二十話
帰宅をしたのはどっぷりと日も沈むような時間帯であった。
ぐったりとするリンゼイを使用人と妖精が出迎える。
『おかえり~、材料、どうだった?』
「集まったけど疲れた。洞窟の中では一人だったし」
『だろうね』
長年において、リンゼイの魔術の大半は竜頼りであった。
全身に大量の魔力を持つ竜は、魔術師を補助する増幅器となる。長く契約を結ぶにつれて回路は大きくなり、魔術師自身は自らの魔力を消費せずに術式を展開させることも可能となる。
「奥様、お食事はいかがなさいますか?」
エリージュが食事について聞いてきたが、なんだか「食欲がないので果物とかでいい」とリンゼイは答える。
「まずは、お風呂になさいますか? それともお食事に?」
「どうしようかな」
洞窟内の散策で汗を掻いた。
だが、これから薬の調合を行うのなら、体を綺麗にするのも無駄になる。
風呂に入って私室に運び込まれた食事でも摘んでしまえば、後はなにもしたくなくなりそうだなと思った。
食事と風呂は後に回して、薬作りから始めようかと呟く。
『え、リンゼイ、お薬作りは明日でいいんじゃない!?』
「でも、毒で苦しんでいる人が居るんでしょう?」
『その人たち、緑の霊薬で具合も良くなったって、さっきクレメンテから連絡が来てたから!』
「でも……」
体の中の毒が完全に消えたわけではないが、のたうち回る程の症状からは解放されているという報告が入っていたことをリリットは告げる。
「奥様、本日はゆっくりお休みくださいませ」
「あ、う、う~ん。そう、しようかな?」
無駄に威圧感のある侍女に凄まれて言われて、さすがのリンゼイも頷く他なかった。
その日はゆっくりと風呂に入り、冷製スープやもっちり柔らかな白パンなどの軽い食事を食べてから眠ることになった。
翌日。
リンゼイは朝からはりきって薬作りを行う。
解毒薬は作り方が少々複雑なので、薬学の授業で習うのも上級生になってからであった。
しかも、その頃になれば薬学の授業は必須科目ではなくなるので、余程の好き者出ない限り選択しない。
リンゼイは一握りの好き者であり、薬学は卒業するまで取り続けていたので解毒薬の作り方も知っていた。
昨日、リンゼイを強制的に休ませたことを申し訳なく思っていたエリージュも薬作りを手伝いたいと言ってくる。
出来れば早く薬を届けたいと思っていたので、その申し出をありがたくちょうだいすることになった。
竜の湖水は解毒薬を作るには魔力の量が多すぎるので、井戸の水で薄める。
井戸の水には解毒作用を妨げる物質が微量に含まれているのだ。それを取り除く作業も行う。使う道具は蒸留水器。
水を沸騰させて気体状にしてから、急激な冷却をさせて不純物を取り除くというもの。
エリージュに蒸留水器の使い方を説明してから、水の追加などの作業を一任する。
『リンゼイ、わたしは?』
「シメジキノコを煎じてくれる?」
『了解~』
薬草箱の中から、昨日苦労をして採ったシメジキノコを取り出して作業机の上に置く。
これは世界三大珍味の中の一つにもなっている。
滋養強壮効果があり、冷え症改善にも良いとされていた。
食用としても人気がある。二つに裂いて炭火で炙り、薬味と合わせて食べると、美味しいと言われていた。
リリットはそんな話を思い出し、山のように積まれたシメジキノコを前に、ごくりと喉を鳴らしている。一つくらい、と手を伸ばしたが、背後からリンゼイの疑いの視線が突き刺さっていたので、振り返って身の潔白を証明していた。
リンゼイはリリットが真面目に作業をしているのを確認してから、一番の厄介物、毒草でもあるハルキ草の加工に移った。
まずは有毒成分を取り除かなければならない。
長時間、汁が直接手に付着すればただれてしまうので、手の表面に保護クリームをしっかりと塗って、その上から手袋を二重に嵌めてから作業を開始する。
葉を綺麗に洗い、みじん切りにしてから、乳鉢の中ですり潰す。それを清潔な布に包んで沸騰した湯の中に入れて、しばし煮込む。この過程で半日と長い時間煮込まなければならないのだが、ゆっくりしている暇もないので時間経過の魔術で製作時間の短縮を行う。
