#10「正宗と大気の使い手」
『旧文化部棟! 早く!』
「誰ですか……?」
夕方の教室。電話の向こうからする声に、焚火は問いかけた。天使の声ではない上に、内容も要領を得ない。
『急いで!』
「あれ? その声、槙野さ──」
『おい!! 誰にチクってやがるッ!!』
「槙野さん!? 今の誰ですか!? 槙野さん!」
慌てて聞き返した焚火の耳には、しかしツーツーという無機質な音しか響いてこなかった。
「どうした? 槙野がどうとかって──」
「浅井くん、旧文化部棟です! 多分……田辺さん絡みだと思います。男の人の声がたくさんしてて」
「…………大体察した。不良の頃、よく見かけたやり方だ」
汚い男が、力に頼って女性を傷つける。不良をやっていた頃の正宗は、そういう現場を見かけては気まぐれに、ほどほどに介入することが多々あった。
だが、今回はワケが違う。
「行くぞ、焚火!」
「はいっ」
「ま……待ってよ。何が起きてんの」
駆け出そうとした正宗達とは裏腹に、自体を飲み込みきれないでいる林がそう問いかけた。
「槙野さんが……それと多分、天使さんも危険に晒されています。私達で止めてきます」
「お前はどうすんだ?」
「え……私、は……でも、私が行ったって……」
戦い慣れしている正宗と、先日のショッピングモール強盗事件を乗り越えた経験を持つ焚火。彼らと比べると、非日常を経験したことのない林は、精神的に一歩遅れをとっていた。
「……どうしたってお前の自由だけどさ」
正宗もそれに気が付いていたから、絶対について来い、とは言わなかった。
「ひねくれるにしても、一人じゃきっと寂しいぜ」
だからそれだけ告げて、教室を後にした。
「コイツ、ふざけやがって!!」
「きゃっ!?」
不良生徒に殴り飛ばされ、槙野は旧文化部棟の古びた床に倒れた。咄嗟に天使のスマホを奪って、連絡アプリの一番上の人物に電話をかけたは良い──が。
(よりによって、ヘタレの焚火かよ……)
ショッピングモールの一件を知らない槙野は、胸中で舌打ちした。
「ん? あー、よせ殴るなお前ら。おーいおいどうした? 後ろからつけてたのか? 彼女じゃなくなったら、今度は俺のストーカーかぁ?」
襲撃者の正体に気がついた田辺は、槙野に殴りかかろうとする舎弟達を手で制した。
「槙野さん、どうして」
「あんた、コイツに一発喰らわせてたでしょ。それ……私も、やりたくなった」
天使に返答すると、槙野は今度は田辺の姿を見上げた。
人をバカにした悪趣味な目。前歯だけ出張ったその顔を見ていると、自分はコイツのどこに惚れていたのだろうと、不思議でたまらなくなる。自分より下の人間をゴミ扱いするその様に、腹が立って仕方がない。
(……でも、それはあたしも同じだ)
槙野もそうだった。親友ともども劣等生の烙印を押されて、未来を諦めた。
そして、自分を褒めてあげる方法が無かったから、周りのクラスメイトを、努力する正宗達をバカだと蔑むしかなかった。周りを下げなければ、自分を保てなかった。
だが、それでは同じになってしまう。目の前のあの男と。今更、槙野はそれに気が付いた。
「……変わりたいんだよ」
だから、槙野はここへ来たのだ。
「お前を一発、ぶん殴ってやるッ!!」
「へえ……」
強く叫び、一直線に駆け出した槙野を見据えながら、田辺は日焼けした右腕を彼女へ向け。
「"圧縮"」
そう宣言した。
「何がッ!!」
何やら腕を向けられはしたが、目の前の状況に変化は無い。拳が届く。槙野はそう判断し、右手を握りしめて振りかざした。
視界の先、あの男の顔に、一撃を──
「……かっ?」
出来ない。意識が飛びそうだ。
ばたっ……人間が、地面に伏す音がした。
「かひっ……きっ……!?」
「おー怖。大丈夫かー? 何があった? って、俺のせいなんだけどさ」
突然体の力が抜け、倒れてしまった槙野に、田辺は座り込んで質問した。
だが槙野には、その質問に答える余裕が無かった。
「出来ないだろ? 呼吸が」
「……!!」
「槙野さん!!」
声をかけながら、天使は彼女の身に何が起きているのか気が付いた。
「首を、締められてる……!?」
「正解。俺の固有魔法"空操"……コイツはな、俺の周囲一定範囲の空気圧を自在に操作できるんだ。今のはお前の首の周囲の空気圧を急激に上げて、圧力で首を絞めたワケ」
「ッ!! はあ、はあ……!!」
流石に殺すつもりは無いらしい。圧力から解放された槙野は、倒れながら荒い呼吸を繰り返した。
「分かるか? これがFクラスと他クラスの差なんだよ。俺は常人を超越した力を持っている。オラッ!!」
「がっ……!?」
田辺は、容赦なく槙野の顔を踏みつけた。
「泣いて詫びてみろよ!! そうすりゃまた、俺の奴隷くらいにならしてやっても良いぜェ!?」
「ッ、ああああああっ……!!」
悲痛な叫び声を聞きながら、田辺は邪悪な笑みを浮かべる。
勝てない。槙野はもちろん、縛られたままの天使も。彼を倒す術は無い。
「ククク……あ? 外から誰か……?」
「田辺さん!! アイツ、部屋の窓ガラスを割って来──」
バキィッ!!!
