第十八話「最新対最新、再び!」
わたくし、アプリ・アクセルハートは、ロボット型掃除機に乗る少女から全力で逃げていました。
場所はビルが立ち並ぶ市街地です。アスファルトの地面のすぐ上を、掃除機レースの参加者達は滑空するように進んでいきます。また、進路は宙に浮かぶ赤い半透明の矢印によって示され、それに従う形で私達は指定されたコースを進むのです。
そして、私は背後から迫る“攻撃者”から本気で逃げようとしていました。
ロボット型掃除機は厚い円盤状の機体で、その上には血走った目の少女が座っています。ロボット型は、その下部から二つの回転刃を生成して、追い付いた相手を切り刻もうとしているのです。
私は、キャニスター型掃除機のクーちゃんに乗りながら、そのロボット型から何とか逃げようと必死に運転していました。機体操作に必要な念動魔法の出力を上げる“ブースト機能”を使いながら、クーちゃんをどうにか加速させて逃げきろうとしているのです。
しかしブースト継続時間には限りがあり、今はそこまでエネルギー残量が残っていないため、このまま逃亡を続けるには多少なりともエネルギーを温存する必要があります。
だから私は、直線を進みながらもブースト発動ボタンを小刻みに押し、ロボット型に追い付かれない程度にエネルギーの温存を図ります。常にブーストを使っていたのでは、あっという間にエネルギーが尽きて追い付かれてしまう事でしょう。もし追い付かれたら、その時点で私は切り刻まれてしまうのです。
いくら簡易保護障壁があるとはいえ、なんというかああいう形の武器は恐ろしくて無理です。近くで見るのすら恐いです。こう、触っただけで指がスパァンって切られそうじゃないですか。
どれだけ安全が保障されてようと、恐い物は恐いのです。
あれです。博物館などに飾られている昔の武器を見て、なんとなく恐くなる現象と一緒です。あれ、私だけでしょうか。
「うう……考えただけで寒気が……」
私は、別に寒くもないのにブルブルと身体を震わせます。
そんな私の前に、左曲がりの矢印が見えてきました。次は左コーナーです。
ここで問題なのは、キャニスター型とロボット型の間には大きなコーナリング性能の差があるという点です。
私が初心者というのもありますが、大前提としてキャニスター型は素早く曲がる事が出来ません。もともとそういった方向に特化していないというのもあり、そもそもキャニスター型自体のコーナリング性能がそこまで良くないのです。
それに対してロボット型は、効率的なコーナリングを行える性能に関しては他のどんな掃除機にも引けを取りません。それどころか並大抵の掃除機に圧勝しています。ロボット型は、速度があまり出ないぶん直線に弱いという弱点を持ちますが、逆にコーナーを素早く曲がる事が出来るという長所を持つのです。
私のクーちゃんは二度にわたるパージによって速度が上昇していますが、ロボット型の方は直線でも風のラインを見つけて速度を上げてくるという離れ技で対抗していきています。
結果的に、両者の性能差は以前のまま殆ど変わっていませんでした。私が曲がりで不利であるという事実に変わりはないのです。
つまり、このまま左コーナーに突入すれば、私達の間にある距離はあっという間に縮まってしまうのです。それはいけません。直線で引き剥がすにしても、その分多くのブーストエネルギーを使用する事となります。そうなってしまえば終わりがまた一歩近づいてしまいます。
だから、私はこの左コーナーでロボット型との距離を、ほとんど縮めさせないようにせねばなりません。そのための策は未だ全く思い浮かびません。
……というか、すごい考えていますね、私。今まで一緒だった猫がずっと解説を続けていたからでしょうか。妙に色々と考えてしまいます。私自身、追い詰められているので必死だというのもあるでしょうけどね。
とはいえいいアイディアは一向に浮かんできません。
私は全力で考えつつ、更に使えそうな記憶を漁っていきました。
「えっと……えとえとえとと……どうしようどうしようどうしよう……! あっ。そうだ……!」
と、ここで私は一つのアイディアを考えつきました。
