とある弟がいるからこそ
◆ ◆ ◆
――あの忌々しい女めっ!
ユイたちが情報管理室から出ていった後で、モナはグローブ越しに親指の爪を噛んだ。
敗北感。そして危機感。
あの女の勝ち誇ったような笑みは、まるで背後からナイフを突きつけられているようだった。
共闘なんて甘い言葉を吐いておきながらも、ようは単純に自分を脅しに来ただけなのだ。
自分の邪魔をすれば、いつでもお前の弟を殺すぞ――と。
「だいたい、ブライアン社の襲撃に反政府組織が協力するわけがないじゃない」
調査報告によると、ランティスでの事件の際、反政府組織とブライアン社で共同開発した大型新兵器を破壊したのは、彼女の不可思議な力だったという。後日提出された報告書によれば、伝説の異名を持つナナシ教諭との共同開発による未完の新技術によるものとされているようだが、それからその新技術とやらの研究発表はなされていない。
――考えるまでもなく、その新技術って『魔法』じゃない。
そんな力を今もアッサリと使いこなして、厳重な管理室の扉を吹き飛ばした彼女は、無論この二つの組織が裏で手を結んでいることなど、容易く想像出来ているだろう。
それなのに、あんな打診をしてきたのだ。
「馬鹿にして」
そうとしか考えられない長い前置きの後に、ついでのように告げて去っていった女。
――しかも、私の可愛い弟を……。
その時、モナの小型通信機に連絡が入る。そのメールを確認して、モナはますます顔をしかめた。
混乱を起こし、それに乗じて逃げた実験体を始末するための強襲が、失敗したという連絡。しかも、被害多数。その場から逃げ出せたのは報告を寄越した一人だけで、後は全員一人の学生に撃ち殺されたのだという。
「なんですって……」
――あの女がここに来る前に……。
モナが聞いている話によると、極めた魔法の力は全能の近いとのこと。
襲撃を一網打尽にした直後に、ここまで超短時間で移動してきた可能性を想像しつつ続きを読み進めたモナは、
「は?」
と、思わず目を丸くする他なかった。
一人の男子学生が、他の学生や患者の安否を全く厭わず、奪った機関銃を乱射したという。
それによる学生、患者被害も当然発生。だかしかし、メサイアで当初予定していたよりも被害は圧倒的に少なく、死亡者もいないのが奇跡的だということ。
「そんな人間離れした生徒……」
そう逡巡しかけた思考は、すぐさま停止した。
モナは小型通信機のユーザーをプライベートに切り替え、唯一登録されている人物にメールを送る。
『病院でのテロに巻き込まれたと聞きました。無事ですか?』
それは、弟に送る安否確認するための短い文章。モナは祈りを込めて、その送信ボタンを押す。
メサイアとしても、極力学園生徒には被害が出ないように指令は下していた。表向きは、今後の活動への影響とランティスの時の悪魔を極力刺激しないため。一番の本音はもちろん、弟の身の安全のため。俊敏さや隠密行動には向いているようだが、残念ながら弟の成績はあまり良くない。無事に進学出来ているのも、モナがヒッソリと勉強を教えているからこそだ。そもそも、バイトに勤しむ時間も多く、本人が勤勉と言えない生活を送っているせいでもあるが。
ともあれ、今回の作戦も失敗した。
このままモナが強行し、例の実験体の排除だけでも遂行してもいいのだが、弟を盾に取られて、あの魔女と悪魔を相手するだけの実力も作戦もない。
この情報管理室で逃走経路の確保と、仕留め損ねた際の実験体の隔離場所、そしてその場所への侵入経路と必要パスワードの入手を図っていたのだが、一先ず自分も撤退し、新しい手立てを考えた方がいいだろう――そう腰を上げた時だった。
思ったよりも素早い返信に、モナは慌てて小型通信機を見る。
『無事無事! なんか寝ている間に全部終わっててビビったけど、ルキノっちが頑張ったみたい! 俺も友達もみんな元気だから安心して』
――ルキノ?
緊張感のない文章に安堵しつつも、文面に上がっていた名前に、モナは少しだけ眉間を寄せた。
ルキノといえば、実験体の実の兄である。
学園での成績も全てにおいてバランスよく優秀で、総合成績でいえば学年トップの特待生だ。ランティスでの暴動の時にも、仲間を指揮しつつ、乱闘の中生き延びるだけの実力をアピールしていた。
だけど、それでも彼はあくまで一般の優良学生。反政府組織のように暗躍するための特別な技術を身に付けているわけでもなければ、あの魔女や悪魔のような規格外の力を持っているという報告もない。兄の話は実験体からもたびたび聞いていたものの、ただ人より少し頭が良いというだけだった。少なくとも、実験体の実験結果からしても、遺伝的に魔法の素養は限りなく低く、その力はないはずである。
その彼が、反政府組織の特攻隊十数人を一人で全滅させたという。
弟を危険から守るために、身体を張った――それにしても、彼はまだ怪我が完治していないはずだし、そもそも他の犠牲を顧みずに機関銃を乱射するような無鉄砲な人物だとは考えにくい。
――彼についても、少し調べてみる必要があるかしら?
「利用するにしても、始末するにしても、早めの方が――ね」
一人愚痴て、モナは管理室を出ようとする。
閉める扉はない。指紋もグローブで残していない。もちろん監視カメラなど、邪魔なものは潜入と同時に排除している。
「けど、一番恐ろしいのは……」
モナは立ち去る前に、一度だけ振り返った。
この部屋にあるのは、管理のための機器だけではない。この場で働いていた病院従業員たちの死体も転がっていたのだが、
「あの子、何の反応もしていなかったわね」
無断に倒れる哀れな被害者たちを一瞥して、彼女は静かにその場から立ち去った。




