僕を花見に連れてって 4
もうモグラは目の前。ガシャンドシャンと派手に机を弾き飛ばしている。
なのに腕の男は落ち着いたものだった。
「あーあんたらー。多分もう大丈夫だからー」
「いやだ!食われなくない!このネズミさんもだ!」
「だからー、左門がどうにかしたから大丈夫だよ」
「は!?」
俺はもぐらを振り返った。さきほど暴れていたのがウソのようにおとなしくしている。
本当に大丈夫なのかとどきどきしながら見ていると、桜の精が花を巻いてふわりと現れた。
「すまぬ。人の子、ゆきと、おぬしら大丈夫か?ん?腕のがいたか…」
腕の男はひらひらと手を振った。
「ヨシノハルヤ、これは貸しってことで」
「む。…しかたない。じゃが、わらわの夫は害しておらぬであろうな?」
「左門がどこまでやったかによるなー」
桜の精と腕の男が何やら火花を散らしているが、俺とゆきとは桜の精が言ったことに目を剥いていた。
「「夫!?」」
「うん?そうとも、これはわらわの愛しい夫よ」
「それならちゃんと手綱つけときなよー」
「十分酔わせておいたと思ったのじゃがのう」
桜の精が愛おし気にモグラの体を撫でている。どうやら夫とは本当のようだ。思わず疑問が口をついて出てしまった。
「え、美女と野獣すぎない?」
腕の男がちらっと俺を見て口を開いた。
「ん?馴れ初め教えてあげようか?このモグラが桜につられて集まってくる奴らを食べに来てたところを、ヨシノハルヤが見初めたんだよね」
「いかにも」
桜の精がぽっと頬を染めている。俺は眉を顰めてしまった。
「あんた、ゆきとが食べられないようにって言っておきながら…」
「しかたなかろ。この祭りは桜に人の想いを集める良い機会じゃし、わらわも仲間に権勢を見せる良き場所じゃ。夫には我慢してもらおうと思うておるのじゃがのう」
彼女はふうとため息をついてモグラの夫をもふもふしているが、それを見て腕の男がため息をついた。
「毎年、途中で来ちゃうじゃん…」
「かと言って、しばりつけておくのは可哀想じゃろ」
「「毎年…」」
俺とゆきとはちょっとがっくりしてしまった。どうやらこの騒動は毎年起こっているらしい。まさか、俺まで命の危険と隣り合わせの花見になるとは思わなかった。
無意識にもふもふと腕の中のネズミをまさぐっていると、急に声をかけられた。
「殿、殿、ありがとうございます。おかげで食べられずにすみました」
「まことにありがたきこと!」
「ほんに助かりました!」
「はっ!極上のもふもふから声が…!」
三匹とも微妙に声色が違うが、チィチィキィキィと鳴き声も同時に聞こえるので不思議だ。
「ヨシノハルヤ様、背の君にお戻りいただいてください。我ら食われるところでした」
「そうです!大変な目にあいました!」
「我らが食われれば、お上にどのような申し開きをするおつもりですか!」
俺の腕の中からちょろちょろと白ネズミが出て行ってしまった。桜の精の前に来るとキィキィと文句を言っている。桜の精はバツの悪そうな顔をすると、すっとしゃがみこんだ。
「すまぬのう。おぬしらが食われぬように探していたのじゃが、見つけられなかったのじゃ」
「「「すんでのところで、このお殿様が我らを抱え込んでくださりました!!」」」
「ふふ。人の子よ。おぬしにも貸しができたのう」
「「「殿!いずれお礼に参ります!」」」
三匹のネズミはそう言うと、ちょろちょろと桟敷席の奥へ消えて行った。
「良かったのう。あれらはお山の神社からの借り物よ。失おうておったら、わらわは夫を半分にしなければいけないところであったわ」
「「半分…?」」
俺とゆきとはごくりと喉を鳴らした。
「ねー俺そろそろ帰るねー」
腕の男は間延びした声でそう言った。
「お前、腕は…。あ!」
不思議なことに、いつの間にか左腕が戻っている。俺が目を瞠っていると腕の男は両手を広げた。
「あははー。いりゅーじょーん」
「怖!あいつ怖い!」
桜の精はじっと男の左腕を見ている。
「左門。わらわの夫は大丈夫なのかえ?」
すると男の左腕からバリトンボイスが響いた。
「ちっと抜いといたから、しばらく寝てるだろうよ」
「ふむ。大きく削がれてはいないようじゃ。世話をかけたな」