レース中、教わった知識の中から有効そうな物を見つけたのです。
これをここで思いつけたのは殆ど天啓のような物でした。そういう意味では、今の私は最高に運が良かったと言えます。
とはいえ、それを反芻するだけの時間は残されていません。左コーナーはもうすぐ前に迫っていました。
ぶっつけ本番で試すしかありません。
「……やるしか、ないのかな……? うん、やらなきゃ……」
自問自答しつつ、私はブースト状態を維持したまま、勢いよく体重を左側へとかけていきます。
そのまま私はコーナーの中へと入っていきますが、曲がりきるのには少し角度が足りていません。大きな赤い矢印が、私の視界の中でどんどん大きくなっていきました。このままではコースアウトしてしまいそうです。
ですが、キャットさんの運転の際どさはこの比ではありませんでした。だから私も少しは度胸がついたのか、不思議と怯えずに進んでいけます。
「こ……ここっ! 勘だけどっ!」
それから、私はブーストボタンを素早く“二度”押します。
すると、突然、私の視界が左方向へ九十度回転しました。まるでカメラの向きを高速で変えたような視界の変化です。ぐわん、とした不快感が私の体感を襲いました。
何が起こったのかと言えば、単純にクーちゃんが「直角」に曲がったのです。鋭く、まるで加速するように、左側へとカクンと曲がって見せたのです。その動きはロボット型が曲がる時と酷似していました。
これによって、クーちゃんはテンポ良く曲がりつつも、次の直線へと問題無く入っていきました。後ろを見ると、ロボット型少女との距離はさほど縮まっていませんでした。どうやら成功したようです。
今のは、以前、キャットさんが私に教えてくれた“二度押し”というテクニックです。これをやる事によって機体は即座に方向転換をする事が可能となるのです。
すっかりと忘れていましたが、そういえばこういう技術を使った事もあります。コーナーで使うのは初めてでしたが、なんとか上手くいったようで何よりでした。
ここで再度背後を確認すると、ロボット型少女が驚きつつも執念の籠った目で睨み返してきます。普通に恐いです。私の心は恐怖に竦んでしまいそうになります。
が、ここである事を思い出しました。
私は、その事実を口にする事によって、自分の中の思い込みを強くしてきます。
「……だいじょうぶ、白魔女の眼力はこんな物じゃ無かった……! だからまだ、ほんのちょっとだけ頑張れる……かも…………はーっ、でもなぁ……」
ここで私は意気消沈してしまいます。
キャットさんの事や白魔女の事を考えたせいで、私の中のささやかな現実逃避は終わってしまったのです。
本来、私がやるべきなのはロボット型から逃げきる事では無く、白魔女に追い付くことなのです。今までは、なんとかロボット型に追われる恐怖に没頭する事によって現実から目を逸らしていましたが、一度意識してしまった以上はそうもいかなくなってきました。
私の心に、再び黒い感情が充満していきます。
……ですが、そんな感傷に浸る暇すらも、このロボット型に乗る少女は与えてくれませんでした。
一応、嫌な予感がして後ろを確認してみた所、あの女の子が何かを呟いているのが確認出来ました。あれはきっと魔法発動のためのパスワード発声です。
その証拠に、女の子の全身から水色の光が迸っていました。魔力の光です。これは危険です。
そんな事があった直後、ロボット型の周囲に紫色の棘が生成されました。機体と乗り手を覆うような、ハリネズミ状に展開した大量の棘です。
私と直接対決して以降、ほとんど使わなくなってしまった魔法なので、私はてっきり女の子の魔力が切れたのだと勝手に思っていました。しかし現状を見る限り、魔力切れというのはあり得なさそうです。
あの魔法攻撃には嫌な思い出があります。
私は目に涙を浮かべ……つつもグリップを構えました。グリップの先にあったはずの伸縮管やヘッドは、これまでの流れで外してしまっています。故に、グリップの先には制御部位と吸引口しかありません。
私は、上体を捻ってグリップを背後へと向け、その吸引口をロボット型少女へと向けます。これはむしろチャンスです。ここで魔法を吸収出来れば、クーちゃんのブースト継続時間が更に増えてくれるのです。
