第四十五話 キアラ
待合室に戻った俺は慶助と冬彦に全てを話した。
手紙についてもだ。
慶助は複雑な顔で手紙を見つめていた。
その後、慶助の家に再び戻った俺は暗い表情で黙り込んでいる彼に話しかけた。
「お前は、この手紙に何が書いてあるのか知っているのか?」
慶助に尋ねると彼は暗い顔で言う。
「知らないが、大体予想はつく」
「……」
「正直、お前がそれを読むのは反対だ。だが、読まないとお前の記憶が蘇らない」
慶助は苦々しい顔だ。
「俺は読むぞ」
そう宣言して俺は手紙を開けようとした、だが――
慶助はその手を止めた。そうして嘆息混じりに口にする。
「――その手紙はキアラからのものだ。それを理解して、読むんだな、義忠。その手紙にはお前を深く傷つけるものが書いてある」
この手紙はキアラからのもので、俺を傷つけるような内容が書いてあるって?
「でも俺は読むからな」
俺の言葉に慶助は何も言わない。
ゆっくりと俺は手紙を開けた。
可愛らしい花の便箋に丸っこく文字が書かれている。
先輩へ
入学式のときに、高校入学初日でトイレの場所がわからず困っていた私を助けてくれてありがとう。
あのときから、先輩にお礼を言いたくて色々と声をかけたりして迷惑をかけてしまっていたのなら、ごめんなさい。
先輩はもう気にしなくていいと言ったけど、私は先輩と一緒にいられる理由がなくなるのが嫌で、いつまでも変な理由をつけて教室に遊びに来ていたよね。
本当はきちんとした理由があるの。
私は普通の人と見た目が違うから初対面の人には変な目で見られることが多い。けど、先輩は全然そんなことなく普通にちゃんと接してくれた。
とても新鮮だった。
最初だけじゃない、その後も、お話しようとする私に普通に返してくれた。
それだけのこと。
何でもないこと。
誰でも手に入るだろうことが、私にはとても勿体なくて嬉しかったの。
先輩、好きです。
こんな大事なこと、手紙でごめんなさい。
だから、もう一度、会って気持ちを伝えたい。
私の我が儘だけど駄目かな。
もし先輩が大丈夫そうなら、明日の夕方、学校が終わる頃に校門の前に来てくれませんか。
一緒に帰りながら私の言葉を伝えたい。
迷惑でなければ、どうか、たった一度でいいから機会をください。
「……これは、なんだ」
俺は力なく呟く。
誰かの気持ちが強く込められた手紙だった。
頭が痛い。
どうしようもなく吐き気がする。
純粋な思いであるはずなのに、どこかドロドロしたものが淀んでいるような印象だった。
「大丈夫か、義忠」
慶助が心配そうに尋ねてくる。
「平気だ」
からからになった喉で、俺はそれだけ告げた。
「これは……キアラの手紙なのか」
「そうだ。お前が読むのも嫌だと拒絶するというならば」
慶助の言葉に俺は顔をしかめた。
「ならこれは俺に宛てられた手紙なのか」
「それ以外、考えられんだろう。お前は何を言っている? その手紙には何が書いてあったんだ?」
冬彦の答えに俺はその場に俯いた。
ガンガン殴られるような頭痛がする。耳鳴りが不快だ。
どうして俺への好意を、俺はこんなにも拒絶してしまうんだ、理由もなく?
俺は無言で手紙を冬彦に渡した。
冬彦が手紙に目を通している間、俺は慶助に話しかけた。
「キアラの家に行きたい」
「それは……」
「真実を知りたい。キアラの家に行けば、また何かわかるんじゃないか?」
喘ぐように告げた俺に慶助の表情が絶望に染まった。
「多分……その手紙以上に酷い現実が待っていると思うぞ。それでも行くのか?」
そう確認するのは慶助の優しさだ。
だが今は、その優しさが苦しくて痛い。耳に入れたくない。
「それしか手はないんだろう。俺は全てを知りにいきたい……!」
このまま中途半端な状態は絶対に嫌だ。
「……そうだな。こうなった以上は、わかることは全部知っておいたほうがいいだろう。秋久の動きも気になるから、そっちは俺が確認しておく」
冬彦の頼もしい言葉に俺はありがたく頷いた。
ゆっくりと顔を持ち上げて言う。
「わかった、じゃあ行こうか。キアラの家に」
「あら、義忠くん。こんにちは」
チャイムを鳴らすとキアラの母親が出迎えてくれた。
「他にも何人かお友達? どうしたの?」
彼女は俺の背後にいる慶助や冬彦を見ながら言った。
明るそうな雰囲気の女性だ。柔らかな声からも優しい心根が窺える。
だが違和感を覚える。
キアラは今、行方不明の状態だ。
もっと心配をしてもいいはずなのに、彼女の様子は普通すぎる。
「……あの、キアラのことは……」
そう俺が戸惑いながら言うと母親は苦笑しながら言った。
