1.暗殺失敗!でもお粥がおいしいからまあいっか
寵姫として王の寝所に忍び込み、毒針で急所を刺す。
簡単なお仕事だ。
王の寝所とはいえ、伽の最中なら警備は最小限。加えて、相手は丸腰なのだから。
隠密業をしている頭領に拾われ、そこで兄さま達と一緒に鍛えられた翠なら、造作もないことだ。すでに何人もの役人や貴人を屠ってきた。
「近う」
王は、平伏する翠を、寝台へ呼び寄せる。はい、と無垢な姫を装うために、震えた声を出す。
「顔を上げよ」
翠は言われるがまま、恐る恐るといった様子で顔を上げる。
王はすでに前を寛げている。鍛えられた肉体が、ろうそくの明かりで、凹凸を主張している。男の裸など、兄さまたちのを見慣れている。
しかし翠は、それを恥じらう乙女を演じるために、恥ずかしそうに視線を背ける。それに満足したのか、王はほほ笑んだ。
「少府監からの紹介だったな。遠慮はいらぬ。近う」
少府監と頭領がどのようなつながりなのかは分からないが、そういうことになっている。翠は王が招くまま、近くへとすり寄っていく。
(もう少し。もう少し近づけば)
袖に隠した毒針を、首にさす。そのまま致命傷になればよし。ならずとも、体のどこかに刺さりさえすれば、毒が回り暗殺は成功だ。その後、逃げられれば逃げるし、無理なら口のきけない死体になるのみ。
王との距離を少しずつ縮める。王は余裕の笑みだ。当然である。今から自分の身に起こることなど、知る由もないのだから。
王が翠に手を差し伸べる。もう触れる。それを恭しくとる――ふりをして、手を払い、毒針を振りかぶる。
(いける!)
勝利を確信したが、しかし、毒針を持った手は押さえられてしまった。
(!?)
避けられる間合いじゃなかった。
でも。
何はともあれ失敗だ。
では死すのみ。
翠は奥歯に仕込んだ毒薬のカプセルを、かみ砕こうとした。
「おっとっと。物騒だな」
王は翠の口へと手を突っ込む。そのせいで噛めない。もうだめだ。死ねなかった。壮絶な拷問が待っているだろう。
王の指は、毒薬をいとも簡単に見つけ出し、奥歯から外した。押さえた手に持っている毒針も奪われる。
「暗殺者だな」
当たり前のことを問われ、翠はそっぽを向いた。答える気などない。翠の一挙手一投足が、頭領たちへの危機へとつながる。だから、拷問されようが、どんな辱めを受けようが、何も言えない。
「よく来るんだよ。お前のような輩が。閨房なら何とかなると思っている、単純な奴らが」
単純な奴ら呼ばわりされて、翠の頬が怒りで赤く染まる。王は少し愉しんでいるようだった。
「余はそういう奴らには、同じ目に遭わせている。そうすると、皆同じように、毒気を抜かれ、主人を裏切るのだ。お前もどうなるか、見物だな」
(拷問か――それとも薬か?いずれにせよ、私が頭領を裏切ることはない)
「入れ!」
王が大きな声を出し、外の者を呼びつけた。これから牢へと連れていかれるのだ。せめて、先ほどの毒針を自分に刺せればと探すが、手の届かない距離にあり、到底無理だ。
警護の者が3人入ってきて、平伏する。
「この者に、温かい粥と菓子を」
「かしこまりました」
二人は王の命を受けて部屋を出ていき、残った一人は翠を拘束した。
(粥と菓子!?)
何かの隠語か。おそらく媚薬の一種だろう。
(媚薬を飲ませて、快楽漬けにする術があるという。案外こいつ……エッチだな!!)
王の顔をよく見れば、色好きにも見える。美姫を夜ごと呼び寄せるのだから淫蕩であろうし、普通の行為は飽きているのだろう。
(あんなことやこんなこと、そんなことまでされてしまうのか……!?)
翠は男性経験こそないものの、房中術は暗殺技術の一つとして修めている。つまりは、耳年増であった。
(何度もそんなことされたら――ああ、けだものになってしまうかも…。さらに同時にこんなこともまでされたら――でも、頭領のことを吐くわけには…!)
処女だからこその、ありえない妄想をあれこれしているうちに、粥が乗った膳が運び込まれた。
「食え」
王の命は簡潔だ。媚薬など、口にしたくない。媚薬によるエッチな快楽がどういうものか、少しは気になるが。
翠が食べないのを見ると、王は膳を運んできた女官に目線を送った。女官は粥を匙に乗せ、翠の口元へ運ぶ。
近くで見る粥は、真っ白だった。ふっくりとした米は柔らかそうで、上に胡麻のようなものが乗っている。魚のように見える具も入っている。それらがとろりとした液をまとい、つやつやと輝いている。湯気がふんわりと立ち、翠の鼻腔をくすぐる。それは、嗅いだことのない、優しくも強いうま味を想像させるものだった。
故郷で食べる粥は、米などほとんど入っておらず、麦や硬い雑穀、芋などがメインだ。それに菜っ葉を入れて、多めの水で炊く。塩があれば幸運。その結果できるのは、味のないどろんとした液体。それが翠の知っている粥だ。
女官は粥をふうふうと冷ます。それでさらに、あたたかな蒸気が香りをまとって、翠の口元を刺激する。口の中は唾液でいっぱいだ。思わず唾を飲み込んだ。
「どうぞ」
まったく害意のなさそうな女官が、にっこりと匙を差し出してくる。そういえば今日は、朝に芋を食べたきりだった。
翠は思わず口を開けた。そこへ匙が入り込む。
(あつっ…………うっま!!!!!!)
