第49話「第三創造者、禁じられた真実」
第49話「第三創造者、禁じられた真実」
――神々の歴史に、決して語られてはならない記録がある。
それは、世界が生まれるよりも前の記録。
神々が神々と呼ばれるよりも前の記録。
そして、創造主エリシアと原初の観測者が、まだ互いの手を離していなかった頃の記録だった。
その記録を知る者は、今やほとんど残されていない。
ただ一人。
第三創造者を除いては。
◇
「今度こそ、あの二人を出会わせてはならない」
第三創造者の声が、静まり返った神殿に響いた。
彼女の前には、砕け散った水晶の破片が浮かんでいた。
先ほどまで、そこには世界の外側に囚われた原初の観測者の姿が映っていた。
しかし今、その姿はどこにもない。
残されているのは、砕けた鎖の残響と、世界の法則に刻まれた微かな異変だけだった。
「第三創造者様」
神殿の奥から、一人の神官が進み出た。
「観測者の封印に異常が発生したとの報告がございます。第一封印の一部が消失し、第二封印にも亀裂が生じたと」
「分かっているわ」
「しかし、あの封印は神々の権限をもってしても破壊できないはずです。いったい、何が起きたのでしょうか」
第三創造者は答えなかった。
答えられなかったのではない。
その答えを口にすれば、これまで彼女が守ってきた秩序そのものが揺らぎ始めるからだった。
彼女は窓の外を見た。
神々の世界では、いつもと変わらぬ光景が広がっている。
白い雲。
輝く神殿。
天上を巡る星々。
そのすべてが、永遠に続くかのように見えた。
だが、第三創造者には分かっていた。
あの世界は、永遠ではない。
たった二つの存在が再び出会うだけで、今あるすべてが別の形に変わる可能性がある。
「……準備を進めなさい」
「何の準備でございましょうか」
「創造主の覚醒に備えるのよ」
神官の顔が強張った。
「エリシア様は、まだ完全には目覚めておられないのでは?」
「ええ。けれど、もう時間の問題だわ」
第三創造者は、右手を掲げた。
その掌に、小さな黒い結晶が現れた。
結晶の中には、一本の銀色の糸が閉じ込められている。
「この糸を、始まりの神殿へ運びなさい」
「これは……?」
「創造主がかつて、自ら切り離した記憶の一部よ」
神官は息を呑んだ。
「そのようなものが、まだ残されていたのですか」
「残っていたのではないわ。私が隠していたの」
第三創造者は、結晶を握りしめた。
「彼女が思い出してしまえば、すべてが終わる」
「……すべて、とは?」
第三創造者の金色の瞳が、冷たく光った。
「この世界を成り立たせている、最初の約束よ」
◇
同じ頃。
白い花が咲き乱れる神殿の最奥では、リリアが一人、眠るエリシアを見つめていた。
銀髪の少女は、透明な結晶の中で静かに目を閉じている。
先ほどまで感じられた強い神性は、今はほとんど感じられなかった。
けれど、完全に消えたわけではない。
結晶の奥から、ときおり淡い光が漏れている。
まるで、彼女の魂が何かを探しているかのようだった。
「……エリシア」
リリアは、そっと結晶に手を触れた。
冷たい。
それなのに、指先には不思議な温かさが伝わってくる。
「あなたは、何を隠しているの?」
答えはない。
それでも、リリアは問い続けた。
「原初の観測者という人は、あなたにとって何なの? どうして、あの人が戻ってくることを恐れているの?」
結晶の表面に、小さな光が浮かんだ。
それは文字のようにも見えたが、リリアには読み取れなかった。
ただ一つ。
光が形を変えた瞬間、胸の奥に強い痛みが走った。
「……っ!」
リリアの視界が揺れた。
目の前の神殿が消え、代わりに見知らぬ空間が広がる。
そこは、まだ世界と呼べるものが何も存在しない場所だった。
大地もない。
空もない。
時間さえ、流れていない。
その中央に、一人の少女が立っていた。
銀色の髪。
澄んだ瞳。
幼い顔立ち。
間違いない。
エリシアだった。
しかし、今の彼女とは違う。
その姿には、神々でさえ触れることのできない圧倒的な力が満ちていた。
少女の前には、紫色の瞳を持つ青年が立っていた。
青年は穏やかな笑みを浮かべている。
「本当に、世界を創るのか?」
「ええ」
幼いエリシアは、迷いなく答えた。
「誰もが、自分の意思で生きられる世界を創りたいの」
「その世界には、悲しみも生まれる」
「分かっているわ」
「別れも、後悔も、避けられない」
「それでも」
エリシアは、青年の手を取った。
「誰かが誰かを愛することまで、失わせたくないの」
青年は、しばらく彼女を見つめていた。
やがて、優しく微笑んだ。
「ならば、僕は君の創った世界を見届けよう」
「ずっと?」
「ずっとだ」
青年は約束した。