だから私は、すっかり軽くなってしまったグリップを、まるで拳銃のように構えました。漫画やアニメなどで時折見かける、何故か片手で銃を撃つ際に“あえて”銃を横向きに構えてしまうアレです。
色々なパーツが外れたグリップは、むしろ軽くて動かしやすいぐらいです。狙いも定めやすそうです。
私はなけなしの覚悟を決め、ロボット型少女と視線を衝突させました。
「……い、いつでも……ど、どうぞ、来るなら来てもいいよ…………でもお手柔らかに……」
やはり、格好つけようとした所で失敗してしまいます。
どうにも強がりが言えません。何を言おうとしても臆病心が出張ってきてしまいます。
けれども、それが「私」なのでどうする事も出来ないのです。
私は、少しだけ震えた手で、グリップを握る力を強くしていきました。
そんな私に対し、ロボット型に乗る少女はまたしてもパスワード発声を行うと、その全身から水色の魔力を放出させました。これは発射用の魔力です。
ロボット型に乗る少女は、針を“生成するだけの術”と針を“飛ばすだけの術”を複合させる事により、全方位に針攻撃を行うという大魔法を実現させているのです。
――――そして、やはり女の子の針攻撃は実行されました。彼女と機体を取り囲んでいた紫色の針の全てが、ありとあらゆる方向へと飛ばされていったのです。
当然、私の背後からも放射状に広がる針が、相当なスピードで迫ってきていました。
ここで私はブーストを解除し、若干の減速を図りました。これでロボット型との距離は縮まっていきます。が、それで構いません。むしろそれが狙いなのです。
私が減速したせいで、針が襲いかかってくる速度がより速く感じてしまいます。
それでも私は目を閉じず、上体をなるべく捻らせてから、針と接近するなりグリップを一気に振りあげました。まるで剣を用いて何かを切り裂くような動作です。
――――銃のように構え、剣のように振り、盾のように守る。斜め下から斜め上へと振りあげる一閃。
たったそれだけの動作で、私に当たりそうな針は全て消えてしまいました。今の一振りで、かなり多くの針を吸い取ってしまったのです。
やはり、以前にキャットさんが言っていたように、あえて針に接近した方が簡単に吸引出来るようでした。
また、グリップを振るという行為にも意味があります。
実はクーちゃんには、一度吸引範囲内に近づけた物は必ず吸引しきるという特性がありました。たとえ吸引口を吸引途中で動かしたとしても、一度でも吸引範囲に入った物はそのまま吸いきる事が出来るのです。キャットさんがそう言っていたので間違いありません。
そして、グリップを振って吸引口を移動させる事により、より多くの物を吸引範囲に入れる事が出来るのです。
これを利用し、私は一振りの吸引で多くの針を吸い取ったというわけなのです。
……何だか成功続きでした。意外と出来るじゃん、私。
今のでブーストエネルギーも補充出来ましたし、このままいけばロボット型少女から逃げきる事も出来そうです。しかし、まだ達成感は得られません。何故ならば、ロボット型との勝負はまだついていないからです。
私は様々な想いを抱えながらも、今はひとまずレースを普通に進めようと決めます。その想いを胸に、私はブーストボタンを再度押しました。これで再加速です。
一旦コーナーを抜けて直線に入ったため――――クーちゃんの加速力によって――――私とロボット型の距離はだんだん離れていきました。ブーストエネルギーの供給が出来たので、先ほどまでよりは温存せずに済むようになったのです。これ一歩リードです。
そうして私達はいくつかのコーナーを抜け、距離を縮めたり離したりを繰り返していきました。直線のたびに私が前に出て、コーナーのたびにロボット型が僅かながら接近してくるという構図が少しの間続きます。が、このまま続ければ続けるほど有利になるのは私の方でした。何故なら、私は前以上の加速で直線を進める上、ロボット型はコーナーで以前までのような接近を図れないのです。
けれども、そう何もかもが簡単に上手くいくほど現実は甘くありませんでした。
