#9「天使と折れない信念」
放課後。校舎裏のゴミ捨て場の前に、槙野は座り込んでいた。
ふとなった携帯を取り出すと、通知が一つ。
『夜は雨になるって。まーさん風邪引くなよ〜』
「……ふっ」
林から送られてきた2行のメッセージに、槙野は思わず笑みをこぼした。
今日は1人にしてほしいと突き放してしまったのに、わざわざ心配してくれたらしい。捻くれ者で性格が良いとは言えない2人だが、一方でその友情は間違いなく本物であった。
さっきの暴言が耳の奥でこだまする。蹴られた腹が少し痛む。先生に言い付けたりはしなかった。他のクラスの先生はFクラスのトラブルなど気にしない、そういう人々だ。
そして、自分のクラスの担任に相談するのもまた、癪な話だった。
「……ふう」
ひとまず帰ろう。帰って眠って、もう忘れよう。そう思い、槙野は立ち上がった。
「君、さっき浅井クンと一緒にいた子じゃん。どうした? 何か用?」
「!」
そして、そんな話し声が聞こえ、表の方へとすたすた駆け寄った。
そっと覗き込んでみると、そこには先ほど槙野を突き離した男、田辺の姿が。
ペシッ!!!
「ふんっ」
「がっ!?」
「えっ……えええ……?」
そして先刻の浅井正宗の忠告を無視し、田辺の頬に容赦のないビンタを喰らわせた、天使真理愛の姿があった。
「おしっ……運ぶものはこれで全部か? 先生」
同刻。正宗は2-Fの教室に入り、積み上がった重たい本の束を教卓に置いた。同行する焚火は、その横にプリントの束をそっと乗せる。
「はいっ、手伝ってくれてありがとうございます! お礼にほっぺにちゅーしちゃうのですよ♡」
「いらねえよ」
「ぜひお願いしますッ!!!!」
「え、あ、冗談なのです焚火さん……えーと、じゃ、じゃあ先生は職員室に行くのですーっ!」
「ああっ」
土下座する焚火に慄いて逃げ出したキリカを横目に、正宗はふと教室の窓から差す夕日に目を向ける。
「ったく……天使の奴は『行くところがある』とかでバックれやがったし」
自分の物差しのみで測り、自分の世界観のみで思考し、自分の矜持のみを基準に動く。そんな彼女の立ち振る舞いを、未だ正宗は信用できずにいた。
「はー……うわ、浅井だ」
そこに、新たな来訪者が現れた。短い黒髪の女子生徒、林。
「うわって何だよ。てか、槙野は? 6限からいなかったろ」
「まーさん1人で帰りたいって。しばらくそっとしといた方が良い奴だね、これは」
「分かるのか?」
「お前よりよっぽど分かってんだよ。小学校から友達なんだから」
「へー。仲良しこよしで、卑屈になんのも二人一緒か?」
「あ、浅井くん……」
険悪な雰囲気を察した焚火をよそに、正宗は問いかけとともにまっすぐ林を見つめ。
「……シュトナ」
「!!」
唐突に基礎魔法"シュトナ"の発動を宣告した──すなわち、引き金を引いた林に反射して、思わず両腕でガードの姿勢を取った。
だが。
「……あ?」
正宗の目の前に現れたのは、彼自身がシュトナで放つような光の弾丸ではなく、ふわふわと浮かぶピンポン玉より小さな球体だった。空を漂うそのエネルギー体からは、敵にダメージを与える意図をまるで感じない。
「お前、何を」
やがて自然消滅してしまった"シュトナもどき"を見届けると、正宗は尋ねた。
「本気だよ。才能がない奴の本気」
「あ?」
「これ、私の本気。浅井のシュトナってさ、爆弾みたいな威力だよね。去年の学年合同演習で見かけたけど」
そう語る林の目の奥に宿るのは、ただの人を小馬鹿にした卑屈な心だけではなかった。
そこには、怒りや叱責の感情があった。
「あんたみたいに、腕っぷしも才能もある奴は良いよね。そうやってやる気出して頑張れてさ。才能あれば、きっと努力も報われるもんね」
私らは違う──林はそう続けた。
「私は頑張ってもコレなの。去年も何度もクラスメイトに笑われた。頑張っても無駄なんだよ、私達は。Fクラスはゴミ溜めなんだ」
「林……」
「だから……悪いけど、あんたの叱咤も、先生の『一緒にがんばりましょー』って態度も、嫌味にしか聞こえないんだよ」
「…………」
そこで、正宗の返答は止まった。
正宗は、ただ嫌いだから槙野や林とぶつかっていたわけではない。
彼女らの全てを諦めて、ひねくれたフリをする振る舞いが、昔の不良ぶっていた自分と似ていたのだ。本人に自覚があったかはともかく、ある種のシンパシーを彼は感じていた。
そして、自分は変われたのだから、他の皆もきっと変われると、彼は思っていた。粗暴な態度の裏に隠した元々の優しさが、彼にそう思わせていた。
だが、想定外だったのだ。"変わらない"のではなく、"変われない"。その答えが。
