世界を破滅させるきっかけ
私の大好きな男の子と、私の大好きな女の子が、キスをしていた。
ロマンチックな夜空の下、その素敵な光景を見届けるのは、噴水にそびえる女神像。そして、物陰に身を潜めている私と童話に出てくる魔王のような男。
男の子から、昨日フラれたばかりだった。
女の子とも、他のクラスメイトとの恋バナで盛り上がったばかりだった。
――なのに、どうして?
絶望が、私の視界を黒く染めていく。
髪や目の色だけでなく、私の世界までも黒く染まっていく。
その中で、私を見下ろす男は告げた。
「さぁ、エクアージュよ。貴様はどうする? こんな世界で一人悲しく生きていくのか? それとも――」
「そんなの決まっているじゃない」
私は男の襟首を手繰り寄せて、その冷たい唇に口づける。
男が言うには、これで魔法の力が手に入るという――たとえ、これが初めての行為だとしても、そんな価値の無いものにこだわる気持ちは毛頭も残っていなかった。
ただ、壊したかった。
目の前の幸せな光景を、破壊したかった。
そして、私は大好きだった人たちへ向けて、指を鳴らす。
この不条理な世界の中で、私にわずかな幸せをくれた者たちを壊すために。
この理不尽な世界の中で、私をさらに突き落としてくれた者たちを殺すために。
私はパチンッと、破滅の音を鳴らす――――。
◆ ◆ ◆
そもそも、全ての始まりは私がこの世に生まれた時からだったかもしれない。
黒髪は、忌み嫌われる。
何百年も昔、戦争が起こる前は、黒髪の人種からこのエクアという世界の人々が迫害を受けていたらしい。しかし戦後、エクアという黒髪の人種から逃げ延びて出来た世界では、数少ない黒髪が逆に迫害されることになったのだという。
だけどそんなの、私には関係のない話だ。その時の私は生まれて四年と少し。そんな昔のことなんて、はっきり言って知ったことではなかった。
それなのに、父さんは言った。
「私の子供として、生まれたばかりに」
お使いをしようと思っただけだったのだ。仕事で忙しい両親の代わりに、なくなったミルクを買って来ようとしただけだった。そのお店は、家から目と鼻の先。まだ五歳に満たない自分でも、一人で出来ると思ったのだ。
それなのに、帰って来た私は傷だらけだった。長く艶やかな黒髪はざんばら。顔を含めた体中は痣だらけ。しかも全身ずぶ濡れで、ミルクの生臭さに包まれていた。
なぜなら家を出た途端、近くに住む子供に見つかり、殴られ、蹴られた。そして、諸悪の根源たる黒髪を乱暴に切られた。そのあと、泣きながらお店までたどり着き、「ミルクくだしゃい」と店員に話しかけたら、店員は笑いながらミルクを頭にかけてきた――その結果がこれである。
そして、意気消沈して帰った私に、父さんは頭を下げるのだ。
「申し訳ない」
そう言って、父さんは力強く、私を抱きしめるのだ。
全ては自分が悪いのだと、震える声で謝る父さんに、私は素朴な疑問をぶつける。
「どうして、父しゃんがあやまるの? 父しゃん、なにも悪いことしてないよ?」
それに、父さんは答えない。ただ「すまない」と謝るだけで、答えない。
だから、私から言ったのだ。
「だいじょうぶだよ。ユイ、強くなるから」
そう告げると、父さんは私を抱きしめる腕を緩める。驚いたような顔をしていた。いつも仏頂面の珍しい表情が、面白かった。
だから、私は微笑む。
「父しゃん、強いんでしょ? だったら、ユイにも強くなる方法おしえてよ。そうしたら、ユイ、誰にも負けないよね? そうしたら、父しゃんも悲しまないよね?」
それに、父さんはますます目を丸くする。だから今度は、自分から抱きつくことにした。
「ユイ、父しゃんのこと大好きだよ!」
すると、父さんが泣き出す。鼻をすすりながら、私の小さな肩に顔を埋めてくる。
