第42話 少し甲板を散歩してきますわ
巨大な榴弾の直撃を、〈グラベル〉は胴の正面から受け止めた。
宙に舞う無数の破片が、白い空間を穢すように水面へと散る。
『ぐうううぅぅぅ……ッ!』
「ナイアァ……!」
ペダルを踏み込み、盾となった〈グラベル〉の機影から飛び出す。
コンソールを叩く。ステータス・チェック。
「左腕部機能、完全停止。コンデンサ損傷、出力低下中……」
『提案じゃ、左腕をパージして出力を余所にまわそう』
「ああ、頼む。リアクターも最大稼働にしろ」
カティアの声に、短く頷く。
『ふぅむ、冷却系にも損傷が生じとる。五分と持たんぞ?』
〈アズール・ジョーカー〉の機体から左腕が排除され、ぼとんと水に沈む。
重量バランスの変動。一瞬の揺らぎを経て、浮揚姿勢が安定する。
「ナイア! 生きてるか!」
『どうにか……』
「なるべく退いて、援護射撃を頼む」
通信越しに聞こえるナイアの荒い息遣いを確認し、フィンは視線を前方へ鋭く向けた。白霧から、四脚の悪魔――〈チェルノボーグ〉が、悠然と歩みを進めてくる。
『身を挺して庇い合うか。くだらん、反吐が出るな。たかが遺伝子と化学物質の作用を、愛や絆だと錯覚して死んでいく気分はどうだ?』
「……分かろうとしないお前には、分かりはしない」
フィンはスロットルを全開に押し込んだ。
〈アズール・ジョーカー〉が、煮え滾る水面を蹴って弾丸のように飛び出す。五分という致死的なタイムリミットが、逆にフィンの思考を極限まで研ぎ澄ました。
左腕を失った機体腰部から“MRS”――副腕が展開する。
主腕の右腕と、二本の副腕。変則的な三本腕に握られた“カトラス”アサルトライフルが、死角を縫うように絶え間ない弾幕を浴びせかける。
『届かんよ!』
シュルプリーズは狂笑と共に、〈チェルノボーグ〉の上半身を反転させた。
重火力の「前面」から、高機動・ステルス特化の「背面」へのスイッチ。
光学迷彩が周囲の景色を歪め、巨体がフッと視界から消失する。
「カティア、予測軌道は!」
『右斜め前方、水面下より来るぞい!』
水柱が上がり、透明な輪郭が空間を切り裂くようにモーターブレードを振り下ろしてくる。フィンは残された右腕でそれを受け止め、鍔迫り合いの火花が散った。
『圧し潰してやる』
「……くッ!」
四脚から生み出される圧倒的なトルクに押し込まれ、〈アズール・ジョーカー〉の機体がミシミシと悲鳴を上げる。
関節部から火花が吹き出し、後方へと押し流されそうになったその時だった。
『――三文芝居の脇役を……』
ノイズまじりの通信帯域に、地を這うような低い声が響いた。
シュルプリーズが微かに反応を遅らせた、次の瞬間。
『舐めんじゃねえッ!!!』
リアクターの光が届かない真っ暗なプールの底から、猛烈な水柱と共に鋼の狼が飛び出した。胸部装甲をごっそりと失い、内部配線が剥き出しになった半壊の第二世代機――ジョニーの〈ライカントロピー〉だ。
完全に死んだと思われていた機体が、海水を血のように滴らせながら、悪鬼の如き執念で再起動を果たした。
『なに……!? 再起動だと……! あの損傷で、なぜ!』
シュルプリーズの余裕に、初めて明確な焦りが生じた。
ジョニーを迎撃するために、バズーカ照準に意識を向けた。
「させるかッ! ジョニー、今だッ!」
フィンは一歩も引かず、機体の限界出力を振り絞って〈チェルノボーグ〉の正面に喰らいついた。膝のモーターブレードを展開。加速をつけたニーキック。
〈チェルノボーグ〉はやむなくそれを「背面」の腕で受け止めた。
引き裂かれた腕部から、ヘビーマシンガンが零れ落ちる。
『兄貴ィィィッ!!』
後方からは、後退していたナイアの〈グラベル〉が、残された全ての火器を斉射し、〈チェルノボーグ〉の脚部ジョイントを強引に撃ち抜いてその巨体を拘束した。
『おのれ……おのれ……ッ!』
