【7】不幸と幸福の天秤
僕が最初に感じたのは、腕に走った鋭い痛みだった。
覚えているのは、二発の銃声、意外と長い落下の心地良さ、そして身体が派手にバウンドしたこと。
目を開けると、そこは病室だった。
看護師達が慌ただしく動き回り、医師がやって来て「もう大丈夫ですよ」と力強く言ってくれる。
僕の容態は、左腕に弾丸がかすった浅い傷と肋骨のヒビだけだったが、脳震盪を起こして24時間意識不明だったという。
その後、ニューヨーク市警の刑事が二人、病室にやって来た。
「何があったんですか?」とまず訊かれたが、事実を話すわけにもいかない。
ズキズキと痛む頭で「何も覚えていません」と答えた。
刑事二人が同情した目で僕を見ると、全てを明らかにしてくれた。
僕がやったとされる犯罪の全ては、僕の主張通りグレッグが行ったことだと、あれほど僕を叩きのめそうとしていた FBI 側からの告発で判明し、それを裏付ける証拠も揃っていること。
だがそれをグレッグに気付かれ、逮捕される前に「僕が自分の罪に耐えきれず自殺を計ったかのように見せ、時間稼ぎをし、国外逃亡を図ろうとしていたこと」。
そして僕が「自殺させられようとしている」ことを、ニューヨーク市警が一歩先に知り、あのビルの下で僕の落下に備えて消防が万全の体制を整えていたこと。
「私達は秘密裏に動かなければなりませんでした」
刑事達が言うには、現場に踏み込む直前にグレッグが子供を人質に取っていることが分かり、僕には申し訳なかったが、僕に落下してもらう方を選んだという。
スナイパーを配置する時間も無く、グレッグは泥酔していたので、僕の運動神経なら万が一発砲されても避けられるだろう、と。
「僕の生命を賭けたんですね」と笑うと、刑事達は申し訳無さそうに、だが断固として言い切った。
「奴は子供を人質にしていた。あなたを銃で脅して飛び降ろさせ、子供を道連れにするかもしれなかったんです」
僕は「道連れ」という言葉に引っ掛かった。
「道連れって……どういう意味ですか?」
刑事は淡々と答えた。
「グレッグはあなたを撃った後、我々に包囲されていると悟ったんでしょう。自殺しました」
僕は目を見開いた。
「……本当に自殺なんですか?」
「ええ。本人の手に銃が握られていて、手から発射残渣も出ました」
「じゃあ……人質にしていたという子供は……」
一人の刑事が安心させるように僕の肩にそっと手を置く。
「グレッグが自殺を計る前に逃げました。多分、あなたを撃った隙に逃げたんでしょう。
10代前半の髪の長い少女としか分かっていません。
あのビルは現在使われていなく、防犯カメラも作動していない上、グレッグは通りの防犯カメラも巧みに避けて移動していたようで、僅かな目撃情報しか無いんです。
目下、捜索中です」
刑事達が、残りの捜査は FBI に引き継いだが、グレッグを有罪にするに有り余る証拠は揃っているので、僕に証言を求めることもないでしょうと言って帰って行くと、今度は僕が勤めていた証券会社の人々や友人達がお見舞いにやって来た。
僕が犯罪者だと決め付けられた時に一斉に去って行った人々が、謝罪し、笑顔で「無事で良かった」と言う。
僕も謝罪を受け入れ、笑顔を絶やさなかった。
波風を立てても仕方が無い。
こんな仕打ちは僕の「不幸」には入らない。
何時間ウトウトとしただろう。
少し暗い病室に、鮮やかなピンクやブルーのバルーンが見える。
見舞い客が置いていった花々の中に、アリスがバルーンを持って立っていた。
「良く眠ってたね」
やさしいアリスの声。
安っぽいバルーンを持っていても尚、壁画の中の天使のようなアリス。
「……アリス……君は……」
「シーッ」
アリスが桜色の唇に人差し指を立てる。
「レン、時間が無いんだ。僕はさよならを言いに来たんだ」
「……さよなら?」
「そうだよ。前はさよならを言えなかったから。
ずっとレンにさよならを言いたかったなあって思ってたんだよ」
「……アリス……僕は……僕だってずっと君を……」
ああ、なぜだろう。
こんな大事な時に何も言えない。
アリスに訊きたいことなら山ほどある。
だけど、そんなことはもうどうだって良い。
さよならなんて嫌だ。
またアリスと別れるなんて……。
アリスを引き止めたい。
引き止める言葉――。
「アリス、どうして僕の弟と妹まで消したんだ?」
自分でも思ってもいなかった言葉が、口から出た。
アリスがバルーンを持ったまま、音も無く僕に近付いて来る。
真っ赤なスニーカーを履いて。
僕の目を真っ直ぐに見つめ、まるでお天気の話でもするようにあっけらかんと答えた。
「だってレンが弟と妹を憎んでいたから」
アリスの澄み切った薄茶の瞳に映る僕は笑っていた。
そうだ。
僕はあんな父母でも、両親に愛されている弟や妹が憎かった。
悪魔のような父母に溺愛される弟と妹を「可哀想だ」と自分を騙していた。
本当は、僕だって愛されたかったんだ。
だって、そうだろう?
