第四十三話 薬
「慶助!」
部屋の外から慶助の悲鳴が聞こえたため外に出ようとした俺を冬彦が止めた。
「今、この状態で外に出られても困る」
冬彦は部屋にかかった時計を見ながら言った。
「秋久と約束した時間までは、まだあるだろう」
俺が行く、といわんばかりに頷いた冬彦は俺を指差して言葉を続ける。
「お前たちは話を進めてくれ。なに、巫女はお前たちの中にいるのだろう?」
そうして部屋を出て行く冬彦を見送りながら俺は、あんな年下の少年に慶助のことを任せて大丈夫か心配になったが――
「その顔……いいのよ、彼のことなんて。猪生くんを苦しめるだけ苦しめて。あなたが薬を飲んでいたからって、それが何だというの?」
「でも巫女を見つけ出す上で、僕たちの中で欠けた記憶はとても大事だよー。兄さん、何も思い出せないの? どうして薬を飲まなくなったのかなー」
「俺だってわかるんなら、とっくの昔にお前に話している。正直、さっぱりわからない。それに……」
俺は床に転がった卵に目をやる。そこにはスーパーで売られているサイズの卵が何事もなかったように存在していた。
――俺の卵だけ育たない。
その事実が重くのし掛かる。
「……違うな……」
そんな中、今まで俺たちの騒ぎに干渉してこなかった探偵が呟いた。
「どうにも卵の状態がおかしい。あいつの場合、普通に卵が孵らないだけで……。いや、もしかしたら俺の知らないところで、そういう卵の状態になっていたのかもしれないが……」
「どういう意味だ?」
そう俺が尋ねると探偵は肩をすくめて言い返した。
「少しは自分で考えてみるといいさ。自分の異常性をな。ただ……嫌な予感はするがね」
乾いた笑いを浮かべた探偵を見ながら俺は何故こうなったかを改めて考えてみようとして――
部屋の外から、こちらに人がやってくる足音が聞こえてきた。
「なんだ?」
秋久さんと約束した時間は夜明けまでのはずだ。
冬彦が出て行ったきり、扉に鍵はかけていない。
それに気付いた御子神先輩が慌てて鍵をかけようとしたが、時は既に遅かったようだ。
仮面を被り黒いマントを羽織った大量の人物が部屋に入り込んできた。
中央にいるのは秋久だ。
「こんにちは、ご無沙汰しておりました。……猪生くん、でしたかい?」
そう言いながら秋久が俺のもとに近寄ってくる。
みんな、突然の出来事に固まって動けない。
「――そんな、秋久さん?」
俺はカラカラになった喉をようやく動かして言った。
「まだ約束の時間になっていないと思いますが……」
「何か勘違いしているみたいですけど、元々俺はまともにあんたらの約束を守る気はないっすよ。まー俺に期待をかけちゃうのも仕方ないとは思いますけどねえ。そういう見た目、してますし?」
にっこり和やかに微笑みかける秋久さんを睨みつける。
「つまり最初から俺との取引に対して、まともに取り合う気はなかったと……」
「そう思ってもらっても構いませんぜ」
「あ、やっぱり? 話がうまくいきすぎていると思っていたんだが」
探偵が煙草を吸いながら秋久さんに話しかける。
「あー、あんたが冬彦を唆した例の……。困りましたぜ、経験の浅い子はすぐに騙されてしまうんですから、もうちっとお手柔らかにお願いしますぜ」
「騙した覚えはない。お互いメリットのある協力関係だったしな」
「ハハハ、騙した側はみんなそう言うんですぜ」
快活に笑う秋久さんに御子神先輩が近づいて話しかける。
「……あなた……あなたがこの山の統括者と考えていいのかしら」
「そんな仰々しいもんではありませんが、まあ似たようなもんかと」
「あんな忌まわしい呪いをどうして放置していたの? 元々あなたたちが的確に対処していたら、こんなにも大勢の被害者は出なかったんじゃないの?」
「……ああ、君が例の……とても強力な霊能力者でしたっけ?」
ニコニコと笑みを絶やさず会話をする秋久さんに苛立ったのか、御子神先輩は厳しい声で追求した。
「茶化さないで! 私の質問に答えなさい!」
「被害が出てしまった以上は、どのような対応をしていたとしても、言い訳にしかならないでしょう。ゆえにあなたの気持ちはわかりますが答えようがありませんというのが正直な話ですぜ」
正論で返されて御子神先輩は俯いて沈黙する。
秋久さんは周囲を見渡しながら言った。
「しかし冬彦と、もう何人か、人数が足りませんねえ。……ああ、別にどこに行ったとか聞きたいわけじゃないので、こちらで確認しますから、そこはご安心を」
俺は震える声で告げた。
「一体、どうして……?」
「ん?」
「急に今になってここに来たんだ? キアラを攫いにきたのか?」
「――ああ」
秋久さんは含みを持たせるような笑みで、俺を見つめてくる。
どこかねっとりした視線に嫌な予感がした。
「安心してください。俺たちの狙いは君ですよ」
どういう意味だ?
