研究①
最近、今まで以上にクラスからの冷たい視線が痛い。
そろそろ編入して三ヶ月の時が経とうとしていたが、同時に小さな嫌がらせも増え始めてきていた。
以前のように教科書がなくなることはないものの、一人でトイレに行こうものなら、通りすがりに睨み付けて舌打ちをされたり、ジークなんかはわざと肩に当たって、転ばせてこようとする時もある。
どれもミカイルが傍にいない時を狙って行われるため、ほとんど彼と一緒にいる今はそこまで酷い状況にはなっていなかったが、それでも人の悪意というものは、着実に僕の精神を消耗させ始めていた。
ミカイルにふさわしい人間になれば認められるはずだと考えていたのに、ジークとの一件があって以降、最早それが本当に最善策なのかも分からない。僕を貶めている誰かがいるのなら、そんなことをしても意味がないからだ。
その真相を知るためにも、早くハインツには話を聞かなければならないのに、僕は未だ確認することができないでいる。ミカイルの存在は思ったよりも自分にとって大きかったようで、これまで培ってきた彼との関係性が壊れてしまう可能性が怖かった。
そんな心のわだかまりと、辛い環境が押し寄せる中。
僕の唯一の楽しみとなったのは、あの日引き受けた、タルテ先生とアルト先輩の研究だった。
***
「あ……! やっと来た!」
「お久しぶりです、アルト先輩」
あれから一度も先生から呼ばれることはなく、本当に夢だったのではないかと僕が疑い始めた頃。
二度目の邂逅は唐突に訪れた。
今日もミカイルは用事があると言って、僕は一人でタルテ先生の部屋まで来ている。彼の用事については、また嘘を吐かれるのも嫌で詳しく聞くことはしなかった。
ジークにも絡まれないように小走りで来ると、前回よりも格段に早く着いたせいか、アルト先輩が一人で出迎えてくれた。
今日の先輩は黒髪を一つに括っており、腕捲りをしたシャツは上着を着ていないせいで、所々ズボンからはみ出しているのが見える。赤いネクタイだけは前回と同じく、ただ緩く一回結んであるだけだ。
室内を軽く見渡して僕は言う。
「今日はアルト先輩一人ですか?」
「オジサンはまだ職員室にでもいるんじゃね。なに、オレ一人じゃヤなの?」
「え……そんなことないですよ。先輩に会えて僕は嬉しいです」
「……ふ~~ん」
アルト先輩は隠そうとしているのか、そっぽを向いて口元を手で押さえているが、上がった口角は指の隙間から丸見えで、分かりやすく僕の言葉に嬉しがっていた。
そんな先輩の様子に、僕も知らず知らずの内に笑みが溢れる。ここ最近は人の悪意ばかり向けられていたから、久々の好意が嬉しかった。
「……何笑ってんの?」
「あれ、すみません。僕、今笑ってました?」
「なんかニヤニヤしてたケド」
「じゃあ、無意識だったかもしれません」
「変なヤツ~」
不思議そうな顔をしてアルト先輩は部屋の中央に戻る。そして何処からともなく椅子を二脚取り出すと、僕にその内の一脚を渡してくれた。
差し出された椅子に、ついそのまま僕は受け取ってしまったが、摩訶不思議な魔法には何度見たって慣れそうにもない。もしも人類全員が魔法を使えたなら、世の中は怠惰な人間で溢れ返ってしまうに違いないと勝手ながら思った。
相変わらず散らかっている部屋の中で、何とかスペースを確保して椅子を置くと、アルト先輩は床に紙が落ちてようが構わず僕の隣に椅子を置いて座った。先輩のきちんと結ばれていないネクタイが目に入る。
「あの、ずっと気になってたんですけど……。先輩のそのネクタイ、どうしてそんな微妙な結び方なんですか?」
「だって自分じゃ結べねえから」
「でも使用人とか、手伝ってくれる人はいますよね?」
「オレ、他人に自分の世話されんの嫌い。なんかベタベタ触ってくんのもきめえし」
先輩は嫌な記憶でも思い出したのか、顔を酷くしかめている。彼にそんな顔をさせるつもりはなかったのだが、結果的にこの話題は嫌なことを思い出させてしまったようだ。
