「ありがとう」の、その後に
――どうしてこうなった⁉
ユイたちが教室の扉を開くと、ずいぶんと雰囲気が変わってしまっていた。
円形に並べられていた机が、一定方向を向いて升目のように整列しており、教室の中心でクラスメイトが全員集まっている。
そして、ドシャンと何かが壊れる盛大な音が響いた。
「ほら、これで軽くなっただろう?」
そして、生徒の間をすり抜けて出てくるのは、あの便所サンダルの男だった。先程の違いといえば、長い丈の白衣を羽織っており、それがまるで教師のように似合っている。
「エクアージュよ、今時の学生はたるんでおるな。あの程度の機械すら持てないとは」
人の隙間から見えたのは、砕かれた鉄くずの山だった。なんとなくの形から、教室の中央に設置されていた立体映像投影機だと推察するも、ユイは眉をしかめた。
「え……あれ、あんたが壊したの?」
「あんたではない。ナナシだと貴様が名付けたのだろうが」
ナナシはそう不満を口にしてから、「うむ」と頷く。
「これからは私が教鞭をとる以上、不要な物だからな。片付けるように指示をしたのだが、重いから運べないなどとつべこべ抜かすので、寛大な私がペシャンと壊してやったのだ」
そう言いながら、ナナシが足で踏みつけるような動作をする。どうやら、便所サンダルを履いた足で踏みつけて、壊したようだ。
立体映像投影機は繊細な機械とはいえ、そうそう壊れる代物ではない。なにせ、どんな学校でも使われている機械なのだ。ボールがぶつかろうが、生徒が体当たりしようが、故障しない程度の耐久性は保証されている代物である。そのため、重量もそれなりであり、素手では男が何人集まったとて、動かすことは困難なのは当然の摂理というもの。
――あれ、でもこいつなんかおかしなことを言ったような……。
その違和感に、ユイはマジマジとナナシを見つめてから、
「気のせいかしら? 今、『これからは私が教鞭をとる』とか言わなかった?」
「いつまで夢を見ているのだ、エクアージュよ。ほんの数秒前の会話すら覚えていられないなら、一度病院に行くべきではないのか?」
「……通常の人間は、信じたくないことは自然と聞き流すように出来ていることを知らないの?」
「私をそんな自ら下等であろうとする奴らと一緒にしないでもらおう。だが、どうしても信じられないというのなら、証拠を見せてやらんでもない!」
教室が静まり返っていた。誰もが、息を呑んでいるようである。
その中で、ナナシは首に下げた身分証らしき物をユイに示した。顔写真、氏名、ナナシ=伝説。所属、軍事クラス最高学年担任。年齢、不詳。冗談のような内容も含め、しっかりとエクラディア学園公式の身分証には、しっかりと認証コードが刻まれている。
「嘘でしょ……?」
「私の過去の経歴と実績、そして今しがたの活躍、挙げ句に担当職員の不運な死去による不在――これらのタイミングと私の善意に嘘があるわけなかろう。これ以上失言を続けるというのなら、たとえエクアージュといえど容赦はせんぞ」
金色の冷たい眼差しが、容赦なくユイを責め立てる。助けを求めようにも、他の生徒もナナシの雰囲気に呑まれ、先に戻っていたルキノすらも唖然としているのだ。ユイは嘆息するしかなかった。
――伝説な変人も、伊達じゃないということか。
その流されるがままの中、ルキノがいつになく不安げに手を上げた。
「あの……ではあなたが新しい担任だということは譲るとして」
「譲ってもらわなくとも、それが事実なのだ」
「……今しがたの活躍、という部分を説明してはいただけないでしょうか? 今の事件のことですよね? ユイや僕が巻き込まれている以上、最低限のことは教えていただいても宜しいでしょうか? それこそ、その話によって、僕らのあなたを見る目も変わるでしょうし」
その提案に、ナナシは再び「うむ」と頷いて、
