旅立ちの日
10話のダンスパーティの翌日の二人です。
「お父さん、お母さん、お兄ちゃん。行ってきます」
「娘さんをお預かりします。お義父さん、お義母さん、お義兄さん」
ダンスパーティの翌日、魔石列車の発着場にて。
服の上に長旅用のローブを着て、大きな旅行カバンを横に置き、リーティアはジオと共に家族に最後の別れの挨拶を告げていた。
「リーティア……幸せになるんだぞ。ジオ君、娘を頼んだ」
「何か困ったことがあったらいつでも言いなさいね。力になるわ」
「元気でな、妹よ」
持ちきれない分の荷物は木箱に詰めるだけして、後から新居宛に送ってもらうことになっている。家具や生活用品は向こうで用意してくれるとのことなので、最低限必要なものだけカバンに詰めた。
「忘れ物は無いかい?」
「うん、大丈……あ、水色のリボン!つけて来ようと思って鏡台に忘れて来ちゃったわ!」
髪を耳にかけようとして指を通したリーティアが、その指が髪以外の何にも触れなかったことでハッと気づく。耳の上あたりの両サイドに結ぼうとリボンを二本も用意していたのに。
「どうしよう、ローブがあんまり可愛くないからせめてリボンをと思ったのに」
「代わりに君自身が何よりも可愛いだろう。そこは気にすることない」
「ジオ……!」
落ち込むリーティアをジオがすかさず慰めた。所在なさげに髪を梳いていたリーティアの手に自身の手を重ねて言う。
「だが水色のリボンがあれば更に可愛いのも事実だ。空に白い雲が映えるようにこの二色が合うのは世界が始まってからの自明の理。途中の停留所で降りて服屋か雑貨屋に寄ろう」
「うん!」
妻の忘れた髪飾りを買うためだけにわざわざ途中下車。これだけ聞けばお洒落にうるさいわがままな妻と振り回される夫のように聞こえるかもしれない。
「春の空のように優しい水色もいいが、夏の空のように澄んだ青もいいな。どっちも似合う。今から買うのが楽しみだ」
「ふふ、ありがとう」
しかしジオはこれを本心から言ってるのだ。むしろリーティアより楽しみにしているところすらある。
「薄水色から紺碧までグラデーションで全て揃えるのもいいな。何十本くらい欲しい?」
「カバンに入り切るかしら……」
本当にリーティアより楽しみにしている。若干単位がおかしい。業者か。
「リーティア。これをあげるわ」
「え?」
その時。リーティアの母が自身の首に巻いていた水色のスカーフを解き、リーティアに近づいた。
「ジオさん、ちょっとごめんね」
そしてぴったり寄り添っていたジオに少し離れるように促し、スカーフを使いリーティアの髪を簡単に結い上げた。スカーフ留めのリングには大粒の青真珠がついており、それも一緒に。
「……陸に人魚姫が現れたかと思った……!」
鏡が無いのでリーティアは自分ではどうなっているか確認できない。しかしジオの反応で充分にわかった。
「お母さん、いいの?これ、お母さんのお気に入りでしょう?」
この青真珠とスカーフは、リーティアの母がここぞという時にいつも着けていたとっておきのものである。はっきり聞いたことはないが、かなり高価なものだろう。
「いいのよ。リーティアが喜んでくれるなら。とっても似合うわ、リーティア」
「お母さん……ありがとう」
肌触りの良い水色の布に手を当て、リーティアは笑顔で礼を言った。このスカーフなら以前ジオとのデートの時に着た水色のワンピースにも似合うだろうと思いながら。
ただあの服だけでも『可愛過ぎて語彙力が追いつかない、光の精霊に見放される』と苦悩していたジオがどうなってしまうかちょっと心配であるが。
「本当に似合う、リーティア。これなら初デートの時に着ていた水色のワンピースにも合うんじゃないか?向こうに着いたらさっそく試し……駄目だその時は今度こそ光の精霊に見放されてしまう……俺が語彙力を鍛え終えるまでちょっとだけ待っててくれ」
「……光魔法って他人の心を読むものとかはないわよね?」
「?無いが」
思ったことをそのまま言われてまた驚く。前にもこんなことがあった気がする。まあジオが無いと言うなら無いのだろう、人の心を読む光魔法は。
「途中で本屋にも寄ろう。国語辞典を買いたい」
「本当に語彙力を鍛えようとしなくていいから」
「しかし手持ちのもので間に合うかどうか」
「待って!そのカバンの中に辞典入ってたりしないわよね!?」
ジオは有言実行の男である。リーティアとてそれはよく知っているしそんなところも好きだ。初デートの時に『可愛い』しか言えなくて悔やんでいたジオが帰りに本屋で国語辞典やら褒め言葉集やらを買っていったのも知っている。
「置いていきなさい!お兄ちゃんごめん、ちょっとこの辞典預かってて!後で私の荷物の中に入れて送って!」
「!?待ってくれリーティア、それじゃあ旅の途中君の可愛らしさに俺の語彙力じゃ太刀打ちできなくなった時どうする!?」
「言葉以外で表現してくれればいいわよ!」
「……!その手があったか……!」
そんなジオの気持ちはとても嬉しい。とても嬉しいが、いかんせん辞典は重い。長旅にはさすがに不向きである。まさかと思って持ち上げたジオのカバンがあまりに重く、というか重過ぎて持ち上がらず、リーティアは急いで中身をあらためた。
「こんな重いものと何百キロも旅をする気だったの……」
「君と光の精霊に誓って嘘はつけないからな。足りない語彙力を補うためには多少の重量くらい」
「岩のように重かったわ。いったい何冊入れてるのよ、もう!」
次々と取り出される国語辞典を受け取りながら、リーティアの兄が顔を引き攣らせる。
「すみませんお義兄さん、ご迷惑おかけします」
「お、おう、いいってことよ、義弟よ……」
最終的にジオのカバンの重量は当初の三分の一程になった。
「ジオ君……娘を頼むぞ……?幸せにしてやってくれよ?」
「はい。必ず」
父が最初の台詞を再び言った。なんだかちょっとだけ不安が出てきたらしい。
「大丈夫よお父さん、そこは問題ないわ。私はもう今も充分幸せだから」
「リーティア……ああ、そうだな。今のリーティアの顔を見ればわかることだ。彼で間違いなかった」
「父さん、ちょっとこの国語辞典持ちきれないから父さんも少し持って」
「彼で間違いなかった」
兄の言葉をスルーし、父が力強く頷く。無事納得してくれたようだ。
「カバンのスペースが空いたことだしリーティアのリボンを入れよう。これでいくらでも買える」
「その話は後にしましょう」
「わかった」
ジオの提案に、ちょうど遠くから響いた列車の汽笛の音が重なる。
おかげで今のやりとりが家族に聞こえなかったのは幸いだったかもしれないと、リーティアは少しだけ思った。




