百四十六話
翌日、リンゼイは別の化粧品を作る。スメラルドを助手として連れてきた。
「今日作るのは口紅の上から塗るグロス」
『わたくしには不要の産物ですねえ』
「そうね。猫の口には塗れないでしょうね」
グロスは唇に光沢を持たせる化粧品だ。
『最近、流行っているらしいですねえ』
「みたいね」
リンゼイも一度塗ったことがあったが、べたべたして気持ち悪いので、使わないでくれと侍女にお願いしたことがある。
比較的簡単に作れるので、『メディチナ』でも売ってみようという話になった。
『一番人気なのは、食べたくなる唇になると言われている、セルメ社の果実グロスですね。とってもいい香りがするそうで』
「詳しいわね」
『ええ! お仕事仲間のみなさんから聞きました!』
人間の話が大好きな猫妖精は、様々な情報を集め、記憶している。
使わない化粧品についても、知識は豊富だった。
どんなものか気になると言ったら、侍女の買い置き分を持って来てくれた。
『ロゼットさんの物ですが、奥様に差し上げるそうです』
「え、いいのに」
『是非にと』
「だったら、あとでお礼を言わないとね」
『はい』
早速、人気だというグロスを吟味する。
まず入れ物から。
丸い缶の、何も装飾のない入れ物である。商品名の堅い文字と果物の描かれた印刷物が張られているだけである。
これが人気なのかと、リンゼイは厳しい評価をしていた。
「見た目はびっくりするくらい普通ね」
『ですねえ。というか、それが普通みたいです。『メディチナ』のオシャレなパッケージは画期的だと、みなさんおっしゃっていました』
「なるほどね」
入れ物に関しては、化粧品を売り出した後、すぐに模倣品が出ることは考えられる。
だからこそ、誰にも真似出来ないような、精巧で高品質な入れ物を作る必要があった。
蓋を開けば、果実の香料がふわりと漂ってくる。
「……うっ」
『すごい香りですねえ』
キツイ人工的な果物の香りであった。
薄く唇に塗れば、いい具合になると言うが、リンゼイは苦手な匂いであった。
手の甲に薄く塗ってみる。
『奥様、いかがですか?』
「ぬめぬめしてて、嫌。匂いも、やっぱりキツイ」
『うふふ、左様でございましたか』
スメラルドは手巾を取り出し、リンゼイの手の甲を優しく拭ってくれた。
「う~ん、昨日の口紅にも香りを付けたから、これにも付けたらクドくなるような」
「ですよねえ」
グロスには香料を入れる予定はない。
とりあえず、最初に考えたレシピを使うことにした。
材料はトコフェロール油、蜜蝋、リテネ種油、琥珀雲母、ミルの花びら。
基本的な材料は口紅と似ている。
トコフェロール油は栄養豊富な豆から採れるもので、肌荒れの原因となる物質の発生を防ぐ。
スメラルドに蜜蝋を溶かし、材料を混ぜる作業を任せ、リンゼイはミルの花の蜜を採り出す作業をする。
ミルの花の蜜には、皮膚の働きを活性化させ、自然治癒力を高める効果があった。
花から蜜線を取り、僅かに採れる蜜を特別な器具を使って抽出させる。
一個一個手作業で行うので、地味に手のかかる工程であった。
三十ほどあった花から採れる蜜は、驚くほど僅か。
額の汗を拭いつつ、作業を進めていく。
完成した蜜を、スメラルドが作っていたグロスの素に一滴入れて混ぜる。
最後に、色を付けたら完成となった。
口紅が薄紅色なので、グロスはそれが映えるように橙系の色で作る。
細長いガラス製の入れ物に流し込んだ。
「っと、こんなものかしら?」
『奥様、お疲れさまです』
「あなたもね」
『ありがとうございます』
リリットを呼び、『鑑定』で視てもらう。
今回も問題なく完成していた。
折角商品が完成したのに、リンゼイは元気がない。
趣味の在庫棚を整理していても、ため息が出るばかりだった。
その後ろ姿を、スメラルドとリリットは、生暖かい眼差しを向けていた。
憂鬱の理由は、午後から例の令嬢とのお茶会が待っているからだった。
◇◇◇
リンゼイは万全の準備をして、戦いに応じる。
流行の装い、髪型、化粧を施し、美味しいお菓子、香り高い紅茶、過ごしやすい環境を用意して、かの男爵令嬢を待ち構えていた。
時間ぴったりに、セレスティーナ・アロマロウは屋敷を訪問する。
使用人の導きで、リンゼイが待つ客間までやって来た。
「ごきげんよう、リンゼイ様」
「ごきげんよう、セレスティーナ様」
「今日は、誘ってくれて本当に嬉しかったわ」