私がふと背後を確認した時、ロボット型に乗る少女が私の方へと手の平を向け、小さく何かを呟いたのです。それと同時に女の子の全身から水色の光が迸りました。
その一部始終を見た私の表情は硬直します。
「……ま、またなんだ……」
これは紫棘攻撃の予兆です。もう分かりきっています。
ですが、私は“一度防ぎったはずの攻撃”に対し恐怖心を隠せませんでした。このロボット型に乗る少女はどうして防がれると分かっているはずの攻撃を放とうとしているのか、という疑問が頭から離れてくれません。それがどうにも不気味な雰囲気を孕んでいて、私の表情は不安によって暗く曇ってしまいました。
……そして、少女の手の前に複数の紫色の棘が生成されました。それも私の予想を裏切る形で。
私は目を見開きました。
「えっ!?」
女の子が生成した複数の棘は、彼女の前面までしか覆っていませんでした。全方位に展開していないのです。それも全てを一点に集めたような密度でも無く、まるで全部の棘を生成しきれなかったかのような有様でした。
まさかこれも応用系でしょうか……とまで考えて、私はその思考を投げ捨てます。それはあり得ないのです。ロボット型に乗る少女はこれまでに“全方位に棘を生成する”というのを徹底していました。たとえ相手が一人しかいないような状況でも、頑なに全方位生成と射出を行ってきたのです。明らかに針の数を減らした方がいい状況でも、この人は絶対にこのスタイルを崩さずにここまで来たのです。
恐らく、針の数を減らそうにもそう出来なかったのでしょう。
術というのは魔法を使用する際の「型」のような物であり、それは「これはこういう魔法だから、こういう事が出来てこういう事が出来ない」というのを設定してイメージを固定化する事によって、より魔法を扱いやすくしているという側面もあります。
術を構成する要素を細かく設定すれば設定するほど、より魔法使用のイメージが固まりやすくなります。そうなると術の発動にタイムラグが生まれにくくなり、発動の際の魔力調節もやりやすくなるのです。それは術の威力の底上げという結果に繋がりますし、少々大規模な術も扱いやすくなるのです。逆にそういった部分を緩く設定すると汎用性が上がり、その反面、あまり大規模な術は使えなくなってしまうのです。
この女の子の場合は、かなりの高確率で「全体に針を展開する」という形で術を固定化していると想像出来ました。そうでないとこれまで魔力を――――わざわざ一人相手に全体攻撃などをして――――無駄にしてきた意味がわかりません。
ならば今のこの一面展開は何なのでしょうか。ここで少し考え、私はすぐにそれらしい答えを見つけます。
「もしかして……魔力切れ?」
その可能性は大いにあり得ました。
もう針を生成しようにも魔力が足りないから、全体に展開できずにこうなっていると。そう考えるとある程度の辻褄があってきます。
まあ、この考えが当たっていようと外れていようと、今の私にはどちらでもいい事です。
来る攻撃は全て吸収すればいいのです。私は上体を捻り、背後へと銃のようにグリップを構えました。
「うう……ど、どうぞ……! 手加減してくれると嬉しいかも……」
そんな私の声が届いたか否か、ロボット型に乗る少女は私へと向けて全ての棘を放って来ました。
私はブーストを解除して減速し、背後のロボット型へと接近しながら、グリップを握る手に力を込めます。
紫針攻撃は数が多いだけで、途中で曲がったり消えたりはしません。だから正面から受け止めるのみです。
私は再びグリップを斜め上へと振り上げました。一閃。これにより私に向かってくる棘は全て消失――――
――――しませんでした。
「えっ!?」
紫色の棘は数個吸い込めましたが、一部吸い残しを出してしまったのです。私は全ての攻撃を吸いきれず、空中にいくつかの針を残してしまったのでした。二つ、三つ程度の針はそのまま私へと接近してきます。当然です。吸うのに失敗した以上は、この分の攻撃を喰らうしかないのです。
……いや、今のはむしろ針に“避けられた”ような……
何にせよ、吸いきれなかった分の針は私に直撃してしまいます。紫色の針は次々と私の簡易保護障壁に刺さり、三度ほど私の簡易保護障壁を震わせました。この振動こそが、ダメージを受けたという事実を如実に表しています。
