第1話選ばれるという日常
朝は、いつも同じだった。
光の入り方も、空気の温度も、街の音すら一定に調整されている。
この都市では“変化”というものが、ほとんど存在しない。
神代湊は、端末の通知で目を覚ました。
そこには今日の予定が淡々と並んでいる。
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・適合面談:2件
・生体評価更新:1件
・生活適合確認:1件
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「……変わらないな」
誰に向けたわけでもない言葉が、部屋に落ちる。
変わらないことは、この世界では安定だ。
安定は、管理の完成度を意味する。
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玄関を出ると、外はすでに人で満ちていた。
だがそのほとんどは女性だ。
仕事に向かう者、談笑する者、端末を見ながら歩く者。
誰もが自然に見える。
それが、この世界の異常だった。
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男性はほとんどいない。
いるとしても、表に出ることは少ない。
保護され、管理され、割り当てられる存在。
それが「男」という分類だった。
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「神代さん」
背後から声がする。
振り向くと、管理局の職員が立っていた。
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「本日の適合率、更新されています」
端末が差し出される。
数値は高い。
いつも通りだ。
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「引き続き優先対象です」
優先。
それはこの世界では、特別ではない。
むしろ拘束に近い言葉だった。
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人間は三つに分類される。
生産側。
消費側。
そして管理対象。
神代はその境界にいた。
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施設に入ると、空気が完全に切り替わる。
白い壁。
均一な照明。
余計な音のない空間。
ここでは感情は必要ない。
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最初の面談はすぐに始まった。
部屋に入ってきた女性は、丁寧に頭を下げる。
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「よろしくお願いします」
緊張しているのが分かる。
だが、その緊張は恐怖ではない。
慣れた緊張だ。
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神代は軽く頷く。
「問題ありません」
それ以上の言葉は不要だった。
この場では、会話は機能ではない。
手続きだ。
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数十分後、面談は終わる。
女性は少しだけ安心したような顔をしていた。
何かが解決したような表情でもあった。
しかしそれが何なのか、神代には分からない。
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次の予定へ向かう廊下で、ふと足が止まる。
理由はない。
ただ、ほんのわずかに、違和感のようなものがあった。
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「湊」
声。
振り向くと、一ノ瀬梨沙が立っていた。
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昔から変わらない顔。
昔から変わらない距離。
そして、変わらないまま少しだけ遠い存在。
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「久しぶり」
「仕事?」
「まあね」
短い会話で終わる。
それが一番自然だった。
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「疲れてる?」
「別に」
「そう」
それ以上は聞かない。
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沈黙が落ちる。
この世界では沈黙は珍しくない。
しかし彼女との沈黙だけは、少しだけ意味が違う気がした。
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「ねえ」
梨沙が言う。
「それでいいの?」
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それ。
何を指しているのかは分かる。
分かるからこそ、答えられない。
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「仕事だ」
それ以上の説明は必要なかった。
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梨沙は少しだけ目を伏せる。
「そっか」
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それだけだった。
否定もしない。
説得もしない。
ただ、そこに“違い”だけが残る。
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彼女は歩き出す。
止める理由はない。
止める権利もない。
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「またな」
気づけばそう言っていた。
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梨沙は振り返らない。
ただ軽く手を上げるだけだった。
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その背中を見ながら、神代は思う。
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“それでいいのか”という問いは、この世界には存在しないはずだ。
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だがその日だけは違った。
その問いは、消えなかった。
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施設へ戻る途中、端末が通知を出す。
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【新規特別観察対象:登録】
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神代は歩きながら画面を見る。
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出身:不明
登録:未付与
履歴:未確認
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そして最後の一行。
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「1980年より転移した可能性あり」
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足が止まる。
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意味が分からない。
だが、それ以上に理解できないことがあった。
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“理解できないものが出てきた”という事実そのものが、この世界では異常だった。
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神代は端末を閉じる。
空はいつも通りだった。
街もいつも通りだった。
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それでも、どこかだけが確実に違っていた。
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この世界は、まだ終わっていないのではない。
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もしかすると。
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何かが、始まりかけているのかもしれなかった。
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(第1話・終)




