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【本格推理小説】天然ホームズの必然推理  作者: もとき孔明
第一章 時効が呼ぶ必然

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ホームズ倒れる


 今日も山科はきっちりスーツを着て、薄手のコートを羽織っている。

「ちょうど良かった。山科さん、こちらにどうぞ」

 ホームズが立ち上がって山科を呼んだ。

 山科は驚いた顔をして一瞬立ち止まったが、笑顔で近づいてきた。

「どうして僕が来るとわかったのです?」

 表情はにこやかだが、少し引きつった表情だ。

「今日は必ず来ていただけると思っていましたから……」

 ホームズが、はぐらかすように答え、意味ありげに彩花を見た。それから自分のカップを今まで有田が座っていた席に移した。しかたなく有田は隣のテーブルへ移動するしかない。どうやら山科を一番奥の特等席に座らせたいようだ。

 山科もホームズの意図を察したようで、

「僕がこの席に座ってもよろしいのですかな」

 遠慮がちに言いつつも、コートを脱ぎながら横歩きして奥の席に向かった。

 マスターにコーヒーをひとつ追加注文したホームズも再び腰を下ろした。

「さて、どこまで話したかしら……。そうそう、山科さんがみえたので、最初から説明しますね」

 ホームズは、それまで話していた内容を山科に聞かせるように話した。


 山科は、ミサトと麻紀の出会い部分の話を、身を乗り出して聞いていた。しかし、その後の彩花の話では身を固くしているように見えた。

「――彩花さんが三鷹霊園で電話をかけて尾行者を確認してもらい、車で送っていただいた方は……」

 ホームズは少し間を置いて、ゆっくり山科に向き直った。

「山科さんですよね。私が彩花さんに今日ここへ来るようにお願いしたことも、きっとお聞きになると思っていました。それに、私たちが初めてお宅におうかがいした日の夜も彩花さんと会って、情報交換していたのではありませんか」

 そこまで話すと、山科の返事を待つかのようにコーヒーをひと口飲み、しゃべり過ぎて喉が渇いていたのだろう、少し冷めたコーヒーを一気に流し込んだ。

 ホームズの話を聞いていた麻紀が、顔を上げて改めて山科の顔を見た。


「あっ」と、麻紀が両手で口を押えたとき、

「うううう……」

 ホームズが突然うめいたかと思うと手足を痙攣させて、椅子から通路側に崩れ落ちた。

 突然の出来事にベイカー街が騒然となった。


 ホームズは床に倒れ込んでお腹を押さえ、飲み込めなかったコーヒーを口から垂らして苦しがっている。トレードマークの大きな眼鏡もどこかに飛んでいる。


 彩花は顔を真っ青にして、椅子に背中を押しつけるように逃げ腰になっているが、奥の座席なので動くことができないでいる。


 麻紀は口に手を当てたまま、ホームズの顔を覗きこんでいる。


 山科も椅子から立ち上がり、心配そうに様子をうかがっている。


 美里は一瞬おびえるように驚いていたが、ホームズに駆けより「しっかりして」と声をかけている。


 マスターも驚いて駆けつけてきた。


「ホームズ! どうした。しっかりしろ!」

 有田がホームズを抱え起こそうとしたが、とっさに『これは事件だ』と悟った。

「皆さん、落ち着いてください。飲みものには手をつけないで、そのまま動かないでください」


 皆を制して救急車と鑑識に連絡した後、捜査本部にも事情を説明する電話をした。

 ホームズが倒れたことで有田も動揺していたが、そこは刑事魂を発揮して現場保存をしつつもできる限りの現状分析をした。

 ホームズは自分のコーヒーにいつものブラウンシュガーを入れて、かき混ぜている最中に話が長くなってしまい、さっき飲んだのがひと口目だったはずだ。

 一緒に運ばれてきたコーヒーは、彩花と有田のものだが、ふたりはコーヒーを飲みながらホームズの話を聞いていたので、既に半分くらいになっている。山科のコーヒーは、さっき運ばれたばかりでまだ口をつけていないはずだ。麻紀もオレンジジュースを飲みながら話を聞いていた。


 シュガーポットに蓋はなく、盛られているブラウンシュガーがむき出しだが、見たところ異常があるようには見えない。ホームズ以外にはシュガーを使った者がいないことは有田も見ていた。

