第三十五話 郁奈
祭り当日、暗くなりはじめた中、俺たちは外に出ていた。
祭りは夜に行われる。
僅かに雨が降っている。
どこからやってきたのか、外は大勢の人で賑わっていた。
太鼓の音が聞こえる。
やがて何人かの担ぎ手により蛙の着ぐるみを被ったものが載せられた太鼓台が運ばれてきた。着ぐるみ蛙は大きく腕を振っている。このあと、金剛山寺に太鼓台が運び込まれ、そこで天罰を受けて山に置き去りにされた男を蛙の姿から人間に戻す行事が行われるらしい。
俺たちはそこまでは見届けない。
この太鼓台が人を引きつけている間に、俺たちはキアラの閉じ込められていた蔵へと向かった。
木々が茂る山を進みながら、俺は春子さんの告げた約束事を思い返していた。
一、祭りが始まるまで、よそものは深夜に外を出歩かないこと。
二、祭りの最中、よそものは見知らぬ女の子に話しかけないこと。
三、祭りが終わったあと、よそものは鬼に出会わないようにして早々に山から出ること。
今回の状況でいうと、危険なのは二番目の約束事だ。
見知らぬ女の子に話しかけてはいけない、か。
しかし、おかしい話だ。
俺は既に一番目の約束事を破っている。
だが何も起こらなかった。
これは、この約束事が外から来た人間に対して単なる恐怖心を煽るだけのものではないことを指し示しているのではないか?
もっと他に意味があるのでは?
どれだけ考えても答えは出ない。
俺は走りながら首を横に振った。
今、集中するべきことは祭りの隙にキアラを助け出すことだ。
一番前を走っていた探偵が足を止めた。
つられて俺たちも立ち止まる。
「どうしたのよ?」
御子神先輩が苛立ちを僅かに含めて不思議そうに探偵に話しかけた。
一体、何なんだ――?
ガサリ、と足音がした。
「協力者だ。前に話しただろう」
探偵の言葉とともに山の奥からやって来たのは、あの冬彦と呼ばれる少年だった。
「……お前は……何故?」
御子神先輩も頬を引きつらせている。
当然だ、こいつは彼女の視界を通して見たときに鬼の姿をしていた。
俺の驚いた声にも何の反応も示さず、冬彦は探偵の傍に歩み寄り言った。
「残念なお知らせがある。どうも状況が変だ」
探偵が顔をしかめて問い返した。
「俺たちの動きがバレたとか、そういう話か?」
「そこまでわかりやすければ逆に対処もある、だが……状況がよくわからない。はっきり言おう、蔵の周囲に誰もいない。警戒されている雰囲気すらない。蔵に入りたい放題という有様だ」
「実際入ったのか?」
「少しだけな。だが人の気配が一切感じられん。下手すると俺たちの目論みがバレていた可能性が高いかもしれん」
「どういうことだ」
俺の質問に探偵が深いため息をついた。
「今の話を聞いていなかったのか? まあ、蔵に行ってみりゃわかるか」
蔵に入った俺たちは探偵の言葉を理解した。
蔵には誰も存在しなかった。
拷問器具はある。俺の閉じ込められていた部屋も。
だがキアラの姿を見つけることはできなかった。
「どうも儀式場が別になった可能性が大きいな」
冬彦の言葉が気になった俺は彼に詰め寄る。
「儀式? この山の人たちは、キアラに何をするつもりなんだ!」
「……知らないのか? おい、男。お前はこいつらに、ある程度事情を説明したんじゃないのか?」
「なんで俺ことおっさんが必要のないことを喋らなきゃいけないのか、面倒だろ、そんなの、わっはっは」
「……」
探偵の反応に冬彦が渋い顔をしている。
「おい」
俺を無視している冬彦に苛立ち、声をかけた。
彼は面倒くさげに俺へと向き直る。
「時間がない。説明はあとだ。お前たちは、ここに閉じ込められていた女を助けたいのだろうが。それなら俺も目的は同じだ。それを達成できたのなら、いくらでも話してやるよ」
「そんな説明で納得できるか!」
「ああ、じゃあ、こう言い換えれば理解できるか? お前の牢屋の鍵を開けたのは俺だ」
「は? 何故、そんなことを」
「今はそれを説明している暇はない。だが、お前がこうしてあの女を助けることができるのは俺のおかげだ。それだけ理解できれば十分だと思うがな」
不満だが仕方ない。
まずはキアラを助けてからだ。
冬彦のいうには、次にキアラが閉じ込められているだろう場所に心当たりがあるらしい。
水神神社だ。
そう、俺が鬼と化した山の住人を目撃していた場所だ。
――だが。
蔵から戻り水神神社に向かう途中、小雨がしとしとと振る中、暗がりに数人の人影を見つけてしまう。
一、祭りが始まるまで、よそものは深夜に外を出歩かないこと。
二、祭りの最中、よそものは見知らぬ女の子に話しかけないこと。
三、祭りが終わったあと、よそものは鬼に出会わないようにして早々に山から出ること。
俺は約束事を再度、思い返した。
巫女姿の少女が三人、深く俯いてボンヤリ突っ立っている。
誰だ、あれは?
だが声をかければ、二番目の約束事を破ってしまう!