「ああ、話が飛んでしまいましたっすよね。丁寧に説明してあげなくてすみません」
混乱する俺に秋久さんは優しく語りかけてくる。
「実は最初からこの部屋には盗聴器を仕掛けてありまして、今までの会話は聞かせてもらっていましたっす」
盗聴器を?
だからあんなに、あっさり俺との交渉を了承したのか。
部屋の中で何が行われているか把握することが可能だから!
「その上で、俺の判断で、もう十分だと思ったので、こうして話し合いを終わらせにやってきました」
「肝心なところを話していない。どうしてもう十分だと判断したんだ!」
「簡単な話ですぜ。俺たちの目的を達成するための材料を見つけたからです」
「材料だと……?」
俺がそう呟くと、秋久さんの背後にいた仮面の人間たちが御子神先輩やキアラたちを拘束しようと動いた。
「やめろ! みんなに手を出すな!」
俺はそれを止めようとしたが、逆に秋久さんに腕を掴まれてしまう。
「おっと、君はこっち。さっきも言ったでしょう。俺たちの狙いは君だって」
秋久さんから、穏やかな笑みながらも薄暗い感情を双眸に感じて、俺はぞっとする想いを抱く。
「待って!」
仮面の人間たちに捕らわれたキアラが俺のほうに顔を向けて叫んだ。
「あなたたちの狙いは私なはず」
胸を激しく上下させながら必死の形相で言葉を続ける。
「私を連れて行って、先輩には手を出さないで!」
「――ああ、もう君には価値はないんですぜ、すみません」
あっさり答えた秋久さんの言葉にキアラは絶句した。
硬直している俺の耳元で秋久さんが囁いた。
「安心してくだせえ。君が大人しくしているのなら、彼女たちに手荒な真似はしませんぜ。全ては君次第ということです。……大人しく抵抗せず、俺たちについてきてくれます?」
「別にそれは構わない」
乱れる呼吸を抑えつけ、俺は表面上だけでも強がる。
そもそも山に向かう前に親には、ここに友人と旅行する旨は伝えてある。戻らないような事態になれば、両親が警察に届けるはずだ。
だがそんな俺の思惑を読み取ったかのように秋久さんがニヤリと笑って言葉を続けた。
「一応これでも色々と世間を騙すには慣れているんです。あなたのご両親については、そういう意味でご安心してくだされば」
よほど俺は酷い顔をしていたのだろう。秋久さんの声に優しさが混じる。
「悪いようにはしませんぜ、だから……」
固い機械のようなものを首筋に押しつけられる。
これはもしかしてスタンガン――?
はっきりと認識する前にビリビリとした音と激しい痛みに、俺の意識は急速に落ちていった――
目を覚ますと明るい部屋にいた。
古くさい木と埃の匂いに困惑する。
ここは――?
視界を半分ほど包帯のようなもので覆われて、よく周囲が確認できない。
身を捩るとギシギシと音がした。どうやら狭い木製の箱に俺の身体は押し込められてしまっているようだ。
手や足も縄のようなもので拘束されているのか身動きが取れない。
ここがどこだかわからない。だがどうにかして脱出しなければ。
ギシギシ音を立てていると、それで気付かれたのか扉の開く音がした。
秋久さんだ。箱に入った俺を覗き込むようにして見つめてくる。
「お前……」
「ああ、やっぱり君こそ鬼を産み出すための母体に相応しい」
そう言いながら秋久さんは俺に触れてきた。
「会いたかった」
まるで恋人へ想いを告げるように、ねっとりとした仕草で俺を撫でる。
「ずっとずっと捜していましたぜ。君という母体を」
虚ろな双眸で俺に囁き続けていた。
「これでようやく長年続いた妄執と呪念を断ち切れる」
「俺をどうするつもりだ」
恐怖を押し殺して、そう言うと秋久さんは満面の笑みを浮かべて言った。
「君の心の歪みには未来が見える」
「歪み?」
「そう。その歪みなら、もしかしたら今度こそ鬼を産み出せるかもしれない。そうしたら、この忌まわしい呪いから解放される」
上体を抱き起こし、俺の頬に手を添えて、うっとりとした目つきで語った。
「ああ、本当に君に会えてよかった。愛しさすら感じる。どうかずっと俺の傍にいてほしい」
カチカチと歯が鳴る。
秋久さんの声の一つ一つにおぞましさを感じた。
「お前は気が狂っている……!」
「どうぞどうぞ、好きに言ってくだせえ」
俺の視界は秋久さんの掌に覆われる。
真っ暗だ。
あまりに重たいねっとりとした秋久さんの言葉に、とてつもない疲労を感じてしまったからか、俺の意識は暗闇へと落ちていった――




