とある教師とサミィちゃん
黒板――それはかつて、授業中に教師が生徒に伝達したい事項を記入、もしくは掲示によって伝達するための器具だったと言われている。主に教室の前面に設置され、黒い板のまわりは木で縁取りされているような形式の代物だったが、黒い背景に白い文字のコントラストが目に厳しいという理由で、黒板というにも関わらず、緑の板が使われていたらしい。
ともあれ、そういった代物は、今では骨董品と呼ばれる貴重品の一種だ。
現在のエクアでは、すべて電子管理が基本。授業中に教わる重要事項や伝達事項も、すべて個人アドレスに送付され、各々、机の画面や小型通信機等で確認するのが常識である。
だけど、そんな常識は、ユイ達の新しい担任には通用しなかった。
「黒板を用意しろ! さもなくば私は授業をしない、そうすれば貴様らに単位はない!」
そう脅されても、そうそう容易く手配出来るものでもない。そのことを皆で訴えた結果、
「では、作れば良いではないか!」
そんなわけで一週間がかりで開かれたナナシ先生の手作り黒板講座は、一部の生徒以外には好評だった。
結局チョークなどの細かいものは全て仕入れることにしたものの、大きなものは伐採から加工、先生の指導の元、すべて自分たちで作り上げたのだ。本当に学園内の木をクラス総出で伐採。風紀委員や他の教師から批難を浴びたものの、そこはナナシ先生の「異論はあるのか?」の一言で片付いた。
ちなみに、黒板の緑のような書くスペースは、本人が言った通り、ナナシがどこからか即日仕入れたので、その周りを木材で加工したのである。設置ももちろん、クラス総出。黒板を壁に埋め込むだけでも、すごい時間を費やした。
クラス全員での大工事の後は、皆、喝采を上げていた。どうやら、連帯感が生まれたようである。
そんな感じで、無事に授業が始まったのは、あれから一週間後。
ようやく始まったナナシの授業も、なんと生徒たちに高評価だった。
今日も、一面の窓から晴天を見ることができる教室で、生徒たちは真剣な顔で授業に取り込む。
「よーし、では教科書五十四ページの第三話からだ!」
白衣姿のナナシ先生の掛け声のもと、クラスメイト全員が教科書を開いた。誰も音読をするわけではない。皆、指定された教科書のページを読み、ページをめくり、そして読む。とても静かな時間だった。皆が真剣に、授業に取り組んでいる証拠だ。
その中で、一番後ろの席に座るユイは、教科書ではなく、壁に一面に埋め込まれた大きな黒板をぼんやりと眺めていた。
黒板には、古語で大きく、こう書かれている。
『魔女っ子らぶ』
やたら達筆である。
お家柄、骨董品など古代文明に詳しいユイだから読めるものの、クラスメイトに読める者はいないだろう。
昨日は『ロリコンは正義』である。ユイでも『ロリコン』が何なのかわからなかったが、ナナシに確認するのは、やめておいた。聞いてはいけないような気がしたのだ。
そして、ユイは教科書に目を落とす。その教科書には、不思議な力を使える少女が、悪者に襲われそうになっている幼馴染の少年に遭遇する場面が描かれていた。しかし、その少女は恥ずかしさと失敗の恐怖から動くことが出来ずに、少年が大怪我を負ってしまう。そんな感じで、この第三話が終了していた。
この物語のタイトルは『魔法少女サミィ』。可愛い絵柄で有名な少女漫画である。ユイが小さい頃から名が通っていた漫画で、何回もリニューアルされては、小さな女の子に勇気と希望を与えてきた。
ちなみに、少女は大人へと変身して戦うのだが、変身するには、自分の恥ずかしいことを全力で叫ばないといけないだとか、しかも変身していられる時間は持っている所持金によって決まるだとか制約があり、そのシビアな設定から一部の大人にも人気がある。
