第四十話 まだ生きている
心花は俺の言葉を受けて、ゆっくりと振り返った。
いつの間にか開いていた障子に複数の人影が見える。心花と美咲と作哉だ。深く俯いているため表情は見えない。だが彼らには共通していることがあった。
――全員、心花を指差していた。
彼女の腹に向けて。
ああ、彼女らは俺たちに何かを伝えようとしているんだ。
彼女たちの表情は見えなくても俺には何となくわかる。
伝えたいことも。
人影の中には心花がいた。
その事実に息苦しくなる。
本当にもう手遅れなんだな。
どれだけ悔恨を繰り返そうとも既に起こったことを無しにはできない。
一度だけ瞼を強く閉じる。
助けられなかった。
救えなくて悲しいし、苦しい。
だからといって過去の楽しい記憶に縋りついてはいけない。
そんなのは慶助の時でわかっていたはずだ。
だから今更、どうということもない。
「俺は君の言葉より彼女たちを信じるよ」
そう俺が言うと心花は笑みを歪ませた。
「――あ、あっ、あっは……あは……」
喘ぐように息を荒げて腹を抱えて笑い転げる。
「なぁに、それぇ、ばっかじゃないの? あんた頭おかしいんじゃない? ちょっと言っている意味わかんないんだけどぉ?」
「そうか」
「……は……それよりも何よ、あれ……。どうして誰も反応しないの? 私より、あっちに何かしら感じるべきじゃないの?」
もはや心花は取り繕ってない。
焦燥感を露わにして、自分に指を向けている人影に対して苛立ちをぶつけている。
そして心花の言う通り、御子神先輩たちは黙り込んで心花の狂態を眺めていた。誰も俺と心花の会話に口を挟まない。窓に映る人影に対しても視界に入れないよう努めているように見えた。
「もう誤魔化すのはやめにしよう。時間の無駄だ」
「……」
俺の言葉に心花は悔しそうに顔を歪ませている。
「だから教えてほしい。何故、金剛山寺を燃やしたんだ?」
「……は、……そんなの質問して何になるんですか?」
「前に進むためには必要だ。今更わかってもらおうとは思わない。話す気がないというなら死んでもらう」
「……ふふっ」
心花は口元を引きつらせて言う。
「私の意志を完全に無視して……あなたにはわからないでしょうね。私の気持ちなんて」
「他人に気持ちをわかってもらえないから、どうとかいうレベルじゃないだろう、お前。本当に何を言っているんだ? いい加減にしろ。何故、燃やした?」
俺がしつこく問いただすと彼女は薄暗い顔で呟いた。
「……だって、邪魔をしないと……」
「は?」
「邪魔をしないと、私の意味がなくなっちゃう」
心花は淀んだ願望で俺を見上げてきた、
「ほら、その反応。だから話しても無駄だと言ったんです。……もし解呪されたら私はどうなるんですか? もしかしたら消えてなくなってしまうかもしれない。そんなの私は嫌です。だって今は存在しているのに」
「誰かを犠牲した上での存在に意味はない」
きっぱり言い切ると傍にいた慶助の顔が一瞬だけ強張ったが気にしないことにする。
「――本物の心花ちゃんはどうした? 先程の血といい異空間がまだ続いているのだとしたら、生きているんだろう?」
俺の問いに心花は歪んだ笑みを顔に貼り付けたまま首を傾げた。
心花は深々と呆れたように息を吐き出して言い返してくる。
「……しつこいです。まだ生きていますよ」
嫌らしい笑みで彼女は自分の腹をさすった。
「でも、もうすぐ溶けるんじゃないでしょうか?」
こいつ。
何を言っているのか、わからなかったが、ぞわっとした嫌な感情は間違いなく最悪の事態を告げてくる。
認めたくはないが、この心花は本物の心花を腹に入れている。
俺は喉がカラカラになりながらも彼女を睨みつけて言った、
「……一体どうやって?」
「詳しく聞きたいんですか? 私のような出来損ないの鬼が人を生きたまま腹の中に入れていく様子を具体的に? 今も生きているのに? ずいぶん酷い趣味ですね」
「そんなことを平気で言えるお前に言われたくない」
「何ですか、それ。私は悪いことしていませんよ」
間髪入れずに心花がふてくされたように言った。
「だってそうしろって言われたことに、そのまま従っているだけです。私に何の罪があるんですか? 悪いことだって教わってないんだから、客観的にどうだなんてわかるわけないでしょう? ……そんなことより私の中にあるお姉ちゃんや咲耶の記憶のほうが大事じゃないですか」
「何度も言わせるな。彼女たちの気持ちはお前の中にない」
言い切った俺を心花は目をパチクリして信じられないといった表情で見てくる。やがて口の端を醜く引きつらせて乾いた笑いを浮かべた。
「――ふふ、あは、は……」
双眸は真っ黒だ。何を考えているのかわからない深淵があった。
「いいんです、好きなだけ言えばいいです。だって私の中に彼らはいるんですもの」
怖気の走る声で彼女は言った。
「――ほら、見ます?」
彼女はドロドロした目で笑いながら上半身の服をまくりあげる。
俺は息を飲む。
――おぞましいものが、心花の腹に貼り付いていた。冒涜だ。
咲耶、美咲にとっても。
これ以上となく彼女たちを侮辱した行為だ。
これが心花のいう、彼女たちの感情を内に取り込んだ結果だと?