絶叫するシュルプリーズ。だが、もう遅い。完全に逃げ場を失った〈チェルノボーグ〉に対し、前後からの完璧な挟み撃ちが成立した。
『くたばりやがれッ!』
ジョニーの〈ライカントロピー〉が、最大出力で赤熱化したトマホークを、バズーカの射線を縫って、深々と叩き込む。同時に、フィンの〈アズール・ジョーカー〉が、膝のモーターブレードがコクピットの装甲の継ぎ目へと、捻じり込むように突き立てられた。
二つの凶刃が分厚い装甲を貫き、機体の中央、コクピットブロックとジェネレーターを同時に串刺しにする。致命的な破壊を迎え、〈チェルノボーグ〉の四脚が力なく崩れ落ちた。装甲の隙間から、制御を失ったプラズマの炎が血のように吹き出す。
『がっ……は……』
ノイズに塗れた通信越しに、シュルプリーズの血を吐くような呻きが聞こえた。
『やはりこうなるか……。だが、それもすべては誰かの……』
「俺たちが勝っても、お前が勝っても、きっと誰かのシナリオ通り」
刃を突き立てたまま、フィンは静かに、だが確かな熱を帯びた声で告げた。
「それの何が悪い。誰かの描いた設計図の上だろうと、過程に生じたこの痛みは、怒りは、仲間を想う熱だけは本物だ。誰にも奪えない、俺たちだけのものだ」
瞳に確かな光を宿し、言い放つ。
「それこそが……俺が選び取った自由だと、俺は定義する」
フィンの叫びに応えるように、〈アズール・ジョーカー〉のジェネレーターが限界点の唸りを上げた。
『……主観、か』
ノイズの向こうで、シュルプリーズが微かに嗤った気がした。それは憎悪でも、嘲笑でもない。どこか憑き物が落ちたような、ひどく静かな響きだった。
『……なるほど。それは……私には眩しすぎる』
直後、〈チェルノボーグ〉の内部から臨界を突破した閃光が溢れ出す。
「離脱しろッ!」
フィンの号令と同時、突き立てた刃を引き抜き、二機は後方へと飛んだ。
圧倒的な質量を持った爆発が、空間を激しく揺るがす。黒い悪魔の巨体は、自らの業火に焼かれながら、底知れぬ冷却水の暗闇へと沈んでいった。
巻き上がる無数の気泡だけが、彼がそこにいた最後の証明だった。
静寂が戻る。注水ダクトの滝音だけが、再び空間を支配した。
『……へっ。ざまぁみやがれってんだ』
通信機から、ジョニーの息も絶え絶えな、しかし得意げな声が響く。
『兄貴ぃ……ッ! バカ、バカ! 死んだかと思ったじゃんか!』
『泣くなって、らしくもねえ。修理代でこっちが泣きてえ気分だぜ……』
ナイアの安堵の号泣と、ジョニーの軽口。そのやり取りに、フィンは自身の顔に自然な笑みが浮かんでいることに気づいた。
『主殿、感傷に浸るのもよいが、忘れるでないぞ!』
カティアの警告が、フィンの意識を現実に引き戻す。
『当機の冷却限界まで残り一分! ナサニエルの自爆艦到達まで時間がない!』
「ああ、わかっている」
フィンは〈アズール・ジョーカー〉の姿勢を立て直し、空間の中央で未だ暴力的な光を放ち続けるリアクター・シャフトへと機体を向けた。
「ジョニー、ナイア。撃てるか」
『愚問だぜ、大将』
『お給料のためなら、いくらでも!』
半壊した〈ライカントロピー〉が、唯一残された左腕の副兵装を構える。
満身創痍の〈グラベル〉が、残存するガトリングの銃身を向ける。
そして、片腕を失った〈アズール・ジョーカー〉が、右腕と二本の副腕で“カトラス”を構えた。
ボロボロの三機が、ゼニットの支配の象徴である巨大な人工太陽を囲い込む。
「セレジア、見ているか」
リアクターと遮蔽構造のせいで、インスマス号との通信はできない。
それでもフィンは、彼方のセレジアに向けて、静かに呟いた。
「お前の意志を、俺たちがここで完遂する」
フィンは照準を合わせ、スロットルのトリガーに指を掛けた。
「――全機、射撃ッ!!」
三機から放たれた無数の弾線が、一直線にリアクター・シャフトへと吸い込まれる。次の瞬間、シャフトを覆う耐圧ガラスが粉々に砕け散り、内部のプラズマが暴走。鼓膜を破るような大爆発と共に、辺りを照らしていた光柱が、完全に沈黙した。