「貴様のわずかな嫌味が気に障らないわけではないがな。確かにいきなり初対面の相手に教えを請うというのも、不信感があるだろう。わかった、交流の一環として、今の私の活躍を説明してやろうではないか――では、隅っこで小さくなっている坊主よ! いつまでも泣いてないで、事のあらましを説明したまえ‼」
「ぼ、ボクッ⁉」
ナナシの一瞥が、教室の隅に向いた。その先には、膝を抱えた後輩が、真っ赤にした鼻を啜りながら驚愕の顔を上げている。
「あ、坊っちゃん無事だったのね」
「アンドレ、まだここにいたの?」
ユイとメグが同時に声をかけると、彼はヨレヨレと二人に近づいてきた。
「く、黒髪の乙女よ……無事であったか……?」
「えぇ。見ての通り、何事もなく」
「良かった……このアンドレ=オスカー、そなたに何かあったらと……」
「大袈裟」
ユイが噴き出すように笑うと、涙をポロポロと流していたアンドレの顔が少しだけ晴れる。しかし、彼はキッと顔を引き締めて、自分の胸を叩いた。
「だが、油断はするでないッ! 後遺症は後から出てくるから後遺症というのだ。もし何かあれば、遠慮せずアンドレ=オスカーに申告したまえ。オスカー財閥の威信に賭けて、この恩に必ず報いる所存だッ!」
「はいはい。何かあったら、医療費はしっかり請求させてもらうわ」
そう笑ってメグと顔を見合わせると、彼女も苦笑しながら肩を竦ませてから、
「こんなアンドレで申し訳ないけど……改めて、あたしからもありがとね」
「いえいえ。こっちも、さっきは八つ当たりごめん」
「何のことか覚えてないや」
そう言って笑い合っていると、ナナシからの「坊主っ‼」という叱責に、アンドレは「はひッ⁉」と身体を強張らせて、オズオズと輪の中心へと歩いていった。そして、鼻をズズーッと啜ってから、アンドレは大きく口を開いた。
「では僭越ながら、このアンドレ=オスカーから説明させていただこう――と言っても、ボクも全て把握しているわけではないが、それで宜しいのか?」
それにナナシが無言でコクリと頷いたのを見て、アンドレは深呼吸した。
「では――事の発端は今朝、ボクが一仕事を終えて清々しい気分で授業に向かおうとしている時だった! 普段あまり立ち入らない倉庫の前で、その……とある知人が蹲っていたのだ。心配したボクが駆け寄った所、彼はまさか爆弾を仕掛けているではないかッ⁉」
とある知人、とアンドレはぼかす。生徒会の仲間がテロリストだったことが認められないのか、あるいは彼の人権のようなものを尊重したいのか。クラスメイトから「副会長って言ってなかったっけ?」という声がチラホラ挙がるものの、特に大きく追及する声はない。
けれど、アンドレの説明は一人で白熱する。
「ボクは迷った。しかし逃げなかったッ! 人間、罪を犯してしまうことはある。だが、それを悔い改め、償うこともできるッ‼ ボクは懸命に説得しようとしたが、彼は目撃者であるボクを消そうと――したものの、そこに救いの手が現れた。それが――」
「私だあああああああああ!」
アンドレの教室中に響き渡っていたその声を、さらに掻き消して仁王立ちのナナシが叫んだ。
「絶妙なタイミングで現れた私は、即座にそこの坊主を助け、爆弾を回収した。が、テロリストは諦め悪く突っかかってくる。そのまま倒すことは容易だったが、不幸だったのは、そこに貴様らの従来の担任が現れたことだ。大した力もない老体が、偉そうに出しゃばってきた結果、騒ぎが大きくなっていった。とりあえず人命を優先しようと爆薬を坊主に持たせ、二人を無理やり昇降機に押し込んだものの、すでにそこにも爆薬が仕掛けられており……その後は想像付くな、エクアージュよ」
出番を奪われたアンドレが、所在なしに口をパクパクさせていた。
――だから、エクアージュって誰よ。
そう言いたくなるのをグッと堪えて、ユイは腕を組み、口を開く。