僕は申し訳ない気持ちになって謝ろうとすると、急に先輩は名案を思い付いたかのように瞳を輝かせて言った。
「じゃあユハがオレのネクタイ結べよ!」
「えっ……、僕ですか……!?」
善は急げと言わんばかりの勢いで、先輩は椅子ごと僕に近づいてくる。
あまりにもキラキラとしたその瞳に、僕は反論の一つも言えやしない。
「……やってもいいですけど、僕が下手でも怒らないでくださいね」
「怒る代わりにもう一回やらせるから安心しろ」
「それ、僕が疲れるだけじゃないですか……」
こんな話題振るんじゃなかった、と若干後悔しつつも、恐る恐るアルト先輩の胸元に手を伸ばす。
だがしかし、人のものを結ぶのは想定以上に難しくて、思っていたよりも全く上手にできない。こんな姿で先輩を外に出すわけにはいかず、半ば意地になって何度も結び直す。
その間も先輩は上機嫌に鼻歌を口ずさんでおり、僕はそれを聞きながらただただ自分の手を動かすことに集中するしかなかった。
────ようやく何とか形になった頃。
タルテ先生の入室を告げる扉の開く音が耳に入った。最後の微調整をしていた僕は目をそちらへ向けると、タルテ先生が訝しげな顔をして立っているのが見える。
何でそんな表情をしているんだ、と疑問に思えば、先生の視線が僕の手元を向いていることに気がついた。
「お前ら何やってんだ………」
「いや、これは先輩が、」
「オジサン来るの遅えじゃん。見ろよこれ。ユハが結んでくれたんだ」
「ちょ、ちょっと先輩……!」
別に隠すようなことでもないのだが、大して上手でもない結んだネクタイを自慢げに披露されて、僕は恥ずかしさでいたたまれなかった。
「きっちり見えていいじゃねェか。これからはイーグラントに結んでもらえよ」
「確かに。ユハ、明日からオレの部屋来て結んでくれ。……いや待てよ、オレからお前のところに行った方が早いか?」
タルテ先生は面白半分で言っただろうに、アルト先輩は真に受けて本気で考えている。
そんな先輩に対し先生は呆れた顔をすると、彼の頭を軽く小突いた。
「冗談に決まってんだろ」
「イテッ! だからって叩くことねえじゃん!」
「そんなに強くしてねェ」
二人の仲睦まじい様子に、思わず僕も声を出して笑ってしまう。
「あははっ、仲が良いんですね、お二人って」
「ん? だって、オジサンはオレのオジサンだし」
「え、俺のおじさん……?」
「おいアルト、俺はまだ隠してんだから勝手にバラすんじゃねェ」
「はあ? まだ言ってねえの?」
「……こいつには折を見て伝えるつもりだったんだよ」
タルテ先生は一言そう呟いた後、何か考え込むように黙った。僕も上手く解釈ができず、首をかしげる。
騒がしかった室内が途端に静かな空気に包まれた。しかし、それも一瞬のことで、先生は顔を上げると真剣な表情をして僕に告げる。
「本当は誰にも言うつもりはなかったんだけどなァ。……お前には最初、俺の名前は偽名だっつっただろ」
「そうですね。でも、その話と一体何の関係が……」
「俺はアルトの叔父で、本当の名前はダンテだ」
「えっ?」
僕は驚きすぎて開いた口が塞がらなかった。
アルト先輩は王子だから、その叔父ということはつまり、王の兄か弟ということだ。現国王は弟しかいなかったはずだから、それがタルテ先生なんだろう。
王族といっても、普段先生は浮浪者のような出で立ちをしているため、精々が王族の血筋を引いている遠い親戚辺りなのかと思っていた。が、まさか王弟殿下だとは誰が気づけるだろうか。
しかしよく見ると、タルテ先生もアルト先輩によく似た綺麗な顔立ちをしている。整えられていないぼさぼさの髪の毛と無精髭がなければ、見間違えるくらい変わるだろうに、実に惜しい。
「俺のことは今まで通りタルテでいい。変に本名で呼ばれて、他の奴らの前でうっかり口に出されでもしたら面倒だからなァ」
「わ、分かりました……」
