10話 病める時も健やかなる時も
「なっ……ど、どういうことだ!何故、何故だリーティア!」
「先日入籍致しまして、今の私は既婚者です。どなたの求婚も受けられません」
「そういうことではない!何故君が結婚など……っ」
しんと静まり返った会場で、最初に息を吹き返したのはアンドリューであった。髪を振り乱し、目を血走らせてリーティア達に詰め寄る。
「俺がリーティアにプロポーズしたからです」
「……貴様!自分が何をしたかわかっているのか!」
ラフィザード国は王族に一夫多妻制度はあるが、一妻多夫や重婚は認められていない。既婚者への求婚はご法度である。
「リーティア……っどうして今日まで待ってくれなかったんだ……っ」
離婚後に別の人と再婚することは可能だが、それも王族でなければの話。王太子の妃となれば当然の如く純潔が求められる。
「妃教育が終わり、重鎮達への根回しも完了し、明日にはこの男は国の最果てに追放される。ようやく全ての準備が整ったのだ。あとほんの少し待っていてくれれば間に合ったのに……!」
身分が低い分妃教育で差をつけたのに、離婚歴という瑕疵が加われば一気に妃候補としての価値は下がる。
完璧だった計画が直前で崩壊し、アンドリューは狼狽した。
「いいえ、今日までに結婚しないと間に合いませんでした。明日の昼前にはジオはセルヴィ領へ発つことになっているので、私が彼について行くためには」
「くっ……つまり、この男がリーティアを道連れにするために無理強いしたということだな!?おい貴様、恥を知れ!」
激昂した王子がジオに向かい右腕を振り上げる。しかしそれが振り下ろされる前に、リーティアが間髪入れず答えた。
「無理矢理ではありません。ジオからこの話を聞いて、私から彼と離れたくないと言いました。なので私から求婚したようなものです」
「いや求婚は俺からだ。俺からはっきり『結婚してくれ』と言ったんだ」
「何も結婚の二文字に囚われることないでしょう。遠くに行く人に離れたくないと言った時点で結婚したいという意思表示になるわ」
「それならそもそもその少し前の日にどんな不利益があろうとリーティアのそばにいると誓った時点で」
「それも私から催促したようなものよ!」
「初めに言ったのは俺だ」
一方、姫と王子のハッピーエンドを今か今かと見守っていた生徒達は、完全に別方向に転がりだした展開をただただポカンとして眺めていた。
「どういうこと……?平民からの求婚を自分の意思で受けるなんて、そんなこと」
「だ、だが逆ならまだしも、平民が貴族に結婚を強要なんて出来るわけない。それなら、本当にリーティア嬢の方から……」
「そんな、でも、じゃあ殿下は?」
最初生徒達は、リーティアがアンドリューからの愛に気付かなかったばかりに、早まって当て馬の求婚を受けてしまったのかと思った。それか強引に押し切られて受けざるを得なかったのかもしれないとも。
だがしかし、このお互いに庇い合……張り合うようなやり取りを聞きどうもそうではないらしいことに気付き始め、戸惑いの波が広がって行く。
「いいやまだ間に合うはずだ!結婚してまだ間もないのなら取り消しできる可能性がある。リーティアは私の愛を知る前に結婚してしまったのだ、今ならもうそんなことはしないだろう。その婚姻には間違いがあったとして、私から直々に教会に取り消し申請を……っ」
「いいえ、何も間違いはございません。殿下のお手を煩わせるようなことは何一つ」
アンドリューが必死に伸ばそうとした救いの手をきっぱり拒絶したリーティアに、生徒達が更にどよめく。先程までのやり取りで、どうやらリーティアがジオと結婚したのは気の迷いやうっかり押し切られただけというわけではなく、双方同意の上であるらしいことはわかった。
とはいえ王子からの愛を知らぬ間に婚姻してしまったのも事実。惜しいことをしてしまったと後悔くらいはあるだろうと思いきや、リーティアの顔には微塵も迷いはなかった。