心花の腹に、ぼんやりとした咲耶と美咲の顔が浮かび上がっている。
彼女と同じように嫌らしく口元を歪ませていた。
心花の呼吸に合わせてニヤニヤと嫌らしく笑みを刻んでいる。
かつての咲耶たちの面影はどこにもない。
単なる顔形を腹に貼り付けただけの産物、落書きよりも唾棄すべき存在に吐き気すらこみ上げてくる。
「……こんなものを、お前は彼女たちの気持ちだと言っていたのか」
目の前の心花を責め立てようとした自分をぐっと堪えて代わりに別の言葉を呟く。
「……心花は……」
「はい?」
「そんな風に思わなきゃやってられなかったのか?」
「何を言っているんです?」
「お前じゃない。言わせるな」
亡くなった友人たちや家族の想いが自分の中にあるから、それを大事にしていけば生きていける、と。そう思い込まなきゃいけないくらいに追い詰められていたのか。
ここに連れて来なければ良かったのか。
そんな彼女の想いにいち早く気付いてあげれば、こんなことには。
せき止めきれずにあふれ出した悔恨の情に押し流されそうになる。
偽物の心花に思いの丈をぶつけても、まったくの無意味だ。
俺の悔恨に何故か目の前の心花は大きく顔を歪めて言う。
「そんな風に言うなら、彼女たちの声を聞いてください」
自信満々に心花は言うと腹に視界を移した、すると――
『心花、愛している。死んだ私のために復讐しようとしてくれて、ありがとう』
『心花、最高の友達。死んだ私のことを死んでからも想ってくれて嬉しいですー』
『心花、大好きよ。どうかいつまでも死んだ私のことを覚えていてね』
『心花、最愛の友人。私を巻き込んで殺したあなたのことを私は恨んだりしませんからねー、安心してねー』
『心花、いつまでも一緒にいるから。復讐しようとする心花は正しいから』
『心花、ずっと友達でいてくださいねー。死んでからも忘れないで傍にいてくださいねー。また一緒に遊びましょうねー』
腹に貼り付いた咲耶と美咲が一斉にベラベラと喋り始めた。
一切、感情の籠もっていない声音で
とても聞いていられる内容じゃない。
俺は耳を塞ぎたい気持ちを堪えながら、喉から声を絞り出した。
「……れ」
心花は目をパチクリとさせて聞き返す。
「――え?」
「……やめて……くれ」
そんな俺の声を聞いて心花は不快げに鼻を鳴らして言った。
「嫌です」
フフッと嘲るように言い返した。
「だって私の中にいる彼女たちなんだもの、私の好きなように言葉を言わせて何が悪いんですか? 彼女たちをひっくるめて私という存在なんだもの!」
「……心花、お前……もう口を閉じろ。いや、必要なこと以外喋るな、本物の心花はどこに……!」
そう俺が彼女に掴み掛かると――
『……タスケテー……』
心花が虚ろな双眸で無機質な声を出してきた。
『……シニタクナイ、タスケテー』
そんな喋り方でも、その声は、紛れもなく心花の声音で――
ああ、まさか。
心花の腹の中に、本物の心花がいるのか!
そんなことが本当にあり得るのか!
