第21話 もしかして大切な人でして?
――囚われの身の開拓者と、テロリスト集団の整備士主任。
二人が下層から上がったとき、太陽はすっかり沈んでいた。
人気のない町の中を、湿った潮風だけが吹き抜けていく。
フィンとテラは黙って、リオが待つ家への帰路を辿っていた。
「……ひとつ聞いてもよろしいでありますか?」
やがて、沈黙に耐えきれなくなったようにテラが言う。
フィンは振り向くこともなく、淡々とした返事を返した。
「好きにしろ。だが、必ず答えるとは限らない」
「では、聞くだけ。あの蒼い機体のお名前が気になるんであります」
「……機体の名前? 俺の〈ブルー・ブッチャー〉のことか?」
「はい。素敵なんでありますが、フィンさんの人柄とはちょっと」
フィンには、なんとなくテラの言わんとすることが分かった。
僅かに、彼の歩く速さが緩くなって、少しだけ、声質が和らぐ。
「…………映画だ」
思わずテラは立ち止まった。
「えっ? 映画……でありますか?」
「ああ。西暦の時代に作られたデジタル・フィルムらしい」
「……それは意外でした。どんな映画でありますか?」
「タイトルは“ブルー・ブッチャー”。サメが出て、人を殺す」
「――サメ? サメ映画っていうヤツでありますか?」
次いで、彼女の思考までもがフリーズする。
ようやく頭をぶるぶると振って、問い直した。
「……それは、その、面白い映画なんでありますか?」
「低予算だ。当時の水準で見ても、特撮のレベルが低い」
「はあ。その、だったら、お話が面白いとか……?」
フィンも立ち止まって、彼女の方へと振り向いた。
その訝しげな表情に、理解を示すかのように、頷く。
「ストーリーは破綻している。ユーモアでもない。演技にも抑揚がない」
「えぇ……と、それは面白くないという……?」
「俺があの作品を視聴したのは、それが命令だったからだ」
「それは、そのぉ……懲罰か何かでありますか?」
表情から、困惑の色が濃くなっていく。フィンは淡々と答えた。
「ある人が、俺に世界を教えるために見せた、ランダムな映画の一つだった」
「世界を、教える……。その人って、もしかして大切な人でして?」
「そう定義してもいい。俺の命を救い、人間性の回復にも努めてくれている」
「――……何か、やっぱり、貴方もワケありみたいでありますね」
彼は首に掛かった認識票を握り、金属プレートの冷たさを確かめた。
「……テラ・ティタリ」
「は、はい」
「お前の家に、長距離通信用の機材はあるか?」
フィンの眼差しは、有無を言わせない――。
◇
私室。うたた寝をしていたセレジアは、ドアを叩く音に目を覚ます。
「……誰?」
『バートラムでございます。夜分遅くに失礼します』
「入って頂戴」
ギィ、と木製のドアが開くと、老執事は一礼して入室した。
彼は手に、オペレーション用のヘッドセットをぶら下げている。
「誰からですの?」
「フィン様です」
セレジアはヘッドセットを受け取り、艦橋へ向かう道すがら装着した。
「――フィン! 無事でしたのね。状況はどうなっていますの!?」
『安全を確保して、いまは海洋民兵から、ある仕事を請け負うことになった』
「仕事? どういうことですの? 詳しく教えて! 脅されているの!?」
『落ち着いてくれ、セレジア。――俺は無事だ。いまから説明する』
どうやら状況は、彼女の予想以上に複雑化しているようである。
しかし、フィンはそこでも堂々と、落ち着いていて、平静だった。
自分だけ取り乱すような真似は、きっと指揮官としては相応しくない。
彼女の深呼吸の吐息を、通話越しに聞き取ったのであろうフィンが応える。
『タリク・フロストが、俺に〈アラクネ〉の排除を依頼してきた』
「……タリクが? 彼らは協力関係ではなかったんですの?」
『奴らが兵たちを扇動し、指揮系統が大きく乱れているようだ』
なるほど――セレジアには、彼らの内情が概ね、透けて見え始めた。