粥は少し熱かったが、すぐになじんだ。塩と――これは何の味だ?食べたことがない。甘くて、ちょうどよくしょっぱくて、何だかよくわからないけれど、信じられないくらいうまい。
女官が次の匙を運んでくる。翠はためらいもなくそれにかぶりついた。
(うんまっっ!!!!!!!)
その中には、少ししょっぱくて弾力のあるものが入っていた。それは噛めば噛むほど味が出てきて、何度も口の粘膜を喜ばせる。唾液が止まらない。
女官が、器と匙を差し出す。それをつかみたくて手に力を入れると、拘束の力がゆるんだ。慌てて器を手にし、自分で粥を掻き込む。王のことも、媚薬のこともすっかり忘れ、翠は粥に夢中になった。
器が空になるまで我を忘れて食べてしまった。
(あ、媚薬――、ていうか、王は?)
そこでやっと、本来の目的を思い出す。今のところ、体に異常は感じない。王はというと、寝台に座ったまま、なんとも言えない愛おしそうな目で、翠を見下ろしている。
翠は恥ずかしくなって目をそらした。
(私は、敵地で何をしているんだ!何を盛られているか分からないものを、器一杯食っちまった!)
毒薬が入っていれば死。自白剤のようなものが入っていれば頭領たちの危機。媚薬が入っていれば、快楽責めコース。油断がもたらしたものは、死が一番ましと思える、恐怖のラインナップだ。
「菓子を」
王の呼びかけに、女官は膳の上のまんじゅうを手に取った。
(あれは――!)
女官が手にしたまんじゅうは、見たことがあった。一度だけ、頭領が土産でくれた。一つを弟子たちで分けたから、あの時はほんの少ししか食べられなかった。香ばしい皮の中には甘い餡が入っていたが、餡は兄様たちに取られてしまった。食べたのは皮だけであったが、そこに少しついていた餡は甘く、独特の香りがあった。
しばらくは、そのまんじゅうが忘れられず、店で求めようとしたことがあった。しかしとても高価で、翠に買えるものではなかった。
そのまんじゅうが、丸ごと一つ、翠の目の前にある。
「ご自分で召し上がりますか?」
女官は、翠にまんじゅうを差し出す。召し上がりたい。召し上がりたいに決まっている。
(もう粥もたっぷり食べたし、こうなったらまんじゅうも行っちまえ!!)
翠は心の声に、正直に従った。
まんじゅうを手にし、すんすんと匂いを嗅いでみる。あの時と同じタイプの匂いだ。甘い匂いに加えて、木の実が出す香ばしい匂いも混じっている。
思い切り一口、かじってみた。
(あんめえぇぇぇええええ!!!)
記憶より何倍も、どっしりとした甘みだ。唾液が一気にじゅわっと分泌され、ほっぺの内側が少し引きつる。気にせず咀嚼すると、なんとも言えない香ばしい匂いが、さらに食欲を刺激する。
(あまっ!うまっ!!あまっ!!!)
無我夢中で半分くらい食べたところで、喉が詰まった。水気の少ないまんじゅうが、喉の水分を奪っていく。思わずせき込んだ。
女官が茶を差し出してくれるので、それを口へ流し込み、せき込みが収まるのを待つ。
「ははっ」
醜態を、王に笑われた。その恥辱に、思わず国のトップをにらみつける。
「よっぽどうまいようだな。そちのような暮らしをしていたら、一生食べられぬものだ。宮中料理はうまかろう」
確かに、頭領や兄様たちと暮らしていたら、食べられなかったかもしれない。でも彼らとは絆がある。決して裏切ることはできない。
「まんじゅうを食べたら、風呂に入れ」
(風呂……?)
それも、何かの隠語か。
(水責め――いや、風呂なら今度こそエッチなことだ!!)
◆
翠が去った扉をしばらく見ていた王は、近くの侍従に声をかけた。
「あのもの、名はなんだった?」
「はい。たしか――翠と」
「翠――か」
この状況で、粥をずるずる飲み干し、のどが詰まるまでまんじゅうを食べたものはいなかった。
(暗殺の腕はなかなかだった。――なのに)
まんじゅうを詰まらせる間抜けぶり。
(このあとどうなるか、見ものだな)
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