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卵憑ノ巫女  作者: 鳥村居子
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第七話 怪しくない男

 怪しげな男は自分を清流院(せいりゅういん)という怪しくない探偵だと名乗った。


「探偵だと知っているから名乗る必要はない」


 俺はきっぱりと返事した。

 清流院はタバコの煙を吐き出して言う。


「ああ、そうだな、お前、俺のこと尾行していたもんな」


 ばれていたのか。

 そうだよな、俺でもわかる。下手くそな尾行だった。


「あーあー、お前とかいきなり言うと怖いよな。何を言っているんだって感じだよな」

 清流院はタバコの吸い殻をウイスキースキットルに似た携帯用灰皿に入れた。

「はー、めんどくせー」


 タバコの煙と匂いが混じってそうな深い息を吐き出した。


「おっさんは怪しくないし、優しいぞ」


 そう言いながら手を広げてニヤーと笑う。

 全然、説得力がない。

 こいつ、何なんだ。

 俺は思わず一歩下がってしまう。


「いいから、おっさんの言うことを聞くんだ」


 そんな俺の様子に後頭部をかきながら清流院は続ける。


「あー面倒くさいな。ほら、金はいくらほしい?」

「か、金なんかいるか!」


 怒鳴り返す。

 俺が下がった分だけ清流院は近づいてくる。


「金を持っていないように見えるって? 大丈夫、子どものお小遣い程度ならあげる余裕あるから。ほら、おっさんは怪しくないぞ」


「そんなんどうでもいい! 大体、お前に卵を渡しても、どうせすぐ俺の元に戻ってくる。お前が卵をどう使おうとしているのか知らないが無意味だ」


「お、その辺りはちゃんと理解しているのか、偉いぞ、坊主」

「俺のこと、からかってんのか!」


 そう俺が声を荒げると清流院は首を横に振った。 


「からかってなんかいないさ。この短時間で、よくそこまで把握できた。見込みがあるぞ、坊主」



「生き残るかもな、お前自身が卵憑ノ巫女でなければな」


 

 急に真顔になった男に俺は背筋が寒くなる。


「怪しくないおっさんに、早く卵を渡すんだ」


 一歩、また一歩と、

 清流院が俺へと足を踏み出す。

 どうしてだか、身体が強張って動けない。

 そのとき。

  

「先輩に近づかないで」

  

 キアラの声がした。

 見ると日光を背にしてキアラが立っている。

 その足は遠くにいてもわかるほど小刻みに震えていた。


「キアラ? どうして……」


 そう俺が言うとキアラにしては珍しく強い口調で返事がくる。


「昨日の電話。あんな風に切られたら誰だって心配になる」

「おうおう、若いねえ、そういうのは嫌いじゃない」


 清流院は俺から数歩離れると、わざとらしい仕草で手を大きく広げた。


「さて、嬢ちゃんも卵憑ノ巫女から卵を受け取ったのかね?」

「どうしてそれを……」


 顔をしかめるキアラに、はっと清流院はあざ笑うような表情を見せた。


「知っているさ、知っているともな」


 清流院はタバコを取り出し、吸い始める。タバコの先をキアラに突きつけた。


「嬢ちゃんの卵でもいいんだが……大人しく渡してくれそうにないみたいだな」

「ヨッシーは渡さないから」

「ヨッシー? まさか卵に名前をつけているのか! こりゃ、おっさんビックリだ」


 豪快に清流院は笑った。ひとしきり肩を揺らしたあと、彼は言った。


「嬢ちゃんが気に入ったから、おっさんから助言をやろう」


 急に猫なで声になった男に驚いたのだろう、キアラが目を丸くしている。


「嬢ちゃん、あまり身近にいる人間を信用するな。もちろん、そいつもな」


 清流院は俺にタバコの先を向けてくる。


「そいつが卵憑ノ巫女かもしれん」

「いきなり何を……!」


 そう俺が言い返そうとすると男は俺にも告げてくる。


「そして坊主、お前もだ」


 タバコを吸い、白い息を吐き出す。そうして今度はタバコの先をキアラに突きつけた。


「その健気に慕う嬢ちゃんこそが卵憑ノ巫女かもしれん」


 そう言われてキアラはビクリと肩を震わせた。

 こいつ、卵憑ノ巫女の呪いについて詳しく知っている?

