百三十二話
アイスコレッタ家の長兄リーヴィは父親そっくりの厳格な性格の変わり者。次男トランは軽薄でお喋り。三男、ルイは魔道具マニアの引きこもり。
しようもない兄達だとリンゼイは思う。
『リンゼイ、歩くの速いよ~』
「あ、ごめん」
考えごとをしていたら、ずんずんと一人で勝手に道を進んでいた。
ちょうど宿屋の前だったので、入ることにする。
入国の際に発券した滞在許可を無人の受付の魔法陣の上に置いた。
宿泊日数を魔法陣の中に記入すれば、代金が表示される。隣で操作を見ていたクレメンテは、財布を取り出して、リンゼイに手渡した。
『財布ごと渡すって、すごいね、クレメンテ』
「まだ、通貨の単位など理解していないからです」
『そっか。下僕夫の基本的行動かと思っちゃったよ』
「なんですか、それ?」
『いや、こっちの話』
ぽちぽちと魔法陣の上の呪文を突きながら手続きをしていたリンゼイであったが、途中で「あ!」と大きな声をあげる。
「どうかしましたか?」
「部屋、また一緒になっちゃった」
旅券が夫婦として登録してあったので、自動的にそういう風になってしまったと話す。
クレメンテにとっては嬉しい誤算であった。
リリットは安心するようにリンゼイの肩を叩きながら、耳元で内緒話をする。
『大丈夫だよ、時間になったらクレメンテは魔術で寝かせるから』
「……まあ、そうね」
今まで幾度となく同じ部屋で過ごしてきたクレメンテとリンゼイである。
回を重ねるごとによって、だんだんと過ごし方が分かってきていた。
とりあえず、荷物を部屋に持ち込むことにする。
自動で動く荷物運びの台車がやって来る。クレメンテとリンゼイは、その上に鞄を置いて台車の後に続く形で部屋まで行った。
『リンゼイ~、この箱の中身、食べてもいい~?』
リリットは内装を人通り調べ、最後に食品が保存されている、リンゼイの背丈ほどの大きな箱の前で質問をしていた。
『鑑定』で内容物は確認済であった。
「リンゼイさん、これは?」
「保冷庫。人工世界樹から供給される魔力を使って、中を常に冷たくする道具」
「へえ、便利ですね」
セレディンティア王国での保冷と言えば、大量に氷を買って冷やすという方法だけである。魔力を消費するとはいえ、自動で冷やし続けるというものはクレメンテにとって目新しく映っていた。
「夏季は需要が高まって氷が高くなりますから、こういうものがあったらいいですよね」
「氷屋は死ぬけどね」
「そうでした」
需要と供給、経済活動は危ういバランスで保たれている。
そこに新たな品物を持ち込んで、横槍を入れるようなことをすればどうなるのかは、薬屋事業をするにあたって指摘をされたことと同じであった。
「市場崩壊をしてしまいますね」
「そういうこと。でも、世界樹あっての魔道具だから、セレディンティアでは使えないと思う」
「左様でしたか」
リンゼイは保冷庫を開き、中にあったチョコレートの箱をリリットに渡した。他に、ジュースとお茶が入った瓶を取り出して、机の上に置く。長椅子に腰掛け、クレメンテにも座るように勧めた。
「話があるの」
いつになく真面目な様子だったので、緊張しながらクレメンテは話を聞く体勢になる。
「思ったんだけど」
「はい」
「あなたの手のひらの呪文」
火竜から受け継いだ呪文について、なんとか封印することが出来ないか、魔術医に相談をするつもりだった。
だが、つい先ほど、リンゼイはこの国の魔術医協会が父親と深い関係にあることを思い出したのだ。
「そういう訳だから、言わない方がいいのかなって」
リンゼイの言葉を聞いて、押し黙る。
クレメンテの中にある呪文は違和感があるとか、使えば疲労するとか、負の面があるわけではなかった。普段の生活の中では浮き出て来ないので、困ったことは全くない。
だが、いつか、この大きな力の使い方を間違えるのではと、クレメンテは思っていたのだ。
「あなたは、不安でしょうけど」
「そう、ですね。私には、身に余る力です」
この国には魔法保護法がある。
魔法に関連するものは国で保管をするという法令だ。
魔術医にかかる際にも、患者についての守秘義務があったが、魔法が絡めばそれが守られないのではと考えている。
「封印については、私がなんとかするから」
「はい」
「申し訳ないんだけど」
「いえ、大丈夫です」
リンゼイが隣に居る限り、手が付けられない状態にはならないだろうと、クレメンテは思う。手のひらの魔法は、家族を守る時だけに使おうと、心を強く持った。
◇◇◇
