君がキスをする相手
今晩のように、エネルギーを節約している日がある。
エクアの機械すべての動力源は、地下に溜められているマナというエネルギーだ。マナは再利用がしやすく、有限資源とはいっても、施設をしっかり稼働させていれば、半永久的だと言われている。それでも、常にフルパワーでは施設の再生産が滞ってしまうらしい。そのため、週に一度くらいの頻度であるが、光源が減る。本来ならばあまり喜ばしくないのだが、一部の人たちには歓迎されていた。
誰にもバレないよう、恋人たちが秘密の逢瀬を重ねるのだ。
そんな場所に最適な、いつもより暗い噴水公園には誰もいなかった。今日は鈴虫のロボットすらおらず、聴こえる音は噴水から流れる水の音のみ。
その近くのベンチに、またユイは一人で座っていた。特に何するわけでもなく足と腕を組む。そして、まばらに置かれた伝灯の無機質な明かりの中、暗闇の中でうっすらと変わりゆく水面の黒いコントラストを眺めていた。
しばらくすると、水面の動きが速く、大きくなった。黒い塊がどんどんと大きくなり、それはゆっくりと這い出てくる。
ぴちょ……ぴちょ……。
外套の裾から覗く足は、予想通りの便所サンダル。
「せめて靴下くらい履いたら? 寒そうよ?」
「履くわけなかろう。風情がない」
「あんたの風情、さっぱり理解できないわね」
目の前までやってくると、彼は外套のフードを外した。街灯に照らされた白髪が、輝いているように見える。その中で、薄い唇が狡猾に引き上げられていた。
「ここに来たということは、世界を滅ぼす覚悟が出来たのだな?」
「とりあえず、もっと具体的な話も聞いてみようかと。えーと……先生?」
どう呼べばいいか悩んで、とりあえずユイは役職を選んでみる。
しかし、彼は不満げに首を振った。
「私は、貴様のくれたナナシという名を、とても気に入っている」
淡々と答えるその男に、ユイは眉をしかめた。
「あれ、本当にいいわけ? あんた、本気で名無しのナナシさんなの?」
「そうだ。なかなか的を射ていて、私は気に入っているぞ」
「そ……そりゃあ、良かったわ」
「うむ、感謝する」
余計に目がキラキラしているナナシの顔を見て、ユイは呆れて嘆息した。そして、仕切り直しとばかりに、髪を掻き上げる。
「じゃあ――もうこの際、敬称も付けないからね、ナナシ。どうやってエクアを滅ぼすのよ?」
「こちらも、あんた呼ばわりを一向にやめない貴様に礼儀だなんだを求める気にもならんがな――魔法だと、言ったではないか」
「魔法って、手から火が出たりするようなやつのことよね?」
ユイが首を傾げると、ナナシは手の平を上にして、ユイの前に差し出す。
「しようと思えば、なんだって出来るな」
そう言った瞬間、その手の上には、青白い炎がボォっと飛び出して。
「わっ!」
顔に感じた熱気に、ユイは慌てて仰け反った。ゆらゆらと揺れる手のひらサイズの炎は、どの角度から見ても、不自然な点はない。もちろん、彼がライターなど発火装置を持っているわけでもなく、彼の手の下にも何もない。種も仕掛けもわからない。だけど起こる不可思議な現象。
――手品でなければ、魔法よね。
何かに魅入られるように、ユイはその炎に触れそうすると、
「愚かめ!」
ナナシは叫んで、その手を握る。青い炎も握り潰されるように消えた。
「指を失いたいのか! 青い炎は赤いものより温度が高いということを、知らんわけではなかろう!」
「あ……ごめんなさい……」
思いがけない強い叱責に、肩を竦めるユイ。それに、ナナシはやれやれと首を振って、
「これで魔法の存在を信じることは出来たか? まぁ、そもそも貴様は今日だけで二度使っているんだけどな」