 何でだ。あの紙の切れ端を読んだのは、肝試しに参加したメンバーだけなはず。


「お前、何を知っているんだ」


 そう俺が尋ねると清流院は口元を歪めた。


「それなりに知っているさ。少なくとも今のお前よりはな。

 いいか、坊主。卵憑ノ巫女が身近にいるのは偶然じゃない。奴は呪われた人間の感情を育てようとしているんだ。そのためなら何でもする化け物だ。

 身近な人間になりきり、周囲の人々を刺激する。時間や空間ですら平気で歪めてしまう」


 確かに。

 美咲が死んだとき、実際に時間は止まり、空は赤く染まった。

 あんなの、普通じゃない。


「もう既に一人消えたんだろう? お前たちの中にはまだ、そいつの記憶が残っているんじゃないか? はるな、と言ったか。その仕掛けすら、卵憑ノ巫女と呼ばれる化け物の仕業だ」

「何故、榛名の名前を……」

「お前があの家の前で、そう呟いていただろう?」


 榛名の名前を出されて俺は動揺する。


 榛名。


 俺は彼女の幼馴染みだった。

 特別な気持ちも抱いていた。大事な友達だった。


 もう彼女はどこにも存在しないのに、暖かなその感情だけが心の奥底にこびりついている。

 何も言えなくなる。卵憑ノ巫女という化け物は、俺をこんな気持ちにさせるために、わざわざ榛名への記憶を俺の中に残したってのか?


 何のために?


 押し黙った俺を見て清流院は興味を失ったのか、そのままビルの中に戻ろうとした。俺はそれを見て、清流院に声をかける。


「――お前も卵憑ノ巫女の可能性があるって考えていいんだよな?」


 足を止めた清流院はニヤァと嫌らしい笑みを浮かべた。

 そのまま何も言わないでビルに入っていく。


 卵憑ノ巫女。


 ああ、榛名、榛名、榛名。


 頭の中に幾つもの同じ名前が浮かび上がり、消えていく。


 彼を追いかけていくだけの気力はなかった。

 キアラが近づいてくるのも気付かず、急に話しかけられてビクリとする。


「先輩、私たちの間で、一体何が起きているの?」

「それは……簡単だが話しただろ」


 そう俺が言うとキアラはゆっくりと頭を振った。


「そう、簡単にしか話してもらえてない。先輩は肝心なところをぼかしたから」


 俺の目を真っ直ぐに見つめて言った。


「教えてほしい、今までに何があったのかを」







 俺はキアラの部屋の座椅子に座っていた。

 シンプルで真っ白な壁、最低限に揃えられた家具、綺麗な木目のローテーブルを見つめながら俺は狼狽(ろうばい)していた。


 確かにキアラの家は電車で数駅の隣町にあるが、どうして俺は女の子の部屋に居座るような状況になってしまっているのだろう。


 やがてノックの音がする。キアラだ。

 そのままゆっくりと扉が開く。


「先輩、はっぴーばーすでー」


 そう言いながらキアラはお椀に小さな丸いショートケーキをのせて、持ってきた。


「何故、お前は俺の誕生日を知っているんだ」


 それも驚くべきことだが、ケーキもちゃんと誕生日にちなんだ盛りつけがなされている。苺やブルーベリーやブドウが生クリームに隠れるようにしてポツポツと飾られている。シンプルながらも綺麗に装飾されたケーキの上に、誕生日おめでとうと書かれたメッセージカードがのせられていた。