巨大な地下空間は、完全な暗闇へと包まれる――。
◇
――数週間後。
見渡す限りの蒼穹の下、穏やかな波に揺られるインスマス号の甲板には、三人の開拓者の姿があった。
「あの時、俺が死んだふりをしてたおかげで、あの野郎の不意を突けたんだって!」
「嘘ばっかり! 兄貴、コクピットの中で泡吹いて気絶してただけじゃん!」
ギャーギャーと騒ぎ立てるバーシュ兄妹の子供のような言い争いを、フィンは手すりに寄りかかりながら、呆れたような、それでいてどこか眩しいものを見るような目で見つめていた。彼の表情には、かつてのような無機質な冷たさは微塵もない。
ガラス越しに甲板の三人を見つめながら、セレジアはふと目を細めた。
その手元で、約束の時刻を告げるスマート・パッドの電子音が鳴る。
表示された発信元を確認し、彼女は静かにコールへと応じた。
「……調子はどう、ソフィア」
『お姉さま。ええ、ここの暮らしはそこそこだわ』
通信の向こうから聞こえてきた妹の声は、以前のような狂気や怯えは消え去り、憑き物が落ちたように穏やかだった。
ヘシオドスの機能停止後、ゼニットの軍は完全に指揮系統を失い、ナサニエル大鉱脈の戦いはアルジャバールと伽御廉の共同軍の勝利によって幕を閉じた。自爆艦もまた、遠隔爆破されることなく拿捕され、ソリス弾頭はすべて解体されたという。
五大企業のパワーバランスは大きく塗り替えられ、いま、メルヴィルの海は新たな資源闘争の時代へと突入している。決して平和になったわけではない。
むしろ、強者の枠に空きが生まれ、海原はより一層の混沌を極めてすらもいる。
ソフィアはいま、アルジャバール・インダストリーの保護下にある医療施設で、精神的な療養を行っていた。
――戦犯として裁かれかねない彼女を、セレジアが根回しし、時間を与えたのだ。
『……世界は、終わらなかったわね』
「ええ。貴方が、最後に勇気を出して私に繋いでくれたから」
『その願いを、お姉さまの仲間たちが叶えてくれた……』
ソフィアの言葉に、セレジアは甲板で笑い合うフィンの横顔を見つめた。
「ええ、本当に。……そうね」
『……お姉さま。私たちが犯した罪は、決して消えない。私たちが奪った命も、壊してしまったものも、元には戻らないわ』
妹の震える声に、セレジアはスマート・パッドを両手で包み込むように持った。
血塗られたリング家の歴史。親殺しの罪。そして、弟の命を弄んだカルマ。
それらのしがらみは、決して綺麗に消え去ることはない。一生背負い続けなければならない、重い呪いだ。
「分かっていますわ。でもね、ソフィア」
セレジアは、サロンの窓から広がる、果てしないメルヴィルの海を見渡した。
「焦る必要はありません。絡まったしがらみは、ゆっくりと、一つずつ解いていけばいいのです。……私たちには、時間はいくらでもあるのですから」
通信の向こうで、ソフィアが小さく息を呑む気配がした。
そして、微かな、本当に微かな泣き笑いのような声が返ってくる。
『……そうね。……おねえちゃん』
通信を切ると、セレジアは静かに立ち上がった。
サロンの扉を開け、眩しい日差しが降り注ぐ甲板へと足を踏み出す。
「お嬢様、本日のティータイムの準備が整っておりますが」
背後からのバートラムの声に、セレジアは振り返らずに手を挙げた。
「後にしてちょうだい、バートラム。少し甲板を散歩してきますわ」
「かしこまりました。……良い風が、吹いておりますね」
老執事の優しい微笑みを背に、セレジアは三人のもとへと歩み寄る。
彼女の足音に気付き、フィンが振り返り、同じ表情を返した。
――惑星メルヴィル。
果てしなく続く青の地平線の向こうには、まだ見ぬ明日が待っている。
クラン「ヴァルハラ・ホライズン」の航海は、ここからが始まっていく。