「わかった……お前のことは、私のすべてを懸けて守り抜こう。たとえ、世界が滅ぶことになっても、私が死ぬことになっても、必ず、必ず、ユイが幸せになれるような礎を築いてやる」
――大袈裟だなぁ。
そう思っても、わざわざ言わない。元から、物言いが激しい人なのだ。
だから代わりに、私は父さんを強く抱きしめて、「うん」と頷く。
私は、世界に嫌われていた。だけど、両親からは、とても愛されていた。
だから、私は自分で可哀想だと思ったことはなかったし、惨めだと思ったこともなかった。
だって、父さんの腕の中は、こんなにもあたたかいのだ。
そして、その十五年後。
――あなたのことが好きです。
ただ一言を伝えるだけなのに、あれほどの勇気が必要だなんて、思いもしなかった昨日の夕方。
風になびく自分の長い黒髪が、鬱陶しかった。それを掻き上げて、私は再びルキノを見上げる。
私とは違って、少し癖のある金髪が眩しかった。放課後の校舎裏。造られた木々の間をすり抜けた暖かな光源が、まずまず彼を神々しく見せている。
そのあまりにカッコよさに、クラクラ眩暈がしてきた。制服の胸元に飾られた黒いリボンを、私はギュッと握る。もう心臓がバクバクして、口から飛び出してきそうだった。
そんな私に、ルキノは優しく微笑みかけてくる。
「どうしたんだい? いきなり呼び出して」
女子の中では身長が高い自分よりも、彼は背が高かった。その声が甘く、その笑みが凛々しい。学園の王子様と名高い彼と、この十年間ずっと同じクラスだったことは、誰からも羨ましがられる案件だった。
そんな青年に告白するために、人気のない場所に呼び出した。
いつまでも、このままでいるわけにはいかない。誰かが来てしまうかもしれない。誰かに見られてしまうかもしれない。慌てれば慌てるほど、私の口は上手く動かない。
「ユイ?」
彼は少し心配そうな声音で、私の名を呼ぶ。
それが、意を決するきっかけとなった。
「……ずっと、あなたが好きでした」
彼の碧眼が見開かれた。が、ここで怖気づくわけにはいかない。
「わ……私と付き合ってくれませんか?」
言った。言い切った。
刹那の安堵に小さく嘆息してから、私は再び顔をあげる。
すると彼はまた、微笑んでいた。嬉しそうに、とろけるように美しい笑みを浮かべて、
「そんな冗談、勘弁してくれないかい?」
ルキノは言った。
「……は?」
私は何を言われたか理解が追い付かず、疑問符を返すことしかできない。
だけど、彼はハッキリと言う。
私の黒い毛先を軽く摘まんで、苦笑を浮かべながら言う。
「今、君と付き合ったら、僕の成績に響くかもしれないだろ? 最高学年になったというのに、幼稚なこと言わないでくれるかな?」
「……幼稚ですって?」
「だってそうだろう? 今、黒髪の君と交際していると先生や他の生徒に知られたら、どうしても僕まで悪評が立ってしまうじゃないか。僕がろくな就職できなかったら、どう責任取ってくれるんだい? まさか、君が養ってくれるとか言わないでくれよ? 僕だって、男としてのプライドがあるんだからさ」
さも当然と語るルキノに、ユイは鼻で笑うしかできなかった。
一生懸命、告白したのだ。何年もあたためてきた想いを、今、ようやく告げたのだ。
それを幼稚だと、彼は嘲笑う。
「ごめんなさいね」
一応、先に謝っておいた。
それは、告白したことに対してではない。これからすることに対して、だ。
「私、あんたよりもお子様なのよ!」
私はすぐさま手を振り上げて、容赦なく、彼の頬を引っ叩いた。
パチン――と、軽い音が、世界中に響き渡る。
◆ ◆ ◆
まだ、この時は思っていなかった。こんな世界、滅んでしまえ――そう思うくらいにツラくても、まさか実現するとは思っていなかった。
これは、私が一つの世界を滅ぼすまでの物語。
そして、黒いウエディングドレスを着た私が、幸せになるためだけの物語。