「調べた。というか人に聞いた」

 そうキアラは答える。

 おそらく俺の誕生日を教えたのは慶助だろう。


「有り難いけど、い、今はいらない」


 そう俺が言うと眉根を寄せながらキアラはテーブルにケーキを置いた。


「うん、そう言うと思った。でも先輩は今、とても酷い顔してるよ」


 キアラはケーキを紙ナイフを使って取り分けた。フォークにケーキの欠片をさして、俺へと差し出してくる。


「甘い物たくさん摂取したほうがいい。糖分は頭の栄養だから」

「そう言われても」

「――心も。きっと先輩は疲れてる」


 キアラは淡々としながらも俺にケーキをそっと向けてくる。その目は少しだけ潤んでいるように見えた。

 ここで我を張っても仕方ないか。

 俺はキアラからフォークを受け取るとケーキを口に運ぶ。


「残念」

「何でだ。ケーキを食べろと言ったのはキアラのほうだろ」

「そうじゃない。あーんって出来なかったから。残念」


 誰がするか。

 どこまでも俺をからかおうとするキアラの姿勢にため息をついた。

  

 ケーキを食べ終わったあと、俺はキアラに美咲が亡くなった時のことを話した。


 美咲と電話している時に榛名らしい存在が割り込んできたことも。

 その時に美咲が何者かに襲われたことも。

 榛名に似た化け物に出くわしたことも。

 おそらくその化け物が美咲を殺したことも。

 なるべくキアラを傷つけないよう配慮しながら説明する。


 ふんふんと頷きながらキアラはテーブルの上に一冊のノートを広げた。

 シャーペンで卵と矢印を描く。


「やっぱり卵がキー。卵を中心に事態が動いている」


 彼女はシャーペンの背で卵の絵をトントンと叩いた。


「卵については色々私も試してみたよ」


 キアラは電子レンジや鍋や工事現場の標識などを器用にノートに描いていく。


「電子レンジでチン。お湯の中に入れてグツグツ。工事現場の固まっていないセメントに隙見てポイ捨て」


 ちらりと俺を見上げた。残念そうな表情だ。


「何にも変化なし。気付いたら戻ってきてる」


 ヨッシーと名付けて大事にしている割には容赦ないな。

 でも、とキアラは微笑みながら言った。


「まるで先輩にストーカーされている感じで気分良いよ」

「ポジティブだな、キアラ」

「当然。これからも色々実験するから」


 ふんっと鼻息荒くキアラは宣言する。

 微笑ましく思いながら俺は前から気になっていたことを尋ねた。


「卵か……キアラはどんな風にして榛名に卵を貰ったんだ」

「……」

「キアラ?」

 

 沈黙したキアラを怪訝に思って、名を呼ぶと俯きかけていた彼女が素早く顔を上げた。


「私、有珠先輩がいなくなって嬉しく感じるのかなって思ったら、全然違ってビックリした。悲しいし寂しい。……有珠先輩と一緒にいると楽しかった。その記憶と気持ちは私の中に、まだ残っているよ」


 キアラは悲しそうに目を伏せて言う。


「それに有珠先輩と一緒にいた先輩は、とてもパワフルで楽しそうだった。だけど今の先輩は、とても元気がない。それも見ていて悲しいよ」

「……そうだな、榛名と一緒にいて楽しかったよ」


 今でも気持ちの残滓は思い返すと不快なくらいに存在している。


「先輩は……有珠先輩のこと、どう想っていたの?」

「友達だった」


 キアラの問いに答えた。

 正直な感想だ。


「ただ……」


 最期の電話、美咲は榛名に会いたいと言っていた。


 榛名に会いたい。


 それは俺も同じ気持ちだ。

 でも、会って何を話すんだ?


 卵を返すのか?


 呪いをといてほしいのか?


 美咲のことを怒りたいのか?


 あんなに惨たらしいことを、どうして。


 そう問い詰めて、どうしたいんだ?


 榛名と会った先に未来はあるのか?


 そもそも存在していたのかどうかもわからない彼女に固執してどうするんだ?