 ホームズに意識はあるが、手足が痙攣してしびれているようだ。眉間に皺を寄せ、倒れたまま首を左右に振っている。ケープを取って首のあたりをかきむしっていて、息苦しそうに見える。

 状況からして、ホームズのコーヒーに毒物が入れられていたことは確実だ。


 救急車でホームズが運ばれたすぐ後に、連絡しておいた鑑識班が到着し、詳しい現場検証が始まった。

 鑑識の結果、ホームズのコーヒーには多量のタリウムが混入されていた。タリウムが検出されたのはホームズのコーヒーカップからだけで、他のコーヒーやオレンジジュースからは検出されなかった。もちろん、厨房やサイフォンの周辺からも痕跡は見つからなかった。

「タリウムに即効性はないはずなんだが……」

 鑑識課員が首を捻っている。

「金属アレルギーだと即効性の症状が現れることはありませんか? 大学時代に同じようなタリウム中毒事件があったんです」

 ホームズが金属アレルギーだと聞いたことはなかったが、そういえばアクセサリー類を身につけていないことを思い出した。眼鏡も金属フレームではなく、鼈甲調のものだ。いろんなものを毒見して自分で人体実験しているホームズなので、アレルギー体質に変わることがあるのかもしれない。


 鑑識が指紋を採取するのと同時に、シュガーポットの中身を検証すると、上部分にあった三個からも同じタリウムの成分が検出された。

 誰かがシュガーポットの中のブラウンシュガーを『タリウム入りシュガー』にすり替えたと思われるが、そんな怪しい動きをする人物に有田は心当たりがなかった。

 すり替えられていた『タリウム入りシュガー』は、本物のブラウンシュガーと色も形もそっくりで、偽物だと言われなければ判別できないくらい精巧なものであった。

 『タリウム入りシュガー』には、一個だけでも致死量以上のタリウムが混入されており、殺害目的であることは間違いなかった。その他の成分としては、普通のシュガーと同程度の糖分も含まれていて、無味無臭のタリウムなだけに口に入れただけでは気づかないだろうということだ。


 その場にいた全員の持ち物検査を行なったが、怪しい物は見つからなかった。

 有田はすぐに容疑者の分析にかかった。上司である剣崎から、「絶対に先入観を持って捜査をするな」と徹底的に教え込まれている。先入観を持たずに考えれば、マスターや美里や自分でさえも容疑者として検証するべきだと考えた。


 まず今回の一連の事件で一番怪しいのは山科だ。彩花との関係やサインペンなど、謎の部分が多すぎる。ホームズが追っかけていて、決定的な証拠に結びつく『何か』に行き当たり、なんらかの理由でホームズが邪魔者だと思うことは十分考えられる。有田の知る限りでは、現場にいた人物の中で一番動機があると思われる。

 しかし、ホームズがブラウンシュガーをコーヒーに入れた後に山科はベイカー街へやってきており、シュガーをすり替えることができない。有田は、山科が来たことによってテーブル移動したことをハッキリ覚えている。ホームズが自分のコーヒーカップを移動させたとき、既にスプーンが刺さっていたので、シュガーを入れた後なのは間違いない。もし、山科がホームズのコーヒーに『タリウム入りシュガー』を追加して入れたとしたら、いくらなんでも甘くなりすぎてしまって、いかにお子様味覚のホームズといえども誤魔化しはできないだろう。


 次に彩花。シュガーポットの一番近くに座っていたことから、ポットの中に『タリウム入りシュガー』を置くことはいつでもできたはずだ。美里が声を上げたり、麻紀がホームズに異議を唱えたりしていた間は、誰も彩花やシュガーポットを意識していなかった。しかも、尾行の際にいろいろと怪しい行動をとっていたし、さなえにあった日本人形と同じ物を持っているようだ。早苗のことを知らないと言っていたが、本当のことを話しているのか調べる必要がありそうだ。

 しかし彩花は、この店に初めて来たはずなので、ベイカー街のシュガーがどんな形や色か知らなかったはずだ。


 麻紀には今日初めて会ったが、ホームズの話では小学校の先生だと言っていた。ホームズが今日、どうやって連れてきたのかは知らないが、「話が違う」と異議を唱えていたことから、動機がまったくないわけでもないようだ。ホームズが麻紀の行動を防犯カメラ映像で追っていると言っていたが、何か秘密にしておかなければならないことを見つけられたのかもしれない。しかも、ホームズがコーヒーを口にする前、麻紀が小さな声を上げて自分の口を両手で覆うのを見た。あれは毒を盛った犯人がとる罪悪感からの行動なのかもしれない。