「あと、態度も変えんなよ。そういうのが一番うぜェから」
「それはもちろんです」
僕が当たり前だと強く頷くと、ふっと安心したようにタルテ先生が小さく微笑んだ。珍しい先生の表情に思いがけず目が引き寄せられそうになる。
しかし、アルト先輩が急に大きな声を出したことで、僕の視線は瞬く間にそちらへ持っていかれた。
「話、もう終わったよな!? オレ早く研究に入りてえんだけど!」
「ああ、そうだなァ。とっとと本題に行くか。────イーグラント、今日の予定はお前の身体検査だ」
「身体検査?」
「ああ。簡単に言えば、魔力測定と採血をする。お前のその体質について、俺等の中では主に二つの原因が挙がってるんだが……」
「そうそう! 一つは言わずもがな、魔力がオレたちよりも強いってことだ。魔法ってのは自分と同等かそれよりも強い魔力を持ってるヤツには効かねえから」
「まあ、こっちの線は大分薄いけどなァ」
「オレはワンチャンあったらオモシロイと思ってる。……あともう一つは、魔法耐性が高いってことだな。魔力がなくても耐性があれば、魔法も効かねえし」
「え、魔力もないのにそんなことがあるんですか?」
「可能性としてはな。ただ、それにはオレの魔法よりも上回った耐性があるかどうかだ」
「アルト以上の魔法耐性なんざ、滅多にいるもんじゃねェが……、一応これは、採血でお前の魔素に対する抗体量を調べることで分かるはずだ。魔素については前に魔法学の授業で説明したから分かるよなァ?」
「あ、はい。空気中に漂う魔力のエネルギーとなる粒子のことですよね」
「そうだ、俺達は普段これを利用して魔法を使ってる。だからもしこの抗体量が多ければ、そもそも源である魔素を拒絶してんだから、お前に魔法が効かねェことも頷ける。今んとこはこっちの線が濃いと思ってるが、それが分かったところで今度はどうしてそうなったかを考えなくちゃいけねェけどな」
「なるほど……」
二人の説明を受けて、なんとなくだが理解することはできた。
つまり、魔力の素である魔素に対して、僕が抗体を持っているかもしれない、ということだろう。
しかし、魔力は僕自身もないとは思っているが、果たして本当に抗体とやらはあるのだろうか。にわかには信じがたいが、これで分かるものがあるというのならば、僕はそれに賭けてみたかった。
「分かりました。それじゃあ僕は何をしたらいいですか?」
「とりあえずこれに触ってみろ」
そう言ってタルテ先生が手に現したのは透明な球体だ。片手に収まるほどのそれは、先生の手の中で薄く光っている。
アルト先輩が興味津々といった様子で僕に近づいてくるのを横目に、差し出された球体をそっと掴んだ。すると今まで光り輝いていたそれは僕の手の中に入った途端、一瞬にして光を失くし、物言わぬ球へと戻ってしまった。
「あれっ? 光らなくなりましたけど、」
「やっぱりなァ」
「ああ~! オレはあると思ったのに!」
先生はこうなることを予想していたかのように頷き、一方の先輩は残念そうな顔で僕の手元を見つめている。
「すみません、何か期待に添えなかったみたいで……」
「いや、こいつが勝手に盛り上がってただけだからお前は気にすんな。そもそもお前に魔力がないのは分かりきってたことだからなァ」
「ってことは、これは魔力測定の道具ですか?」
「そうだ。この球が光れば光るほど魔力の強さを示す。逆に何も起きねェやつは魔力がないってことだ」
僕の手の中の球体は依然として何も変化はない。これで一つ目の、実は魔力があるという線は完全になくなっていた。
「もしかしたら突然変異で魔力があるヤツが生まれたっておかしくはねえと思ってたんだ。でもやっぱ、遺伝って重要なのかもな」
アルト先輩は分かっていたことを再度確認するかのように呟いた。残念そうな顔はもう見受けられない。
そのまま採血も済ませると、結果は後日教えてもらえることとなった。




