たとえフラれた後だとしても
◆ ◆ ◆
目の前で、ルキノが倒れた。
状況を把握するよりも早く。彼がなぜ自分の名前を呼んでいるのかさえわからず。
肌を茶色く染めたボロボロのルキノが、真っ赤な血を流して倒れたのだ。その足元には、見覚えのある赤い殻が転がっている。
「ルキノ――――っ‼」
ユイが駆け寄りたくても、それは叶わなかった。
よくわからない男に押さえられ、力で敵わないユイは、ただジタバタとすることしか出来ない。
そんなユイを見下ろして、その男は笑っていた。
「ははっ、滑稽だな! そして……ムカつく女だ!」
そう吐き捨てて、男はユイをルキノの方へと押し飛ばした。
これ幸いと、ユイは急いでルキノに駆け寄る。全身に火傷を負い、とっさに庇ったであろう四肢からは血もとめどなく流れている。辛うじて浅く息はしているものの、いつまで保つかはわからない。
「きゅ……救護を‼」
「馬鹿か」
助けを求めるユイは笑い飛ばされ、その足元で弾丸が跳躍する。ユイは顔をしかめたまま、振り返った。
記憶が、少しずつ蘇る。
この男はこの学園の副生徒会長で、アンドレを襲っていて、反政府組織のテロリスト。焦げ茶色の髪が、風でなびいていた。
「前々から、お前も気に食わなかったんだよ……どうして、黒髪のくせにそんな堂々としてるんだよ⁉ 親が金持ちだからか? 生徒会長に気に入られてたからか? 俺よりも髪が黒いのに……どうして、お前の方が幸せそうに生きてんだよっ‼」
膝をついたままのユイは、そんな男を見上げて、目を細める。
「……卑屈自慢してるんじゃないわよ」
「だけど、それも今日で終わりだなぁ? お前の持っていた爆弾で、大好きな王子様は死んだんだぜ? 皮肉なものだな。お前の護身用とやらで、守ってくれてた男を殺すなんて」
「まだ死んでないっ‼」
ユイは立ち上がる。
目の前のこいつがテロリストだろうが、なんだろうが関係がなかった。
ルキノが、目の前で苦しそうに倒れている。助けるためには、早くここから連れ出さなければならない。
そのためには、こいつが邪魔だった。
一陣の風が、ユイの漆黒の髪を大きくなびかせた。
「邪魔、しないで」
「そんなお願い、聞くわけないだろ?」
男が、両手いっぱいのカラフルなボールを取り出した。それは、ユイにとってとても見覚えのあるもの。毎日空いた時間にコツコツ作っていた爆弾だった。
「物騒なもんは持ち歩くもんじゃねーよなぁ? けど、本当勿体ねぇ。これだけの技術、エクアのためなんかじゃなくて、始めからメサイアのために使っていればいいものを」
「怪しげな宗教団体なんかに、興味ないんだけど」
「同じ異端者なのに、どうしてこんなにも違っちまったんだ……なぁ? 今からでも遅くはないんだぜ? メサイアに入団しないか? そんな派手なだけのクズを庇っても、何にもならないだろう」
「断るっ‼」
ユイは言い切って、髪を掻き上げた。
「好きな人すら庇えないような、情けない女になんかなりたくないもの!」
たとえ、昨日フラれたばかりだとしても。それでも、ユイの想いは冷めきらない。ひどいフラレ方をして、その綺麗な顔を引っ叩いてやったとしても。それでも、ユイの想いは冷めなかった。
いじらしい夢を見たから?
今日もイジメから庇ってくれたから?
今も、助けにきてくれたから?