リーティアが今からでも頼めば、アンドリューの手腕で本当にジオとの結婚を取り消せるかもしれないのだ。そうすれば婚姻歴も残らず、妃になれる道はある。なのにそれを一蹴してしまうとは、まるで。
「殿下と天秤にかけても尚、あの男を選ぶということ……?」
「まさか!そんな馬鹿なことあるわけない!」
「いやでもそれがまさに今目の前で」
「それどころか、最初から天秤にかける気すらなかったのでは」
「それこそあり得ない!いやしかし現に……」
先程まで誰も口を挟めなかった王子の愛の劇場に、ぽつぽつと疑問の声をあげる生徒が現れ始める。
王子と姫のハッピーエンドを信じていた他の生徒が反論しようとするも、否定する材料が見当たらない。
「そんな……何が不満なのだ、リーティア。子爵家の君をただ一人の妃として迎えるため、ここまでの準備をしてきたのだぞ……準備に十年もかかってしまったことは悪かった。だが、いくら私でも一年や二年でどうにかなることではなかったのだ。どうかわかってくれ」
うちひしがれる王子の前で固く手を取り合う二人。もはやどちらが当て馬かわからなくなってくる。
「許してほしい、リーティア。ただ一人の妃の座の準備のため、十年もかかってしまった私を。だが、どうか……」
周りの空気が変わってきたことにも気づかず、アンドリューが悲壮な表情で再び首を垂れた。
もしや当て馬は、平民の方ではなく……と、生徒達の心がだいぶ疑惑に傾いたところで。
「どれだけ椅子の準備をしようと、相手に座る気がなければ意味がないんじゃないですかね」
それだ。
その言葉に生徒達の心が一つになった。誰もがうっすら思いつつも言えなかった言葉を、さっきまで当て馬だった男があっさりと言い放った。
「な、なっ……!馬鹿な、何を言う貴様!」
顔を驚愕に染め、アンドリューが狼狽える。そんなことはまったく想定していなかったように。
「殿下は椅子を準備した。リーティアはそこに座る気はなかった。それだけの話でしょう」
「何をデタラメなことを言ってる!嘘だ、そんなわけがっ」
「嘘?俺は——」
「申し訳ございません、殿下」
何かを言いかけたジオの胸に手のひらを当ててそっと制し、リーティアが前に進み出る。
「私の夫は嘘をつけないのです。殿下の気分を害してしまったのなら、妻として謝罪致します」
そう言って深々と頭を下げるリーティアに、アンドリューはしばし呆然とし、その後何も言い返すことはなかった。
◆◆◆
リーティアがジオのプロポーズを受けたのは、ダンスパーティの日から半月程前に遡る。
「学園を退学することになった」
「えっ……?」
いつもの補習が終わり、待っていてくれたジオと一緒に帰っていた時のこと。
「え、ど、どうして、なんでそんな急に!?」
「セルヴィ領ってわかるか?今水不足で作物が育たなくて大変な地域らしい。そこに行けって王宮から指示があった。来月の頭、ダンスパーティの翌日には出発する」
「そんな……」
あまりに急すぎて信じられない話に、リーティアは言葉を失った。しかし信じないわけにはいかない。ジオの言うことだ、嘘でも冗談でもない。
「まぁこの学園に来たのも『光属性だから』で急だったし、今度は東に行けと言われても特に疑問はないが」
「あるわよ!人の事情も生活も考えないであっち行けこっち行けって、ジオは物じゃないのに!」
「でも孤児だ。文句を言う保護者もいない。というか俺の身元は国預かりになってたから、今回は保護者から命令されたようなもんか」
「ジオは……文句は言わないの……?王都から、ううん、私からすごく離れちゃうのに?わ、私だったらもっと抵抗するわ。離れたくない」
淡々と受け入れる様子のジオにリーティアの方がショックを受ける。
セルヴィ領と言えばラフィザード国の東の果ての地方である。王都からずっと遠い。会いたいと思っても、お互いに中々行けないだろう。
「ああ、俺もどうせならもっと王都に近いところが良かったが、贅沢は言ってられないしな。どれくらいのペースで王都に来れるかはわからないが、なるべく帰ってくる。手紙も書く」