その後、宿屋の一階にあった食堂で食事を摂った。
部屋で食事をする人ばかりだったからか、貸し切り状態になっている。
席に着けば、机の上に魔法陣が浮かび上がった。リリットの分まで出て来て、さすが魔術国家と褒めたたえている。
遠慮しないで好きな物を食べていいと言われ、更にテンションが上がる。
「ねえ、クレメンテ、何を食べたいの?」
「あ、はい」
文字が読めないクレメンテの方へ行って、リンゼイが代わりに魔法陣の操作をする。
「魚、肉、野菜、なんでもあるけど」
「え、ええ……」
リンゼイは椅子に座っているクレメンテの背後に回って肩に手を置き、腕を机に伸ばして来る。
魔法陣を指先で動かし、品目を読み上げてくれた。
途中、体が密着する形になり、全く内容に集中出来なかった。
「ねえ、どれが良かった?」
「リンゼイさんが……」
「はあ?」
「あ、いえ! リンゼイさんと同じものでお願いします!」
折角メニューを全部読んだのに! とリンゼイはクレメンテの背中を叩いた。全く痛くなかった。それよりも、接触されたことを嬉しく思う。
そんなクレメンテを、リリットは生暖かい目で見ていた。
『いいね、平和だね』
そんなことを呟きながら、料理を選ぶ作業を再開させる。
リリットは遠慮なく食べたいものを食べられるだけ注文した。
チーズ入りのふわふわオムレツ、濃厚野菜スープ、地中海産の白身魚の香草オイル焼き、口直しの果物の氷菓、ワイン煮込みシチュー、あつあつスフレのアイス添え。食後にミルクと砂糖たっぷりのコーヒーを頼む。
パンは食べ放題で、無くなったら厨房より転移呪文で追加される仕様だ。
「なんか、宮廷晩餐会のコース料理みたいね」
『うふふ、こういうの、憧れてましたのよ』
リンゼイはクレメンテにリリットと同じ物を頼めばいいと言って、勝手に注文をする。
食が細いリンゼイとは食事量が違うと思ったからだ。
リンゼイは野菜のパイ包み焼きと食後の甘味を注文していた。
「食事も人工精霊の自動調理なんですか?」
「そうよ」
「調理風景が気になりますね」
「外から来た人はみんな不気味って言うわ」
「でしょうね」
食事はすぐに運ばれてきた。
値段の割に美味しいと、リリットは満足したような顔で感想を述べる。
リンゼイも久々の祖国の料理を楽しんでいるようだった。
部屋に戻れば、明日の予定を話し合う。
「まず、図書館に行って調べものをするから」
『水蛇について?』
「ああ、まあ、そうね」
その間、暇だろうからリリットとクレメンテは観光でもしてくればいいと勧める。
「いえ、私はリンゼイさんと共に、居ます。言葉も分かりませんし」
『わたしが通訳してあげるよ? お店とか、魔法陣を指先でピコピコ操作しながら購入するんだよね?』
どうせ役に立てないから、一緒に観光しようよとリリットはクレメンテを誘った。
リンゼイもそれがいいと勧める。
「リンゼイさんがそう言うのなら」
『やった~!』
明日の予定はあっさりと決まった。
その後、クレメンテは風呂に入り、いつもの寝台の譲りが始まる。
寝室には、二人用の大きな寝台しかなかったのだ。
『枕で堤防を作って、端と端で眠ればいいじゃん』
「いいえ、一緒の寝台に眠るとか、出来ません!」
『も~、頑固だな~』
リリットはえい! という掛け声と共に、クレメンテに睡眠の魔術を掛けた。
一瞬で意識を失い、その場に倒れる。
『あ、失敗した』
絨毯の上に寝転がる形になったクレメンテを見て、呟くリリット。
リンゼイは仕方がないと言って、クレメンテを寝台の上に引き上げることにした。
『リンゼイ、優しいね』
「可哀想でしょう?」
『絨毯ふかふかだから、そのままでいいかって思っちゃった』
クレメンテの腕を掴んで起き上がらせる。背中に背負い込んで立ち上がろうとするが、思いの外重くて身動きが取れない。
『リンゼイ、無理は良くないよ。クレメンテ、雰囲気はひょろっとしているけど、実際は結構がっちりしてるから』
「……た、確かに! もう、鉄の塊、みたい。なんなの!?」
一生懸命ぐいぐいと引っ張っていたが、無理だと分かったので、その場に放置することに決めた。
『筋肉妖精に運んでもらう?』
「そういうことに妖精を呼ばないの!」
頑張って運ぶ努力をしていたが、結局持ち上げることが出来なかったので、クレメンテにはリンゼイが優しく毛布を掛ける。
こうして、ミラージュ公国滞在一日目は終わった。
アイテム図鑑
魔導盤
店で注文したり、清算する時につかうタッチパネル的なもの。
指紋も付着しないような構造になっている。