく手足を伸ばして、ユイは鞄から小型通信機を取り出す。操作卓も取り付けて、準備は万全だ。
「なにすんだ?」
「さっきの中二病の奴らのこと調べようと思います」
「メグちゃんたちの尾行は諦めんのか?」
「だいたいの居場所は掴んでるわよ」
「どこだよ?」
ユイはせっかくのやる気を削がれて、唇を尖らせた。
――でも、パンの恩義があるしな。
食べ物の恨みは恐ろしい。言い換えれば、食べ物の恩義は仇では返せぬ。
ユイは鞄の中から、筒が二つくっついたような物体を取り出した。
「なんだこれ?」
「昔懐かし、双眼鏡ってやつよ」
言って、ユイは女神が向く先を指差す。
この広場を出た先。女神が見つめるは、天まで届くエクティアタワー。地上から少し離れた太くなっている部分には、有名なレストランがあった。エクア屈指の食糧産業を率いるブライアン社が出店した、今流行りのレストランだ。小さいながらもお洒落な内装。リーズナブルかつ高級感のあるメニューが人気を箔して、なかなか予約が取れないらしい。
ちょうど道行くカップルの女性がそちらを指差し、青年にせがんでいるような姿があったが、青年は首を横に振っていた。彼女を宥めるように、白くて丸い着ぐるみが風船を渡している。
タカバは双眼鏡をあちこち弄んでから、ベンチの背もたれに手を付いて双眼鏡を覗いた。
「スゲェー‼ 店の中に金ピカなシャンデリアが見えるぜ。こんなしょぼいのによく見えんなぁ」
「特殊な電磁レンズを使ったからね。もうちょっと拡大するわよ」
ユイはタカバが喜々と覗いている双眼鏡と小型通信機をコードで繋いだ。そし操作卓を叩く。
「お、いた! てか、すげー旨そうなモン食ってんだけど⁉」
「まぁ、リーズナブルと言っても、学食の十倍はするみたいだからねぇ」
「それ、本当に安いのか?」
「まぁ、学生が背伸びして手が届くくらいなんだから、お手軽なんじゃないかしら? 一ヶ月前から予約しても取れないプレミアム付きだけど」
「あいつら、そんな前から付き合ってたっけ?」
顔をしかめるタカバが双眼鏡を外してユイの方を見やる。急な体重移動にベンチがガタンと揺れた。
――まだ一週間……だったことくらいは信じたいけど。
縋る価値のない希望なのかもしれないが、それでも楽しかった頃の全てを否定しきれないユイは苦笑するしかない。
「なにかコネでもあったんじゃない? 現役学生の素性は学園の中央機関部にロックされてるから、わからないけど」
「そのくせ、テメェがアバドン通信販売の娘だってのは、有名だよなァ」
鼻で笑ってくるタカバに、ユイも同じような顔を返す。
「あんただって、パン屋の息子だって有名じゃない」
「……なんでだろうな?」
「さぁ? しょせん、その程度だってことでしょ。いい学園のいいクラスにいたって、全員が一流になるわけじゃないし。考えようによっては、素性を隠さなきゃいけないほど後ろめたい人生みんな送りたいのかって話よ」
「後ろめたいねェ……」
タカバがお茶のタブをパカっと開いて、一気に飲み干した。「ぷはぁー」と大袈裟に息を吐き出して、なにやらポケットに手を忍ばせる。
「あのよォ、いまさらなんだけどよォ――」
「さて、じゃあ私はさっきの奴らのこと調べちゃうから。あんたも早くご飯食べちゃいなさい」
何かを言い出そうとするタカバを意にも止めず、ユイはタカバから双眼鏡を回収してカバンの中にしまう。そんなユイを、タカバは半眼で睨んだ。
「少しは人の話、聞いてくれねェ?」
「こんな無駄話している間に、ルキノたちのランチが終わっちゃったらどうしてくれるのよ?」
「無駄……やっぱりオメェ、性格悪いな!」
「あんたに言われても、痛くもなんともないわね」
きっぱりと言い切るユイに、タカバは嘆息しながらポケットから手を引き抜いた。そして「じゃあいいよ」と言い捨ててから、ユイに尋ねる。
「けどよォ、さっき自分で学生情報のロックは厳しい言ってなかったっけか?」
「現役はね。退学者なんて部外者については、管轄外ってわけよ」
そう答えて、ユイは小型通信機の画面に集中する。
まずは、エクラディアの学生登録記録を漁り、近年の退学者の名前を調べる。それの一斉コピーのデータを、エクアの住民登録ネットワークで検索。画面に並ぶ写真の中から、さっきの奴らと類似する人物を列挙。照合。
そんなユイの作業に、タカバは横槍を入れる。
「あんなオシャレな場所で、テメェは何するつもりなんだ?」
「ん? おどろおどろしい音楽が流れて、シャンデリアがパリーンって割れて、ちょっと煙がムクムクする感じ」
「火事とか、大丈夫なんだろうなァ?」
「煙だけだから。シャンデリアくらいなら、メグなら避けれそうだしね」
「……もうオレ、何も言わねェ」
むくれた様子のタカバはパンを食べながら、新聞を読み始めた。実家からでも持ってきたのだろう。漫画同様、何故かエクアで残っている文化である。それでも、すべて機械通信で賄えるので、利用する者は少ない。
ユイは画面を見ながら、タカバに話しかける。
「意外。あんたがそんなもの読むんだ? けど、ニュース知りたいなら、小型通信機の方が早くない?」
「うるせーな。そんなちっこい画面見てるより、こっちの方が見やすいじゃねェーか。なんかカッコいいし……お、ランティス地方で、反乱軍による暴動が起きてるらしいぞ。反乱軍には、女神様の加護があるらしいぜ!」
ユイは鼻で笑った。
「これだから新聞は……どうせデマカセ書くにしても、もう少しまともなネタはないのかしらね。ま、そうでもしないと売り上げなんて出ないんでしょうけど」
時事情報は、小型通信機のニュースで事足りる時代である。これも企業努力というものかもしれないが、そんな弱小企業の運営状況など、ユイには一切関係ないこと。ユイは最新の小型通信機を使って、欲しい情報を仕入れるだけだ。
「ふーん……あいつらを三年前、退学へ追い込んだのがルキノなんだって。許可なく学園外へ出たとか、夜中に広場で花火したとか、小さいことを積み重ねて追い込んだらしいわよ」
「あいつ、そんなみみっちいことする奴だっけか?」
「あまりそういう話は聞いたことないけどね……基本、みんなの王子様だし」
「さっき痛い目には遭わされたけどな」
「それはノーコメント」
あまり口にしたくはないが、デートの尾行をされて気を悪くしない人はいないだろう。その仕返しとして恥をかかせられただって、自業自得の範疇。
タカバもそこには触れず、お茶を飲みながら話を進めた。
「けど、だったらあいつらはもっとルキノに目を付けられるようなことをしたってのか? 退学させられたんだろ?」
「それは――」
「拙者らが邪魔だったからでござる」
ユイの言葉遮ったのは、おかしな喋り方をする男。ユイは声がした方向を見ると、右隣のベンチにはくせ毛の傷だらけな中二病がいた。




