巣ごもり
「こんにちは」
顔を覗かせたのは山科だった。今日もしっかり髪型を整えてスーツを着こなしている。
「山科さん、いらっしゃい。今日は何か御用ですか」
ホームズが顔をほころばせて山科を迎え入れた。
「用事というほどではないのですが、近くを通ったので寄ってみました。ホームズさんも有田刑事も元気そうで何よりです」
山科の社交辞令は、さすがに国会議員に立候補しようとしているだけのことはある愛想の良さだ。
「今は引きこもり中なのでここを離れたくないから、コーヒーを取り寄せましょうか。未明君も飲むわよね」
有田は『ついで』の扱いに不満の表情を浮かべ、
「どうしてもというならお付き合いしますよ」
と、精一杯の皮肉を込めて返事をした。
「私ももう一杯いただこうかな」
ホームズは、ベイカー街に電話で注文を告げた。
ほどなくして、元気に階段を駆け上がってくる足音が聞こえた。
「こんにちはー」
明るい声の美里がコーヒーを三つ運んできた。
「ミサトさん、今日は早いのね。もうバイトしてるの?」
「はい。ホームズさんの引きこもりのお世話がしたくって、即行で帰ってきたんです。私にできることがあったらいつでも声をかけてくださいね、引きこもりのホームズさん」
美里はホームズが引きこもっていることすら楽しんでいるようだ。
「ミサトさんは、若さがあっていいわね」
「えーっ。私は早く大人になりたいんだけどな」
美里があまりにも純粋そうに言うので、
「大人になったからって、背は伸びないんだよ」
有田が、からかうように言った。
「わかってますよ。未明君って失礼ね」
美里は有田を睨むと、頬を膨らませた。
「ホント未明君はデリカシーがないんだから」
ホームズは苦笑いしている。
「えへへ……。実はね、明後日で二十二歳になるんだ」
「え。ミサトさんの誕生日って明日だったの?」
「そうなんでよ。私も早くホームズさんみたいな大人になりたいな。誰かさんと違って優しいし」
美里がそう言い、空になっていたカップを持って出ていくまで、山科は黙って美里の顔を見つめていた。美里は山科を初めて見るようだったが、明らかに山科には「見覚えがある」という感じだった。
美里が帰ると、ホームズが微笑みかけながらコーヒーを勧めた。
山科がコーヒーを飲もうとして、テーブルの上にシュガーポットを見つけた。
「あれ? ここにもベイカー街と同じシュガーを置いているのですね」
シュガーポットの中には、ベイカー街のものと同じ一センチ四方程度のブロック形で、いかにも手作りっぽい不揃いな形をしたブラウンシュガーが入っている。
「はい。マスターにお願いして同じものを分けてもらっているんです。私はこれを入れたコーヒーが大好きなんですよ」
ホームズがにこやかに答えながら、ブラウンシュガーを二個カップに入れた。
「せっかくの美味しいコーヒーの味が損なわれませんか」
山科も有田と同じことを思ったようだ。
「あら、マスターのコーヒーには、このブランシュガーが合うように淹れられているようで、本当にベストマッチなんですよ」
また、ホームズがブラウンシュガー自慢をしているが、本当はコーヒーの苦みが嫌いなお子様なんじゃないかと有田は思い始めていた。
「そういえば、ウチにいらしたときもコーヒーにシュガーを入れていましたね」
山科が笑いながら壁に目を移したとき、一瞬表情が変わったことに有田は気づいた。目を見開くというほどではないが、何かを見つけた表情だった。
「そうそう、ホームズさん。『引きこもり中』って何ですか。探偵さんが引きこもっていて大丈夫なのでしょうか」
「大丈夫ですよ。私は中学生の頃、苛められていて引きこもりには慣れているんです」
ホームズの「大丈夫」は相変わらずピントがずれている。
有田は以前、ホームズが引きこもりしていた頃の話を聞いたことがある。小学生の頃から苛められていて、中学でとうとう登校拒否になった。苛められるようになったきっかけが、『毎日綺麗な洋服を着てくるお嬢様』に対するやっかみだったらしく、小学三年生の夏に綺麗な洋服を泥だらけに汚され、おまけに土まで食べさせられた。それ以来『白いブラウスにジーンズ』というワンパターンな服装しかしなくなったらしい。しかし、その事件がきっかけで土の味に興味を持ち、色んな土を味見することが楽しみになったようで、今では、「土の味を教えてくれたお友達に感謝したいわ」と、信じられないくらい明るい思い出として話してくれた。
引きこもりになってからは、読書とパソコンを毎日やっていたらしい。文字どおり寝食を忘れて一日に二十時間くらい費やしていたとのことだ。興味を持てばとことん追究するのは今も変わっていないが、毒物に興味を持つようになった理由は聞いていない。聞くのが恐ろしい気もするが、ホームズに限って犯罪や自傷目的ではないだろう。
その頃から毎日パソコンを使っていたおかげで、ITエキスパートレベルの技術と知識を身に着けた。しかも単に自宅に引きこもっていただけでなく、ネットを使った独学で名門高校に優秀な成績で合格した。高校では、苛められないようにと他人の心理を読み取ることが得意となり、それが高じて心理学の研究に興味を持ったとのことだった。
法学部に首席で合格したり、理系も得意だったりとまさにスーパーウーマンなホームズは、「引きこもりによって誕生した」ともいえるのだ。
探偵になった後もこうして引きこもることがあるので、有田はホームズの本名に掛けて密かに『巣ごもり』と呼んでいる。
「探偵といっても外に出て探し物するだけじゃなくって、今はパソコンで世界中の出来事を探し回ることができるんですよ」
ホームズが得意げに言う。
「へえ、世界中の……」
山科は首を傾げて、理解しかねるという顔をした。
「たとえば、ホームセンターやコンビニの防犯カメラにハッキングして、怪しい人物を探すとか……。そんな犯罪すれすれのこともできます。だから私が引きこもると、警察庁のスーパーコンピュータ以上の働きをするんですよ」
ホームズはにこやかな顔でさらっと言ったが、
「それは怖いですね。僕の個人情報もホームズさんにかかれば素っ裸にされそうだ」
山科の笑顔は少し引きつっていた。
それからひとしきり、有田には意味不明なタニラー同士の話で盛り上がった後、山科は満足気に帰って行った。