「机を運んでいた私と鉢合わせ。昇降機が爆破し、階段で追いかけてきたテロリストと再び遭遇、そして私が捕まったと。ところで、坊っちゃんが『化け物が』て度々言ってた気がしたけど、それってテロリストのこと?」
「それは――」
ユイの質問にアンドレがパッと顔を晴れやかにして説明しようとするも、
「不本意ながら、私のことだろう」
結局、喋りだしたのはナナシだった。アンドレはショボンと眉をしかめて、コクコクと頷いている。
「小僧も見ただろうが、私は強い。かつて伝説と呼ばれたのは伊達じゃないということだ。ただ鍛錬を積んだだけなのだがな。まぁ、この程度の機械すら運べない者共たちからすれば、想像以上の強さにそう言ってしまうのも、仕方のないものだろう」
「まぁ……対テロリスト軍を目の前でちぎっては投げているのを見せつけられては、『化け物』と呼びたくなるのもわかりますがね……」
嘆息しながら補足するように話すルキノに、ナナシは満足そうに頷いた。
「確かに小僧ごときではたとえ天と地がひっくり返ろうが、エクアが滅びようが、私の足元にも及ばないだろうが――エクアージュが捕まったものの、爆弾を持った坊主の安全を優先した私はとりあえず彼を安全な場所へと送り届け、テロリストの後を追った。事前に自動警報装置も切られていたようだしな。エクアージュと会うよりも前に政府警察へ出動要請を出していたが、あまりの小規模さに辟易として、思わず鉄槌を下した隙に、小僧がテロリストが逃げ込んだ旧校舎へ侵入。屋上で追い詰めたテロリストが、隠し持っていた爆弾で自爆したというわけだ」
――自爆……?
そんなわけはない。明らかに、テロリストの副会長はそんな校舎を吹き飛ばすような高威力の爆弾を持ってはいそうになかったし、自爆するようなことすら言っていなかった。そもそも、そんな最新兵器並みの威力を持つ爆弾を持っていたとしたら、それに比べてチンケなレベルのユイの爆弾など、使うものだろうか。
ユイがルキノに視線を送れば、彼がそっと口元に人差し指を当てる。
――黙っておけ、ということか。
確かに、ここで追及したとしても面倒になるだけだし、そもそも、あの爆発がなんだったのか、ユイ自身もわかっていない。
――もしも、本当に魔法だとしたら……。
あの時聴こえた幻聴のような声は、今偉そうに話しているナナシのものだった。
そして、ナナシは昨晩、ユイに魔法の力で世界を破滅させよう、などと誘ってきている。
――こいつ、本当に何者なの?
ユイがナナシを睨みつけると、彼はニヤリと口角を上げた。
「後は大したことはない。追いついた私がギリギリのところで二人を助け、今に至るというわけだ。テロリストの攻撃を完全に防げはしなかったものの、被害者はテロリストと教師の各二名。旧校舎も取り壊し予定だった物。被害を最小限で済ませ、かつ前々から講師として誘いを受けてきた私が、亡き講師の後を継いだとしても、何もおかしな点はないというわけだ! では、これより質疑応答に入ろう。質問があるものは挙手するがいい!」
ナナシの申し出に、少し、また少しと手が挙がる。その細かな質問に、ナナシが端的かつ強引に答えていった。
――なんか、無理やりな気もするけど。
そんな中、ユイは決して手を上げない。公で聞いてはいけないような気がして。これ以上、踏み込んではいけないような気がして。この無理矢理な説明が、自分にとって最善なのような気がして。
たまに目の合う金色の瞳が、黙っていろと告げているような気がして。
そんな時、ユイの横に立っていたメグが、チョコチョコと動き出した。どこへ向かうのかと思いきや、教室の真ん中でイジケて膝を抱えているアンドレの元ではなく、少し離れた場所で腕を組んで考え込んでいたルキノへと近づいていく。
そして、質疑応答の合間から、メグの声がユイの元へと届いてきた。
「さっきの話だけど、もし本当だったら、あたしとお付き合いしてくれないかなぁ?」
――え?
目を見開いたユイは、呆然と胸元の黒いリボンを掴んだ。




