最終話:仕返し
彼と会わなくなってほっと安心するはずなのに、最後の彼の顔が目に焼き付いて今でも離れない。
「美樹、お昼にしよー」
結衣が私を呼んだ。今日は久々に食堂でご飯にすることになった。食券の販売機で結衣は牛丼を、私はスパゲティを買った。結衣は、食堂の牛丼が上手い! と、食堂に来てはいつも自慢のように話す。
結衣はあれ以来、裕介のことは話に出さなかった。
私はあの日のことを謝ろうとしたとき、結衣は笑っていた。
食堂には生徒達が群がっていた。結衣は2人分の席を見つけ、私を手招きしている。私は食券を握りしめて結衣のほうへ行こうとしたとき、誰かが私を呼んだ。
「美樹!」
声をかけてきたのは、息を弾ませている裕介だった。
「今いい?」
「……今からご飯なんだけど」
チラッと結衣のほうを見た。結衣が席を立ち上がって私達のほうにやって来た。
「なに、裕介。美樹に用事?」
「ちょっとな」
「後で聞くよ」
私は結衣を引っ張って席に着こうとした。それを裕介の手が止めた。
「何するの」
「松永さんがバイトを辞めたんだよ」
裕介から彼の名前が聞こえた瞬間、びくっと私の体が反応した。私はすぅっと深呼吸をした。
「だから? 私に関係ないし」
でもっ……と、裕介はなかなか私を離してくれなかった。イライラしたのか、結衣が裕介に怒鳴った。
「美樹がいいって言ってるでしょ? 離しなよ」
「お前には関係ねぇよ」
裕介はむっとして結衣に言い放った。2人に嫌な雰囲気が流れ、私は慌てて結衣を席に座らせ、話を聞くため食堂を出た。
「裕介、私ね、もうあの人に会いたくないんだよね」
場所は、食堂へ続く外の渡り廊下。今日は太陽が出ていて、暑いぐらいだ。長袖シャツの袖を捲りあげた。
「美樹はそうかもしれないけど、松永さんは違うんだよ」
裕介が泣きそうな声を出した。
「何でそんなことが裕介に分かるの?」
私は座り込んだ裕介を上から見下ろした。裕介のつむじが見える。裕介は私の問いに口を閉じた。どうやら言いたくないみたいだ。私は大きな溜め息をついた。
「話があるって言っておいて黙るわけ?」
「……松永さんは」
裕介はゆっくりと言葉を繋いだ。私は裕介の言葉を待った。
「松永さんは美樹が好きなんだよ」
裕介が顔を上げた。私はドキッと心臓が飛び跳ねた。一瞬、裕介に告白をされたのかと思った。
「……はぁ?」
私は自分を落ち着かせて裕介に言った。
「それ、あの人から聞いたよ」
裕介は少し驚いて、返事は? と、目を開いて聞いてきた。私の心がちくっと針が刺さった。
「返事も何も、バカにしないでって言ったよ」
「はぁっ!?」
裕介は怒りで立ち上がり私を見た。立ち上がったので、私の目線が下から上に動いた。裕介の顔が赤くなっている。
「裕介?」
「謝ってこいよ」
「は?」
裕介は力の入った拳を震わせていた。私は訳が分からなかった。謝る? どうして私が?
「お前、断るにしても違う言い方があるだろっ!」
「断るって、だってあれは冗談でしょ? 私をからかうために言った冗談だって……」
ーー好きなんだ。
彼の声が頭の中に響いた。
あのとき、彼はどんな顔をしてそう言ったんだっけ?
……あぁ、そうだ。私は背中を向けていたんだ。だから彼がどんな顔をしていたのか思い出せないんだ。
「冗談でそんなこと言う人じゃないよ。俺、ずっと松永さんの話を聞いてたから分かる」
裕介は怒りの表情から、寂しそうな顔に変わった。
「松永さんは美樹が好きなんだよ」
もう一度、裕介は優しい声で言った。
私は混乱していた。大好きな裕介からそんなセリフを言われショックを受けた。けれど、あの言葉が本物だとしたら? そんな疑問が私をぐしゃぐしゃにした。
ーー俺は美樹ちゃんをぐしゃぐしゃにしたいだけ。
「!」
いつだったか彼は私にそう言った。思えば、彼に会ってから私はいつも振り回され、からかわれた。だけど、ときどき見えた彼の笑顔は、見ていて心が浮いた。
からかったり、優しくしたり、キスしたり。私は彼の言うとおり、いつも乱されぐしゃぐしゃになった。そう、彼は嘘なんかついていなかった。
「……分かりにくいのよ」
ぽつりと落ちた言葉に、裕介が不思議そうな顔をした。
「裕介、あの人どこにいるか分かる?」
「た、多分、大学にいるんじゃないかな。お昼だし……」
「そう、分かった」
私は裕介に大学の場所を教えてもらい、学校を飛び出した。裕介が小さく手を振った。
運動不足の足が今まで動かしたことのない、速さで動いていた。
私の頭は彼のことでいっぱいだった。会ったところで、何が言いたいのかまだ分からない。何も言葉が浮かばないのに、私は彼に言いたい気持ちでいっぱいだった。
バスに乗り込み、彼の通う大学に向かった。バスの中、私はぼーっと窓の外を見ていた。
やはり大学。とても広かった。建物がひとつひとつ、余計なほど大きく感じた。周りはみな私服で、ただひとり制服の私はとても浮いていた。クスクスと笑い声が聞こえ、変に話しかけてくる学生もいた。私は顔を赤くして下を向き、大学の敷地内を歩いた。
あぁ、やっぱり来るんじゃなかった! 何よ、そんなに女子高生を見るのが珍しいっていうの!
