誕生日
十月二十八日、金曜日の夕方。有田が事務所を訪ねると、ホームズが待ち構えていた。
「未明君、ベイカー街に行きましょ」
特にホームズと待ち合わせをしていたわけではないが、有田にも今日は特別の日だとわかっていた。本当はもう少し早く来る段取りをしていたが、なかなか予定通りに捜査を切り上げられなかったのだ。
ホームズは有田を追い立てるように一階に下りた。
「ホームズさん、いらっしゃーい」
美里がいつにも増して嬉しそうな顔で出迎えてくれた。
「ミサトさん、誕生日おめでとう!」
ホームズは、ピンクのリボンが掛かった紙包みをカウンターの上に置き、美里に向き直って笑顔で祝福した。
「わあ! ホームズさんありがとうございます。何かしら……開けてもいい?」
美里は普段からハイテンションだが、今日はいつも以上に興奮するのも仕方ない。
美里が丁寧にリボンを取り、もどかしいように包みを開くと、中から明るい色のケープが出てきた。淡いオフホワイトの生地に薄いピンクのチェックがかわいく、カシミア製のようで、いつもホームズが愛用しているケープと色違いのお揃いだ。
「素敵……」
美里はケープを愛おしそうに抱きしめて、今にも涙がこぼれそうだ。
「勉強で体を冷やさないようにね」
「さっすがホームズさん。未明君とは大違いね」
美里がいたずらっぽく笑って有田の方を見た。
有田は「コホン……」と咳払いをすると、
「はい、ミリちゃん。誕生日おめでとう」
少し遠慮がちに紙袋を差し出した。
「えっ! 未明君もプレゼントを用意してくれてたの? 嬉しい……」
子どもの様にはしゃいでいる美里に、ホームズが声をかけた。
「去年まで知らなくてごめんなさいね」
「ううん。私、自分の誕生日が嫌いだったから誰にも言ってなかったんです……」
少し暗い表情になったが、紙袋の中を見てすぐに輝いた顔に戻った。
「わあ! ケーキだ。美味しそう。みんなで食べましょ」
満面の笑みとケーキの箱を抱えて、美里が厨房に消えた。
残された有田とホームズとマスターの三人は、美里の言葉に反応することができず、しばらく言葉を失っていた。現在の美里があまりにも明るいのですっかり忘れてしまいそうになるが、美里は幼い頃から苦労してきており、「自分の誕生日が嫌い」と言うほど嫌な思い出がたくさんあるのだと改めて思い知らされた。
やがて美里がいろんな種類のケーキを小皿に乗せて持ってきた。
「どれも美味しそうですよ。ホームズさんはどれが好きですか」
「ミサトさんの誕生日なんだから、ミサトさんが最初に選んでね」
ホームズが言うと、嬉しそうに品定めをしている。
「私、やっぱりイチゴのショートケーキがいいな」
美里は満面の笑みを浮かべ、ショートケーキを選んだ。
有田は「やっぱり」と思った。他にも美味しそうなムース系やチョコレート系など、どんな好みにも対応できるように、いろんな種類を買ってきていた。それでも美里は一番スタンダードなイチゴのショートケーキを選ぶだろうと予想していた。
「ホームズさんはどれにしますか? 次は絶対ホームズさんが選んでくださいね。このガトーショコラも美味しそうですよ」
マスターや有田のことはそっちのけで楽しんでいる美里を見て、ふたりは目を細くするだけだった。
「じゃあ、私はこのフルーツタルトをいただくわ……。未明君ごちそうになるわね」
ホームズが美里の推薦したガトーショコラをなぜ選ばなかったのか、有田は少し気になった。しかし、好物だからといってガトーショコラを選ぶわけにもいかなくなったので、チーズケーキを選んだ。
ケーキはいらないと言うマスターにも、無理やりにショコラムースを選ばせた美里は、
「残りは後で私が全部いただきます」
と、嬉しそうに厨房に持っていった。
「せっかく来たから、たまごサンドを食べて帰るわ。今日はハーフでお願いします」
ホームズは、いつものようにたまごサンドとコーヒーを注文した。
ベイカー街の食事メニューは他にもマスターこだわりの美味しいものがたくさんあるのに、ホームズは決まってたまごサンドを食べる。
有田もたまごサンドを食べたことがあるし、たっぷりのゆで卵を粗く潰した中にスクランブルエッグを混ぜているから、ふんわりと柔らかな食感になっていて、パンのミミから溢れそうなくらいにたっぷりのたまごがとても美味しいのは知っている。
ミミを切り落としていない豪快なサンドイッチだが、ミミまで柔らかく食べられるパンを使っているのもいい。それでも、マスター特製のドライカレーやナポリタンスパゲティなど、他とはひと味違うオリジナルメニューも取り揃えているのに……と、有田はいつも思っていた。
「なあホームズ。ここのメニューで、たまごサンド以外って食べたことある?」
有田がずっと疑問に思っていたことをズバリ聞いてみた。
「あるわよ。ドライカレーやナポリタンが美味しいのは知っているけど少し辛いのよ」
確かに、ここのナポリタンには最初から少しタバスコが加えられていてピリ辛なので、辛いものが大好きな有田としてはお気に入りのメニューだ。
有田は心の中で拳を握った。そういえば、ホームズと酒を飲む際にもキムチやチョリソーなど辛いつまみを食べているのを見たことがない。コーヒーに砂糖を入れるのも、ガトーショコラを選ばなかったのも、苦いのがダメなのだと確信した。
『やっぱり、ホームズの味覚はお子様舌なんだ』
今度飲みに行ったら、あえて辛いものを食べさせてみようかと、軽い意地悪を思いついた有田がニヤニヤしながら、
「事件が解決したらビールでも飲みに行こうじゃないか」
我ながら、刑事らしくないぎこちない誘い方だった。
「そうね、是非もう一度『鳥やす』に行きたいわ。今度はバラやつくねも食べてみましょうね。楽しみだわ」
ホームズは何も知らずに嬉しそうだが、有田はどうやったら鳥やすのチョリソーを食べさせることができるか考えていた。