「君がどんな世界を創っても、僕はそのすべてを見届ける。君が迷ったときには、君が何を望んだのかを思い出せるように」
エリシアは嬉しそうに笑った。
「約束よ」
「約束だ」
二人の手が重なった。
その瞬間、何もなかった空間に、一つの光が生まれた。
小さな光だった。
けれど、その光から星が生まれ、星々の間に大地が形作られ、やがて世界が広がっていった。
世界の始まり。
創造主と観測者の最初の約束。
リリアは、その光景を見つめていた。
美しい。
そう思った。
こんなにも穏やかで、優しい始まりがあったのなら。
なぜ、二人は引き離されなければならなかったのだろう。
その疑問が浮かんだ瞬間、世界の色が変わった。
紫色の空。
黒く染まった星々。
砕けた大地。
そして、無数の目。
幼いエリシアが、膝をついていた。
その手は血に染まっている。
目の前には、先ほどの青年が立っていた。
彼の身体は、光の鎖に縛られていた。
「……どうして?」
エリシアの声が震える。
「どうして、こんなことになったの?」
青年は答えなかった。
ただ、悲しそうに彼女を見つめていた。
その背後から、別の人物が姿を現した。
黒髪。
金色の瞳。
今よりも若い姿をした、第三創造者だった。
「エリシア。もう終わりにしなさい」
第三創造者は告げた。
「あなたの願いは、世界を壊す」
「違う……!」
エリシアが顔を上げる。
「私は、誰も傷つけたくなかっただけなの!」
「その願いが、彼を傷つけたのよ」
第三創造者は、青年を見た。
「あなたが世界を創るために、彼は世界の外側へ追いやられなければならなかった」
「そんなこと、私は望んでいない!」
「望んでいなくても、結果は変わらない」
第三創造者の声は冷たかった。
「あなたが創造主である限り、彼は観測者であり続ける。あなたが世界の内側に立つ限り、彼は世界の外側から見届けなければならない」
「だったら、私が創造主をやめればいい!」
エリシアは叫んだ。
「世界なんて、いらない! 彼と一緒にいられるなら、私は――」
「だめだ!」
青年の声が響いた。
エリシアが顔を上げる。
青年は、初めて強い感情を露わにしていた。
「それだけは、選んではいけない」
「でも……!」
「君が創った世界には、君がまだ出会っていない命がある。君がまだ知らない笑顔がある。君がまだ救える未来がある」
青年は鎖に縛られた手を伸ばした。
「僕のために、それらを消さないでくれ」
エリシアの瞳から、涙がこぼれ落ちた。
「……そんなの、ひどいよ」
「ああ。ひどい願いだと思う」
青年は微笑んだ。
「それでも、君に生きていてほしい」
その瞬間、黒い目が一斉に開いた。
『選択の猶予は終了した』
無数の声が、世界の外側から響いた。
『創造主よ。約束を果たせ』
エリシアの身体が光に包まれる。
青年を縛る鎖が、さらに強く締めつけられた。
第三創造者は目を伏せた。
そして、エリシアに告げた。
「あなたが世界を守るなら、彼を忘れなさい」
「……いや」
「彼の存在を記憶から切り離し、世界の外側に封じなさい。そうすれば、この世界は存続できる」
「いやよ……!」
「そうしなければ、世界はすべて消える」
エリシアは、青年を見た。
青年もまた、彼女を見つめていた。
二人の間に、言葉にならない想いが流れる。
そして。
エリシアは、震える手を掲げた。
「……ごめんなさい」
彼女の指先から、銀色の光が伸びた。
青年の身体が、ゆっくりと世界の外側へ引き離されていく。
最後まで、青年は彼女を責めなかった。
ただ、穏やかに微笑んでいた。
「エリシア」
「……なに?」
「いつか、君自身の答えを見つけてくれ」
光が二人を隔てた。
「誰かに決められた答えじゃない。僕のためでも、世界のためでもない」
青年の姿が、遠ざかっていく。
「君が、本当に望む答えを」
その声を最後に、世界は白く染まった。
◇
「――っ!」
リリアは、結晶から手を離した。
荒い息が漏れる。
頬を、涙が伝っていた。
「今のは……エリシアの記憶?」
彼女は震える指先を見つめた。
自分が見た光景。
それは、エリシアが世界を創った頃の記憶だった。
そして、原初の観測者が世界の外側へ追いやられた理由。
しかし、すべてが明らかになったわけではない。
なぜなら。
最後の瞬間、第三創造者の表情に、奇妙な違和感があったからだ。
彼女は、エリシアに選択を迫っていた。
けれど、その目には冷酷さだけではなく、恐怖と悲しみが浮かんでいた。
まるで、自分自身もまた、何かに追い詰められていたかのように。
「……第三創造者」
リリアは呟いた。
「あなたは、本当は何を知っているの?」
その問いに答える者はいなかった。
だが、神殿の入口から足音が響いた。
「リリア!」
振り返ると、アレンが駆け寄ってきた。
その後ろには、ミラとレオン、セフィルの姿もあった。