やがて少女たちはゆらりと顔を持ち上げた。
「榛名さん? ええと兄さんの幼馴染みで……? いや、でもみんな同じ顔……? え?」
最初に声を出したのは秀義だ。目を丸くして驚いていた。
彼も俺の幼馴染みだと、まだ榛名のことを思い込んでいるのだ。
それは俺も同じだ。
どうしてこんな所に榛名が――?
いいや、榛名がたくさん――!?
だが、次に聞こえた言葉に俺はさらに驚愕することになる。
「郁奈……?」
探偵がブルブルと声音を震わせていて、どこか聞いたことのある名前を呼んでいた。
郁奈。
少女たちのうち一人が目元を弛めた。
笑ってはいない。だが他の女性たちに比べて表情がどこか穏やかだ。
「俺だ。こんなに年がたっちまったが……俺だよ。俺に会いに来たのか、郁奈!」
だが少女は何も応えない。
黙り込んだまま静かに探偵を見つめている。
「俺の姿が変わったからわからなくなったのか? 俺に言いたいことがあるから、こうして姿を見せたんじゃないのかよ!」
探偵は必死な形相だ。
いつも小馬鹿にしている様子からは想像できないほどに険しい。
「俺は……お前に……会うために……ここまで……!」
探偵は奥歯を噛みしめた。苦しそうに息を吐き出しながら言う。
「もしかして、お前に会うためにここまでした俺を責めているのか、俺は……お前をもう一度見つけ出すために……!」
郁奈と呼ばれた少女の目元が微かに震えたようだった。
やがて三人の巫女は、すっと消え去った。
探偵は呆然とした表情のまま立ち尽くしている。
探偵の手は大きくブルブル震えていた。
まるで探偵の顔と手が別の存在であるようだった。
「……おい、郁奈って……あの黒い日記の……」
そうだ。
俺は思い出していた。
俺たちが呪いにかかるきっかけとなった廃墟、そこに置かれていた黒いノート、そこには「郁奈」の名前が書かれていたのだ。
だから俺はしばらくあのノートの中身を見ることができなかった。
探偵は「しまった」という表情をしている。
そんな彼を秀義が興味深げに眺めていた。
俺は探偵に詰め寄る。
「おい、答えろ。郁奈とは? お前も俺たちと同じように卵の呪いに関係あるのか?」
「……」
「それなのに何故お前はこうして生きている?」
「……」
「答えろ、清流院……一体、お前は何を考えて俺たちに……」
そこまで言いかけた俺は、ふっと顔を持ち上げた。
僅かな熱気を感じた。
なんだ?
風に運ばれて熱風めいた空気が頬を撫でる。
どこからこの熱が?
周囲を見回すと、林に囲まれて遠くに闇の中に入り交じる、もやっとした赤色が見えた気がした。
あれは――?
冬彦がボツリと言った。
「ちょうどいい……といって良いのかわからんが、どうやら騒ぎが起きているようだ。……あれは金剛山寺のほうだな。火事か? 祭りの最中に火事とはな……。どちらにせよ、この隙に水神神社に向かうぞ、お前たち」
「いやいやいや、状況に順応しすぎだろ! 火事? え? 騒ぎ? どういうことなんだよ!」
「眼鏡……気になるのはわからんでもないが、今はそれ以上にやることがあるだろう。希久本キアラを助け出したいのだろう?」
「いやいやいや、そうだけど! いや俺はそんな女助けたくないけど! つか、なに? 急に現れて気がついたら馴染んでいて! とりあえず従っていたけどさ、わけわかんないんですけど、お前!」
「気持ちはわかるが、今はそれどころじゃないだろう」
「それどころじゃないからって、ここまで説明なしで進むってどういうことだよ! もうちっと俺らに優しくしてもいいんじゃねーの?」
「……はあ、おい、探偵」
冬彦は探偵に向き直って呆れたような声音で言った。
「こいつをどうにかしろ。お前はお前で何やらあるようだが、それこそ今はそれどころじゃないだろう」
「………………わかっている」
探偵は深く嘆息してボソリと返した。
「いい風向きだと思うことにしよう。今、ここで立ち止まるわけにはいかないのは、お前も、俺ことおっさんも似たようなもんだしな」
探偵は慌てふためいている慶助に声をかけた。
「そこの眼鏡。まあ、お前も色々あるみたいだが? どうせこの騒がしい夜に全てが片付くんだ。産まれたばかりのお前には何もかもが新鮮かもしれんが、その新鮮さも今日で終わりかもしれんぞ。それなら、ひとつひとつの出来事を大切にしたほうがいいんじゃないか? わっはっは」
「…………何が言いたい?」
「言いたいことは山ほどあるさ。お前を憎んでいるのはお前自身だけじゃない、俺だってお前のような存在が憎くて憎くて堪らんさ。それはともかくとして行動しようと言っているんだ、今はな」
「……」
「ははっ、まさかお前、自分が望まれて産まれてきた存在とでも勘違いしていたか? ……ずいぶん周囲に馴染んでいるようだが、それはお前のものじゃなくて、本物の慶助とやらが築き上げてきた環境だろう。そこにたまたまそっくりなお前が当てはまっているだけだということを忘れるなよ。さすがにそれは都合が良すぎだろうよ」
探偵の言葉に慶助は悔しそうに唇を噛みしめて探偵から顔を逸らした。
――とりあえず場は落ち着いたようだ。
俺たちはそのまま水神神社に向かう。
そこで――
「キ……アラ……?」
神社の建物の中、血の海に沈むキアラを見つけたのだった――




