#6「キリカせんせーときりか先生」
「……くん。正宗くん」
「んっ……」
あの後、ダメージと疲労で気を失っていたらしい。正宗はゆっくり瞼を開け、半分寝たままの意識で収支を確認した。
「ん?」
なんだか、柔らかい。
「おはようございます♡」
「どわああああッ!?」
血の気が引いて、飛び上がった。
3秒前。自分がベンチに寝ていて、頭に柔らかいものが触れていることに気づいた。2秒前。それが誰かの太ももだと焦った。1秒前。それが自分の担任教師の、それも12歳のロリの太ももだと気づいて、自分が犯罪まがいのことをしていることに絶望した。
そして今、飛び上がったのだ。
「って……あれ、どうなったんだ?」
正宗は冷静さを取り戻しつつ、辺りを見回した。モールにいつのまにか明かりが灯り、壁の巨大な時計は午後7時半を指差していた。つまり。
「終わった、のか……?」
「はい。お二人のおかげで、強盗さんは逮捕されたのですよ。人質にされた子も、暴行を受けた店長さんも無事だそうです」
「そっか……ってか、先生も無事だったんだな。よかった」
「はい……迷子になって、生徒を強盗騒ぎに巻き込んで、生徒が強盗と戦う現場に駆けつけることもできなかった、先生らしくない先生も無事です……ぐすん」
しょんぼりするキリカ。心なしか、とんがり帽もしおれているように見えてくる。
「あー……まあよかったよ。先生が戦ってたら、あのわけわかんねー威力の魔法で店吹き飛んでただろうし」
なんだかいたたまれなくなり、正宗はフォローのつもりでそんな軽口を吐いた。
「なっ……こら! 先生だって、ちゃんと屋内では手加減するのですけど!? 先生のことアホの子だと思っていませんか!?」
バッドコミュニケーションであった。
「はぁ……とにかく、ご無事で何よりなのです。助けてあげられなくて、本当にすみません」
「だから、それはもういいって──」
「浅井くん!」
「お」
急に声をかけられ、正宗は声を漏らしながら後ろを振り返った。
「よかった、起きたんですね。お水飲みますか?」
「おう、サンキュー焚火」
自販機で買って来た水を受け取りながら、正宗は焚火にそう告げた。
「しっかし、すげえな焚火。炎使いなんてかっけえじゃん」
先の戦いを思い返しながら、正宗は焚火に言った。なにせ、正宗が攻略法を見出せなかったあの阪口を、焚火は一撃で完封したのだ。
「へ? ああ……大したことをしてるわけじゃないですよ。熱の流れを操れるってだけで、火種となるライターやマッチがなきゃ何もできないので。私と違って、炎を自分で生み出して操れる魔法使いもいますし……」
「んなの、関係ねえだろ?」
「え?」
きょとんとして、焚火は正宗を見た。
「お前以外にどんな奴がいようと、今日俺を助けてくれたのは、他でもないお前なんだからよ」
「……!」
そう言ってまっすぐな笑顔を向けてくる正宗が、自身過小な今の焚火紫織には、眩しくあたたかな光だった。
「……私ね。昔固有魔法を使った時、ミスをして自分の家を燃やしちゃったんです。それ以来、私の魔法は人を傷つけるだけの悪い力なんじゃないかって、自信無くしちゃって」
「焚火……」
「でも良かった。役に立てるんですね、私」
それが、本当に嬉しかった。
大好きな両親の遺してくれたものが、呪いではなく、祝福だったということだから。
「そういうことだよ。自信持ってけ」
「は、はい! あ、えっと……そ、そうだ、せ、先生ッ!」
「? どうしたのですか?」
改めてキリカの方は歩み寄り、彼女とまっすぐ向かい合って、たどたどしい口調で焚火は彼女を呼ぶ。
「え、えと、えと……」
「コイツ、先生のこと大好きなんだってよ。一緒に写真撮ってやれよ」
「あ、浅井くん!?」
「まあ! 焚火さんったら、言ってくれればいくらでも撮るのですけど〜!」
「あ、ああ……!」
「はい、チーズ! なのです!」
突然暴露されパニックになる焚火の傍ら、キリカはノリノリでスマホを取り出し、カメラのシャッターを切った。
「……アイツ、あれからずっとグヘグヘ言いながら歩いてたな……大丈夫なのか……?」
すでに月が高く登っていた。モールから離れた道路で、焚火にもらった水を飲みながら、正宗は彼女の奇行に思いを馳せていた。
「大丈夫なのですよっ。先生の魅力に気づき、惚れてしまう……それは女の子だろうと、当然の反応なのです……♡」
「あーおもしろ」
「ちょっと! 適当に反応するのをやめるのですよ正宗くんっ!」
たまたま途中まで帰路が同じらしい桜キリカの、騒がしい言動に飽き飽きしながら、正宗はゆったりと歩みを進めた。
「しかし……魔法はんざいってのに初めて出くわしたわ。世の中物騒なもんなんだな」
「そうですねぇ……正宗くんが魔法官になって、悪い人を逮捕しまくったら、それも解決するでしょうが」
「買い被りすぎだよ。努力はすっけど」
冷たい夜風。石橋の上、川のせせらぎ。遠くから歩いてくる親子の話し声。種類のわからない鳥の鳴き声。暗闇にこだまするたくさんの音を聞きながら、正宗は将来に思いを馳せた。
「だけど……そうだな。俺も、先生みたいになりてえからな」
「あっ! 正宗くんもやはり、先生をリスペクトして……!」
「あー、あんたも尊敬してっけど……じゃなくて、今のは中学の先生の話」
「中学、ですか?」
キリカの問いかけに、正宗は頷きを返した。
「良い人だったんだよ。あと珍しい名前だったな……橘……
そうだ。橘 希織花」
「……!」
足音が止まった。
「そうそう、希織花先生! あんたと同じ名前なんだよ、すげえ偶然だよな。まあ、俺は橘先生って呼んでたけど……先生?」
キリカが足を止めたことに数秒遅れで気が付き、正宗は振り返った。
「……何でもないのです。さ、行きましょう」
呆然。あるいは、懐古。彼女はそんな表情をしていた。
「? おう」
もっとも、月に隠れたその顔は、正宗にはよく見えなかったが。
「…………希織花さん…………」
そして少女のその呟きもまた、闇夜の雑音に溶けて、ただの一瞬の独り言となるのだった。