「私も、いらしてくれて、嬉しい……」
背後で姿を消した状態で居たリリットは、『ヒッ!』と悲鳴をあげる。
二人の間には、火花のようなものがバチバチと弾いているように見えたからだ。
リリットは張り詰めた空気に耐えきれず、ついには逃亡を図ってしまった。
二人きりになった部屋は、依然として気まずい雰囲気のまま。
リンゼイは椅子を勧める。
「どうぞ、おかけになって」
セレスティーナはゆっくりと長椅子に腰掛ける。
リンゼイも向かい合った位置に座った。
タイミング良く、お茶が運ばれる。
スメラルドが丁寧な仕草で礼をして、お茶を差し出した。
だがその刹那、セレスティーナは顔を顰め、扇を素早く広げて口元を覆う。
「どうかしたの?」
「わたくし、猫が苦手ですの」
「え?」
「猫の居る空間に入ると、その瞬間に目が痒くなり、くしゃみが止まらなくなって……」
それを聞いた途端、病的過剰反応が出ていると、リンゼイは思った。
動物性病的過剰反応の薬は開発されていない。
リンゼイの国には、愛玩動物を飼うという習慣がないからだ。
新薬を作るとすれば、大変な研究期間と研究費が掛かるだろうと考える。
「ちょっと!!」
「!」
思考回路がすっかり薬のことでいっぱいになっていたリンゼイは、セレスティーナに怒られて我に返る。
スメラルドは主人の命令なしに動く訳にはいかず、給仕を止め、困った顔で佇んでいた。
セレスティーナの顔を見れば、ジロリと非難するような目で、睨まれてしまった。
「あ、ごめんなさい。考えごとを」
「なんですって?」
この一大事に、何を考えていたんだと聞かれたが、薬について考えていたとは言えず、重ねて謝罪した。
「とにかく、その猫、下がらせていただけます!?」
「この子は猫じゃないわ」
「猫でしょう、完全に!!」
「妖精なの!」
「どこが妖精ですの!? 猫の獣人ではなくって!?」
「だってあなた、病的過剰反応出ていないじゃない!」
セレスティーナは猫が居る部屋に来たらすぐに症状が出ると言っていた。
なのに現在、スメラルドを前にしても、症状が出ることはなかった。
「……」
「彼女は猫だけど、ただの猫じゃないから!」
「……ええ、そうみたい」
案外、素直に認める。
一口、紅茶を啜って落ち着いてから、ぽつり、ぽつりと話し始める。
「わたくし、動物の毛皮とかも駄目で……」
「へえ、大変ね」
冬になれば、社交界の女性達はこぞって毛皮製品を身に纏う。
だが、セレスティーナは目がかゆくなり、くしゃみが止まらなくなりので、着れないだけでなく、毛皮製品を纏う人の多い社交場にも行けなくなるのだ。
「私も、病的過剰反応ではないけど、あまり毛皮製品は好きじゃないかも」
「そうですの?」
もさもさしていて動きにくいという単純な理由であった。
「皆、わたくしに自慢をしますの。毛皮は温かくて、とっても手触りがいいって」
「まあ、そうね」
リンゼイも、駄目だと分かりつつ、たま~にスメラルドを撫でてしまう。
もふもふすると、スメラルドが気持ちよさそうにするので、余計に手が止まらなくなるのだ。
「ねえ、この子、触ってみる?」
「え!?」
「スメラルド、いい?」
『もちろんですよお~』
スメラルドは頭に被っていた帽子を脱ぎ、しゃがみ込む。
頭を垂れて、セレスティーナが触れやすいようにしていた。
『お嬢様、よろしかったら是非!』
「……え、ええ」
セレスティーナはゆっくりと手を伸ばし、スメラルドに触れた。
最初は恐る恐る。
ふんわりと柔らかな毛並みに、セレスティーナは驚いた。
スメラルドの毛は温かく、滑らかで、とてもいい香りがする。
夢中になって撫でれば、途中でくすぐったくなったのか、『うふふ』と笑っていた。
心行くまで堪能したあと、お礼を口にする。
「あ、ありがとう」
『いえいえ~』
「あなたの毛皮、とても素敵ね」
『そのように言って頂けて、幸いでございます』
一礼をして、スメラルドは去って行く。
「……」
「……」
二人きりになった途端に気まずくなる。
セレスティーナは、一度咳払いをしてから言った。
「ごめんなさい」
「え?」
「あなたのうちの侍女のこと」
セレスティーナは自らの言動を間違っていたものとして詫びた。
「あ、いいけど」
リンゼイも、あっさりと許す。
少しだけ、雰囲気が柔らかくなった。
アイテム図鑑
スメラルド、モフモフ
モフモフは女性同士の不仲をも救う。
大正義である。