目の前の心花は腹を抱えて笑い転げ始めた。
「呪いの鬼の力って本当にすごいんですね! 私の腹に入れるために内臓をぐちゃぐちゃに溶かしきっても、まだ生きて人の意志が保てるんだもの! こうやって喋っている本人って、どんな気持ちなんでしょうね! 不快感とかはなくてフワフワしているんですかね! ああ、でもご飯はもう食べられないですよね、胃とかどこにもないんですもん、ああ、可哀相!」
「酷い……」
御子神先輩が思わず呟く。他のみんなも顔は真っ青で同じ気持ちのようだ。
――いや、探偵だけが冷静だったが。
心花の空虚な笑い声だけが部屋に響いていく。
「あ、あは…あっはは…あ、は……あはは……ああ、おかしい」
もう駄目だ。
我慢できない。
俺はガチャポンに入った蛙を取り出した。
それを見た心花が笑いをやめてビクリと肩を動かす。
「私を殺すんですか?」
おそるおそる心花は俺を見上げてくる。
「もしかしたら本物はまだ助け出せるかもしれませんよ?」
俺は彼女の言葉を無視して立ち上がると蛙を持ってゆっくり彼女に近づく。
「……いや、殺さないで下さい」
心花は急に弱々しく首を横に振りながら言った。
「私は本物です。お願い、殺さないで」
だが、そんな俺の足を引っ張って止めるものがいた。
慶助だ。
「……ちょっと待てよ。蛙使うんなら、俺も死ぬんじゃね?」
慶助は座ったまま俺を見上げて言ってくる。
「――うん、知ってる」
頷いて、言い返した。
「わかっていてやろうとしているんだよ、慶助」
「なんだよ、それ、どういうことだよ!」
激昂する慶助に俺は淡々と言い返す。
「言葉通りの意味だ」
慶助は顔を真っ青にして無感情に告げた。
「……お前は……俺に死んでほしいと思っているのか」
「ずいぶん直接的に質問してくるんだな」
少しだけ呆れる。
ここまで冷たい態度を取れば、そんな明確に言葉にしなくてもわかるものだと考えていたが。
どうやら俺は勘違いをしていたらしい。
「俺にとっては、お前も心花も似たようなものにしか思えない。だから別にお前を殺すことに躊躇いはない。なのに……何故、そんな顔をする?」
俺は奥歯を噛みしめて慶助に尋ねた。
「……お前自身は俺のことをどう思っているんだ? どんな風にお前に接していると思っていたんだ」
「どうって……」
躊躇する慶助に俺は怒鳴り返した。
「俺は!」
その怒声に慶助はビクリと身体を震わせた。
そんな彼に構わず続ける。
「俺は、解呪のために我慢していただけだ。自分の感情を押し殺して。どうして友達である慶助を殺したお前を俺が許せるとでも思っているんだ!」
「……」
慶助は深く俯いた。彼の表情は読めない。
心花は状況が掴めず困惑している様子だった。俺は彼女に声をかける。
「心花ちゃん」
「はい?」
俺は彼女を立ち上がらせると部屋の外に突き飛ばした。
突然廊下に追いやられて目を白黒させる彼女の前でガチャポンケースから蛙を取り出す。きょとんとしている彼女を、蛙はあっという間に馬鹿でかい口を開けて舌で彼女の身体を丸めて呑み込んだ。一瞬だった。まるでアニメのように非現実的なシチュエーションにクラクラしながら俺は蛙をガチャポンケースに戻すと部屋に戻る。
「え? 心花はどうした?」
混乱している慶助に俺ははっきりとは答えずに、わざと言葉を濁らす。
「これが俺の覚悟だ」
そう、本物の心花が生きていようがいまいが腹の中で苦しみ続けるというのなら。もう彼女を救う手段がどこにもないというのなら。
俺は彼女を殺す選択肢をとった。
これ以上、美咲や咲耶の気持ちを蹂躙する、偽物の心花を許せなかったから。
「……お前……」
慶助は唖然とした様子で俺を見上げている。
理解できないのだろう、わかっている。
俺ですら理解できない、俺の行動が他人の共感を得られるとはとても思えない。
ましてや相手は呪いの卵から産まれた化け物だ。
俺は息を大きく吸い込んだ。
「これで同じことをもう一度できる」