ひとりで怒りながら、ずんずんと中に入っていく。すると、急にぐいっと私の腕が引っ張られた。はっとして顔を上げると、彼、松永 要がいた。
「美樹ちゃん? どうしてこんなところにいるの?」
何日ぶりに見る彼の顔は少し痩せたようだ。私はぶんっと腕を振り、彼の手を外した。
「……バイト辞めたって」
私は腕組みをして背中を向けた。あまりにも、可愛くない態度で彼に接した。
「あ、うん。まぁ」
彼は、ははっと軽く笑った。
「あれ返して」
私は彼に向かって手を出した。あれとは私の生徒手帳のことだ。彼は持っていたカバンから、私の生徒手帳を返してくれた。私はそれを受け取った。
「それのために来たの? カバン持ってないじゃん。早く学校に戻りな」
彼は、それじゃ、と私に背中を向けた。私は生徒手帳を、パシッと彼に叩きつけた。ちょうど後頭部に当たり、彼がびっくりして振り向いた。ぱさっと地面に生徒手帳が落ちた。
「こんなの、いらない」
「え?」
私はぎゅっと両手に力を入れた。
「あんたに言いたいことがあるの」
私と彼の間に、さぁっと風が吹いた。私達の周りにはギャラリーがたくさんいた。それに気づいた彼は、場所を変えようと言った。しかし私は首を横に振った。
「あんたって本当に分かりにくいんだよね。人を引っ張り回した後で、あんな告白してさ」
「み、美樹ちゃん?」
彼の声が震えている。私は彼との距離をつめた。
「あんなんじゃ、誰だって勘違いするじゃない」
「は、はぁ」
彼は私の言葉の意味が、分からないようでずっと首を傾げている。
「だから……ごめんなさい。あんなこと言っちゃって」
私はぺこっと頭を下げた。彼は慌てて私の肩を掴んで、顔を上げるように言った。
「もういいんだよ」
彼は、終わったことなんだから、と大人の顔をした。それがとても無理をして作っている顔だと、私にはすぐに分かった。彼は落ちた生徒手帳を拾い上げた。
「ほら」
「私、返事してなかったよね」
私の言葉に、彼がごくんと喉を鳴らした。
「私、裕介のことが好き。……でも、変なの。最後にキスされた日から、ずっとあなたのことが離れない」
彼がすっと私の手を取った。
「それってどういうこと?」
「……」
「言ってよ」
彼はいつもの余裕ある笑みを私に見せた。彼は答えを知っているようだ。私は悔しくなって黙った。
「言わないの?」
彼のいじわるな声が聞こえた。私は彼の手を離した。
「知らない!」
くるっと私は体を、大学の正門の方へ向けた。後ろのほうで、彼がクスクス笑っているのが聞こえた。
「美樹ちゃんは裕介よりも、俺の方が好きになったんだ?」
「し、知らないわよ」
私は足を止めた。彼がゆっくりと近づいてくる。
「でも好きじゃなきゃ、ここまで来ないよね?」
「生徒手帳を返してもらいに来たのよ」
「のわりには、返しても投げられたし?」
「だからっ!」
私はくるっと振り向くと、彼の顔がすぐそばにあった。私は顔を赤くして俯いた。彼の腕が私の肩を後ろから抱いた。
「美樹ちゃんは俺には勝てないよ?」
彼の息が耳に当たるたび、どきんっと心臓が飛び上がった。
「……そうかな?」
私は一呼吸あけて、軽く彼の頬にキスをした。よほど驚いたのか、顔が強ばり、腕の力がなくなっていた。私はするっと彼の腕から体を抜いた。
「女子高生を甘く見ないでくださいね」
私はくすっと笑い、彼をその場に残した。ときどき振り返ると、まだ呆然と立っている彼が見えた。
彼が好きなのか?
それは自分がよく分かっている問題。
だけど簡単に教えてやらない。
今までからかわれた分を、ここで仕返ししてやるんだから。
おわり。
無事完結することができました。
全体的にまだまだ未熟な面があり、読者の方には本当に申し訳ないです。
日々精進してまいりますので、見捨てずに見守ってください(>_<)
最後までありがとうございました!