ここで私は、自分が今、このレースで初めてダメージを受けたのだと気付きました。幸い、簡易保護障壁のダメージは許容内だったようですが、今ので一気に追い詰められたのは間違いありません。
私は、恐怖の感情を滲ませた視線を、私の背後を行く女の子へと向けました。
「な、何……今の……!?」
当然ですが、ロボット型に乗る少女は何も答えてくれません。
結局、何をされたのかが曖昧なままです。
……針の数が減ったから、術の念動操作を行いやすくなったのでしょうか。
色々と考えてみますが、いずれも確証が得られません。別に確実さなど求めてはいませんでしたが、こう肝心な場面でそれが得られないとどうにも不安になってしまいます。
そして、少女がまたしても手を前に出し、小さく何かを呟きました。
「ひ、ひぃぃぃっ!!!!」
私は瞬間的に竦み上がり、それと同時に女の子から水色の魔力が放出されました。それから紫色の棘がまたしても生成されてしまいます。
針の数は前よりも更に少なくなっていました。もう手の周辺を軽く覆える程度しかありません。しかし、もしもそれで本当に念動性能が上がっているのだとしたら、私にその攻撃を防ぎきれる自信は全く無いのです。やられて撃墜される自信ならありますが、それは今現在この場において何の自慢にもなりはしません。
私はグリップを構える事すらもやめ、これから襲い来る脅威に対してひたすら怯えました。やはり、ちょっと頑張ってみたけれど駄目だったのです。ここでゲームオーバーなのです。考えてもみれば、白魔女なんかよりもこの子にやられた方がよっぽどマシでした。何となく、そう思えてしまったのです。
思えば、私はレースが始まってからこの子としか因縁を作っていません。もちろんキャットさんの憑依は勘定に入れないとして、あくまで私自身の話です。ここまでずっと戦ってきたのなら、もうライバルのような物です。なら、そういった相手に負けるのもまた悪くないかもしれません。
私は鼻を啜りながら、そう考えてみました。
……ですがそんな私の耳に、ガリッという聞きなれない音が聞こえてきました。
「え?」
ここで私は初めて気付きました。地面がもうすぐ傍にあるという事実に。
クーちゃんの高度がもう相当下がっていたのです。気がつけば、私は斜め下に機体を傾けていたようです。そのせいで高度は徐々に下がっていき、こうして地面に機体をこすりつけてしまったのでした。今のガリッという音は、クーちゃんの底面パーツが地面にこすれてしまった音だったのです。
どうやら私は落ち込んでせいでかなりの前傾姿勢となり、いつの間にか機体の前の方へと体重をかけてしまっていたようでした。そのせいで方向が斜め下になってしまったのでしょう。
私は焦ります。このままでは地面に到達してしまいそうです。
背後を見ると、少女がもう針攻撃を仕掛けようとしていました。絶体絶命です。どうせやられるなら綺麗に格好良く捨て台詞でも残しながら負けたいものです。こんなトラブルまみれの状態で負けるのはなんか嫌です。つい反射的にそう思ってしまいました。
だから私はグリップを構え直して、ついでに機体の向きも修正しようとし――――
――――誤って両輪を地面につけてしまいました。
「―――――っ!!!?」
私が声にならない叫びを上げると同時。
クーちゃんがいきなり地面を全力疾走し始めました。凄まじい速度で景色が流れていきます。相も変わらず信じられない速度です。これで風を感じられたら、恐らく空気抵抗で燃え尽きてしまうのではないでしょうか。そう思える程の圧倒的加速力です。
これだけでロボット型との距離が一気に離れました。ここまでやれば魔法攻撃も届かない事でしょう。
しかし問題はもうそんな些細な事ではありません。クーちゃんが止まらないのです。出力を弱にして可能な限りの減速を図りますが、それでも体感的に「あっ、一段階遅くなったなー」程度の変化しかありません。どのみち私に扱える速度ではありませんでした。私は絶叫マシンに乗っている時と大差ない気分で叫びます。
ですが、いくら叫んだ所で状況は何も変わりません。
