路地裏の抗争
路地裏は、やっぱり埃っぽかった。だが、それもそのはず――ユイが埃を集めた袋を大量に積んであった場所なのだから。
――清々しいまでに上手くいったわね。
だけど、安堵するもまだ早い。この場所で成すべきことが、まだたくさんあるのだ。
それなのに、一人呆然としていただけのタカバをユイは睨みあげた。もちろん、ルキノたちが入店したのは確認済みだ。
「あんたさ、一体何をしにきたの? あんなアホ面で凝視してたら、バレるに決まってるわよね? 私たち、仮にも軍事クラスよ? そして彼らはそのクラスの上位者。バレない理由がないと思うんだけど」
「だって……メグちゃんのパンツが……」
シュンと項垂れるタカバに、ユイは容赦なく言い放つ。
「なに? あんたはメグのパンツを見るために、私に土下座したわけ?」
「ちげェーよ‼」
大声での否定に、ユイは慌てて彼の口を手で押さえた。
「馬鹿っ! 聞かれたらどーすんの⁉」
「ふ……ふまねェ……」
フゴフゴするタカバから手を放すと、その手はヨダレでべたついていた。ユイは顔をしかめて、ポケットに入れていたハンカチで拭う。
――これ、あとで捨てよ。
「オメェこそ、なんでこんなことしてんだよ? こんな路地裏、好き好んで入るタイプでもないだろ」
念入りに手を拭き続けていると、タカバがエアボードを足で弄びながら訊いてくる。
ユイはどちらかと言えば綺麗好きだ。潔癖症とまではいかないが、理由もなく整理されていない場所はとにかく落ち着かない。手がべたついたら、すぐに洗い流さないと気が済まない。
「よく私のタイプなんてわかるわね?」
「そりゃあ……一応、十年間クラスメイトだっての」
――まぁ、不本意ではありますけど。
低学年の頃は、生徒数も多いため、専攻に関わらずクラス数も多い。それなのにルキノとタカバ二人とずっと同じクラスだったのは、奇跡みたいなものだろう。十年間も同じ教室で同じことをしていれば、それは多少気心も知れてもおかしくないわけなのだが、
――タカバなんかに理解されてても、嬉しくもなんともないっての。
ユイは胸中で毒づきながら、その気心知れた相手の疑問に答えてあげることにした。
「嫌がらせ」
「……ハァ?」
「だから、メグに対する嫌がらせだってば」
唖然とするタカバの眉間にしわが寄る。
「もしかして『あたちが大好きだったルキノきゅんをよくもー!』てやつか?」
「語感がおかしいけど、あながち間違いじゃないわね」
「オメェ、メグちゃんと友達じゃなかったのかよっ!」
ユイのストールが掴み上げられた。首が締まらないようにと、ユイもとっさに輪を維持するよう両手で掴む。その代わりにハンカチが地面に落ちてしまったが、どのみち捨てる予定の物のことをユイは微塵も気には止めなかった。
「そうだと思ってたのは、私だけだったみたいよ。だってそうでしょ? 普通、友達が告白してフラれた直後の相手と付き合ったりする?」
「それは、テメェからしたらアレかもしれねェーけど……」
「その仕返しのためだったら、徹夜して大嫌いな掃除用の虫からチマチマと埃を集めることも苦にはならなかったわ!」
「テメェが無駄な努力はわかったよ……」
怒気が下がったタカバがストールから手を離す。そして、何かに閃いたように両手を打った。
「ていうと、アレか! さっきの強風はテメェーがやったのか?」
問われて、ユイはニヤリと笑う。
そうだ、とは言えない。魔法で起こした、だなんて言えない。
だけどこの話の展開を、ユイはすでに予測していた。
「今日のことは、何から何まで調べ尽くしていますから。天候調整局にハッキングして、いつ、どこで風が吹くか、調査済みです。詳しいこと聞きたい?」
「劣等種のくせに、そういうずる賢いことは得意だよな……」
胸を張るユイに、タカバは付いて行けないとばかりに、首を振る。
――タカバが馬鹿で、ほんと良かったわ。
これで堂々と嫌がらせが続けられるというものである。
次の作戦はさっきと変わり映えはしないが、ルキノたちが出てくる時を見計らって再び風を吹かせること。さっきと違う点は、風を吹かせる位置である。この洋服店の屋根の上には、ペンキ入りのバケツが仕掛けてあるのだ。それが、着替えたばかりのメグを直撃するという作戦なのである。そうすれば、プライドの高いルキノは今一度、洋服を買い直さなければならないだろう。
――ふふ、完璧……完璧すぎるわ!