「う、うわあああっ!?」
「田辺ェ!!」
だが。
「おやおや……窓割って来るとは派手だねェ、浅井ッ!!」
彼ならば、違うかもしれない。
旧文化部棟に着くとすぐ、一番端の部屋から声が聞こえてきた。そして、ドアが鎖でロックされているのを見て、絶対にここだと思い、正宗はガラスを割って飛び込んだ。
「! 天使、槙野……!?」
「……おせえよ、バカ」
槙野が悪態をつく傍ら、天使は驚愕の眼差しを正宗に向けている。
「お前、コイツらに何をした……?」
そして天使が鼻から、槙野が口から血を垂らしているのを見つけると、正宗は田辺を睨みつけて問いかけた。
「何って……上下関係を教えてやったのさ」
「殴ったのか? 男がよってたかって……どう見ても一方的じゃねえか」
「だから、教育だよ。そうだ、お前からも教えてやってくれないか? お前達Fクラスは、この学校のゴミ溜めなんだっ──ッ!?」
田辺は説教をやめ、すぐさま横に飛び退いた。
そうしなければ、一瞬で距離を詰めてきた正宗の右の拳に、当たってしまっていたから。
「お……おいおい。お前こそ、それは大人気ないんじゃないか?」
「テメェが先に2人を殴ったんだろ。なら、相応の覚悟は決めとけよ」
「"マジックモンキー"らしい野蛮な考えだな……だが、お前は今の不意打ちで俺を倒せなかった! お前は今、Fクラスが上位クラスに勝つ唯一のタイミングを逃したんだよ!」
田辺は正宗までも見下し、そう言い切った。一方の正宗は戦意喪失することなく、再び拳を握りしめて構える。
両者の距離は5メートル。正宗の得意な、殴り合いに持ち込める距離だ。そして、殴り合いで彼に分があることを、田辺も分かっていた。
「お前ら! そいつを叩き潰せッ!!」
「うおらぁぁぁぁぁぁ!!!」
だから号令をかけた。田辺の一声に反応し、周囲を取り囲んでいた取り巻き達が一斉に飛び出す。全員、正宗ほどではないが、腕に自信のある武闘派達。正宗は絶体絶命に追い込まれた。
「……焚火ッ!」
だが。
「はい! 紅き迷い子ッ!!」
「なっ……火ぃ!?」
正宗も、この状況を予知していた。部屋の外から突然飛び込んできた5つの火の玉に牽制され、取り巻き達の動きが止まる。彼らは動けなくなった。なにせ、無理に突破しようとすれば、怪我をするのは彼らの方だ。
「浅井くん! 行って!!」
「おう!」
「あっ……浅井! お前ェ!!」
部屋の外から叫んだ焚火に反応し、正宗は再び駆け出す。反応が遅れた田辺には、正宗の攻撃を防御する暇が無い。音速の拳が、確実にヒットする。
「うおおおおおッ!!」
「……なんてなァ!!」
ここまでが、田辺の用意したシナリオであった。
「ッ!? かっ……!!」
視界が暗転しかけ、突き出そうとした右手の拳が止まる。正宗もまた、空気圧操作で窒息に追い込まれた。
「甘いんだよ! オラァ!!」
「ぶっ!?」
その隙を逃さず、田辺は正宗の顔面にカウンターパンチを叩き込んだ。ゴッと、鼻の骨まで響くダメージの音がした。
「この"空操"がある限り、俺に勝てる奴はいねえんだよッ!! 終わりだァ!!」
勝利宣言を上げた田辺は、見逃していた。
「……"シュトナ"ッ!!」
正宗がひっそりと、左手にマナを込め、田辺の腹に添えていたのを。
「あ? …………がぎぃっ!?」
基礎魔法。マナの放出、シュトナ。紫の光は爆発し、正宗ともども田辺を激しく吹き飛ばした。
「がっ……!?」
壁に叩きつけられた田辺は、情けない声を上げる。
田辺の作戦そのものは、合理的で正しく、固有魔法も怪物じみている。
「……甘いのはテメェだ!! このドブ野郎がッ!!」
だが──浅井正宗は、首を絞められた程度では止まらない、田辺以上の怪物であった。