くったりとなった葉を石臼で挽いて水分を飛ばし、魔術で乾燥させる。粉末状になったものを布に包んでから、更に湯煎に掛けて再び石臼で挽いた。
最後に粉になったハルキ草を、ろ過を繰り返した水の中にいれる。すると、水の底に白い粘度のある物質が残るので、それを再び魔術で乾燥させて砕いて石臼で擦れば、綺麗に毒の抜けた薬の素となる材料の完成となった。
濃度を下げた竜の湖水、滑らかになるまで潰したシメジキノコ、粉末になったハルキ草を混ぜてろ過させれば、解毒霊薬の完成となる。
数は全部で二十個出来上がった。
『鑑定』でも問題なく解毒作用があることが証明された。
「エリージュ、リリット、ありがとう」
リリットは余ったシメジキノコをうっとりとした表情で抱えながら、『いいってことよ!』と上から目線で言う。エリージュは「お役に立てて幸いでした」と謙虚な態度で居た。
『ねえ、リンゼイ、これ、クレメンテの所に持って行こうよ』
「え? なんで?」
『クレメンテが双子大蛇の討伐に出ていてお薬がすぐに患者さんに行かないかもしれないし!』
「ああ、そういうこと」
竜の翼で飛んで行けば、クレメンテ達が居るシーリスの街へはすぐに行ける。
「だったら、行きましょうか」
『やった! だったら、お弁当を持って行こうよ!』
「あなた、一体なにをしに街まで行くの?」
『お薬を届けに。別に、お出かけにはお弁当が付きものでしょう?』
「……」
準備がいいリリットは既に使用人に弁当を頼んでいたようで、三段重ねの包みを渡された。
弁当を道具箱の中に入れてから、リリットを腰のベルトに着けた鞄に入るように勧める。
そして、今回プラタはお留守番となった。酷く寂しがるので、執事が背負うことになった。人見知りをしない子竜はシグナルの背中でクエクエと楽しげに鳴いている。
リンゼイは竜の背に乗ってシーリスの街に行くことになった。
◇◇◇
双子大蛇の討伐に出掛けてから一日が経つ。
捜索隊や街の周囲の見張りをしている部隊から、発見の報告が上がることはなかった。
昨晩、よく眠れなかったクレメンテの体調は万全ではない。食事も少量しか喉を通らなかった。
喉が渇き、なんども用意された水を飲んでは、額に浮かんだ汗を手巾で拭い取る。
極限状態となった周囲のぴりぴりとした雰囲気に中てられていた。
「大丈夫ですか、閣下?」
「……」
イルは具合が悪いのなら、昨日兵士に使った奇跡の薬を飲んでみてはと勧める。
だが、大切なリンゼイの霊薬を精神的なものから患った体調不良などに消費する訳にはいかないと、首を横に振って提案を無いものとした。
憂鬱な気分をどうにかしようと、天幕から外に出る。イルも後に続いた。
風にでも当たれば具合もよくなるかもしれないと重たい足を一歩前に踏み出せば、昨日と風が違うことに気が付いた。
血なまぐさい戦場で、人の肉塊を求めてやって来る魔物と遭遇をする前に感じるような、不穏な空気が流れていた。
表しようもない、不安がぐっと押し寄せて来る。
こういう気分になる時になにが起こるかは、いつも決まっている。
嫌な予感は確信へと変わっていった。
「――閣下!」
イルも何かを察したのか、緊迫に満ちた声でクレメンテを呼ぶ。
「馬を」
「御意!」
厩から連れて来られた馬は、かつて、クレメンテと戦場を駆けた友でもある。齢は十と全盛期はとうに過ぎていたが、王都で一番勇敢な馬だ。
クレメンテは馬に跨り、近くにいた兵士に指示を送る。
「魔物の気配がする! 念の為に街の周囲に守護隊列を形成しておけ! 街の者は川辺に避難を!」
後の指揮は隊長であるジオン・ウーヴルに任せることにした。
馬の腹を蹴って討伐部隊の駐屯地を飛び出した。
森の中を駆けて行く。
どんどんと、邪悪な気配は強くなっていた。
クレメンテは途中で手綱を引いて、馬を止める。
ざわざわと木々や周囲の草が不穏に揺れていた。
腰の剣を抜いて構える。
視界の遥か先には、真っ赤な大蛇が大地を這っていた。
アイテム図鑑
解毒霊薬
広い範囲の毒に有効。
ただし、竜族の毒には無効とする。