「大丈夫か? すごい神性の揺らぎを感じたぞ」
「うん。私は大丈夫」
リリアは涙を拭った。
「でも、分かったことがある」
「何が分かったの?」
ミラが尋ねる。
リリアは、眠るエリシアを振り返った。
「原初の観測者は、世界を壊そうとしたから封印されたわけじゃない」
「……どういうことだ?」
レオンが眉をひそめた。
「エリシアが世界を創るために、彼を世界の外側へ追いやらなければならなかった。そして、彼女は彼を忘れることを選んだ」
セフィルが静かに目を閉じた。
「創造主と観測者。その役割そのものが、二人を引き離しているということですね」
「でも、それだけじゃない」
リリアは首を横に振った。
「私は見たの。エリシアが選択を迫られたとき、第三創造者も苦しんでいた。あの人は、ただ二人を引き離したかったわけじゃないと思う」
アレンが腕を組んだ。
「つまり、第三創造者にも何か事情がある?」
「ええ。それを確かめなければならない」
リリアは、結晶の前に立った。
「第三創造者に会いに行くわ」
「待て。相手は神々の頂点に立つ存在だ。簡単に会えるとは思えない」
レオンの言葉に、リリアはうなずいた。
「それでも、行く。あの人が何を隠しているのかを知らないままでは、三日後の接続に備えられない」
そのときだった。
結晶の中で、エリシアの指がわずかに動いた。
リリアは息を呑む。
「エリシア……?」
少女の瞼が震えた。
そして、閉じられた瞳の奥から、声が響いた。
『……第三創造者に、気をつけて』
リリアの背筋が凍る。
「エリシア、聞こえるの? 第三創造者は、何を隠しているの?」
しばらく沈黙が続いた。
やがて、エリシアの声がかすかに響く。
『彼女は……私たちを引き離した』
「それは分かったわ。でも、どうして?」
『違うの……』
エリシアの声が震えた。
『彼女は、私たちを引き離したかったんじゃない』
結晶の奥で、銀色の光が瞬いた。
『彼女は……私たちが再び出会ったとき、何が起こるのかを知っていたの』
「何が起こるの?」
その問いに、エリシアは答えなかった。
代わりに、結晶の奥に黒い影が浮かび上がった。
無数の目。
世界の始まりを見下ろしていた、あの存在。
エリシアの声が、さらに小さくなる。
『あれは……世界の外側にいる、もう一つの意志』
セフィルの顔色が変わった。
「もう一つの意志……?」
『創造主でも、観測者でもない。世界が生まれるよりも前から、すべての可能性を見定めている存在』
エリシアは、苦しそうに息を吐いた。
『私たちが再び一つになれば、あれは目覚める』
その瞬間、神殿全体に低い音が響いた。
結晶の表面に、見たことのない文字が浮かび上がる。
リリアには、その意味が理解できた。
――創造主の記憶、第三段階の封印を解除。
――観測者の帰還可能性、再評価を開始。
――管理者への通知、完了。
そして最後に。
――第三創造者、接触を開始。
リリアは、顔を上げた。
「……もう、向こうも動き始めている」
アレンが剣の柄を握りしめた。
「なら、先手を打つしかないな」
「ええ」
リリアは、仲間たちを見渡した。
恐怖は消えていない。
分からないことも、まだ山ほどある。
それでも、進まなければならない。
誰かに決められた未来ではなく、自分たち自身の答えを見つけるために。
「行きましょう。第三創造者のところへ」
その言葉に、仲間たちはうなずいた。
そして、リリアが神殿の扉へ歩き出した、その瞬間。
世界の外側で、原初の観測者がゆっくりと目を開けた。
彼の前に浮かぶ窓には、リリアの姿が映っている。
「……君が、今の創造者か」
青年は、静かに呟いた。
その瞳には、遠い記憶と、かすかな希望が宿っていた。
「どうか、彼女と同じ過ちを繰り返さないでくれ」
けれど、その言葉が届くことはなかった。
彼の背後で、無数の黒い目が開き始めていたからだ。
『観測者』
重なり合う声が響く。
『君は、まだ世界を見届けるつもりか』
青年は振り返らなかった。
ただ、リリアの映る窓を見つめ続けていた。
「……ああ」
そして、はっきりと答えた。
「今度こそ、僕自身の意思で」
その瞬間、牢獄の奥で、新たな鎖が生まれた。
だが、青年はもう、以前のようにうつむかなかった。
彼は世界の外側に囚われたまま、それでも初めて、自分の意志で未来を選ぼうとしていた。
――第49話・
次回、第50話「目覚めた創造主と、世界を拒む声」
エリシアの魂が目覚め始め、世界の外側に囚われた原初の観測者との接続が迫る。リリアは第三創造者が隠した真実を追いながら、世界を守ることと、大切な存在を救うことの間にある答えを探し始める。だが、世界の外側では、二人の再会を拒む未知の意志が、すでに動き出していた。