タリクは、組織の主導権を取り戻すために彼を使うつもりだろう。
「それで、〈アラクネ〉たちは、いったいどうしているんですの?」
『ヤツらは、ステルス型の母艦で各地をまわっているらしい』
「――道理で。開拓者たちの捜索網にはかからないわけですわね」
脳裏を過ったのは、かつてゼニット社内で見た試製のステルス技術だった。
光学や熱式センサーを無効化するだけでなく、波すらも立てない対波隠密型。
それを使っているなら、誰の目にも留まらずに活動することは容易だろう。
『明日、それがここに帰港する予定だ。その瞬間を狙って沈める』
「……それは、民兵たちの支援を受けられる作戦なんですの?」
『無理だ。孤立無援の暗殺になる。そのことで連絡した』
通話を続けながら艦橋へ向かって歩いていく。扉がみえてきた。
押し開けてまっすぐと通り抜け、彼女のサロンへと向かう。
テーブル上のスマート・パッドを起動し、指揮アプリを起動した。
「話して」
『任務完了後に、海洋民兵が敵対しない、という保証がない』
「そうですわね。彼らは一枚岩の組織ではありませんわ」
『だからこそ、安全な退路を確保する必要がある。頼めるか』
セレジアはエダフォス周辺の海図を開き、マップに書き込みを入れていく。
「ジョニーとナイアを、エダフォスの近くに待機させておきましょう」
『……もうひとつ、頼みがある』
「なんですの? フィン」
『俺が連絡するまで二人を動かすな。〈アラクネ〉に悟られたくない』
フィンの言葉は、その通りに受け取れば合理を感じられるものだった。
が、言葉の裏に込められた微かなニュアンスを、セレジアは察する。
「……まさか、ひとりでやるつもりですの? ヤツを――」
彼が答えることはない。ただ息をつくと、通信は一方的に切られた。
◇
翌朝。
――水平線から昇りつつある太陽を、モニター越しに睨む。
操縦スティックを握る指が、ペダルを踏む足が、冷えていた。
フィンは、コンソールの各種表示を流し見て、彼女に問う。
「カティア。奇襲を気付かれた場合の勝率は?」
『主殿。仮定することに意味はないのではなかったか?』
「……その通りだ。仮定することに、意味はない」
〈ブルー・ブッチャー〉はクレーンを降ろされ、海面に浮揚していた。
乾ドックの開かれたゲートからは、陽の光に照る波の群れが見える。
ピッと電子音が鳴って、インカムから明るげなテラの声が響いてきた。
『来ました。彼らの艦です』
「……あれが〈アラクネ〉の母艦か」
『ズームするぞい!』
モニターのウィンドウが、遠くに浮かぶ艦影を切り取って、拡大する。
艶のない、漆黒の色をした――楔形のボディが、そこを漂っていた。
その艦の大きさは、インスマス号より一回り小さい程度のものだろうか。
「砲も、カタパルトも見当たらんな。格納式か」
『即応性は低そうじゃな。スピード勝負になるぞ、主殿』
「わかっている。テラ、頼んでいたものはあるか?」
カメラを、乾ドックに張り巡らされたキャットウォークに向ける。
テラ・ティタリは、ピースサインと共に笑みを送り返してきた。
『ありますとも。こちら、ご要望のグレネードランチャーであります!』
彼女が手で指し示した先には、3mほどのコンテナ・ケースがあった。
蓋は既に解放されていて、その内側に収められた太い砲身が露出している。
――アルジャバール製、AG-19"ハリーフ"グレネードランチャー。
蒼色の装甲に包まれた左腕部が、ランチャーのグリップを握りしめる。
『昨日言われてからすぐに、仲間たちに搬入させておきましたので』
「感謝する。――後は、離れていろ。発進する」
右手に“カトラス”アサルト・ライフル、左手に"ハリーフ"を持った重装備形態。
〈ブルー・ブッチャー〉は深く腰を落とした姿勢で、両脚部のポンプを唸らせた。
六本の補水索が海面を捉え、噴水口から、激しい水の奔流が吐き出される。
深い前傾姿勢。推力が一気に指向性を持って、機体がドックから弾き出された。