「キアラのことはお騒がせしてごめんなさいね。家出かと思ってしまって警察に通報したけど、どうもあの子、おばあちゃんちにいるみたいで……」
「……」
「心配したでしょう。ごめんなさいね」
戸惑っていると冬彦が話しかけてくる。
「……方法はわからないが、お前もこんな風にして誤魔化されているんだと思う。だからお前が家に戻らないのに、誰も何も言わないんだと思うぞ」
「お客さんかい」
俺と冬彦が話していると、家の奥から男がやってくる。
若い頃は、かなり凛々しかったのだろうと思わせる顔立ちだ。
「あら、お父さん」
母親がそう呼ぶということは、彼はキアラの父親なのだろう。
「もしかして君がキアラの……」
「あらあらまあまあ、そうかもしれないわ。嬉しいわね、お父さん」
二人はお互い目配せして微笑んでいる。
「えっと……何でしょう」
そう俺が尋ねると母親は微笑みながら首を横に振った。
「いいえ、何でもないのよ。ただキアラから話は聞いているわ。その、色々ね」
よくわからないが、俺には時間がない。
「あの、いきなり変な話をして申し訳ないんですけど、キアラのことを聞きたくて……」
二人はポカンとした表情をしている。
急な切り出しだったのだろうか。
俺が戸惑っていると母親は破顔して言った。
「あらあらまあまあ! これは……あの子が聞いたら喜ぶわ」
「あ、あの……おかしなことを言いましたよね、すみません」
「いいえ、どんな話が聞きたいの?」
よくわからないが、うまく話題に乗せることができたようだ。
唾を飲み込みながら話を続ける。
「一年前のことです」
「あああ! 一年前って、あの子があなたに会った日のことでしょう?」
どういうことだ?
そう思い出そうとして、キアラと初めて会った日が曖昧なことに気付く。
いつ彼女と知り合った?
「あの子ね、ちょっと変わった見た目をしているから友達ができにくくて……早く高校に行きたかったらしくて、従妹から制服を借りて勝手に様子を見にいったらしいのよ」
「は、はい」
「それで、あなたと出会ったのよね。あなたはキアラに親切にしてくれたみたいで、帰ってきてからもずっとキアラは私に話してくれたわ」
「元々良い子なんだよ。だけど、どうしても他の子とは違うから……だけど、それからキアラはきちんと学校にも通うようになってね」
「たまにあなたの学校にも忍び込んでいたみたいだけど……キアラが元気になってくれるのならって……私たちも知らないふりをしていたの」
「高校に入学できて本当によかったよ。出席日数が足りないかもしれなくて」
「高校生活は中学の頃と違って楽しそうで私たちも安心しているの」
「良い子なんだ。誤解されがちなだけで」
「暗いあの子を見ているのは辛くて仕方なかったが……今年は毎日が楽しいと感じているようで、こちらも嬉しいんだ」
二人は娘自慢を延々と続けている。
「本当にあの子は自慢の娘なんだ」
「つい最近、あの子が行方不明になったときは、どうしようかと思ったわ。まるであの子を永遠に失ってしまう気がして。でも心配のしすぎだったみたい」
「今は私の祖母のところにいるだけだからね」
おかしい。
違和感を強く覚える。
俺は曖昧に頷くばかりだ。
二人の話は続く。
「キアラが無事に高校に入学できてよかったわ」
「これからも一緒にずっとキアラと過ごしていけることが本当に幸せなんだよ」
「この間、あの子の誕生日でね。お祝いをしたのよ」
「あの子も喜んでくれたようでね、キアラと共に一年を過ごせたことが本当に……」
呆然としている俺に慶助が話しかけてくる。
「なんか、おかしくないか? 手紙のときも思ったが、時間軸がずれている」
「なんのことだ?」
「そうか、お前は忘れているから……」
慶助は躊躇いながら俺に言った。
「あの手紙と、ここの人たちの話の整合性が合わないんだよ」
首を傾げる俺に慶助は言葉を続ける。
「その整合性のズレの原因を……確認したい。もう少し両親と話してみてくれ」
今は素直に慶助の言葉に従ったほうがよさそうだ。
俺はキアラの両親に向き直り、無理やり話題をひねり出す。
「あの……誕生日で何かしたんですか……」
「大きな誕生日ケーキを用意したんだ。キアラも喜んでくれたよ」
「写真もとったのよ 見かしら?」
俺は母親から写真を手渡されて驚愕の声を上げる。
「……これは……!」
写真を見た慶助も言葉を失ったようだ。
ああ、これは。
俺はキアラのこんな表情を見たことがある。
忘れていた記憶が。
俺は何故キアラが死んだのか思い出していた。
*
そう、俺は去年、中学生のキアラと一緒に帰った。
高校の校門で待ち合わせをして。
キアラの手紙にどう返事をしようと考えながら。