 出口のない感情が渦巻きだして心の奥底にざらざらした痛みが出てくる。

 俺は卵の絵を見つめながら言った。


「でも、どうして榛名がいなくなってキアラが嬉しく感じるかもしれなかったんだ?」

「それは……私が先輩のこと……」


 キアラはノートをめくると、真っ白なページにシャーペンでへのへのもへじを幾つも描きはじめた。


「その、好きだから」


「……」

「……」

「……」

「……」

 

 沈黙が続く中、俺は嘆息しながら言う。


「言っておくがキアラ、好きだとか可愛いとか言われて俺が嬉しいと思うのか?」


 いつまでもシャーペンを動かし続けるキアラから、ペンシルを取り上げた。


「前々から、ずっと言いたいとは思っていたが」


 そうだ。

 俺はこの低身長と童顔を気にしていないつもりでコンプレックスがある。

 とある先輩は俺のことをあくまで童顔で小さいから可愛い好きだと言ってくれたのに、それを恋愛感情だと誤解して告白して玉砕した過去がある。


「ごめんねー、まさか本気にするなんて思わなくてー、ちょっとした冗談のつもりっていうかー」

「ひでちゃんは可愛すぎるんだよね、対象外っていうか、愛玩動物的な?」


 今でも先輩たちの言われた言葉はすぐに思い出せる。

 それをいつまでも気に病むつもりもないのだが。

 なかなか背が伸びないのは仕方ない。


「気にしてないつもりだけど、そんなに言われるとやっぱり童顔で背が低いのはまずいのかなって気持ちになる」

「……何を言っているの? 先輩?」


 キアラが顔を持ち上げて暗い声で言った。

 俺はシャーペンをノートの上に置いて答える。


「キアラが俺をいつまでもマスコット扱いしているのが気にくわないって言っているんだ」


 俺の返答にキアラは何度も素早くパチパチと瞬きを繰り返した。

 やがて、はぁーと深いため息をつく。


 なんだ、それ。

 こいつ何なの、バカなの、みたいな反応は。

 俺、そんなにおかしいことを言ったか?


「私、先輩のちっちゃいところも好きだけど、こんな感じなら普通が良かった」


 キアラはシャーペンを手にすると卵に顔を描きはじめた。

 それはヨッシーにそっくりだった。


「先輩には本当にガッカリ」


 ヨッシーに似た卵の絵にバツ印をつけている。


「身長だけじゃなく色々育ってなさすぎ、初心者すぎ」

「はあ?」


 言われたい放題だ。


「どうしたんだ、キアラ」

「……」

 キアラの視線が天井に向いた。すぐにペンへと戻る。


「キアラ?」

 ぴたりとキアラの動きが止まった。


「……先輩の見た……」

 か細い声が、少しだけ青ざめた唇から漏れ出る。

「さっき話してくれた……」


 そう言いかけて、再びキアラは黙り込む。

 蒼白な顔だ。小さく唇が震えている。


「具合でも悪いのか? キアラ?」


 急に様子がおかしくなった彼女を心配して声をかけるが、キアラは震える身体をもてあましているかのように、眉根を強く寄せている。


 彼女の双眸の奥に隠しきれない淀みが垣間見える。

 なんだ?


「さっき話しかけてくれた桐嶋先輩を襲った化け物……黒くのっぺりしていた? 蜘蛛っぽい?」

「ああ、そうだけど……」


 何で知っているんだ?

 俺、そこまで詳しく話したっけ?


「……か……かえ……」


 キアラは途切れ途切れに息を吐き出しながら言葉を紡ぎ出そうとする。


「せんぱい……かえって……」


 何だ?

 さっきからキアラが変だ。

 身体の具合でも悪くなったのか?


「どうして俺が帰らなきゃいけないんだ、キアラ?」


 そう俺が問いかけるとキアラは、わかりやすく目の奥に逡巡の色を宿す。

 キアラは深く俯いた。

 ゆっくりとノートに文字を書く。

 指が小刻みに震えている。

 俺は彼女の指の動きを追いかけた。


  

 うえに

 いる


  

 うえ?

 上?

 上にいるって?

 誰が?

 何が?

  

 天井に顔を向けようとした瞬間、視界の隅に黒くのっぺりした腕が見えた。

 俺の頬を優しく撫でるように、ぬるっと天井から伸びてくる。

  

「タンジョウビオメデトウイノウクン」

  

 美咲の卵から孵った化け物は、俺の頭上、天井に蜘蛛のように張り付いていた。

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