ユイは高笑いしたくなるのを堪えるため、時間つぶしに気になっていたことをタカバに訊くことにした。
「そういうタカバは、どうして尾行なんてしようと思ったのよ?」
「て、テメェなんかに言うもんかよ!」
「私は答えたのにあんたはダンマリとか、不公平じゃない?」
「それは……」
タカバが視線を泳がせながら、モゴモゴとしている。壁の影でハッキリとは見えないものの、耳の色が変わっているように見えた。
「オレは――」
「よし、爆弾の準備はいいか?」
タカバの声を遮ったのは、コソコソと路地に入ってきた同年代の二人組だった。物乞いが蔓延る薄暗い路地に住まう人たちよりいくらかはマシだが、服は寄れていて、散髪もご無沙汰な不潔感が漂っている。そんな赤褐色のくせ毛と亜麻色の直毛の二人のうち、亜麻色は小箱を持っていた。
――爆弾?
そんな危なげな単語に、ユイとタカバは横目で見やる。目が合うと、彼らは急に慌て始めた。
「兄者、先客でござるよ!」
「むむ、我らの先回りをするとは、何奴でござるか⁉」
オーバーリアクション気味に身構える二人を、タカバが鼻で笑った。
「なんだァ、ありゃ?」
「中二病を患ってる人たちかしらね」
「なんだよ、その『ちゅーにびょう』てやつは?」
「昔の言葉で、漫画の世界と現実がわからなくなった痛い人って意味よ」
嘲るようにユイが言うと、彼らは見るからに怒ったようだ。
「わわ……我らを侮辱するとは、お主らはあやつの仲間でござるな!」
「くそ、我らを危惧して、あやつは援軍を準備しておったか……」
どうやら、この爆弾魔にはターゲットがいるらしい。しかしそんなことは、ユイにはどうでもいいことだ。こいつらに対しての関心は、ただ一つ。ユイはスタスタと彼らに近づき、手に持っている爆弾らしき小箱を取り上げた。
「こ、小娘! 我らお手製の秘策を奪うとは――」
「やかましい」
慌てふためく二人を一瞥し、ユイはその小箱を開いた。
「ぷっ」
小さく笑って、ユイはその箱をタカバにも見せてみる。
「ねぇねぇ、これが爆弾だって」
「しょぼくねェ?」
それは、やけに簡易な爆弾だった。箱に溢れんばかりの火薬を積めて、導火線を付けただけ。同じようなものを、ユイは父親に教わって五歳の段階で作っていた記憶がある。火薬はユイが色から判断するには、一番安いもの。しかし安物ならではの利点として、威力が単純に火薬量に比例するという点がある。
「けど、この店の壁を崩す程度には事足りるかしら?」
「直接人に当たれば、死ぬってことだな」
「そうね。タカバにも分かるくらい簡単なことね」
「……テメェ、喧嘩売ってんのか?」
睨んできたタカバはさておいて。
つまりは、この爆弾魔を放っておいても、被害は数人といった程度だろう。夕方のニュースには取り上げられるが、明日には忘れ去られる程度の事件である。
――けど、ここで爆破されたら、私の計画は台無しだわ。
完全な不発弾なら放っておこうと思ったのだが、爆弾としての最低限の体を成している。
「そういうことで、これは没収ね」
ユイはその導火線を引っこ抜いた。
この世の終わりとばかりに、絶叫する中二病の爆弾魔たち。
「ななななななななななな」
「わわわわわわわわわわわ」
言葉にならない何かを叫びながら、彼らは懐からナイフを取り出した。
――さて、どうやって倒そうかしらね。
あまり大事にもしたくないので、適当に気絶させるのが理想だ。護身用の爆弾を持ち歩いてはいるのだが、この火薬に飛び火しては元も子もない。
――魔法……か。
意識的に直接人に向けて使ったのは、あの一度きり。
ユイが固唾を呑むと、タカバが「仕方ねェーなァ」と嘆息しながらユイの前へ出た。後ろ手で、ユイに下がるように合図する。
「これ持っとけ」
そして、ユイにエアボードを投げ渡して、一直線に刃物を持った相手に突っ込んでいった。
「おーりゃっ!」
大振りに拳を振り上げて、くせ毛の男をぶん殴る。その顔は、仕方ないと言うわりには楽しそうに口角が上がっていた。
――あら、これはラクできそうだわ。