「……それでも、俺は」
振り絞ろうとしたその声は、振動と着メロに掻き消された。
「あっ、すみません……あれ? 天使さん」
「天使が?」
会話を中断し、正宗は赤いスマホを取り出した焚火の方を向いた。
「はい、昼間連絡先を交換してて……はい。焚火です」
スマホを耳に当てた天使は、静かに返答を待ち。
「…………え? あなた、誰ですか……?」
困惑と共にそう言った。
山倉高校はかつて、普通科の高等学校だった。その頃は今より学校の規模がかなり大きかったが、小規模の魔法専門高校に変わってからは、その建物の一部は使われなくなりサビついていた。
そんな、敷地の端にあるボロボロの建物の一つが、旧文化部棟である。棟を新設して以来使われなくなった旧棟は以前から、不良グループの溜まり場になっていた。
「さてと……人様をバカにしたツケを払って貰おうか」
そして現在旧文化部棟を占拠しているのが、2年Dクラスの田辺大輔であった。
周囲に木が生い茂り、誰も近寄らなくなった旧棟の一室には、田辺と取り巻きの男子生徒らが5人。
「あらあら……自分も人をバカにしておいてその良い草? ものを記憶するのが苦手なのかしら?」
そして彼らに取り囲まれながらも、天使は凛としてそう言い返した。
「とりあえずこの縄を解きなさい? 私に危害を加えることはつまり、主への反逆であって──」
「ごちゃごちゃ言ってんじゃねえよ。自分の立場わかってるか?」
天使の高説を遮って、田辺は縄にかかった状態で地面に座り込む天使へと顔を近づけた。
その真っ白な鎖骨に、田辺の指がかかる。
「まあお前、Fクラスなのはともかく"素材"は良いからなァ……土下座して許しを乞うなら、"大事にして"やっても良いぜ……なぁ?」
穢れた手が制服の奥へと伸びていき、少女の柔肌を侵していく。
田辺は中学の頃から、異性の扱い方に問題があった。槙野と付き合っていた頃はある程度隠してはいたが、本質的に彼が期待するのは、自分への服従、恐怖、尊敬、そして恍惚。
「……はあ。槙野さんも変わった性癖してるのね。まさかお猿さんを恋人にしてたなんて」
「!!」
彼が天使に求めていたのは決して、そのような態度ではなかった。
「んの野郎ッ!!」
「ぐっ……」
田辺に強く殴りつけられても尚、天使は彼を睨むのをやめなかった。
「テメェはさっきから何なんだ! 自分のこと神様かなんかだと思ってんのか!」
「ッ……そうよ!」
「!?」
その時、田辺の中に感情が湧いた。
目の前の女が、自分の思い通りにならないことへの苛立ちではない。
「私は神の子。選ばれし者。美しく、強く、完璧で、崇められるべき存在よ」
それは、決してかき消すことのできない光。そんな存在への恐怖。
「だから、私は完璧であり続けなければならないの。善行を積み、悪を許さず、弱者を見捨てず、力を振りかざす強者を打ち砕く。それは簡単な道じゃないし、何度も社会に突っぱねられてきた」
鼻血を垂らしながらも、彼女の心は折れなかった。
天使真理愛。マリオス正教を厚く信仰する修道女。
「それでも私は、何も諦めないし、あなたのような悪を絶対に許さない」
彼女が所属していた教徒集落に暮らす200名のうち、186名は、8年前のある日殺害された。
犠牲者には、天使の父も含まれていた。
「私は世界を救うのよ。あなたなんかには、負けない」
それでも彼女は、神の救いを信じて生きてきた。
「……チッ!! Fクラスが偉そうに!!」
「ッ!」
全てを聞き終えた田辺は、しかし改心などするはずもなく、天使の腹に苛立ちを乗せた蹴りを叩き込んだ。
「お前が生意気なことはよく分かった……おい! さっきコイツから取り上げたスマホを出せ!」
「へい」
田辺の取り巻きの一年が、ポケットから天使の白いスマホを取り出した。
「カメラ付けろ。しっかり写してやれよ……こいつのお人形みてえな顔が、今からボロボロになってく所をよ!!」
「ククッ……了解っす」
一年はスマホを横向きにし、ビデオ撮影開始のボタンを押そうとした。
「……はぁ」
天使は目を閉じた。
どうやら痛いことをされるらしい。怖くはない。だけど、少しだけ屈辱だ──そう思いながら。
「やめろっ!!」
「……?」
そしてふと、女の声がして。
「ぐあっ!? おい! 誰だテメェはッ!?」
「はっ、はっ……おい! 起きろ天使!!」
「その声は……」
何やらアクシデントがあったらしい。そう気づき、天使は声に言われるまま目を開けた。
「……槙野?」
茶髪の女子生徒が、震える手を握りしめてそこに立っていた。




