第26話 魔女にも言えない男の約束
中村君が出て行ってしばらくしてから、識司さんは両腕を背もたれに乗せて足を投げ出し、天井を見上げた。
「あーあ、聞いた?黒栖君。参ったね、ああいうのは。敵わないなあ」
識司さんは自嘲するように言った。
「約束したから、探さないとなあ。面倒だなって顔したら良くないよね」
「識司さん、そんな言い方は」
思わず聞き咎めると、識司さんは投げやりにここだけここだけ、と手をひらひらさせた。
「それで、黒栖君は?約束はしてないよね」
識司さんがだらしない格好のまま俺を振り返る。口元は笑顔だが、目は笑っていない。迷惑そうだ。
「あの、この度はご愁傷様で」
そんなのいいよ、と識司さんはぞんざいに答えた。
「今日から仕事なんだ。本題だけ……ああ、そうだ、順子を探さないといけないのか。とにかく本題だけ頼むよ」
何だか荒れている。でも妹さんが亡くなったんだから普通ではいられないだろう。そんな時に押しかけた俺が悪い。
「こんな時にすみません。あの、ここのペンキ、俺で良かったら掃除させてください」
そんなこと?と識司さんが苦笑する。
「ありがとう。でも、ステンドグラスに溶剤使っていいかわからないから、専門の業者に頼もうと思ってたんだ。だから大丈夫だよ」
もういいかい、と識司さんが立ち上がりそうになるので慌てて袖を掴む。
俺の本題はこれだ。
「雨と、もっと話をしてください」
「したよ。黒栖君と結婚したら言うことを聞くって言ったろう。それ以上話すことはないよ」
「あるはずです、何か話せていないことあるでしょう」
「ないよ」
「雨にはあります」
「ないよ。彼女とはもう終わってる。黒栖君からも言ってよ、もう俺のことなんかかまわないで、自分の幸せのことを考えろって」
「じゃあ識司さんが雨に直接そう言ったらいいじゃないか!もっとちゃんと雨と向き合ってやってよ、まだ識司さんのことあんなに好きなのに!」
識司さんが突然俺の手を振り払った。驚くうちに胸倉を掴まれる。
「雨さんが好きなのは昔の俺だ。そんなものはもうどこにもいないんだ。君は雨さんにもういない男をまだ探させるのか?それでまた彼女の時間を奪って、ひとりでいさせるのか?あんなに寂しがりなのに、ひとりでいられない人なのに」
識司さんが初めて本気で感情を見せた。でも俺も負けてはいられない。胸倉を掴まれたまま、その手を掴み返す。
「じゃあそれを雨に言ってよ。直接、わかるように言ってやってよ!でないと雨はどこにも行けないよ、識司さんがただ突き放したって、泣いて立ち止まっちゃうだけじゃないか!あなたはまだ雨を泣かせてるんだぞ!」
俺は叫んだ。識司さんの手から力が抜けた。
「……そうだね、わかってるよ、本当は」
ごめん、と識司さんは手を離した。俺も離した。
「俺が言えばいいんだ。雨さんに、もう、だめだよって。でもね、雨さんは俺の全てなんだ。俺からは言えないよ。雨さんをなくしたくない。でも、雨さんにあんな風に生きてほしくもないんだ。俺のためになんか泣いてほしくない。雨さんには笑っていてほしい。幸せになってほしい。本当だよ」
でも少しだけ、俺にも幸せを残してほしい。識司さんはひとりごとのように呟いて力なく座り込み、両手で顔を覆った。
「それを言ってやればいいんじゃないですか?それを聞いたら、雨が自分で決めますよ」
識司さんはしばらく答えなかったが、顔を覆ったまま、不安そうに小さく言った。
「雨さんは今までみたいにつらい方を選んでしまわないかな」
「そうじゃないかもしれません。さびしいのが怖いって言ってました。識司さんが話してくれたら、ちゃんと決められると思います」
そう、と識司さんは顔をあげずに答えたが、声は少し笑っているようだった。
「変わったんだね。黒栖君のおかげかな」
「いや、俺は」
「でも、黒栖君が来てくれたのが今日で良かった。俺も変わらなきゃいけないんだね。雨さんのためなら俺の」
幸せなんていらないね、と識司さんは囁いたのか。顔を覆ったままなのでよく聞こえなかったが、何か吹っ切れたようだった。
「明日の朝、雨さんを連れてきてくれる?そうだな、早いけど、6時に」
識司さんは顔を上げた。疲れは見えるが、しかしのんびりした識司さんらしい笑顔だ。
「わかりました。どうかよろしくお願いします」
「黒栖君もいいかい」
「え、俺は」
「また証人になってよ。中村君も認めた立派な証人なんだから。寒いからあったかくして来てね」
またそうやって茶化す。2人で話してくださいよ、と俺は引いたが、こうなったら識司さんは引かないのだ。
「頼むよ、香典返し余ってるの2つあげるから」
「いりませんてば」
そういえばそういうのを忘れていた。しまったという思いが俺の顔に出たのだろう、識司さんはいらないよ、でも頼みくらい聞いてほしいな、と笑った。ほらやっぱり聞かなきゃいけなくなるんだ。
でも俺もやっと肩の荷がおりた気がする。
「そういえば黒栖君、蔵見た?文明君に言っておこうか」