「でも、嫌じゃないの?せめて学園を卒業するまでとか待ってもらえたら」
「いや、俺も早い方がいい。セルヴィ男爵夫妻には子がいなくて、俺の貢献度によっては養子にしてくれるって話なんだ。これを逃す手はない」
「っ!」
目の前が真っ暗になった。
以前ジオは『どんな不利益があってもリーティアのそばにいたい』と言ってくれた。その言葉に嘘はないだろう。
……大きな利益があれば、リーティアよりそちらを選ぶとしても。
「……そっか。ジオは、このまま学園にいるより、セルヴィ男爵家の養子になる方がいいのね」
「ああ、だって」
リーティアの家とて爵位を金で買ったのだ。ジオを責める資格などない。
それでもジオならそんなものより自分を選んでくれると、勝手に自惚れていた。
「爵位があれば、君に求婚できるだろう」
「え?」
思わず溢れそうになった涙を堪えていた、その時。
「リーティアにまだ婚約者はいないな?何年以内なら間に合うだろうか?一生君の一番そばにいたい。勿論爵位さえあればOKなわけではないことはわかってるが、何もしないで諦めたくないんだ」
「は!?え!?」
しれっと落とされた爆弾に涙が吹っ飛ぶ。
「そ、そんっ、そんなの、そんなの……っ!」
ああ成る程。こんな勝手な話で嫌がる様子がなかったのも、どこか嬉しそうだったのも、早い方がいいと言ったのも、全部。
「爵位なんてなくたって受けるわよ!バカーーーッ!」
「えっ?」
全部リーティアのためだったじゃないか。誰だ自惚れてたなんて言ってメソメソ悲劇のヒロインをしてたのは。自分か。
そして、そこからのジオの行動は早かった。
「俺と結婚してくれ」
リーティアが叫び終わってから間髪入れずに膝をつき、道端のタンポポの綿毛をむしり、手の中でそれを花に変え、根をむしって差し出してきたジオ。
「悪い。今はこんなものしかないけど」
そんな葉もついたままの急造花束を受け取って、リーティアは返事の代わりにその首に抱きついた。
◆◆◆
「……最後にジオとダンスパーティに出たかっただけなのに、こんなことになるなんて……」
夜風の吹くバルコニーで、リーティアがため息と共に呟く。
プロポーズから結婚まで約半月、何もかもが急で準備に忙しく、目まぐるしく回る毎日であった。周囲への報告も後手後手に回り、結婚式もリーティアの家に神父を呼び、身内だけで挙げた。
忙しかっただけで特に隠すつもりはなかったのだが、今思えばそれで正解であった。おかげでアンドリューにバレることなく結婚できたのだから。
リーティアの退学届の提出をジオの最終登園日に合わせたのも図らずも功を奏した。もし早めに手続きをしていたら教師からアンドリューに報告が行っていただろう。
「ああ……あの王子は美醜感覚が狂ってると思ってたが、そこは正常だったんだな」
「もっとも、もうそんなことはどうでもいいけど」
窓の向こうの会場から、オーケストラの遠慮がちな演奏が聞こえてくる。
あの後はしばらく誰も動けず、皆何か言いたげにしながらも気まずい沈黙が降りていた。
今更音楽が流れようと、この空気の中ダンスを始められる猛者などいないだろう。
「リーティア、手を。約束を果たさせてくれ」
いや、居た。リーティアの目の前に。
今はバルコニーにいるので人の目は無いが、足音が響けば中に居る人達にはバレるだろう。こんな空気の中踊るような馬鹿ップルだと。
「……ええ、喜んで」
それでもリーティアは気にしない。他の誰にどう思われようと、アンドリューやその取り巻きがリーティアを醜いと言おうと美しいと言おうと、もうどうだっていいのだ。
「世界一綺麗だ、リーティア。まるで月の妖精と踊ってるみたいだな」
「本当に月から来たって言ったらどうする?」
「納得する」
「ふふ、また人間の証明が必要になるわね」
世界でただ一人、綺麗だと言ってくれる人がいるならそれでいい。
生まれてこの方嘘をついたことがない、世界で一番正直者の、リーティアの好きな人が。