だけど、そのどれもなかったとしても、自分の気持ちが変わっているとは思えなかった。
――その程度の気持ちだったら、告白なんてしてないわよ。
その意地こそが、ユイの支え。
その見栄こそが、ユイの誇り。
「こんな見せかけだけの奴が、何してくれるっていうんだ?」
たとえ、それを嘲笑われたとしても、
「メシア様だか神様だかってのより、何倍もカッコイイわよ」
――だって、神様なんていないもの。
世の中に平等なんてない。
どんなに頑張ったって、幸せになんてなれないし。何も報われることはない。
生まれながらに環境が同じなわけはないし、見た目や能力だって千差万別。良し悪しを加味したところで、ゼロになるなんてことはあり得ない。
「私はルキノのことが好きだし、そんな私のことが大好きだわ」
信じる信じないのは、個人の勝手だ。
だけど、とりあえず今は、そんなことを信じたところで、ルキノは助からない。
「じゃあ、死ね」
冷徹な言葉と共に、一斉に投げ出されるカラフルな爆弾。
ユイの手には何もない。攻めるべき武器も、守るべき防具も、何もない。
持っているものは、ユイ自身の身体のみ。
――ルキノ……‼
ユイは怯まず、倒れるルキノの前に立って両手を広げる。長い髪が爆風によって羽のように大きく広がった。目の奥が乾く。肌がチリチリする。喉の奥が熱い。それでも、ユイは力を緩めることなく、その場に立ち続ける。
視界が白くなった。
意識が遠のきそうになったその瞬間、聞き覚えのある声がどこからか聴こえた。
「貴様は今、何を求める?」
――力が欲しい。
ルキノを守れる力が。
自分を誇れる力が。
目の前の不条理を吹き飛ばす力が。
「魔法とは、想いの力だ。貴様が願ったこと、想像したことが、自らの思考の元、現実となる力だ――もう一度、問おう。貴様は今、何を求める……エクアージュよ!」
――誰よ、エクアージュって!
赤と白が明滅する爆発の中で、ユイは小さく笑った。
思わずツッコみたくなるそんなことが、今は心底どうでもいいから。
魔法なんて、それこそ神様と同次元で非現実的なことが、今は猛烈に恋しいから。
たとえそれが、神様なんだというのと、皮肉程度の違いしかないのだとしても。
――それで、ルキノが助かるなら……。
音が聴こえなくなった。
その中で、ユイが指を弾いたのは何となくだった。
唯一聴こえたその音が、彼の頬を叩いた時の音に、とてもよく似ていた。
――すべて吹き飛べ!
次の瞬間、ユイの身体の中から衝動すべてが弾け飛んだ。
異端だと苛まれてきた恨みも。理不尽な世界への憎しみも。その中で育んだ小さな恋心も。
沸騰しそうなくらい熱い衝撃が、すべてのものを吹き飛ばす。
床が砕け、より強い爆音が学園中を揺るがした。
白が世界を覆うのは、光なのか、それとも目が機能しなくなったからなのか。
崩壊と破滅の間では、すべての感覚の機能を停止する。
受け入れるものは何もなく。
拒絶できるものも何もなく。
世界はその一瞬、無慈悲な白に染まる。
そして、ユイは夢を見る。
自分を庇うようにして、金髪の青年が目の前に立ち塞がっていた。
もうすでにボロボロなのに。
そうでなくても、もう死にそうな状態だったのに。
爆発の炎が迫る中、一瞬振り返った彼は微笑を浮かべていた。
『大好きだよ』
そして、彼は弾け飛ぶ。
真っ赤な鮮血に四肢が吹き飛び、その顔が、その身体が、無残な肉片となって四散した。
彼の血肉を全身に浴びて、跪くユイは声を発することすら出来なかった。
爆発が止んでも、もう彼はどこにもいない。
どこを見渡しても、彼はもう笑いかけてはくれない。
無慈悲なまでに真っ青な空の下、少し冷たい風が粉塵を吹き飛ばす。
嫌味なまでに清々しい天気の下にも、もう彼の部品しか転がってはいなかった。
真っ赤な海に佇む中、ユイは一つの丸いボールを見つける。
自分が作った、そしてたまたま今爆発しなかっただけの緑色のボール。
ユイは真っ赤に染まったその手で、彼の瞳のようなボールを拾った。
そして、それを胸に抱きしめて、
「ルキノ……」
彼の名を最期に呼んで、ユイはそのスイッチを押す。