二対一にも関わらず、タカバが優勢。この調子でいけば、あっという間に片付くだろうと、ユイが壁に背を預けた時だった。タカバの一瞬の隙を付いて、直毛の男がすり抜けて、ユイに向かってくる。
「ひひひ……人質大作戦でござる!」
その計算外な出来事に、
「ちょっと! あんた何してんのよ!」
「うっせェ、こっちは手一杯だ! 自己責任でどーにかしろ!」
不満を言ってもあっさり返された。タカバはタカバで飛び退き、手を押さえている。そのこぶしから流血しているのが見えて、ユイは顔をしかめた。殴る寸前にナイフで突かれたのか。
近づいてくる亜麻色の男は、ナイフを片手で回していた。意外と訓練されているようである。
「あの筋肉馬鹿……」
毒吐きながらも、ユイも身構えた。
こんなに対面して魔法をバレずに使う自信はない。だけど、直接喧嘩が苦手だからって逃げるつもりもない。少なくとも、タカバはユイを庇おうと前に出たのだ。
――そんなカッコ悪いこと、出来るわけないでしょ!
ユイは迫るナイフを首を逸らしてかわすと、偽物の金髪が大きく揺れた。即座にしゃがみ、脚を回して相手の足を払う。体勢を崩す直毛。しかし踏みとどまると、すぐさまユイを目がけてナイフを振り下ろして来る。
「劣等種っ!」
タカバの声が聴こえた。
こちらに駆け寄ろうとしているようだが、くせ毛に攻撃されてまた腕に傷を増やしている。
――やられる……!
煌くナイフの切っ先に、ユイの目は反射的に閉じようとしていた。
次の瞬間、ユイは突如誰かに抱かれた。あたたかい――そう認識した時には、ナイフを持った敵は蹴り飛ばされていて。
即座に、ユイはサングラスが外れていないことを確認した。カツラも、ずれてはいないようである。
このタイミングで自分を助けてくれる人――ユイには、彼しか思い付かなかった。
「女性をこんな危ない目に合わせるなんて……タカバは何をしているんだかね」
独り言のように、だけど通る声で彼は呟く。
「大丈夫ですか?」
そして優しく微笑みながら心配してくるルキノは、近くで見るとますます美しかった。後光を背にして、彼の髪はなお輝き、影になった彼からの吐息はとても甘い。
いつもと同じ、彼の顔。
いつもと違う、彼の姿。
制服の時と違い、開けたシャツの襟の間から覗く鎖骨に、ユイはつい見惚れて顔が熱くなってしまう。
ユイは思わず彼の名を呼びそうになるのを堪えて、コクリと頷いた。
「それは良かった」
優しい笑みを向けた後、ルキノはユイをそっと後ろへ下げる。その紳士的な対応にときめく自分に頭を抱えたくなるが、ユイは何とか堪えることに成功した。
そんな葛藤しているユイには気付かず、ルキノは声を張り上げる。
「で、タカバはその程度の輩に手傷を負っているのかい? 愛する女性ひとりも守れずに?」
「ハァ⁉ 誰が誰を愛するって?」
何とかもう一人と抗戦しつつも、ルキノの皮肉にはきっちり対応するタカバ。それに、ルキノは苦笑した。
「あ、大丈夫そうだね」
小さく呟いて、ルキノはさっき蹴り飛ばした、壁にもたれている直毛と対峙する。
「君たちは……確か、去年退学した人たちだったよね?」
「そうだ……貴様のせいでなぁ、ルキノぉぉおおお!」
激昂のままに突っ込んでくる直毛を、ルキノは鼻で笑う。
「まだ根に持っているのかい? 君、女性にモテないだろう?」
「制裁するでござるぅぅぅううううう!」
そして、胸から何かを取り出し――放り投げた。男の手には、ピンのような物が握られている。
――手榴弾⁉
ピンを抜かれた手榴弾が、弧を描いて投げられた。ジリジリと燃料に引火し、赤く弾け飛ぼうとしている。
「くそっ!」
珍しく険しい顔をして、ルキノは即座にユイを抱え込んだ。無理矢理しゃがませ、頭から全身でユイを覆うように、抱きしめる。
――馬鹿⁉
ユイはルキノを撥ね退けようとしたが、ルキノはピクリとも動いてくれず。
このままでは、全員ただでは済まない。爆弾魔たちはどうでもいい。自業自得まで面倒を見てはいられない。
だけど、自分の代わりに前に出て、怪我を負ったタカバはどうなる。
誰だかバレてないだろうとはいえ、自分を守ろうとしているルキノはどうなる。
――私もまだ、死にたくないっての!