「……先輩」
キアラの声が聞こえる。
「先輩っていうのはおかしいだろ」
俺の声が聞こえる。
「だって来年、先輩になるから。先輩は先輩」
重たい沈黙が流れる。
いたたまれなくなった俺はゆっくりと口を開いた。
「それで、その、手紙……」
「ううん、困らせてごめんね」
キアラは困ったように微笑んだ。
「先輩から、とくに積極的にそれを聞かれなかった時点で答えが出ているのは、わかっているよ」
悲しそうな声で言った。
「だから、こうして先輩と一緒に家に帰るのも、先輩を困らせているだけなのは、わかっている」
それでも顔は笑顔のままだった。
「だから、これは私のわがままなのも。先輩にしてみたら迷惑なのはわかっている」
「……来年、俺の学校に入学してくるんだろ? だったら、そんなに急がなくても……」
「急ぐ急がないじゃない。今、私が答えを出したいの。だから、私のわがまま」
キアラは少しだけ強い口調を言った。
彼女は足を止めるとガードレールに背を預けて俺に向き直る。
「私は、先輩のことが――」
その時、悲鳴にも似た音が鳴り響いた。
キアラはゆっくりと音のしたほうを振り替えようとして――
彼女の首がねじ切れた。
俺の足元のほうに落ちてくる。
よくわからなかった。
彼女目掛けて車がぶつかった。
急停車した車は、寸前のところで俺にはぶつからなかった。
キアラの体は車に押し潰された。
赤い血がじわじわと広がっていった。
ああ、それで。
それでキアラは?
足元に転がったキアラは?
無事なのか?
もうわけがわからなかった。
俺は停車している車から離れて、転がっているキアラの顔を見た。
そこには。
ああ、そこには――!
だから俺は彼女の、あの顔を見た覚えがあった。
あれは死んだ直後のキアラの顔だ。
その時、ズボンのポケットに熱を感じた。
俺は慌ててズボンのポケットをまさぐると、中から手紙が出てきた。
どうしてこんなところに?
いいや、それよりも――
先輩へ
入学式のときに、高校入学初日でトイレの場所がわからず困っていた私を助けてくれてありがとう。
先輩へ
先輩の入学式のときに、トイレの場所がわからず困っていた私を助けてくれてありがとう。
「手紙が……!」
俺は呆然として呟いた。
「呪いのせいでおかしなように見えていたのか……」
「どうしたの?」
キアラの母親が心配そうに俺を眺めてくる。
「すみません、帰ります」
俺はぎこちなく笑みを浮かべながら言った。
「また来てね」
そう言う両親をあとにして、俺たちはキアラの家を出た。
キアラの家から出た俺は慶助の家へと戻る道すがら彼に話しかける。
「俺は去年の入学式のときに、キアラと会っていたんだ。キアラは高校に入る前に既に死んでいたっていうのか」
「そうだ、それが事実なんだ」
慶助は重い息を吐き出しながら返した。
俺は吐き捨てるように言う。
「じゃあ、あのキアラは何なんだ!」
「知らない。……卵憑ノ巫女なんだろう、おそらく」
そうして、そろりと俺を見ながら彼は問いかけてきた。
「思い出したのか?」
「ああ。あの顔だ……俺は写真の……あの顔を見たことがある」
戸惑いながら口にする。
「キアラは目の前で車に刎ねられて死んだ。あれは、その時に見た顔だ」
その時、鞄の中に入れていた電話の着信音が鳴り響いた。
慌てて俺は電話を取る。
非通知だ。だが、誰からの電話なのか何となく察しがついていた。
「どうですかい? 記憶探しの旅は?」
秋久だ。
「知っていて泳がしているのは何故だ」
「決まっている。母体には歪んだ感情を持つだけ持ってもらわないと。こちらである程度調べた結果、君にはそれなりに記憶が混濁しているようだ。それでは卵が育ちませんからね」
「……」
「君が母体となり鬼を産み出せば全ては終わる。そのためなら俺は何だってしますぜ」
キアラの両親の笑顔を思い浮かべる。
彼らはキアラが生きていてとても嬉しそうだった。
俺が死んで、俺の卵から本物の鬼が産み出されたら呪いは終わる。
キアラも生き続ける。
卵から産まれた化け物のように。
だが俺の推測だ。だからこそ尋ねる。
「お前、キアラがそうだと知っていたのか」
「最初からわかっていたわけではないすよ。だったら捕まえたりはしません。……あれを殺しても無意味だし放置しておいているのが現状ですぜ」
「……もし、解呪できたらキアラはどうなる?」
「基本的に卵から産み出された化け物は既に呪いとは別個のものです。おそらくそのまま存在し続けるでしょうぜ」
ああ、なら。
既に答えは出ているようなものだ。
「――さて大人しく我々のところに戻ってくれませんかい?」