「やっぱり、あの副生徒会長の時のは……」
「あぁ。校舎ごと吹き飛ばしたのは、紛れもなくエクアージュ。貴様だ」
自覚はあった。自分の中から、何かが溢れ出るような感覚。手で操るように、絶対的な熱量が広がる重圧感と充足感。そして、誰かを殺したなんとも言えない虚無感とわずかな罪悪感。
だけど、ユイは首をひねる。
「ん? 二回……?」
「クラスメイトの髪を燃やしてただろう?」
「あー、そんなこともあったわね……て、あの時私、本当に無自覚よ? スッキリしたけど」
「まだコントロール出来るほどの魔力は譲渡してないからな」
「いつの間に?」
ナナシは無表情を変えなかった。
「キスしただろう、昨晩。まぁ、途中で拒まれてしまったから、そんな中途半端な能力しか発揮出来ていないのだろうが」
後半は、ユイの耳には届いていなかった。
――忘れてた……。
昨日の自暴自棄だった時に、いきなりナナシにキスをされていたのだ。ユイはそれを思い出し、顔を自分の髪で隠して俯く。そんなユイを見て、ナナシは腰に手を当てて嘆息した。
「なんだ。いまさら恥ずかしがっているのか? 親とキスしたことぐらい、何回もあるだろう。情のない相手など、それと対して変わらんではないか」
「そりゃあ、父さんから小さい時にイヤってくらいされてますけど……でも……」
小さくうねうねと拒むユイに対して、その男は言う。
「ごちゃごちゃ抜かすのは勝手だがな。だが、世界を破滅させるには、魔法の力がなくては不可欠だ。魔力の譲渡には粘膜接触が最適。よって、今からきちんとしたキスをする――貴様に拒否権はないっ!」
あまりに強い語意に、ユイがポカンと顔を上げる。だけどやっぱり、ナナシは真顔だった。
「……もしもやっぱり、そんな滅茶なことやめるって、私が言い出したら?」
「貴様はそんなこと言わない」
「その根拠は?」
「エクアージュだからだ!」
――だから、それは誰だって……。
ユイがそう言い返そうとした時、ふと道の向こうから誰かが話しながら歩いてくる。
「隠れるぞ」
声を潜めたナナシが、ユイの腕を引いた。連れて行かれるまま、街頭の光が届かない木々の隙間に身を隠し、「警備員?」とその正体を覗き見る。
そして、噴水のそばで足を止めた二人に、ユイは息を呑んだ。
見覚えのある二人だった。
散々見てきた、二人だった。
夜の街灯に照らされて、いつも以上に金髪を輝かせている長身痩躯の生徒会長。
二つくくりの髪を下した姿が、いつもより大人っぽい赤髪の小柄な少女。
私服に着替えた彼らが話している。
「君は本気なのか? 僕としてはもちろん、君の申し出は嬉しいのだけど……君はユイの友達だろう?」
「本気だよ。友情と愛情なんて、天秤にかけるものでもないでしょう? 友達と結婚できるわけでもないし」
「それはそうだけど、でも――」
「ルキノ君、あたしのこと好きなんでしょ?」
詰め寄るように問いかける彼女に、彼は一瞬間を置いてから、
「……あぁ。あの時言いかけた通り、僕は――」
「なら、あたしの全部をあげるよ」
最後まで言うよりも早く、彼女は彼の手を取り、自分の胸へと押し当てた。
「あたしは、ルキノ君のことが好き。だから、ルキノ君が望むもの、何でもあげるよ――名誉も、地位も、人脈も……もちろん、あたしの身体だって、ルキノ君が望むのなら、なんだってあげる――だから、あたしの彼氏になってほしいの」
「メグ……」
そこで、彼女は目を閉じた。彼の腕を支えにして、つま先立ちで顔を上げる。
そんな光景を目の当たりにして、
――よりにもよって、居合わせなくてもいいじゃない!
