第二十二話 はい
「――いいや、殺さないよ」
殺さない。殺せない。そう、殺せるわけがない。
「は? あなたは何を言っているのよ」
「冷静に考えてくださいよ。こんなところで殺したら俺が犯人だってバレるし」
「じゃあ、あなたは慶助を殺したコイツを放っておくというの?」
「そうなりますね」
「何を言っているのよ、そんなの駄目よ!」
立ち上がり激昂する先輩を見上げながら静かに言った。
「じゃあ先輩、彼を殺せますか?」
俺は包丁を先輩に手渡しながら慶助を見る。
「慶助も愛する先輩に殺されるんなら本望だろ?」
慶助は呆然としている。
「でも今、先輩は殺せないみたいだ。なら仕方ないな」
そう淡々と言う俺を見ながら慶助は引きつった笑みで言った。
「俺を殺さないって? ――じゃ、じゃあ俺を赦すってのか?」
「いいや、赦さないよ」
きっぱりと言い切る。
先輩も慶助も俺の返答に唖然としていた。
慌てた様子で慶助が噛みつくように問いかけてくる。
「それは俺がスワンプマンだからか?」
「違う、お前が、友達を殺したからだ」
「は?」
ポカンと口を開けた慶助をあざ笑う。
「お前は慶助じゃない。少なくとも俺は認めない。でもそんなことは俺の赦しとは関係ないし、どうでもいいんだよ。お前はそこを間違えている」
「でもお前は俺を殺さないんだろ」
息も絶え絶えに言う慶助に大きく頷いてやる。
「ああ、殺さない。でも赦さない。いつまでもお前の傍で慶助じゃないと否定し続けてやるよ。それはお前の痛みだろう? 生きたまま永遠に償え。俺たちに利用されろ。いいか、お前は知らないだけで俺はお前を殺す手段を持っているんだからな」
俺は先輩から包丁を返してもらう。
鞄にしまいこんだところで、ちょうど観覧車が一周したようだ。
観覧車から降りた俺はショックを受けたのか呆けている慶助に告げる。
「じゃあな、もうお前とはここには来ないだろうけど」
一緒に観覧車から降りたくせに、そのまま突っ立っている慶助を放置して観覧車から離れる俺に、慌てて御子神先輩はついてくる。
「教えなさい、猪生くん」
俺の腕を掴んで叫んだ。
「どうしてアレを赦したの」
「赦してないです」
「じゃあどうして殺さなかったの? あなたのアレを殺す手段が何かは知らないけれど、あなたはアレを害す素振りを見せなかったわ。何故? アレは慶助を殺したのよ! わかっているの?」
「……そうですね」
俺は近くにあったベンチに座った。御子神先輩を手招きする。
彼女も渋々といった様子で俺の隣に座った。
俺は鞄から黒いノートを出して先輩に見せつける。
「先輩は黒いノートを覚えていますか?」
「ええ、でも……いきなり何を言い出すのよ」
「前にも話しましたよね、あの黒いノートはおそらく慶助自身。卵の化け物に殺された人間は、そのうち黒いノートに変化するんです。どうして慶助を殺さなかったのか……俺が説明するより……これを見せたほうが早いと思って」
俺は慶助の黒いノート、消しゴムで消した部分を見せた。
肝試しは楽しかったぜ。
今度は遊園地でも、さ。
この間の遊園地は俺のせいで十分、楽しめなかったから。
リベンジしよう。したい、な。
そう、今度こそ、みんなで楽しむために遊園地に遊びに行こう。
例えばさ、観覧車にみんなで乗ってさ、ワイワイ意味もなく喋ったら楽しそうじゃん?
ああ、もう無理かな。
でも、ほら考えるだけなら、タダだしさ。
御子神先輩のノートを持つ指が震えている。
「教えて、これは何?」
「最後のページだから……多分、慶助が、死の間際に考えたことだと思います」
「それがどうして、あの慶助を殺さないことに繋がるの?」
「……」
感傷的な理由だ。
最後に、どんな形であっても慶助の願いを叶えてあげたかったんだ。
偽物の慶助であっても。
慶助のために、慶助を想って、悼んだことに意味があるんだって。
そう、強く深く信じたかったんだ。
せっかく慶助の最後の気持ちを知られるなんて、奇跡みたいな出来事があったんだ。
どうせなら、その気持ちをできるだけ汲み取ってやりたいなんて。
自己満足だってわかっている。
死者への想いなんて胸の内にたまるだけで相手に届きやしない。
どれだけ強く想っても、想っても。
絶対に、絶対に。
だって、もう相手はどこにもいないんだから。
そう、何もかも無意味だ。
――それでも、無意味だなんて想いたくないんだよ!
慶助は俺の大事な友達なんだ。
どんな形であれ、その気持ちを現実に残してあげたかったんだ!