少女の決め台詞は、『力とお金だけが友達よ!』
――女だろうが自分で稼げないと生きていけないと実感させる、情操教育にいい漫画よね。
ユイはそう思っているのが、まわりのクラスメイトは違うようだ。昔読んだ雑誌にも、この漫画のいいところは、少女のいじらしい心理描写が巧みなところだと書いてあった。読む人が読めば、力があるにも関わらず、なかなか上手く行かず失敗する少女に共感できる作品らしい。
少しずつ、教室にすすり泣くような声が聴こえてくる。
「そこまで!」
ナナシの毅然とした声が、教室に響き渡った。彼は、教壇を両手でバンッと叩く。
「では、とりあえず感想を述べてもらおうか――では、一番泣いている貴様だ」
これまた光るポインターではなく、差し棒という、伸ばしたり縮めたりすることが出来る銀色の細い棒を、ユイの隣に座るタカバへと向けた。
クラスメイトの並び順は、黒板に向かって、男女縦一列ずつ交互六列で、前から身長順となっている。不本意ながら、それぞれ背の高いユイとタカバは、一番後ろの席で隣同士になってしまっていた。
目を真っ赤に腫らしたタカバが、大きく鼻を啜ってから叫ぶ。
「サミィちゃんが可愛い!」
その直後、タカバの鼻に、白い何かが突き刺さった。
「ふがっ!」
「馬鹿者め! そんなことはわかっている!」
投げ終えたナナシのフォームが、やたらとカッコいい。
タカバがそのチョークを抜いて、投げ捨てた。今の時代、チョークなんて代物は製造されていない。その理由はもちろん需要がないからだ。そのため、あの一本で少し豪華なランチが食べられる程度の値段はしていたはずである。
――まぁ、こいつの鼻に刺さったチョークなんて、誰も触りたくないけどね。
折れたチョークを眺めていると、ナナシがバンッと、今度は黒板を叩いた。
「今回、サミィちゃんはクロード君を助けられなかった――それは何故か。わかる者はいるか⁉」
スッと手を挙げるのは、教室の真ん中に座るルキノである。今日も彼の後頭部は満月のように輝いていた。ナナシは嫌そうに眉をしかめる。
「小僧か……いいだろう、答えてみろ」
「……好きな相手の前で恥ずかしいことが言えないという、羞恥心のためです」
「くそ、正解だ」
なぜか、ナナシはルキノをことだけを『小僧』と呼び、彼のことを嫌っているようだった。理由を訊いても、ナナシは教えてくれない。
しかし、優等生であるルキノにとっては、教師に嫌われるというのは大事のようで。このような態度をとられても、少しでも真面目に、好印象を残そうと努力しているようである。
――まぁ、わたしには関係ないけどね。
ナナシは、咳払いをした。
「羞恥心――それは、大人になる上で成長する大きな糧になるともいえよう。ただ、サミィちゃんのように、戦う者にとって、それは不要なものである! サミィちゃんは、羞恥心を捨てられなかったばかりに、大事なクロード君を助けることが出来なかった。戦いとは、取捨選択の連続だ。何を選び、何を捨てるか。それを即座に判断できぬ者は、動きが遅れる。ゆえに、サミィちゃんのように必要な時に動けず、大事なモノを守れないといったことになる!」
サミィちゃん連呼が耳障りだが、言っていることはごもっとも。固唾を呑んだ生徒が何人もいた。教室に緊迫感が広がる中、ナナシは宣言する。
「では、これより魔法少女なりきり口上テストを行う!」
ナナシがビシッと構えた差し棒には、いつの間にか、安っぽく光るお星さまが付いていた。
それに、ユイは思いっきり顔をしかめる。嫌な予感しかしない。
「教室の前へ一人ずつ出て、何か魔女っ子っぽい台詞を動作付きで行うこと。私が合格と認めれば、今日はこれで帰って、午後は自由に過ごしてよし。不合格の者は、一巡してから再試験。それを繰り返す。どんどんダメな奴だけが残されていくシステムだ。もちろん、早く終わらせた者ほど、成績はいいものと思え」