まだ、ペンキ作戦が残っているのだ。メグを再び汚して、ルキノの財布に大打撃を加えてやらないといけないのだ。やりたいことがあるのならば、今はまだ死ぬ時ではない。
――父さんが、よく言ってたっけ?
ユイはルキノの脇の隙間から、今にも弾けようとする手榴弾を睨みつけて、
「きゃあああああああああああ!」
女々しい叫び声をあげた。
虫がいるわけでもないのに、こんなに高い声を出すなんて、始めてかもしれない。無理に声を出して、喉が裂けそうだった。慣れない事は、本来はするべきではないのだ。だけど、やらねばならない時に躊躇っていたら、それこそ後悔が残るだけである。
――消えろ!
そう願うと、シュッと勢いを無くした手榴弾が、カランと地面に落ちた。ただ、飲み捨てられた空き缶のごとく、コロコロと転がる。
「驚かせやがって」
いつになく低い声で毒づいて、ルキノはすぐにユイから離れた。
ルキノは、目を見開いている直毛を殴り飛ばす。壁に頭を強打する鈍い音が響いた。白目を向いた直毛は、壁にもたれかかるように伸びた。
ユイが転がる手榴弾を拾い上げると、点火した痕跡はあるものの、完全に火の気はない。それには、太陽が沈むようなマークが付いていた。どこかで見たことがある気もするが、武器販売で有名なメーカーのものではない。しかし今回は不発にさせたとはいえ、重量も軽く、その割に威力は大きそうだとユイは見立てる。
――あとで調べてみようかしら。
ともあれ無事に魔法が成功し、ユイが安堵した時だ。
「僕も気が急いてしまったな。こんな奴が、ちゃんとした武器を持っているはずないか」
ルキノはやれやれと嘆息しながら、肩を回していた。
「こっちも終わりだぜ!」
タカバもすでに泡を吹いているくせ毛を放り投げていた。見るからにやりすぎである。そんなタカバを、ルキノは再び鼻で笑う。
「ずいぶんと生傷が多いようだけど?」
「るせェ、構うな!」
怒鳴るタカバに、ルキノは苦笑を返した。
「僕も、メグが『嫌な感じがする』って言ったから、様子を見に来ただけでね。あぁ、僕が買ってあげた服を、今頃着ているだろうなぁ。良かったねぇ、僕チョイスでもっと可愛くなったメグが見られて」
「あーあー、さっさと何処へでも行きやがれ! テメェのツラなんか、二度と見たくねェ!」
「はは、言われなくても行くと言ったろ? あ、この礼はすぐに返すから」
そして冷笑を浮かべ、ルキノは路地裏から大通りへ戻っていく。彼が来た方向とは、明らかに逆。さっきはどうやら、裏口から出てきたようだ。ユイの調べでは、裏口はスタッフ専用のはずである。
――さすが、ルキノさん。なんでもアリね。
去り際に彼は微笑を浮かべて、ユイに会釈することを忘れなかった。
その背中にユイは嘆息を返して、
「よしっ!」
ユイは両頬をパシンと叩いて、気を取り直す。
着替えたばかりなのに、ペンキが降ってきて台無し作戦は、これからなのだ。