「あなた、馬鹿なの?」
「そうかもしれません」
「ねえ……馬鹿なの?」
御子神先輩は黒いノートで顔を覆った。声が震えている。
「こんなもののためにアレを生かしたというの? 正気なの、猪生くん」
「――それじゃあ、先輩は慶助を殺せるんですか」
「それは……」
「もし殺せるなら今からでも間に合うと思います」
「そんなこと……」
先輩の声音はか細くなる。
駄目だ、このままじゃ先輩を酷く不安にさせる。
あの卵は負の感情を糧に育ってしまう。
心にもないことを。
先輩を安心させる言葉を口にしないと。
「――もちろん、それだけじゃありません」
俺は冷静さを保ちつつ説明する。
「おそらく慶助は榛名について情報を知っています。それだけじゃなく、呪いについても」
「どうして、そんなことが言えるの」
「先輩の結界を壊したのはアイツですから」
俺は御子神先輩に、慶助から送られた画像を見せる。神像が半分折れたやつだ。
「だから泳がせておいて情報を取ったほうがいいと思います」
そこまで話すと、ようやく先輩が黒いノートから顔を離した。
「そんな風に言って……あなたは大丈夫なの?」
「はい」
「ひとつ聞いていいかしら?」
「はい」
「あなた、卵は大丈夫なの?」
「ああ、それは……多分平気だと思います」
「どうして?」
御子神先輩の表情が酷く険しくなる。
清流院探偵は俺を異端と呼んだ。
その理由を俺は答えられない。
御子神先輩の表情がくしゃりと歪んだ。
「ごめんなさい、こんなことを言うべきではなかったわね」
「こんなこと?」
そう俺が言うと、ぷいと先輩は顔を背けた。
「気にしないで、配慮の足りない私が悪かったわ。猪生くん、今日くらいは休みなさいね。今回、何もできないで、あなたに頼り切りでごめんなさい。次からはもっと何とか頑張るから」
俺の問いに答えずに先輩は立ち上がった。俺に黒いノートを返してくる。
気を使えていないのは俺のほうだよ、先輩。
慶助を追い詰めた理由を、あえて教えない選択肢もあった。
こうして先輩を連れてきたのは、慶助について心のどこかで責める気持ちがあったからだ。
ズルイのは俺のほうなんだ。
閉園まで時間はあるけれど、もう俺も家に帰ろう。
自宅に戻った俺はキアラにLIMEでありがとうのメッセージを送ろうとした、が――
ちゃんと言葉を口にしたほうがいいよな。
俺はキアラに電話した。
「先輩? どうしたの?」
すぐに彼女は出てくれた。
「お礼を言わなきゃと思ってな。今日は無理なことをお願いしてごめん。危なかったのにな。そっちも本当は俺がやらなきゃいけないけど、誰かは慶助を見ていなきゃいけなかった――」
「いいの!」
キアラは強い口調で返した。
「先輩は私のこと、そんな風に気にしなくていいから。今日、とっても先輩も疲れているんでしょ? 電話も嬉しいけど、それで先輩が疲れるならいらない」
「キアラ……」
「私は先輩が危険な目に少しでも遭わなくて嬉しかったよ。二回目の廃墟肝試しも中止になったんだよね。よかったね、先輩!」
「うん、本当によかった」
「それとごめん、私、今から用事あるから電話を切るね。またね」
俺はスマートフォンを耳から離した。
用事があるというのは嘘だろうな。
あまりに俺の声が疲れていたから彼女は気を遣ってくれたのだ。
自分の部屋で椅子に座りながらボンヤリ考える。
――あなたは大丈夫なの?
はい。
――卵は大丈夫なの?
はい。
本当、嘘ばかりだ。
俺は持っていた黒いノートを抱きしめた。
俺とお前の向かおうとしていた先は一緒だと信じていいんだよな。
もう泣いてもいいか。
もう喚いてもいいか。
もう吐いてもいいか。
もう、我慢しなくてもいいよな。
布団にくるまって閉ざされた闇の中で、何もかも忘れたふりをして泣きながら眠っても、誰も怒らないし、責めないよな。
そうだ、久しぶりに気分転換に卵を見よう。
ここまでグチャグチャに色んな感情を胸の内に溜め込んだんだ。
いい加減、成長してくれてもいいよな。
俺は鞄の奥にしまい込んだ卵を、そっと取り出した。
何も、変わっていなかった。
鶏の卵と同じ大きさだった。
俺は、トイレに卵を流した。
その時、玄関のほうからインターフォンの音が鳴った。
こんな夜に誰が?
やがて慌てた顔をした母親が自室にやって来る。
どうしても俺に会いたいと、ある少女が言ってきているらしい。
少女? 誰だ?
母親から告げられた客の名前に目を見開いた。
急いで階段を降りて玄関に向かう。
そこにいたのは美咲の妹、心花だった。
固く唇を結び、意志の強さを秘めた双眸を見せながらも、どこか儚さと弱さを感じさせる。
どうしたんだ?
「心花ちゃん?」
そう呼びかけると心花は恐る恐る両手を差し出した。
――真っ白な卵だ。
どうして?
そんな言葉が真っ先に浮かんでは、すぐに消えていった。
これは呪いの卵だ。
受け取ってしまったのなら、それでオシマイだ。
ああ、まだ終わってないのか。
今度こそ俺はトイレに駆け込んで吐いた。