「そう思うなら、来年はきちんと招いてくれよ。あと、枝もくれ」
「…毎年どうにかして潜り込んでおろう。まぁ仕方ない。来年は枝もやろう」
「おーやったねー!花があると酒の風味が違うんだよねー」
腕の男はへらっと笑うと左腕をぶんぶんと振った。
俺とゆきとはそっと顔を見合わせた。
「俺らも帰るか…」
「うん…」
腕の男はくるりと俺たちを振り返った。
「あーあんたさー、桝はちゃんと持って帰んなよ。朝には酒は消えてるけど、月光に当てとくと一週間は酒が湧くからさ」
「まじで!?」
俺はとっさに懐に入れた桝を探った。上座の三人の奴らに飛ばされた後、すぐに上着につっこんだのだ。酒でびっしゃびしゃになるかと思いきや、全くこぼれていない。
「そうじゃ。一夜ごとに花を入れると良い」
桜の精もうんうんと頷いている。
「おぬしらも、また来年招待してやるからの」
「えっ、俺はちょっともういいかも…」
「えぇ!ちょっとおじさん!?行きます行きます!」
「俺は嫌だぞ!また食われかけてたまるか!!」
「あー桜の精さん、おじさんの言うことは気にせず、来年も招待してくださいね!」
「ふむ。せっかくの縁じゃ。桜の精と呼ばれるのも無粋じゃの。人の子、ゆきと、わらわのことはヨシノハルヤと呼ぶがいい」
「はぁ」
「ありがとうございます!ヨシノハルヤさん!」
「あー俺にはそんなこと言ってくれないのにー」
「腕の。お前は勝手に呼んでいたじゃろ」
「あーそっかー、しまったなー」
「さて、わらわは夫を置いてくる。ぬしら、気を付けて帰れよ」
「あ、それじゃ」
「お世話になりました!」
ヨシノハルヤは花を散らしながら、モグラと一緒に消えた。
「んじゃー俺も行くわー!じゃあねー」
そう言うと、腕の男もゆらりと煙のように消えてしまった。
「…あいつ、絶対人間じゃねーな!」
「僕にもよくわからなかったよ、あの人…」
「怖えー…」
俺たちは、花見をする客の間を縫いながら、家路を急いだ。
恐ろしいことに、いつの間にか桟敷席は元通りになっているし逃げた妖怪の客も戻っている。
妖怪が多くいるエリアの抜けると、出入り口近くでは、リーマンがべろべろに酔っ払っていた。
赤ら顔でぐでぐでしているおっさんに、妙に安心感を覚える。
「こっちでは、何もなかったんだな…」
「そりゃ、あそこは場が違うから」
「…わけわからん…」
「さっ帰ろ!これもまぁ、いい『旅行』になったよね!」
「命の危険があったぞ!」
俺はアパートに帰ると、布団に倒れ込んだ。
明日が休みでよかった。
もうまぶたがくっつきそうだ。
今日は散々だった。花見に招待されたかと思えば、変な腕の男に会うわ、妖怪に会いまくるわ、食われそうになるわ。花見をしたという余韻は全くない。
(あぁ、でもあの白ネズミは可愛かった…もふもふ…)
ゆきとは、途中のコンビニで買ったつまみをいそいそ開けて、桝を傾けている。
俺はそのまま眠ってしまった。
俺が朝起きると、部屋の中は濃厚な酒の匂いがしていた。ゆきとはどうやら夜通し飲み続けたらしい。
今は、俺の隣で気持ちよさそうに眠っている。
(こいつ子供のくせに…あ、妖怪は関係ないか…)
窓際に桝が二つ並んでいるので、今日も飲むつもりなのだろう。
俺は桜の枝を水にさして、桝の隣にそっと置いた。
夜までに、またつまみを用意しておくつもりだ。
桜の酒は、本当に月光に当てると湧いてきた。この一週間、酒代はかかっていない。同じ酒ばかりで飽きないのかと思うだろうが、全く飽きないのだ。その日によって花の風味が変わるらしい。
最後は葉桜になってしまったが、それを酒に浮かべると花だけとは違って爽やかなあとくちになるのだから、最後の最後まで楽しめた。
同じ頃、あの河川敷の桜も散ってしまったらしい。
俺は、この酒をもらうためならまた花見に行ってもいいかもしれないと思ってしまった。
そのために、大事に桝を取っておこうとしたが、いつの間にか無くなっていた。
ゆきとに聞くと「それはそういうもの」らしい。
後日、あの白ネズミ三匹に驚かされることになるのは、また別のお話。
ありがとうございました!また読んでいただけると幸いです!