 ただし、ベイカー街のシュガーがあの形のブラウンシュガーであることを、どうやって知り得たかが一番の問題になる。それに、今回の連続殺人事件とは最も関係がないように思える。美里を尾行から連れ出した行動は怪しいが、ホームズだけでなく、美里以外には今日初めて会ったような雰囲気があった。


 残る容疑者は、マスターと美里と……有田だ。


 マスターはどうだ? 彩花の尾行を依頼した件や麻紀の名前を聞いたときの反応など、怪しいと思える行動がいくつか見受けられる。経歴も不明な点が多く、真鍋との接点もある。早苗と知り合いであったことを隠している可能性もある。

 では動機はどうだ。有田が知っている範囲では、マスターがホームズを殺したいほど憎んでいるとは到底考えられない。むしろホームズのファンだと思えるほどだ。しかし、ホームズがマスターの過去を調査していて、何か弱みを握られているとしたら……。

 マスターならシュガーポットの中身を入れ替えておく時間はたっぷりある。しかし、ホームズがテーブル席を使うことは直前に知ったことだ。それまで誰が使うかわからないシュガーポットの中身を入れ替えておくことなどあり得ない。


 美里は? ここまで考えて、有田は激しくかぶりを振った。世界がひっくり返ったとしても美里がホームズを殺すはずがないと信じられる。いかに剣崎から「先入観を持つな」と言われても、ありえないことだ。


 自分はどうだ? ホームズほど有田の心をもてあそんで茶化すやつはいないし、何を考えているのかもわからない。いつもマイペースで周りを振り回すし、その一番の被害者は有田だろう。有田ならシュガーポットの中身を入れ替える時間は、今日だけでもたくさんあったはずだ。


 ――しかしホームズを一番好きなのも有田だ。美里がホームズ信者だと公言して大好きアピールをしているが、有田ほどホームズを必要としている人間はいないと自信がある。ホームズを殺そうとするはずがないどころか――ホームズの命を狙った犯人を絶対に許さない。


 では共犯者がいたとしたらどうだろう?


 マスターがタリウム入りシュガーを準備して、彩花か麻紀が入れ替えるという共謀であれば可能かもしれない。だが、関係や動機など今の段階では想像すらできない。


 山科と彩花が共犯だとしたらどうだろう?

 山科には動機があるとして、タリウム入りシュガーを作ることができる。彩花にはシュガーポットの中身を入れ替えることができる。ホームズの話は途中までだったけど、山科と彩花が付き合っていることは間違いなさそうだ。

 山科がベイカー街からブラウンシュガーを持ち帰り、『タリウム入りシュガー』を作って彩花に渡す。それを彩花がシュガーポットの上に置く……。これなら辻褄が合うような気もするがどこか違和感がある。


 動機がホームズを殺そうとするくらい大きいものなのか? また、仮に動機があったとしても、動機ありきで捜査をすると取り返しのつかない冤罪を生んでしまうことを有田は知っている。


 有田が目をつぶって考えているとき、

「もう帰ってもいいですかね。次の予定があるのですが……」

 山科が時間を気にするように腕時計を見ている。

「ああ……そうですね。皆さん身元がわかっているので、聞きたいことがありましたらこちらから連絡します。あ、すみません。御厨麻紀さんの連絡先だけ知りませんので教えていただけますか」

 麻紀が住所と電話番号を書いた紙を有田に渡し、その場は解散した。


 心配そうに泣いている美里も部屋に帰らせた。

「こんなときにホームズがいたら、いくつか質問するだけですぐに解決してしまうだろうな……」

 ひとりになってつい弱音を吐いた。

 皆を集めたホームズの狙いは何だったのか。標的は本当にホームズだったのか。頼みのホームズが救急車で運ばれたからには、ここは自分がやるしかない。有田の目の前での犯行ということは警察への挑戦でもある。絶対に犯人を見つけなければと心に誓った。


 ホームズが運ばれた病院から「非常に危険な状態である」との連絡が入ったのは、事件から二時間後だった。




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