そう思いつつも、ユイは二人から目が離すことができなかった。何も考えられず、ただ、目の前の事実を受け入れるのみ。
しばらくすると、二人の距離が近づいた。手と手を取り合い、その距離を近づけて。
その直前で、ルキノの口が少し動いていた。それに、メグはコクリと頷いて――そして、二人がキスをした。
絵本のような光景だった。真夜中にようやく出会えた二人が、愛を確かめ合う。そんな、ロマンチックな光景を目の前にして、ユイはその濡れ鴉のような瞳から、一滴の涙を零した。
少し屈むルキノの影が、優しかった。
震える足元のメグの影が、健気だった。
二人の顔が離れて。だけど、お互いがお互いを見つめていて。
どんな顔をしているのか、滲むユイの視界では捉えることができない。
――私は、あんなに好きだったのに。
だけど、二人はキスをした。
――私が、こんなに好きだったことを、知っていたのに。
それでも、彼女はルキノに告白をした。
自分が、一体何をした。
自分が、どんな悪いことをした。
好きで、黒髪で生まれたわけではない。
好きで、虐められているわけではない。
好きで、フラれたわけではない。
好きで、裏切られたわけではない。
世界は、どうしてこんなにも不条理なのだろう。
世界は、どうしてこんなにも不平等なのだろう。
世界は、どうしてこんなにも理不尽なのだろう。
だけど、それをどんなに悲しんでも。どんなに悔しく思っても。
誰も、助けてなんかくれないから。
「さぁ、エクアージュよ。貴様はどうする? こんな世界で一人悲しく生きていくのか? それとも――」
――もしも、神がいるのなら。
「そんなの決まっているじゃない」
ユイは鋭くその名を呼ぶと、傍にいる彼の黒い外套の胸倉を手繰り寄せる。
空いている手で、彼の頬に触れて。ユイはナナシの唇に、唇を合わせた。
唇が、やっぱり冷たかった。甘くも、苦い吐息がユイに中に流れてくる。
流れる涙を押し込むように、ユイは目を閉じた。
神様なんて、信じない。そんな、今まで何もしてくれなかった架空の存在なんて、信じる価値なんかない。だけど、それでも。
――こんな世界を、壊してください……。
その瞬間、ユイの中から溢れだす。憎しみを乗せたうねる風が、彼らを目指す。絶望を露わにした凶刃が彼らに迫り、その首を狙う。
とっさに気が付いたのは、ルキノだった。
「危ない!」
ルキノはメグを手繰り寄せ、その胸に抱きかかえて。膝を折る。
彼らの頭上を、風は通り過ぎ。
ビュンッッ!
噴水の頭が、斜めに滑り落ちる。そして、盛大な水しぶきを上げて、水の中で崩れた。筒を途中で失った噴水は、ただ憤りを示すかのように、水を無秩序に吹き出していた。
「なんだ、一体……」
その水しぶきを浴びながら、ルキノは呆然と斬られた噴水を眺める。
「ルキノ君……」
「あ、メグ。怪我はないかい?」
「うん、おかげさまで」
「それは、良かった」
彼の胸の中で顔を上げるメグに、ルキノは優しく微笑んでいた。
眩しい彼らを木陰で睨みつけながら、
「死ねばよかったのに」
ユイは声に出して毒づく。ルキノたちは、壊れた噴水のそばにいるのだ。暴水の音に遮られ、ユイたちの声は聴こえないだろう。ずぶ濡れになりながらも、無事なことに安堵する彼らを視線に入れながら、ユイは舌打ちする。
「今の魔法について、感想は?」
「狙った相手を殺すのも、案外大変なのね」
――テロリストはあっさり死んだのに。
昼間見た二つの真っ黒な死体を思い出しながら、ユイは顔を上げた。
「ねぇ。あんたが噴水から出てくるのも、魔法なの?」
「無論だ。空間転移の簡易版だな。その場の水を利用して、分解した身体を再構築している。体組成のほとんどが水分なのは知っているだろう。その分手抜きが出来ているというわけだな」
「じゃあ、別にずぶ濡れにならなくても、転移できるんだ?」
「可能だが、かなり難易度は高いぞ。今の貴様には、到底ムリだろう。身体が分解だけしてそのまま死ぬ」
「つまり、訓練すれば出来るわけでしょ」
そして、ユイは小さく笑う。
「いつか、その寝首を掻っ切ってやる」
黒くなんて、殺さない。
自分と同じ色なんかにさせやしない。
――真っ赤な鮮血に塗れた、無残な死に顔を見てやるんだから。
「エクアージュよ」
「だから、そのエクアージュって何?」
「世界を破滅させる覚悟は、できたのか?」
ナナシの真剣な眼差しで問われた質問に、ユイは口角を上げながら、髪を掻き上げた。
「どうせ、神様なんていないからね。こんな私に優しくない世界なんて、自分で滅ぼしてやるわ」
広がる黒い髪が星のない夜に馴染む中、ユイはまばゆい彼らに向けて、指を鳴らした。
もう、ビンタなんかで許してやらない。
失恋した悲しみも、裏切られた憎しみも、救いのない世界に対する失望も。
ユイはパチンッと、あの時にも似た音で世界に宣言して、大きく髪を翻す。
視界の先は真っ暗な闇。夜の深まる影の向こう。
ユイの隣には、ぺちょぺちょと歩く黒い外套を着た男が、憮然とした態度で並んでいる。
――滑稽すぎて、これからが楽しみだわ。
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こうして、私は魔女になった。今も、この決断には全く後悔していない。
だって後悔したところで、私を救ってくれる神様なんて、この世にいやしないんだから――。