僕だってお父さんとお母さんの子供だ。
僕だってお父さんとお母さんに、無条件に愛される資格があるのに……!
アリスは僕の頬にかかる自分の長い髪を耳に掛けると、不思議そうに僕を見る。
「なぜ泣くの?」
「……嬉しいから。真実に気付かせてくれてありがとう、アリス」
「良かった!じゃあ僕は行くね!さよなら、レン!」
そう言ってアリスは楽しそうに笑う。
そしてアリスは、自分が持っていたバルーンの紐を僕の指に引っ掛けた。
だが僕は、その指を振り払った。
バルーンの紐が僕の指から外れ、バルーンは天井に向かってゆっくりと上昇していく。
アリスは天井を見上げ、僕に視線を戻すと、白くか細い指で僕の手をそっと握った。
「……アリス……僕はまた不幸になるよ。分からない?」
そう問う僕にアリスは美しく微笑む。
「レン、僕と一緒に来る?」
やさしい、やさしい声は愚問を発する。
僕は即答する。
「連れて行ってくれ。君がいなけりゃ僕は不幸だ」
「分かった」
アリスがジーンズのポケットから、キャップの着いた注射器を取り出す。
僕は笑った。
「アリスだって分かってるじゃないか!」
アリスも初めて出逢った時のような、キラキラと音がしそうな笑顔で「僕は用意周到なんだ」と言うと続けた。
「これは毒だよ。科学兵器にも用いられるくらいの猛毒だ。
でもレンを苦しめない工夫をしてあるよ。レンは眠るだけ。
そしてこの病院じゃ対処出来ないから、必ずレンを別の病院に移送する。
僕は移送中の救急車からレンを奪って、解毒剤を打つ。
だけどレンの身体は100パーセント安全じゃない。それでもやる?」
「勿論」
僕が再び即答すると、アリスが注射器のキャップを外しながら言った。
「じゃあ目覚めたら何したい?」
「アリスと一緒にってこと?」
点滴に注射針が刺さる。
「そうだよ」
「そうだな……アリスと一緒に太陽に照らされた青い海が見たい。ニューヨークは寒かったから……」
アリスが「今日も四月一日だよ、レン」とやさしく言った声と共に、僕は意識を失った。
そうだね、アリス。
あの日も四月一日のエイプリルフールだった。
でも君は、他の日に嘘をついても、エイプリルフールに嘘はつかないって僕は知ってる。
きっと目覚めたら、君はまた煌めくような笑顔を見せてくれるだろう。
そして僕からは君に何も訊かないよ。
君がなぜ僕を助けてくれるのか。
どんな方法で僕の「不幸」達を知り、葬り去ったのか。
ただ、君に伝えたいんだ。
君に初めて出逢ったあの日から、君を愛してるって。
そして君とずっと一緒にいたいって。
「レン」
君のその独特なやさしい声が本当に好きだ。
「レン、寝た振りしてるの分かってるよ」
眩しくて直ぐには目が開けられないんだよ。
「レンってば!」
僕だって早く見たいよ。
美しく照らされた太陽と青い海と。
美しい君を。
そこにある、僕が人生で初めて掴んだ幸せを。
たとえ、僕が死んだとしても、僕の呼吸が完全に止まるまで、アリスは傍にいてくれることも、僕は知っているから。
〜fin〜
ここまで読んで下さって、本当にありがとうございます。
レンの天秤は、あなたにはどのように映ったでしょうか。
不幸か、幸福か、それとも友情か。
答えは読んでくださった皆さまの胸の中に…。
応援してくださった皆さま、本当にありがとうございます。
この作品は「秋の文芸展2025」に参加しています。
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