いえ。更に悪化し続けています。
私の進路上に大きなビルがありました。横を向いている赤い矢印もあります。どうやらコーナーのようです。
まあもちろん曲がれません。このままビルに直撃しそうです。多分簡易保護障壁さえあればぶつかっても何とかなりそうな気もしますが、まず第一問題として建物に激突するとか恐すぎてあり得ません。安全が保障されていても恐すぎてたまりません。
私はもうどうしていいかわからなくなってしまいました。
「ちょっ……ちょちょちょちょっとぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!! ど、どいてどいてどいてどいてーーーー!!!」
駄目もとでビルに叫んでみます。が、やっぱり駄目でした。ビルは避けてくれません。
もう駄目です。もうお終いです。激突は不可避な物でした。仕方が無いのです。私はもうここで死んでしまうのです。
そう考えた時、私の胸の奥が“きゅん”となりました。何でしょうかこの感覚。なんでこんなにも追い詰められているのにちょっとトキメいているのでしょうか。私は馬鹿になってしまったのでしょうか。意味がわかりません。どうしてこんな状況で私は興奮しているのでしょうか。実は破滅願望でもあったのでしょうか。
私の思考はもう既に混乱しきっていました。
私の脳内で走馬灯の高速再生が始まります。生まれた時から今に至るまで、様々な映像が私の脳内を駆け巡って行きました。その際に、このレースでの碌でもない思い出も再生されていきます。
と、その時、ふとした事を思い出しました。
それは私が今のように混乱しきった時の事でした。とある猫が私に言ったのです。
『フゥ……落ちつきなよ。アプリ、君が乗っている物は何だい?』
その言葉を思い出し、私は反射的に呟きます。
「……そ、掃除機だよ……!」
そして、そこから続く言葉も思い出しました。
私は急に震えが止まった身体に感謝しながら、ぐいっと本体側のハンドルに力を込めました。ハンドルを上に持ち上げようと力を入れていきます。
そうする事、数秒。
私はお腹の奥から叫びました。
「だったら……飛べる、はずっ!!!!!」
ハンドルを上に持ちあげたお陰で、クーちゃんの車輪がゆっくりと地面から離れていきます。
それと同時に速度が一気に収まります。クーちゃんの地上加速は終わったのです。
ビルはもう目前でしたので、私はブーストを二度押しする事によって鋭く曲がります。これでぶつかる心配も回避出来ました。
背後を見ても、ロボット型に乗る少女の姿は見えません。つまり今の加速で撒いたのです。結果オーライという形になりましたが、これで何とか完全勝利を収める事が出来ました。呼吸は未だ荒いままですが、なんとかやり遂げたのです。
私はここでようやく達成感を得られました。
……今度は何も邪魔しないよね? 大丈夫だよね!?
私は左右をキョロキョロ見回した後に、まだ白魔女に追い詰められているという現状も忘れ、大きな声でかつて言い損ねた言葉を叫びました。
「やっ……たぁぁぁっ!!!」
恥も外聞もありません。一切の淑やかさもありません。
勝ったのです。私はようやく、キャットさんの力を借りずして勝ったのです。
クーちゃんに偶然にも助けられましたが、それでも何とか勝てたのです。やりました。私はやったのです。
私はガッツポーズか万歳をしようとしましたが、クーちゃんによって両手が塞がっている事に気が付きました。
だから苦笑しつつ、グリップを持ち上げる程度で満足する事にしました。
本当に良かったです。勝つって、こんなに気分の良い物だったのですね。信じられない程の達成感です。
もうそれもこれもクーちゃんのお陰です。クーちゃんがいたからここまで来れたのです。本当にクーちゃんさまさまです。
私はクーちゃんのグリップに軽くキスして、それから元々は廃品だった掃除用掃除機だという事を思い出して、ちょっと泣きそうになりました。何気に不潔な事をしてしまいました。
……と、そんな時です。
私がふと小型モニターに眼を向けると、そこに映っている映像には大きな変化が訪れていました。
「えっ?」