「あ、まだなんです、俺は急がなくて大丈夫なので、よろしくお願いします。でもその前に順子さん探さないと。俺も手伝います」
「ありがとう、でも土地勘のない人には無理だよ。酒蔵の案内は、事務所の人で良かったらすぐなんだけど、結城さんが張り切ってるからさ。早いうちの方がいいから、決まったら連絡するよ」
微妙な気持ちだが、肩の荷がもうひとつおりた。
「俺はもう少しいてから帰るから、黒栖君は先に行っててくれるかい。あと中村君のことは秘密だからね。雨さんにも」
「わかりました。男と男の約束ですから」
識司さんが笑顔でうなずいた。でも俺はこの後識司さんは泣くのだろうと思った。
俺は振り返らず礼拝堂を出た。
順子さんのことで騒ぎになる前に、俺は急いで雨に明日のことを話した。急ぎ過ぎて雨の寝起きを強襲してしまった。雨が声も上げられないでいる枕元で、明日識司さんと話ができるよ、と報告する。
「識司さん、やっと本当のこと話してくれそうだよ。雨、思ってること、全部話しておいでよ」
雨が目のすぐ下まで布団を引き上げ、目をまんまるにしている。雨の喜ぶ顔が見たくて、雨、起きて、と言ってから俺は自分が何をしているのかわかった。
「……出て行ってください」
「ごめんなさい!」
俺は雨の部屋を飛び出した。
部屋に戻り時計を確認すると、まだいつもなら起きるかどうかの時間だった。今日は朝から頑張った。雨には怒られたが。
充実感に浸りながら食堂でお茶を淹れていると、遅れて、怒った顔の雨が現れた。
「……おはようございます」
「雨、おはよう!」
俺はそのくらいではもうへこたれないのだ。識司さんを攻略したんだぞ。
雨が気後れしたようにテーブルに着く。その前にお茶を置き、俺は改めて雨に言った。
「朝、識司さんと話したんだ。識司さん、雨と話してくれるよ。明日の朝6時、また礼拝堂に行こう」
雨は不安そうに俺を見た。
「でも、私……」
「大丈夫、今度こそ雨の知ってる識司さんと話せるよ。きっとあれが雨の知ってる識司さんだよ。俺に雨のこと話してくれたよ。俺からは言えないけど、きっと明日話してくれる。だから、明日行こう。俺も行くけど、気にしないでいいから、隙見て外に出とくから、思ってたこと全部言っておいでよ」
雨は気圧されたようにうなずいた。
「そんなに朝から2人で話したの?いつ待ち合わせたの?」
そこはそれ、男同士はわかる時があるもんだよ。俺は適当に言った。雨は俺の手に少し触れた。俺はびっくりして動きを止めた。
「ごめんなさい、寒かったでしょう。手が冷たいです。私のために、ありがとう」
雨が俺を見つめ、俺を気遣い、微笑む。その目で見つめられると、俺は嬉しくてたまらないけど、今はちょっとつらいよ。
俺はお茶を一気に飲んで、雨に顔を見られないようにまたお茶を淹れた。
理恵さんが朝食を持ってきてくれた。久しぶりの理恵さんのごはんだ。忙しかったはずなのに、今日の理恵さんは気合いが入っている。小鉢が3つもある。
「昨日のお葬式もすごかったですよ」
話がしたいらしい。理恵さんもここで食べるようだ。識司さんはほったらかしなのかと心配になったが、理恵さんは、社長だけなら私がいなかったら勝手に用意したの食べてってくれるからいいんです、と言った。つまりほったらかしだ。
「確かに社長もずいぶんあっさりでしたけどね。喪主の妻挨拶って何かと思いましたよ」
誉茉子さんは識司さんが事務的な挨拶を終えた後、突然マイクの前に立ち、また号泣したそうだ。そして涙ながらにお礼を言い、思い出を話した。そして、兄として満足に思い出を語って妹を送ることもできない、行方不明の娘も探さない不肖の夫を詫びた。喪服の帯が見えるほど頭を下げたきり、しばらく動かない念の入れようだった。会場は騒めいたが、識司さんは何も言わなかったという。
「打ち上げに来た人はわかってますから何も言わなかったですけどね。でも、あの場所では説明もしにくいでしょう。もう、社長ももっとしゃんとしてくれたらいいのに」
理恵さんがもりもり朝ごはんを平らげる。
「それからね、終わってからなんですけど、中村さんのご両親が清君を連れてきて、何か社長と話してたんです。もしかしたら、お嬢さんから連絡があったのかもしれません。清君て、お嬢さんの彼氏なんです」
あの中村君か。きっとそこで今日の約束をしたのだろう。理恵さんはお嬢さんもそろそろ帰ってくる気になったんですかね、なんていやそうな喜んでいるような顔をしている。俺はそうだね、と曖昧にうなずいた。中村君との約束だ。理恵さんにも、雨にも言えない。すぐ知ることになるだろうが。
中村君は俺よりしっかりしていた。順子さんの人生を受け止める決意をした。俺は雨に指輪のひとつも渡せないのに。
「社長も今日くらい休んだらいいのに、仕事するんですって。ああいうの貧乏性っていうんですよ」
理恵さんの暴言はとどまるところを知らない。今日も理恵さんは元気だ。それでいい。
順子さんが本当にいなくなったことがわかり、捜索願いを出すと共に地域でも探し始めたのは、会社が始まってすぐだった。