なんとも分かりやすいシステムである。
一発合格の成績優秀者には、午後の休みが与えられる。明日は休日。一足早い休日を貰えるのは、気分的にも嬉しいものだ。永遠に合格出来ない者は、どんどん人が減る中残されて、永遠に『魔女っ子』とやらを、やらなければならないらしい。そんな苦痛を味わった後では、休日も清々しく迎えることはできないだろう。
「では、一番前からにするか。そこの赤毛の女、やってみろ」
ナナシが星付き差し棒を渡したのは、メグだった。一番小さな彼女は、一番の特等席に座っていたのだ。
「あ……あたしからですか?」
「そうだ。始めに行う辛労を、理解してない私ではないがな。ただ貴様は、他の者よりも若く、可愛らしい女だ。むさくるしい男が『魔女っ子』を行うよりも、抵抗が少ないだろう。それらの負担を考慮しても、貴様が最初に行うのが平等だと思うが」
ナナシは淡々と、理屈を説明する。
確かに、タカバのような男がステッキもどきを振るよりも、メグのような可愛らしい少女の方が似合うだろう。抵抗感はその分薄れるというものである。
――羨ましいこと。
可愛い子は、何をやっても得なのだ。なりきって合格すれば、もちろんよし。恥ずかしがって失敗しても、それはそれで周りからもてはやされる。
「……わかりました」
渋々、メグは立ち上がった。差し棒に刺さる星に触れ、すぐに取れないか確認しているのだろう。しばらくして、彼女は大きく息を吸った。その燃えるような瞳に、決意がこもる。
「プリティメグのきゅわきゅわるんっ!」
ステッキを大きく回しながら一回転。白いスカートの裾がふわっと広がる。
「みんな幸せになあーれっ!」
メグが笑顔でウインクした。突き出したステッキが、ライトの光をキラッと反射する。
彼女が動きを止めると、一瞬の静寂ののち、
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおお!」
男の野太い歓声が巻き起こる。タカバなんて、立ち上がって拍手していた。女生徒も何も異論はないらしく「メグちゃん可愛い!」と賛辞を飛ばしている。
――やば……。
その可愛らしさ満点の彼女を見て、ユイは焦る。
――あれを、わたしがやらないといけないの……?
ナナシも満足そうに頷きながら、手を叩いていた。
「見事だ! 自分で自分の事をプリティと言い切ってしまう度胸! 無難に皆の幸福を願うようなセリフ! 動きも大きく、恥じらいもない堂々たる態度! 貴様、性格悪いな。もちろん合格だ!」
「先生ぇ、褒められてる気がしません……」
そう苦笑しながらも、メグは両手でステッキ――もとい、差し棒をナナシに返す。
「では、貴様は帰っていいぞ。いい魔女っ子だった」
「ありがとうございます」
優雅にお辞儀をして、メグは教室から出て行った。
「では次は――」
「ナナシ先生、次は僕にやらせてください」
ナナシがメグの後ろに座っていた女生徒に差し棒を渡そうするのを遮って、ルキノが挙手した。
それに、ナナシが片目を閉じる。
「ほう……この後に、やる度胸があると?」
「ちょうど明日のことで、メグに話したいこともあるのでね。早く帰らせてもらおうと思いまして」
不敵に笑うルキノに、ナナシも口角を上げた。
「見上げた根性だ! いいだろう小僧、出来るものならやってみるがいい!」
漫画の中の魔王かなにかにように哄笑するナナシを見ながら、ユイは頭を抱える。
――どうしてみんな、こんなに乗り気なの⁉
かつてはお日様と呼んでいた空の光が、華麗に回るルキノに光を与える。
男なのに全力で可愛いルキノに浴びせられる歓声に、ユイはため息しかでなかった。




